毎日新聞 2011年2月20日 東京朝刊
◇愛するが故の米国批判--猿谷要(さるや・かなめ)さん=前立腺がんのため、1月3日死去・87歳
黒人や移民、先住民など、虐げられた人々の視点をもつ米国史研究者として知られる。米南部はじめ米国各地を訪ねた体験をまじえ、血の通った歴史を伝える多数の著作があり、一般読者のための米国史への案内役も務めた。
穏やかな語り口の人だが、心の底から怒ったのが2003年のイラク戦争。同年6月に東京・目黒の自宅マンションで会ったとき、米国の一国主義を厳しく批判し、「自分の都合だけ考えて老醜をさらしている。これでは米国嫌いが増えてしまう」と嘆いていたのをよく覚えている。
最後の本格的な著書となった「アメリカよ、美しく年をとれ」(06年8月刊)を編集した岩波書店の坂巻克巳さんは、「アメリカを愛しているからこその憤りだったのではないか」と語る。
猿谷さんはそのころ前立腺がんをわずらい、脊椎(せきつい)の圧迫骨折の痛みとも闘っていた。さらに、認知症の症状が表れていた志満夫人の介護も引き受けていた。志満さんは高校教師をしていたときの同僚で、米国探訪の道連れだった。子どものない2人は「しまちゃん」「かなちゃん」と呼び合う仲良し夫婦として有名だった。
集英社の編集者でおいの猿谷淳さんによると、猿谷さんは著作にとりかかる前に約500枚の原稿用紙にノンブル(ページ数)を打つのが習わしだったという。そばで原稿用紙の枚数を数えていた志満さんの楽しそうな顔を思い出す、と書いた文章が遺品の中に残っていた。
志満さんは09年7月25日、85歳で死去。猿谷さんが待ち望んでいた黒人大統領の誕生はその半年ほど前だった。日記に「世紀の一瞬」と記す一方、米国との距離がうまく取れていない日本の行く末を憂慮していた。【佐藤由紀】
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110220ddm004070005000c.html
◇愛するが故の米国批判--猿谷要(さるや・かなめ)さん=前立腺がんのため、1月3日死去・87歳
黒人や移民、先住民など、虐げられた人々の視点をもつ米国史研究者として知られる。米南部はじめ米国各地を訪ねた体験をまじえ、血の通った歴史を伝える多数の著作があり、一般読者のための米国史への案内役も務めた。
穏やかな語り口の人だが、心の底から怒ったのが2003年のイラク戦争。同年6月に東京・目黒の自宅マンションで会ったとき、米国の一国主義を厳しく批判し、「自分の都合だけ考えて老醜をさらしている。これでは米国嫌いが増えてしまう」と嘆いていたのをよく覚えている。
最後の本格的な著書となった「アメリカよ、美しく年をとれ」(06年8月刊)を編集した岩波書店の坂巻克巳さんは、「アメリカを愛しているからこその憤りだったのではないか」と語る。
猿谷さんはそのころ前立腺がんをわずらい、脊椎(せきつい)の圧迫骨折の痛みとも闘っていた。さらに、認知症の症状が表れていた志満夫人の介護も引き受けていた。志満さんは高校教師をしていたときの同僚で、米国探訪の道連れだった。子どものない2人は「しまちゃん」「かなちゃん」と呼び合う仲良し夫婦として有名だった。
集英社の編集者でおいの猿谷淳さんによると、猿谷さんは著作にとりかかる前に約500枚の原稿用紙にノンブル(ページ数)を打つのが習わしだったという。そばで原稿用紙の枚数を数えていた志満さんの楽しそうな顔を思い出す、と書いた文章が遺品の中に残っていた。
志満さんは09年7月25日、85歳で死去。猿谷さんが待ち望んでいた黒人大統領の誕生はその半年ほど前だった。日記に「世紀の一瞬」と記す一方、米国との距離がうまく取れていない日本の行く末を憂慮していた。【佐藤由紀】
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110220ddm004070005000c.html