神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

スロースターター

2024年09月02日 18時03分50秒 | yottin日記
 朝5時と言えども薄暗く、いかにも「夏は終わった」感
どうにも今年は散歩のタイミングがつかめない
友だちのつーくんは、毎朝5時と言えば散歩をしている、そして畑作業も朝飯前にする
私はといえば、その時間に起きているから、同じように散歩をすれば良さそうなものだが、そこがスロースターターの所以。

今日は17時から散歩をした、少し雨模様なので傘を持って出たが、一度だけさしたきりだった
急に涼しくなって、歩いていても気持ちが良い、汗ばんだのは家に着くころになってやっと、歩数も久しぶりに5000歩まで伸ばした。

高校生くらいまでは貧血症で、朝なかなか起きるのが苦手だった
今は、そんな気がないほど早起きになった、けれども起きたと同時に散歩したり、畑をやるほど元気でもないのだ
体も頭もハードな行動についていけない、だから私の早朝はブログ書きから始まる
ゆっくりとウオーミングアップをしてから、徐々に体を起こしていく。

私の朝はベッドの中で目覚めると同時に、まず思考が動き出す
言葉が湧き出てくるのは目覚めたすぐだ、次々に言葉やブログタイトルが湧きだしてきて「書け、書け」と騒ぎ立てる
ほおっておくと、10分後には消え去ってしまう言葉、だからお気に入りワードがあれば起き上がって書くしかない
こうして私の一日が始まる、まずは頭から起きて、次に体が起きて、されどハードな行動はできず、ゆっくりと体を慣らしていく。

病気を境に、得意の夜型人間が無くなった
22時には寝る。 病気前は0時が寝る目安だったが
だいぶ夜の暑さも和らいで、秋の夜長とはいうものの20時過ぎには急に眠くなる、時にはそのまま寝てしまう日も
湯船にはずっと入っていない、今年の暑さでは無理だった
欧米型のシャワー生活、たいがい夕方から作業や散歩をするので、この頃に汗をかく、だからシャワーをするのは夕食前の17時頃が多い
病気前は風呂に入るのは寝る前と相場がきまっていたが、今は夜になると眠くて仕方ないから夕方にシャワー。

手術をして、もう3か月が過ぎたが、抗がん剤治療はいまだ終わらず、気分は病人のままだ
どうも気が弱くなったようで、こうしたタラタラと低調なまま、マンネリ化する生活は苦手だが、そこにはまり込んでしまった。
体操とか、長い散歩とか、酒を飲むのも、人に会うのも控えているし、酒はもう入院後一滴も飲んでいない
あれほど浴びるほど飲み、深夜2時くらいまで梯子酒をしていたのが嘘のようだ
あれだけ大きいガンだったから、おそらく一年前くらいからそれは芽生えていたのだろう
そう思えば腑に落ちる。 一年くらい前から急に酒の量が減り、半年前には飲みたくなくなったし、あきらかに酒が弱くなった
そんな時に酒豪の女子会の仲間になったものだから、実力を発揮しようと思ったが、すぐに酔ってしまって(おかしいな)とは思っていたのだ
そうだ去年の夏には、明らかに宴会中に異変が起きていた、もうあの頃から黄信号が点滅していたんだな。

白血球減少という言葉が離れない
それで気弱になっているのだと思う、ようやく暑さが和らいで、ここは少し前向きな行動を始めないといけない
血流を温める意味でも、ぐい飲み一杯くらいは熱燗を飲もうと考え出した
その前に準備で養命酒から始めようと思う、もう大酒は飲めないだろうが、たしなむ程度に百薬の長を再開しよう。

「元気が一番」、スロースターターはようやく、そう思ったのである。











「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(188) 甲越 川中島血戦 15

2024年09月02日 08時40分14秒 | 甲越軍記
 武田勢は塩尻峠につくやいなや、敵の陣立てが今だ定まらぬを見て一気に攻め立てて、鉄砲を放てば、信州勢は驚き「なぜ武田勢がここにいるのだ」と慌てふためく
しかし信州勢もさるもので「我らの大将が到着前に、晴信の首を得れば大手柄なり」と逆襲に移った
信州勢一万、武田方六千と倍の勢力に勇気づけられて「敵は小勢ぞ、一気に揉みつぶせ」と鬨を上げて攻め寄せた。

これを向えて武田晴信の下知は激しさを増し、信州勢も四角八面に攻め寄せれば、たちまち血しぶき上がる戦場と化した
武田勢は切れども切れども押し寄せてくる信州勢に手を焼く
小幡、秋山は手先を回して突き立てれば、小笠原の勇士、小笠原掃部大夫、江間治部少輔、同刑部少輔、太田、種村が矛先を閃かして立ち向かう

真田、小宮山勢は伊奈衆に向かって攻め寄せる、これを受けて保科弾正、溝口、小田切、松島、羽生、稲部、松尾、松岡、一ノ瀬、下条らが立ち向かい
馬場、芦田、飫富、そのほか旗本勢は木曽の旗下、瀬場、天野、松田、村井、榊原、村上の属下、須田、神戸、高梨、井上としのぎを削る

秋山の組衆、坂西治部右衛門は雑兵3人を突き倒し、小笠原の士、原田播磨守の首を取る
木曽方の松田肥後守、大郷原左衛門は敵を八方に突いて回り、槍を血に染めて走り回るのを、真田の士、海野主水が「よき敵」と走り寄り、大郷の馬足を薙ぎ払えば大郷はたまらず落馬したところへ駆け寄って首を得る
同じく真田勘解由ら十八人も敵中に割って入り、得る首は数知れず、大いに功名を上げる
木曽の属下、天野鬼十郎は人より先に進んで馬場の馬武者、八、九人を切り倒して更に手強く戦えば、太刀は鍔元から折れて打ちものなくなり、大手を広げて近寄る敵をひっつかんで投げ飛ばして戦う
また木曽衆の中からも、萌黄縅の鎧を身に着け、馬には金の馬甲を掛けて、配下には大の字の指物を刺させて、武田勢の中にわめき入って獅子奮迅の働きをする一隊あり

短兵急なり、小笠原の江間治部少輔は三百騎、太田弥助が百五十騎、敵勢をものともせず死力を尽くして戦う姿は見事に見えたり
これを見て芦田下野、草間備前ほか組下四百騎、どっと攻めかかるが、信州勢はここを死地と思い、一歩も引かずこれを迎え撃つ
互いに先備えの全てを繰り出した戦いであれば、一面兵で埋め尽くされ、足の踏み場もない有様
頃は七月十八日、炎天下が兵の頭上に照り付けて、長途駆け付けた武田勢の疲労は極まり、寄せ来る一万の信州勢にいつしか追いまくられて、ここかしこに打ち崩される
武田晴信は劣勢の中で采配を振って「かかれ者ども、敵は大軍と言えども大将のない烏合の衆なるぞ、手先を回して攻めよ、かかれ旗本の者ども、かかれやかかれ」と励ませば
旗本衆は一同に鬨を上げて横入にどっと攻めかかる

旗本、土屋惣八郎は小笠原の種村志摩に渡り合い、双方血気の壮者なれば、槍の穂先を電光のごとく繰り出して戦う
種村は気が早ってイラ立てば手先が僅かに狂う、そこに土屋は付け入って、種村の胸元を岩をも通れと突き刺して力任せに跳ね上げれば、浮き上がって馬からどっと地面に落ちたところを駆けよって種村の首を取る

同じく旗本の金丸筑前は、これを見て「あっぱれ土屋、我も続かん」と勢い得て我も大将首を得んと探し求めたところに、伊奈の旗下、榊原八左衛門を見つけた
榊原は紺糸縅の鎧、金紙の四手切りたる指物を翻して、武田勢に攻めかかり、すでに六、七人を討ち取り、なおも敵を求めて金丸と相対した
金丸は名乗って、たちまち馬を寄せれば、榊原もこれに答えて太刀を打ち合わせる
いずれも剛の勇士なれば、何太刀かを打ちあっては離れ、また近づいては打ちあう
金丸は土屋に手柄を先に越されたことを悔しく思えば、力倍増して、どっと真一文字に榊原に突きかかる、これには榊原といえどもこらえきれず、頭上を叩きつけられてどっと馬から落ちるところを金丸は引き抑えて首を取る。