人はそこはかとなく、うっかりミスをやらかしてしまうもの。
それはめいっぱい反省すれば防げるという保証もない。
風邪氣味であるとか、傷心中とか、
単に誤った確信を抱いていたりして。
だから、世の中は
失敗しても取り返しのつくように
ハナから築いておくべきだ。
人は必ず間違うということを前提にしてあれば、
世界の在り方はまるで変わるだろう。
元にもどせるという意味では、風呂敷もそうであるし、
土に還る素材というのも、スケールは違えど同じ永遠性を持つ。
大自然はかならず循環してふたたび巡るという点で、
取り返しを得られるけれど、
その素材に載っかる思い・信号・魂のようなものは
いっこずつ個性が違うから、
去年の朝顔と今年の花は、そっくりでも
きっと別のこころの持ち主なのだろう。
だから、目の前にいきをする唯一無二のあなたは
はかりしれぬほどにプレシャスな存在だ。
話をもどすと、
風呂敷は結び方をまちがえても、ほどいて戻せるから
問題は大きくならない。
たっぷりとミスを連発してもびくともしないどころか、
それを叩き台に、新たな創造さえ誘引する寛さがある。
失敗が痛手となる器では、中身は萎縮し
冒険をあきらめる。
失敗というのは、
いきものとしての自然体と、
人間の設計したシステムとの
温度差によって引き起こされる。
自由を踏み出そうとするほど、失敗という足枷が
ネガティブフィードバックに戻そうとする。
失敗が生じたら、その失敗を無効化してしまう
システムへと都度改変していったなら、
いつの日にか、失敗という現象そのものが消失する。
分かりやすくいえば、
あなたの氣まま、身体のままの自然体でちゃんと
うまく行ってしまえるような、そんなシステムを築けばよい。
中身が器に合わせるのではなく、中身によって器が
臨機応変に、または突然変異的にかわるように。
なぜかって、そのままのあなたでいてほしいから。
姫がひめがままおはしませますよう、
忍者は周囲の場を、つきづきしう調えて参るでござる。
法律に従うばかりにあらず、
より個人かつ全体の利へと向かうべく
法律を変えていこうという心意氣を持ちたい。
げんきのバロメーターは、誰かの言うまにまに従わず、
みずから感じ考えて決断できること。
依存による反抗(あまえや憂さ晴らし)ではなく、
氣の充実による強氣と寛大さ。
人しれず
みんなのために走るあなたを、
天はかならず、後押しする。
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