我が家から少し離れた場所に仙台市営の「野草園」がある。園内には天然のアンジュレーションのついた芝生の広場があり、お盆に帰省したときに、まだ小さかった息子たちを連れて行くと、ただ走り回るだけで喜んでいたものだ。
その野草園の一角に母の句碑が建ったのが、もう7~8年前のことだ。除幕式に、たまたま入院中だった父は参加出来ず、妻は体調が優れず、結局僕と弟家族だけが参列した。
最初は参列しないつもりだったが、父もいなかったので、母は僕に来て欲しそうだった。じゃあ行くかと、急遽川崎から仙台に向かった。でも父がいない中、長男が顔を出したことで母も格好がついたようだった。「あぁ、来て良かった」そんなふうに思ったこと思い出す。随分昔ことのような気がする。
先週の連休に母親を連れて野草園に行ってきた。野草園の職員がいつも句碑の周りの清掃などをしてくれるので、年に一度はお礼方々挨拶に行っていると言う。それは良いことです。
久しぶりに訪れた野草園は思ったより狭い。息子たちが走り回った芝生広場もこんなもん?でも芝生が青々している時期ならやっぱり気持ち良いだろうね。春になったら弁当と本でも持参して、一日中寝っ転がって過ごすのも良いだろう。
はんてんぼく いまは芽吹きの大樹かな
芝生を走り回っていた息子たちも、大樹とはいかなくても、それなりに成長して一人前になりつつある。
それに引き換え、親たちは年々年老いていく。これまた摂理なり。
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