呑む気オヤジ/蔵王山麓蓬莱庵便り

訳アリで山暮らしから都会に戻ったオヤジの日記。合唱も映画もドライブも温泉も、たまには俳句も・・・😄

Sun '21/10/10 ① 蔵王お宝探検隊歴史ツアー

2021-10-11 | Diary@蔵王山麓

 

🎵朝から「蔵王お宝探検隊歴史バスツアー」に参加した。これは蔵王町教育委員会が主催の「蔵王郷土史講座・蔵王信仰を学ぶ」(8月開催全3回)の最終回で実施予定だったもの。台風やコロナで延び々々になっていて、ほぼ2ヶ月遅れで開催された。

🎵座学で学んだ蔵王の山岳信仰の歴史について、それらに関わる蔵王町内の神社やお寺、所縁の史跡などを実際にバスで見て回るというツアー。
今晩の予定の関係で、刈田岳に登る手前で離脱することになったが、それでも昼過ぎまで宮の刈田嶺神社や円田の白山神社など、教えてもらわなければ全く分からない成り立ちやそれぞれの関わりなどを実際に訪問しながら解説していただき、本当に面白かった。刈田岳頂上の蔵王大権現奥宮までいけなかったのは、ちょっと残念。
 
以下、訪問先のあれこれを掲載しますが、長文になってしまったのでご興味のある方はどうぞご覧ください。
 
🔹刈田嶺神社・白鳥大明神(蔵王町宮)
なかなか立派な神社で、今年の初詣でにお参りした。「式内縣社」は神社の格式を表すもので、県全体を鎮護する神様で東北に15社しかない。そんな立派な神社が地元にあったとは!
 
 
蔵王町教育委員会のSさんが、本講座の講師。いろいろ勉強になりました。お世話になりました。
 
伊達家の重臣片倉家の祈願神社で古くから栄えていたので、今でも初詣やどんと祭では相当混雑する境内。今年の初詣はこの神社だった。祀られているのは日本武尊。
 
日本武尊が亡くなった後白鳥となって飛翔し、降り立った地に白鳥明神ができたと言われる神社のひとつで、別名白鳥大明神ともいう。本殿裏に白鳥塚が3種類立っている。すぐそばの白石川は白鳥の飛来地としても有名だ。そういうことも関係しているんだろうか…と思ったら、なんと白鳥が10羽ぐらい編隊で頭上を飛び去っていった。まだ冬の白鳥飛来には早いだろうから、通年残っている白鳥たちなんだろうか。
 
 
🔹寶池山蓮蔵寺。宮の刈田嶺神社の向かい側にある。
昔、こちらの住職さんは、午前中は刈田嶺神社の神主、午後は蓮蔵寺のお坊さんを務めていたそうだ。なので、こちらのお寺では葬式は午後1寺からと決まっていて、地元の方は未だに「葬式は午後から、午前中にはやらない」といっている。(ほんとの話です笑)


 
そういう歴史があり、境内には蔵王権現の石碑がある。平安時代ごろから続いた「神仏習合」の表れなんだな。
 
 
🔹宮から車で10分ぐらいの円田の「白山神社」
広々した金色の穂波を見下ろすこんもりした小山の上にある。200段程度だけど相当急な階段を登るので、今回は途中の駐車場(中腹)から登った。
おー、なかなか良いお社だ。ここは蔵王参詣の入り口に当たる。伊達政宗が大坂夏の陣に出陣するときに武運長久を祈願した神社とのことだ。
 
宮の刈田嶺神社もそうだが、神社の境内に鐘楼がある。説明を受けるまでは全然気づかなかったが、本来お寺にあるべき鐘が神社にもある。これまた神仏習合が長年続いた証。なるほど〜面白いねぇ〜。
 
 
🔹白山神社から少し蔵王寄りの「王鳥神社」
民家の裏山に鎮座し木々や雑草に覆われているので、普段は一般の人がお参りはできない。近所のお宅数軒で管理しており、今回は秋の例大祭のために皆さんで参道(山道)の木々を伐採し、登れるようにしたとのことだ。昔はここに刈田岳に向かう大きな二の鳥居が立っており、それで「大鳥居→王鳥」神社になった。白山神社から王鳥神社を経由して遠刈田に抜ける参道だったらしい。
 
小さなお社が鎮座していた。
 
このお社の中の蔵王権現様。体長30cmぐらいだが、蔵王町内に存在する蔵王権現像では最古のものらしい。へー、こういうセミナーに参加しないと観ることができない貴重なお宝だね。
 

🔹遠刈田温泉街「神の湯」からの蔵王連峰の眺望。昔は刈田嶺といって、嶺全体が信仰の対象だった。
修験道の対象として山伏たちが修行を積んだ場所だった。後世になって山岳信仰が庶民にも行き渡り、昭和になっても仙台市内や県内外の「講」が多数訪れたという。
 
 
🔹遠刈田温泉街の「刈田嶺神社里宮」
夏の間、蔵王権現様は刈田岳頂上の「刈田嶺神社奥宮」に鎮座されているが、雪でお参りができない時期は麓の遠刈田温泉街の「刈田嶺神社里宮」に季節遷座され、1年中お詣りできるようになっている。参詣者に優しい対応だ笑。
 
こちらは「延喜式内郷社」ということで、近辺の郷(さと)をまとめる神社なので、宮の刈田嶺神社の「縣社」と比べると小ぶりということ。


 
境内には狛犬が3組鎮座している。
1組は、普通の狛犬で昭和初期のもの。その下に珍しい蛙のような狛犬がいる。狛犬というのは都で帝を守護する霊獣として神社の置かれるようになった。それが全国に少しずつ拡がったが、見たことがない人がほとんどなので、こんなものらしいというのを石工職人に伝え、石工は想像で石を彫ったらこんな形になったらしい。


 
もう1組はお尻を持ち上げた形の狛犬で「出雲型」と呼ばれ、出雲地方の石工が彫ったものが北前船で東北の日本海側に運ばれたも。なので基本的に石の種類や顔つき、体つきなどはほぼ同じらしい。それがなんで遠刈田にあるのかね。
 
拝殿に入らせていただく。蔵王参詣前の精進潔斎の場合ということもあり、昔からの貴重な資料などもたくさん残っている。
 
「敬明講図」、明治38年に仙台の蔵王参詣講が奉納したもので、当時の蔵王詣の様子がよく分かる最古の資料だ。白装束で先頭は先達の山伏で子供をおぶっている。講のメンバーは夜中に出発して駆け足で山道を登り、昼前には山頂に到着したという。


遠刈田温泉は、蔵王参詣者が数日篭って酒も肉魚も断っ精進潔斎を行い、参詣が終わった後はまた逗留し、今度は精進あげで断っていた酒も肉もあれも、酒池肉林(笑)の数日を過ごす場だった。なので、昭和初期ごろまでは、芸者も酌婦もたくさんいて県内でも有数の歓楽温泉街だったらしい。今は家族連れやカップル、ライダーがやってくる、すっかり灰汁の抜けた観光地になってしまった。
 
この後、ロイヤルホテル前の一の鳥居をくぐり、不動滝、賽の河原、三途の川、刈田岳の蔵王団権現奥宮と回るのだったが、残念ながら自分は夜の予定があり、ここで離脱することになった。
でも、奇しくもしばらくは住むことになった蔵王町の史跡、神社仏閣、蔵王連峰の歴史などをまとめて学ぶことができ、現地まで解説付きで回ることができて、とても有意義な3回のセミナーだった。来年も開催予定とのこと、楽しみだなぁ。
 

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