神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

相変わらずの真夏日と健康の事

2024年09月06日 17時41分13秒 | yottin日記
 今日の日差しの強さは真夏の浜辺のようだ、いったい九月というのに、どうしたことだろうか
手元の気象情報を見れば、今は30度というが33度はありそうな暑さだ、じりじりと焼けてくるような暑さだ。

今年は特別な年で、生まれて初めて病身となった記念すべき年
その割には元気に動き回ったり、畑をかまったりしているから自分自身病身とはあまり感じないのだ。

食欲は手術前よりも手術後の方が増して、退院時61㎏まで減った体重も65㎏まで回復した、これは健康時の体重と同じ
しかも腹囲が8cmくらい減って同じ体重だから、密度が増したということか?

抗がん剤治療は白血球減少で1クール21日遅れてしまった、そして10日に再挑戦となるが、その前にまた血液検査の結果、それと前回やったMRIの結果を担当医師から聞くことになる
その結果次第で点滴をやるか、やらないかということが決まる
当然ながら、残りの2クールを早く終わらせて普段の生活に戻りたい。

年が明けたら、今度は免許書き換え前に眼科にかかる予定だ、おそらく白内障は免れないと思うし、70歳を過ぎてから目が急激に変化している
眼鏡を作るにしても、老眼なのか近眼なのかわからないし、乱視はずっとあるので面倒である
新聞、雑誌は裸眼で読む、車に乗る時は老眼の度付きサングラス、テレビは遠近両用の中距離レンズだ。

買い物に行こうと車で路地から広い市道に出ようと一旦停止した、右手から軽自動車が左折ランプをつけてやって来たので、出ようと思った
左折と言うことは私が居る路地に入ってくるということだ、狭いから私が出なければ入ることができない
だが第六感というのか足がブレーキから離れない、だんだん近づいてくる、ゆっくり速度のままだが、曲がる前の減速をするでもない
何が何だかわからないまま止まっていたら、そのまま軽は、私の前を通りすぎて言った
左折だと思って出ていれば間違いなく衝突するところだった
運転手は80歳くらいの女性だった、相変わらず通り過ぎても左折ウィンカーを上げたままである
私は自動二輪57年、普通車56年、大型免許でマイクロバスも38年運転してきた
ほぼ毎日運転してきたから、ある程度対向車や迫ってくる車のドライバーの気持ちや次の動きを車の走り方や速度で判断できるようになった
この日も、そんな感が働いたのだろう。






「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(192) 甲越 川中島血戦 19

2024年09月06日 08時42分47秒 | 甲越軍記
 景虎の越中侵攻を聞いた越中の諸将は、この頃は能登国の守護、畠山修理大夫義則に属し、去る天文十一年、長尾為景が越中にて討死したことについて、いずれ景虎が弔い合戦に越中を訪れることを予測していた。
「景虎は、いかに武勇に達したと言えども、まだ乳臭い若造ではないか、何ほどのことがあろうか」と口々に言い
「我が国に来れば、一同にこれを取り込めて四方から攻め立て、越後の者ども一人残らず討ち取ってやろう」と神保安芸守、同左京進、椎名肥前守、同甚左衛門尉、土肥大膳亮、唐人兵庫、松岡長門守、江波五郎、遊佐、土屋等を始め、越中国中の大将らが一同に組んで盟約を結び、各々が居城に立てこもり、要害を賢固に構えて備え、長尾勢遅しと待っていた。

越後の先将は、直江大和守實綱、千坂対馬守憲清、大崎筑前守高清、大川駿河守、鮎川摂津守、すでに越中の国境まで兵を出し、この地で後陣を待ち受けた。

景虎は、まずはかねてより越中各地に忍ばせて置いた間者たちを集めて、越中勢の計議を聞き、群臣を集めて軍議を開いた
直江大和守、千坂対馬守、大崎筑前守が進み出て、「越中では、神保、椎名の両将がもっとも力ある大敵なり、この両城を激しく攻め立てれば、他の者どもは勢いに恐れて、追々我らに戦わずして降ってくるのは明白であります」と申せば、景虎はこれに対して、頭を振り
「このことは甚だ不可である、たとえ小敵であっても、四方から蜂起して襲ってきたならば、われら八千とは言え、四方に兵を分けたならば残兵は僅か四、五千に足らず、この勢で必死の敵を食い止めるのは遠計なきに似たり
これを兵法の大手の小手と言う、大いに悪い手である
此度は味方が弱気を出したと、敵に思わせて、敵の心を大いに奢らせて、そn奢りで備えの怠るを見定めて攻め寄せれば、少しの力も入れずに攻め平らげるも可なり」
九月三日、景虎は一戦もせず陣払いをして越後に引き上げた
同時に侍臣五人を越中に忍ばせて、敵の奢り怠るのを待って知らせるようにと申し付けた。

天文十八年四月、武田晴信は越後に忍ばせた間者から「長尾景虎は近じか、越中に攻め入る」との報せを受け
「この間に、伊奈、木曽、小笠原を攻め滅ぼすべしと、十一日甲州を発つて信州諏訪に着陣した

*191回と192回の順番が逆になりました。