いつもここのブログへご足労くださり感謝しています。
なるべく、いたずらな時間とならぬよう、ま心を込めて書き込みたいですが
無駄かどうかは読み手次第なので、今夜もまあ、マイペースで。
今日、自転車で(橋を渡り)多摩川を越えて
ちょっとお出かけしたのですが、
多摩リバー本流の周りの、ちいさき流れもまた子どもたちの
たまり場ーとなっておりまして…
彼/女らが葦茂る小川に足繁く通うのはもちろん、
ポケモンじゃないけど、小動物を探すために決まってる。
んが、水自体はほどよく澄んでみえても、
僕が視力2.0の目を細めたって 生き物がいなかった。
そんな僕に氣付いて、小学生の男女数名が興味を持って
「え、なんかいるの?」とわくわく水面を観たが
結局 魚もエビもカエルもいなくて、
とぼとぼと帰っていった(ように感じてしまった)。
子どもたちはそんなに弱くないけど、、やっぱりさびしい。
宇宙人よりも不思議な生き物が、すぐ身近な小川に潜んでいる
たのしい世界のはずなのだ、この地球って。
もちろん生き物は多少いるだろうけど
本来の川って、もっと命があふれておってもよいし
子どもにとっての生きもの探しは、大人の想像を超えた
わくわく夢中で時を忘れるほどのことなのだ。
たやすく見つからない、捕れないのも楽しさのうちだけど
根っから少なすぎる環境に まがりなりにも大人としては
未来である子どもたちのために、何かきっと貢献してみせる!と
改めて誓うのでした。
その後、水路にてオイカワかウグイのよな魚と遇ってちょっとは安心するが、
そういう水路自体が通り道でしかなく、生き物の棲家や居場所にはなっていない。
護岸にひと工夫して、隠れ家や草の生える風にするだけでも
カニが見れて、もしやウナギが隠れて、そんな可能性があるだけでも
瞳はきっとよりいきいきする。
汚染された環境でも一人勝ちできる、しかも放流されて
かえって多様性をそこなわせる 鯉 が泳いでいても信じられない。
(個人的に、鯉は嫌いじゃないけれど 浄化の成果として利用されるのが嫌だ)
せめて、人が手を加える所と放置する所の両方があれば
種は存続できると思うけど・・・
・・・ ・・・
いろいろあるのさ 世の中は 大人の事情が !っ
だけど、不安定な状態は長くは続かない。
あるべき流れが運ばれる。あるべき思いによって。
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