goo blog サービス終了のお知らせ 

先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

河北春秋

2009-08-08 | 日記
河北新報2009年08月08日土
10年ほど前、南陽市で開かれた民話祭りで、アイヌ民族の著名な語り部、沢井アクさんの話を聞いた。民族衣装をまとい、口琴「ムックリ」を奏でながらの熱演だった▼演目の「カムイユーカラ」は口承の叙事詩。高位のカムイ(神)であるクマが人間と争い、毛皮や肉などの恵みを与えて、神の世界へと帰っていく。丁寧な解説付きの語り。神と自然、人間が一体化した世界観が心に染みた

 ▼アイヌは北海道の先住民族であり、国には文化復興に配慮する責任がある。アイヌ政策を検討してきた政府の有識者懇談会が提出した報告書は、こう明記した。先住民族を前提とした政策は、根本的な発想の転換と言える▼注目されるのは、目指すべき国家像を「共生社会」「多様な文化」とした点。報告書が検討を求めた生活支援新法が実現すれば、独自の文化の復興に向け、大きく前進するはずだ

 ▼文化伝承を困難にしたのは国の同化、近代化政策。差別の背景にもなった。「待ち望んだ光が見えた。未来に向けた新たなスタート」。北海道アイヌ協会理事長の加藤忠さんは報告書を評価する▼来年発刊100年を迎える『遠野物語』の遠野はアイヌ語のトオ(湖)ヌップ(丘原)。アイヌの足跡は東北各地にも残る。アイヌ文化の復興、評価が進めば、日本文化は一段と彩りを増そう。
http://www.kahoku.co.jp/column/syunju/20090808_01.htm

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【白老】弓も火おこしも ポロトでアイヌ体験キャンプ

2009-08-08 | 日記
(苫小牧民報2009年 8/7)
白老町内の小学4~6年生を対象にした「ポロトの森自然体験キャンプ」(白老観光協会主催)が6、7日の2日間、ポロト自然休養林キャンプ場で開かれた。37人が参加し、アイヌ民族の食文化や豊かな自然と触れ合った。
 キャンプは今年で3年目。北海道BBQカレッジ、自然観察教室一樹会、ネイチャーガイドめむの会が協力している。
 6日は、昼食でアイヌの伝統料理チェプオハウ(サケの汁物)やいなきびごはん、焼きサケに舌鼓。木の弓矢を使った模擬狩猟や、火打ち石を使った火おこしなどといった生活様式も体験した。白老小4年の大西魁君は「弓がうまく放てたので、面白かった」と満足顔だった。
 ほかには、川遊びや星空観察、森林散策なども体験。夏本番を思わせる暑さも手伝い、子供たちは生き生きとした表情で野外キャンプの醍醐味(だいごみ)を味わっていた。
http://www.tomamin.co.jp/2009s/s09080702.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ民族記述拡充を 教科書会社に要望

2009-08-08 | 日記
(朝日新聞 2009年08月07日)
■国、教科書会社に要望
 国は6日、中学校の歴史・公民の教科書でアイヌ民族の歴史や文化などに関連する記述を拡充するよう関係出版社に求めた。政府の「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」が河村官房長官に提出した報告書で、国民の理解を深めるには教育が重要とうたったことを受けた行動だ。有識者懇事務局の内閣官房アイヌ政策推進室が12社約35人に対し、近代化の過程でアイヌ民族が貧窮を余儀なくされ、固有の文化が打撃を受けたことで差別や格差が生まれたことなどを説明した。
 中学社会の学習指導要領では、江戸時代の鎖国中に北方との交易をしていたアイヌ民族にも着目させることとしている。歴史の教科書はこれに沿ってアイヌ民族に触れており、公民の教科書も大半が差別の現状に言及している。ただ、記述量にばらつきがあり、報告書も「必ずしも児童・生徒の発達段階に応じた学習体系となっていない」などと指摘していた。
(神元敦司)
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000000908070002

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【北海道の富士~09夏】(2)浜益富士(黄金山)

2009-08-08 | 日記
(朝日新聞 2009年08月07日)
■浜益富士(黄金山) 739メートル
■伝承抱き 時代重ねる
 日本海沿いの国道を北上して石狩市浜益地区に入ると、おわんを逆さにしたような形の山が目に飛び込んできた。地元の商店主で「こがね山岳会」の事務局長を務める渡邉千秋さん(57)は「この山を見ると浜益に帰ってきたなと感じます。高い山じゃないけど身近で、故郷のシンボル的風景ですから」と話す。
   ▲  ▲
 均整の取れた姿から「浜益富士」「黄金(こがね)富士」とも呼ばれる「黄金山(こがねやま)」。由来は江戸以前の昔から金鉱があったという言い伝えによるもので、松浦武四郎の「西蝦夷日誌」にも記載がある。ふもとの稲作農家佐々木友治さん(76)は「坑道はなくなったが、頂上にほこらがあって20年ほど前までは雨ごいに登る人もいた」と語る。人とのつながりが絶えたことのない山だ。
 山にはもう一つアイヌ語の名前「ピンネタイオルシペ」がある。意味は「木々の茂る平原にそびえる雄山」。この山を含めた一帯がアイヌの英雄叙事詩・ユカラとゆかりの深い場所で、名寄市の九度山(くどさん)(クトゥンヌプリ)とともにピリカノカ(アイヌ語で「美しい形」)として先月、国の名勝に指定されたばかりだ。
 ユカラは、超人的な主人公が時に北の海を渡り、様々な戦いを繰り広げるという有名な物語。地元ではユカラを語るアイヌの人々はほとんどいなくなったが、主人公が住んだチャシ(砦(とりで))の伝承調査などから、黄金山はユカラ舞台の候補地のひとつとされる。
 いしかり砂丘の風資料館の石橋孝夫・文化財課課長は「松前藩のはるか前の時代から、日本海沿岸のこの辺りは樺太など北方と活発な交流があった。そんな歴史背景や過去の記憶の上にユカラの物語も生まれたのではないか」と推測する。
   ▲  ▲
 様々な時代・人々の伝承を抱いてきた山には今、年間2千人ほどの登山者が訪れる。整備された登山道を1時間半ほど登れば、標高739メートルの山頂だ。眼下にはコタン(集落)の間を緩やかに流れる川の流れと、その向こうに広がる日本海――。しばし時間を忘れ、先人たちの営みに思いをはせた。
(吉住琢二)
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000680908070001

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする