飫富兵部少輔が申すには「敵は数を頼んで強勢に攻め寄せるが、それゆえただただ前に攻めるばかりの様子である
それゆえに、備えは油断が見える、このときを逃さず切り崩すか、首を敵に授けるか死生いずれかの合戦をすべし」
飫冨は配下の将士十数将に八百余人の兵を預けて、三段に構え、小姓に命じて焼き飯を用意させて、自らそれを食し「汝らも食せよ」と勧めたが、誰一人取って食う者はいなかった
そんな中から、森住勝左衛門、川尻但馬、波多野求馬のみ「ご相伴仕る」と、それを食してから「しからば快く戦わん」と門を八文字に開かせて、龍の波が起こるように真一文字に、黒備えの越後勢の中にまっしぐらに攻め込んだ
森住等は四角八面に戦えば越後勢は、この猛勢に打ち崩されて、さっと引いた
代わって、安田上総介、柴田入道、萬願寺源蔵らが入れ替わって飫冨勢を打ち崩す
兵部少輔はこれを見て眼を怒らし、「後ろを顧みる心あれば、一人も生きることはならず、太刀は目釘の続かんほどに戦って討ち死にせよ」
そう言って、槍をしごき、真っ先に馬を出して突き進めば、遠藤、森住、川尻、波多野は飫冨に引き続いて勇を振るって戦う
これによって飫冨勢は劣勢を挽回して戦う、遠藤五郎八、波多野求馬、大布施、戸石ら二十八人討死する
越後勢も、規矩(きく)六郎兵衛、高宮重左衛門、牟礼隼人、中原宗左衛門らが討死となる
そのほかにも、両軍の死傷多く、飫冨の働きは鬼神の如く、四方八方を斬りまくり、僅か八百余騎で八千の越後勢を、六度までも追い散らす。
越後の大将、景虎は飫冨の働きを見て「兵部少輔とか申すは、さすが晴信の武備に似て、勇気なる振る舞いかな、引き包んで討つは安けれど、かかる勇士を殺すのは忍びない」と揚貝を吹かせて軍を引き上げた
飫冨はなおも執拗に追いかけてきて「景虎と決戦せん」と挑発するが、景虎は相手にせず粛々と去って行く
飫冨もついにあきらめて、兵をまとめて内山の城へ引き上げた
引くも良将、追うも勇士と人は皆、両者を褒めたたえた。
越後勢が信州に発向の報を聞いた小県近辺の武田方に組する領主たちは驚き
晴信の本陣、諏訪に遣いを飛ばして、援兵を乞う
晴信は、これを聞き「景虎は容易の敵にあらず、出陣が遅れれば内山の城が危うい」と松本筋の発向をやめて、先に松本筋へ遣わした、板垣弥冶郎、日向大和守、原加賀守に軍を返して、小県へ向かうべしと一万余騎を揉みに揉んで小県に着いた
小県の武田勢は是を見て、ようやく生き返った心地となり、大いに喜んだ。
長尾景虎は武田の出陣を聞いて、大熊備前守、吉江織部に五百で内山城に備えさせて、矢沢の奥より打ち出でて海野平に出て、武田勢と対陣した。