かくして、長尾平三景虎は信州より軍を返して、同年六月越中を討つべしと館四郎兵衛、斉藤下野、北条安芸、杉原常陸介、長尾遠江、甘粕備後、山吉孫治郎、鮎川摂津、元井日向、石川備後、鬼小島弥太郎など諸大将を率いて越中国に打ち入った。
遊佐備中守が籠る城に攻め寄せて、無二無三に打ち立てれば、城中から矢を射ること雨の如く、鉄砲はつるべに打ち放ち、必死の防戦をすれども越後の勇兵は少しも怖れず、我先に逆茂木を引き破り、塀下に取りついてエイエイとよじ登る
鬼小島弥太郎は一番乗りを心掛けて、塀をよじ登ったところを鉄砲玉が股に当たったけれども、少しも騒がず、槍の柄を四、五か所縄で結び、足掛かりとして塀に立てかけて馳せ上り、先に取りついた足軽の肩に手をかけて「よく立ち応えよ」と言うと、槍を脇に抱えて片手を塀にかけて「エイ」と叫んで一飛びに駆け上る
塀脇に居た武者をたちまちのうちに二人突き殺し、城中に入ると鉄砲武者を三人突き殺した
これを見て、甘粕、鮎川、元井、石川、山吉の勢もあとに続いて飛び込み、当たりの敵を突き崩して城中に駆け込んだ
城兵は、たまりかねて二の丸に逃げ込んで固く門を閉じて、国中の諸将の助けを待った。
これを聞いた越中の諸将、土肥、唐人、魚津、浦山、滑川らは遊佐を救わんと斥候を出したが、越後勢の備えは固く、遠くから見守るしかなかった
遊佐は、打ち寄せる越後勢に攻め討たれて、気力も失せ、ついに遊佐備中守は降参して二の丸から投降した
景虎は、戦の初戦なれば人質を取り、遊佐の本領をそのまま与えれば、これを聞いて土肥下野守、土屋右衛門大夫、かねてより景虎の武勇に帰伏していたので人質を出して降伏した
景虎は、それらの領主にも元の如く城を守らせ、人馬を休めているところに、神保安芸守、椎名、江波、松岡、望月、長澤らの兵が三方より寄せて来た
景虎は斥候を出して、これらの備えを見れば、戦いを慎み、備えを堅くしているので、一挙にこれを破るは難しと、今一度弱気を見せて、後程に奢った敵を討つと、越後に引き上げた。