BLOGOS-2014年08月18日 22:19
井戸まさえ
最近『花子とアン』を見ながら、この物語の裏の主役は『醍醐さん』なのではないかと思い始めた。
もちろん花子の「腹心の友」は蓮子である。
では醍醐さんはなんのために、配役されているのか。
当初はアンの「腹心の友」はダイアナの役割を担わせようとしたのかと思ったら、そうではなかった。
女学校では一番「結婚」を意識した醍醐さんが職業婦人として生き、諸事情で結婚はできず、しかしいつしか「先生」と呼ばれるまでになっている。(今日の放送まで)
そこで、もう一度『「赤毛のアン」の秘密』(小倉千加子著・岩波現代文庫)を読み返してみる。
!!!
佐藤優先生の講義を受けてから読むと・・「清教徒」「民主主義」「先住民族との白人との恋愛タブー」そして「ジェンダー」まで全部入っている!!
同じ本にも関わらず、ワタクシの中で確実に新しく『翻訳』されましたわ。
小倉千加子先生は文庫版のあとがきで「耳の痛いこと」を書く。
「『赤毛のアン』の好きな女子は勉強も読書も好きだが、チェリーパイを作ることにも惹かれる『オールラウンド女子パフォーマー』になるのである。 仕事も家事もこなす二重労働者は、有償労働も無償労働もすすんでできるという意味で「和魂洋才」の持ち主と言えよう。
(中略)
が、世界最速のペースで少子高齢化の進む現在、外で働きながら同時に子どもを産んでくれる女性が切実に求められているのは事実である。 『赤毛のアン』は、日本人女性のあり方に関して国策と歩を共にしており、それはそれだけの理由があるということである。」(P349〜350)
2014年、朝ドラが『花子とアン』になったのは偶然ではない、と以前にも書いた。
まさに今、我が国は国策として『アン』(正確には『赤毛のアン』(好き))を求めている。
仕事もして、子どもも生む、輝ける「オールランド女子パフォーマー」=『アン・シャーリー』が欲しいのだ。
が、『花子とアン』で描かれる女性たちは誰一人「アン」たる者がいない(笑)
安定的幸せを求めた醍醐さんとて、である。
家庭も仕事も得た花子や蓮子はいずれも不倫がらみ、である(笑)
大正モダニズムってこういうことなんだよね。
では誰が『アン・シャーリー』かって言ったら、結局は既に産み終えたワタクシたち世代じゃね?
バッチリ「二重労働者」。毎日ご飯作って、弁当詰めて、仕事も手を抜かず(笑)
私たち均等世代前後はまんまと国策に従い専業主婦となった母たちに育てられた娘としてモンゴメリーが唯一「全てを得た女」として描いた『アン』の影を追って生きて来たけど、それって、相当疲れる。
どうやらそれじゃなくても幸せになる方法はあるらしいと次世代は気がついちゃっているよね(笑)
ふむふむふむ、と一人納得をする真夏の夜である(笑)
いずれにせよ、この本には様々な示唆がある。改めて小倉千加子先生の分析力、筆力に感動する。
http://blogos.com/article/92708/
井戸まさえ
最近『花子とアン』を見ながら、この物語の裏の主役は『醍醐さん』なのではないかと思い始めた。
もちろん花子の「腹心の友」は蓮子である。
では醍醐さんはなんのために、配役されているのか。
当初はアンの「腹心の友」はダイアナの役割を担わせようとしたのかと思ったら、そうではなかった。
女学校では一番「結婚」を意識した醍醐さんが職業婦人として生き、諸事情で結婚はできず、しかしいつしか「先生」と呼ばれるまでになっている。(今日の放送まで)
そこで、もう一度『「赤毛のアン」の秘密』(小倉千加子著・岩波現代文庫)を読み返してみる。
!!!
佐藤優先生の講義を受けてから読むと・・「清教徒」「民主主義」「先住民族との白人との恋愛タブー」そして「ジェンダー」まで全部入っている!!
同じ本にも関わらず、ワタクシの中で確実に新しく『翻訳』されましたわ。
小倉千加子先生は文庫版のあとがきで「耳の痛いこと」を書く。
「『赤毛のアン』の好きな女子は勉強も読書も好きだが、チェリーパイを作ることにも惹かれる『オールラウンド女子パフォーマー』になるのである。 仕事も家事もこなす二重労働者は、有償労働も無償労働もすすんでできるという意味で「和魂洋才」の持ち主と言えよう。
(中略)
が、世界最速のペースで少子高齢化の進む現在、外で働きながら同時に子どもを産んでくれる女性が切実に求められているのは事実である。 『赤毛のアン』は、日本人女性のあり方に関して国策と歩を共にしており、それはそれだけの理由があるということである。」(P349〜350)
2014年、朝ドラが『花子とアン』になったのは偶然ではない、と以前にも書いた。
まさに今、我が国は国策として『アン』(正確には『赤毛のアン』(好き))を求めている。
仕事もして、子どもも生む、輝ける「オールランド女子パフォーマー」=『アン・シャーリー』が欲しいのだ。
が、『花子とアン』で描かれる女性たちは誰一人「アン」たる者がいない(笑)
安定的幸せを求めた醍醐さんとて、である。
家庭も仕事も得た花子や蓮子はいずれも不倫がらみ、である(笑)
大正モダニズムってこういうことなんだよね。
では誰が『アン・シャーリー』かって言ったら、結局は既に産み終えたワタクシたち世代じゃね?
バッチリ「二重労働者」。毎日ご飯作って、弁当詰めて、仕事も手を抜かず(笑)
私たち均等世代前後はまんまと国策に従い専業主婦となった母たちに育てられた娘としてモンゴメリーが唯一「全てを得た女」として描いた『アン』の影を追って生きて来たけど、それって、相当疲れる。
どうやらそれじゃなくても幸せになる方法はあるらしいと次世代は気がついちゃっているよね(笑)
ふむふむふむ、と一人納得をする真夏の夜である(笑)
いずれにせよ、この本には様々な示唆がある。改めて小倉千加子先生の分析力、筆力に感動する。
http://blogos.com/article/92708/