神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(204) 甲越 川中島血戦 31

2024年09月19日 18時43分02秒 | 甲越軍記
 さて己の領地である上野国で武田勢に打ち負かされて、安中、和田、松井田ら諸将は穏やかではなかった
そこで軍議を開き、今宵武田の陣に夜討ちをかけることとした
安中、師岡、上田は間道から武田の陣に焼き討ちをかける、松枝、白倉、長野は逃げる敵を切所(せっしょ=難所の道)に追い詰めて討ち取る和田、松井田、倉ヶ野は正面から攻めかける、とした。

おのおの兵糧を準備して、焼き草を集めて準備をしているところに、、安中、倉ヶ野の方に向けて火の光が見えたので、これを怪ぶんだ
肥前守は気を集中して、これをじっと見つめた、火の光は次第に数を増して数万の軍勢が押しかかるかのように見えて、あわやと思うところに鉄砲の音、鬨の声が聞こえた
安中、倉ヶ野は大いに驚き、「さては晴信め、我らの出陣を知り、手薄になった本城に間道より攻め寄せたのではあるまいか」と夜討ちどころでは無くなり、急ぎ安中、倉ヶ野の本城に向かった

時は九月三日の亥の刻、折節雨が激しく、たいまつの火も消えて、暗闇の中を手探りで進むところに、かねてより待ち伏せしていた小笠原新蔵、小宮山丹後、三科肥前、安間三郎右衛門尉の軍勢が突然押し込んで攻めかかれば、上杉勢は慌てふためいて散々に討たれ、死傷者は山のように多く、右往左往して敗走する
武田勢は敵の地であれば、あえて深追いをせず、兵をまとめて引き上げた

安中、倉ヶ野は城に戻ると、火の光も、人馬の姿も無く、狐につままれた心持となった
「さては晴信の奇計であったか、欺かれた」と言えども、今更どうにもならず各々、持ち城に引き上げて「武田勢は勢いにのって攻め寄せるであろう」と備えを厳重にして待ち受けた

晴信は、倉ヶ野、和田の城はほおっておき、安中、松井田の両城を取り囲むとして軍議を開いているところに、諏訪の板垣弥次郎より注進が来て曰く
「小笠原長時が下諏訪に足軽を出して、当陣を伺っております、これは長尾と内通しているからであります」
他には、諸角豊後守、市川梅印、原与左衛門からは注進は来ていないが、小笠原勢と長尾勢が通じ合えば捨てて置けることではないと、安中を陣払いして、同月七日、諏訪に発向した

小笠原長時は、これを知ると早々に陣払いして松本に引き返した
晴信もこれを知ると、甲州に兵を返した。


気分快適

2024年09月19日 06時28分14秒 | yottin日記
 今朝、ついに天が裂けた
とても爽やかで、ストレスがない朝が訪れた
久しぶりに体も頭も軽い、室温はかわらず28度、湿度も70%あったが涼しさを感じている
こんなノーストレスの状態は、何日ぶりだろうか

夕べは少し遅い23時に寝た、それから一度も目を覚まさず6時に起きた
7時間連続で寝たのは夏以降何度も無い、やはり6時間、しかも夜中に目が覚めるのは健康ではないようだ
今日のような状態が最高だと自覚した。

徐々に秋の気配を感じてきた、それと同時に動きたい衝動に駆られる
この頃は病気を意識しすぎて消極的になっている自分を感じていた
本当は健康なのかもしれない、心だけが気後れして臆病になったのかもしれない

都会の空気を吸うのも良いかもしれない、コロナ以後、地方都市の繁華街に行ったのは富山市と金沢市だけで大都会には一度も足を踏み入れていない
都会で暮らす人たちから見れば滑稽だろう
未だに人もまばらな田舎のスーパーや病院に行くにはマスクをしていく
私だけではない、多くの住民もそうしている
田舎の人間が臆病で、保守的なのがコロナ騒動で明らかになった
あるいは集団的で、お上に従順で、批判的ではない
だからこそ自民党の温床でもあるのだが、失われた30年では地方の都市部ではすでに野党と拮抗しているから、田舎であっても都市部は大都会とあまり変わらない住民意識になっている

今、脱線して体の状態から、田舎事情、それが政治に変わって来た
今日のテーマはもう少し気分の良いものだったはずだ

そうそう、それで秋には気分転換したいと思った
今、二つの構想を考えている
一つは紅葉の田舎の中を行く事、もう一つは太平洋岸の地方都市部を味わうこと、それを実現したい

田舎の方は少し形が出来て来た、上越線の小出から只見線を会津若松まで行って、何らかの方法で裏磐梯から国道459号を阿賀野川に沿って新潟へ走る
というものだ
これは少しファンタジーかもしれない、あるいは回顧的な一泊二日になるかもしれない
気分任せの短い一人旅、元気なうちにやるべきだ、ああだこうだと自分を縛らずに開放してもいいんじゃないか。


第三の男  アントン・カラス The Third Man