呑む気オヤジ/病窓より望む蔵王連峰便り

訳アリで山暮らしから都会に戻ったオヤジの日記。合唱も映画もドライブも温泉も、たまには俳句も・・・😄

混声合唱本番、1週間前~残念なこと

2009-07-18 | 家族のこと

いよいよ混声合唱の本番まで、あと1週間となった。
今回は、別の用もあり仙台の両親が上京して、聴きに来る予定になっていた。
二人ともここ数年、とみに足腰が衰えてきて、コンサート会場まではタクシーじゃないと無理そう。
それでも息子の晴れ舞台?を一目観たいという親バカぶりで、父の透析の日程などをやり繰りして来てくれるはずだった。
ところが昨日から母が急に腰痛になり、とても1週間では回復しそうもうないという連絡が来た。
元々腰痛持ちで、最近は背骨も曲がって来ていた。
もう80歳近いというのに、相変わらず現役並みに仙台市内や県内、そしてたまには東京などを行き来している。
そろそろ仕事の量を減らすように言ってきたが、やっぱり無理が祟ったのかもしれない。

だから無理するなって言ったのに、せっかく来ると思っていろいろ手配したのに、俺の舞台を見せることも親孝行だと思っていたのに・・・。
母親の体のことなんだから仕方がないし、心配してやらなくてはならないのに、自分の身勝手な思いのほうが先立った。
母は電話の向こうで、しきりに済まなそうに、かつ心から残念そうに話していた。
「しょうがないよ、無理しないで。ちゃんと医者に行くんだよ。仕事、やっぱり減らさないとダメだよ」
次の機会には必ず父と一緒に聴きに行くと言う母の言葉に、感謝しつつもその機会はもうないかもしれないと思った。
男声合唱の定演は土曜日だが、父は透析でダメ。混声合唱のコンサートは1年後だ。
両親が来れない事に少しでも不満を持った自分の身勝手さに、そしていい歳をして相変わらず親に甘えている自分に嫌気がさした。
母からの電話を切ってから、目頭が熱くなった。
でも、やっぱり両親が来れなくなったことは、とてもとても残念である。
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AED講習~妻の最後を思い出す

2009-07-18 | 徒然なるままに

会社で「AED」の講習があった。
「AED(自動体外式除細動器)」がどういう時に使うかぐらいは知っていたが、実際の使い方などは分からなかった。
会社の警備センターにもしばらく前から設置されているが、使い方を知らないんじゃ役に立たないよなぁ~と思っていたが、やはり会社もちゃんと考えている。

AEDというのは、簡単に言えば痙攣を起こしている心臓に電気を通して正常な動きに戻すものだ。
心肺停止状態のときは、合わせて人工呼吸と心臓マッサージが必要になる。
心臓マッサージは、ちょっと素人には難しそうだ。
両乳首を結んだ真ん中辺りの胸骨を手の平で強く押す。大体5cmぐらい押し下げるんだそうだ。
人体模型を使って、何人かが実地で行った。
僕はやれなかったが、手加減が難しそうだよね。
救急隊員によれば、素人が実施した場合のほとんどが「弱過ぎ」だそうだ。
ちょっとやそっとじゃ肋骨は折れないので、相当強くやっても大丈夫とのこと。
また肋骨が多少折れても、心臓に刺激を与える方が大切ということだ。



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心臓マッサージを見ていると、妻の臨終の際を思い出す。
妻も最後は心肺停止状態で、心臓マッサージを受けた。
よくTVなどで出てくる心電図と脈拍のモニター。
ついに脈拍が「0」になり、波形も一直線に変わった。
心臓マッサージをすると波形が少しうねる。
でもマッサージを止めると、また直線に・・・。
主治医は暫くマッサージを続けてくれたが、僕が「先生、もう結構です」と告げた。
「残念ですが、ご臨終です・・・」
そんなシーンを、僕も息子たちも体験している。
多少のことじゃ、へこたれないさ!
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