さて己の領地である上野国で武田勢に打ち負かされて、安中、和田、松井田ら諸将は穏やかではなかった
そこで軍議を開き、今宵武田の陣に夜討ちをかけることとした
安中、師岡、上田は間道から武田の陣に焼き討ちをかける、松枝、白倉、長野は逃げる敵を切所(せっしょ=難所の道)に追い詰めて討ち取る和田、松井田、倉ヶ野は正面から攻めかける、とした。
おのおの兵糧を準備して、焼き草を集めて準備をしているところに、、安中、倉ヶ野の方に向けて火の光が見えたので、これを怪ぶんだ
肥前守は気を集中して、これをじっと見つめた、火の光は次第に数を増して数万の軍勢が押しかかるかのように見えて、あわやと思うところに鉄砲の音、鬨の声が聞こえた
安中、倉ヶ野は大いに驚き、「さては晴信め、我らの出陣を知り、手薄になった本城に間道より攻め寄せたのではあるまいか」と夜討ちどころでは無くなり、急ぎ安中、倉ヶ野の本城に向かった
時は九月三日の亥の刻、折節雨が激しく、たいまつの火も消えて、暗闇の中を手探りで進むところに、かねてより待ち伏せしていた小笠原新蔵、小宮山丹後、三科肥前、安間三郎右衛門尉の軍勢が突然押し込んで攻めかかれば、上杉勢は慌てふためいて散々に討たれ、死傷者は山のように多く、右往左往して敗走する
武田勢は敵の地であれば、あえて深追いをせず、兵をまとめて引き上げた
安中、倉ヶ野は城に戻ると、火の光も、人馬の姿も無く、狐につままれた心持となった
「さては晴信の奇計であったか、欺かれた」と言えども、今更どうにもならず各々、持ち城に引き上げて「武田勢は勢いにのって攻め寄せるであろう」と備えを厳重にして待ち受けた
晴信は、倉ヶ野、和田の城はほおっておき、安中、松井田の両城を取り囲むとして軍議を開いているところに、諏訪の板垣弥次郎より注進が来て曰く
「小笠原長時が下諏訪に足軽を出して、当陣を伺っております、これは長尾と内通しているからであります」
他には、諸角豊後守、市川梅印、原与左衛門からは注進は来ていないが、小笠原勢と長尾勢が通じ合えば捨てて置けることではないと、安中を陣払いして、同月七日、諏訪に発向した
小笠原長時は、これを知ると早々に陣払いして松本に引き返した
晴信もこれを知ると、甲州に兵を返した。