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藩を救った画人、蛎崎波響 土曜「考える」【北の文化】

2014-08-12 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2014年08月09日
●五十嵐聡美 道立帯広美術館学芸課長
■松前を愛した家老、2度も奇跡
 江戸時代後期、絵を描くことで藩を守ろうと奮闘し、ついには藩を窮地から救った男がいた。それも生涯で2度も。絵が人の心を動かし、絵筆が最後には奇跡を起こす。そんな偉業をなしとげた松前の画人、蠣崎波響(かきざきはきょう)を紹介しよう。
 父は、松前藩第12代藩主の資廣(すけひろ)。1764(明和元)年、福山城(松前城)に5男として生まれ、数え年2歳で家老職、蠣崎家の養子となる。少年期は、武家の子弟として当然の教養を積むため、江戸の藩邸で過ごす。絵に天賦の才があることは、周囲も認めていたのであろう。宋紫石(そうしせき)という長崎帰りの画家から最先端の細密画法を学んでいる。
   ◇ ◇ ◇
 松前に戻った波響は、18歳から家老見習いとして藩政に携わるが、89(寛政元)年、藩の命運をゆるがす大事件が起きる。東蝦夷地で和人の酷使に耐えかねたアイヌが蜂起し、和人71人を殺害したのだ。中央から見れば、藩の統治能力の無さを示す失態である。策を講じた松前藩は現代のメディア戦略にも似た奇抜な案を思いつく。東蝦夷地のアイヌの首長たち12人の肖像を作成し、松前藩に服属している旨の解説を付記するというものだ。藩主が作画を命じたのは、江戸で絵を学んだ26歳の若き家老、波響。それから1年以上の歳月をかけて超細密描写による迫真の肖像を完成させた波響は、「夷酋列像(いしゅうれつぞう)」と題して、京都に運んだ。藩の思惑通り、12枚の絵は大変な評判となったが、なぜか波響は、京都で流行していた円山派の影響を受け、作風を変えてしまう。さらに、多くの文人墨客と交流するなかで、文人としての生き方に憧れを強め、漢詩の大家に教えを請い、四季の風光を清澄に謳(うた)う漢詩人としても活躍した。
   ◇ ◇ ◇
 渾身(こんしん)の力をこめて「夷酋列像」を描き、藩を守ろうとした波響の苦労もむなしく、1807(文化4)年、幕府は、松前藩の北方警備への不信から、ついに蝦夷全島を直轄地とする。松前藩を格下げし、奥州梁川(現在の福島県)への転封を命じた。家老として藩政の中枢を担っていた波響は、この時、44歳。心に掲げた悲願は、ただひとつ、松前への復領であった。波響は、毎朝4時に起きて、梁川の天神社に絵を描いて奉納し復領祈願をしつつ、家老とは思えないほど、絵を描き続け次々と名品を生み出していった。文人としての生き方を通すなら、売るために絵を描くことはしないはずだが、残されている制作メモ(『紙絹画覚新帳』『松前行画扣』)には、花鳥人物山水の屏風(びょうぶ)は5両、虎は1両と記す。文政元年は、1年に114件211枚を制作している。復領運動の献金資金捻出のために、積極的に絵の注文を受けたものであろう。
 21(文政4)年12月、波響58歳。幕府は、蝦夷全島を松前藩にかえすことを決定。復領後は、描いた絵に「松前波響」と誇らしく署名するようになり、祈願成就に感謝し続けながら、家老にして画人、詩人であった波響は、26(文政9)年、松前で永い眠りについた。
 現在、松前城資料館で開催中の「生誕250年記念 蠣崎波響特別展」に足を運んだ。波響が愛し続けた松前の地に、初期から最晩年までの25点が帰ってきていることに感慨を深めつつ、63年の人生に思いをめぐらした。
     ◇
 1964年、釧路市出身。「蠣崎波響とその時代展」(91年、道立函館美術館などで開催)を担当。蠣崎波響の落款などを研究する。
     ◇
 「生誕250年記念 蠣崎波響特別展」は、松前城資料館で31日まで開催。
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20140811011190001.html

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アイヌ民族の遺骨「返還を」 研究名目、全国の大学に保管

2014-08-12 | アイヌ民族関連
MSN産経ニュース-2014.8.9 22:22
 研究名目で収集され、全国の大学に保管されているアイヌ民族の遺骨返還問題を考える講演会が9日、札幌市内で開かれた。主催した北海道アイヌ協会の阿部一司副理事長は「遺骨は可能な限り、遺族に返還するのが第一だ」と強調した。
 政府は6月の閣議決定で、北海道白老町にアイヌ文化復興の象徴空間を整備して遺骨を集約、アイヌによる尊厳ある慰霊の実現を図る、とした。
 北海道大アイヌ・先住民研究センターの加藤博文教授(考古学)は、米国とオーストラリアでは発掘された先住民族の遺骨の身元を特定し、関係者に返還する法整備が進んでいると紹介。「アイヌ民族がどのように解決すべきと考えるか、広く意見を聞くことが大切だ」と述べた。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140809/art14080922220001-n1.htm

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「お父さん」カイ君の子死ぬ 白老・アイヌ民族博物館の看板犬

2014-08-12 | アイヌ民族関連
北海道新聞 (08/09 06:01、08/09 06:15 更新)
 【白老】携帯電話CMの「お父さん」役で知られる北海道犬「カイ」の子供で、アイヌ民族博物館(胆振管内白老町)の雄の看板犬「そら」が8日、死んだ。4歳だった。同博物館によると、そらは内臓が弱く、連日の暑さのため、10日ほど前から食欲が落ち点滴を打っていた。8日午前9時、職員に見守られながら息を引き取ったという。
 そらは2010年6月、胆振管内むかわ町で誕生。カイの育ての親で、北海道犬保存会鵡川支部の豊田康秀支部長が同年9月に同博物館に寄贈。同館職員は「愛くるしい表情で、いつも来場者の人気を集めていた。非常に残念」と話している。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/555950.html

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アイヌ舞踊で展示会開幕 先住民の国際デー

2014-08-12 | アイヌ民族関連
十勝毎日新聞 2014年8月9日 13時42分
 【帯広】「アイヌ文化交流会~世界の先住民の国際デー」(帯広市アイヌ生活文化展実行委員会主催)が、10日まで帯広市内のとかちプラザ・アトリウムで開かれている。8日の開会式では帯広カムイトウウポポ保存会(酒井奈々子会長)が古式舞踊を披露し、アイヌ文化の魅力を伝えた。
 国連が「世界の先住民の国際デー」(8月9日)を宣言した1994年から毎年開催。アイヌ文様の民族衣装やサケの皮で作った靴など伝統工芸品や文化・歴史を紹介するパネルなど約80点を展示している。10日は午前9時~午後4時。
 8日午後1時からの開会式では笹村二朗実行委員長が「工芸品の展示を通して、アイヌ民族の歴史・文化への理解が進み、世界の先住民族への関心が高まれば」とあいさつした。
 同保存会からは小学生6人を含む18人が出演。アトリウムに響く酒井会長らの歌声に合わせ、「ウタリオプンパレ」「バッタキウポポ」など6曲を踊った。来場者は厳粛な雰囲気が漂う演舞に見入り、自然と手拍子が起こった。
 市内の会社員島元雄平さん(20)は「(アイヌ古式舞踊は)初めて見たが、迫力があった」と感心した様子。酒井会長は「先住民の国際デーはとても大切な一日。このイベントがずっと続いてほしい」と話していた。
http://www.tokachi.co.jp/news/201408/20140809-0018989.php

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『鴻臚館』で語る日本国と日本人(19)

2014-08-12 | アイヌ民族関連
NET-IB NEWS-2014年8月8日11:37
<世界でも稀に見るDNA多様性>
 約20万年前にアフリカに現れ、約10万年前から地球全体にその種を広めた現生人類。21世紀を迎えて、DNA多型分析が人類の歴史を再現するために重要な方法になりつつある。ミトコンドリアDNAからは母方の遺伝様式を追跡でき、Y染色体DNAは父方のそれを追跡できる。ミトコンドリアとY染色体のDNA配列が似たグループを「ハプログループ」というが、『男』だけで移動することもあることを想定して、Y染色体DNAに焦点を当てて、日本人の特徴を述べてみる。
 世界に分散した18のY染色体亜系分化のうち4つのグループが列島に到達しており、さらに6つの主要系統に分かれる。最も頻度の高いD2系統は列島にのみ認められ、最も低い徳島の26%から新潟の48%まで占めている。データ量が少ないアイヌでは88%も占める。このD2系統は縄文時代草創期に列島に流入したとされる。
 この数値から見ても、縄文人の男系は淘汰されずに、列島のなかでもとくに北陸から東北には濃密に残っているのである。世界的に見ると、D系統がまとまって見られるのは列島の他には近縁のD3、D1のチベットしかない。誤解してはならない。日本人のルーツがチベットにあるわけではない。華北地方をルーツとするD系統の男が子孫を拡げ、遠隔の地日本とチベットにのみ現在まで、そのDNAを密度高く残すとの「事実の確認」である。
 シベリアの細石刃文化とのつながりが想定されるC3系統はアメリカ大陸にまで到達する一方、華南経由で列島にも渡来したためか、南九州で8%と比較的高い。他の地域でも2%ほど認められるが、琉球では確認されない。C1系統は南方系がルーツと想定されるが、列島にのみ残る稀な亜系だ。北九州とアイヌでは確認されない。
 さて、日本の弥生時代と東アジアの国家形成に重大な影響を与えたのがO系統である。O系統から亜系分化した、O2bが長江下流域から水田稲作技術を持って渡来した弥生文化の担い手であり、O3は黄河流域から雑穀農耕を持って列島に渡来して来た。いずれも金属器をともなって、朝鮮半島経由で渡来したと考えられる。
 この2系統だけで、朝鮮半島では90%近くを占める。列島では、この2系統で、40%以上を占めるが、琉球では50%以上を占め、アイヌでは確認されない。
 その他にもN系統やQ系統さらに亜系分化された系統が少しずつ存在する。これまでで日本列島でのY染色体DNA分布を大雑把に記した。かくも多様なDNAを擁する日本列島なのだ。
 D2、C1系統は日本列島でのみ確認される。そのうちC1は北九州では確認できない。アイヌではこのC1に加えてO2bもO3も確認できない。逆に琉球では列島中間部を上回る比率でこのO系統の存在を確認できる。
 この短い文章のなかではあるが、何かヒントが見つからないだろうか?
 これまで述べてきたアイヌと琉球の置かれた歴史。そうして北九州の特殊な位置が見えてくる。(つづく) 【溝口 眞路】
http://www.data-max.co.jp/area_and_culture/2014/08/12678/post_16457_ms19/


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白老・つがるの子ども20人と特産品でカレー作り交流

2014-08-12 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2014年8月8日(金)朝刊】
 歴史姉妹都市の青森県つがる市の小学5年生20人が7日、白老町を訪れ、町内の小学生と一緒にカレーライスを作ったり、仙台藩白老元陣屋資料館やアイヌ民族博物館などを見学した。
 白老町姉妹都市協会が毎年受け入れている。町コミュニティセンターで開かれた歓迎式で、戸田安彦町長が「ようこそ白老町へ。白老はいろんなものが凝縮しているまちです。いい思い出をつくってください」と呼び掛けた。
 尾野叶奈さんは「白老の子どもたちと仲良くなって思い出をつくりたい」、松橋想君は「アイヌ民族について学びたい」と、この日1日間の白老滞在に胸を膨らませていた。
 同センター調理室で白老の小学生6人と一緒に両市町の特産品を材料にしたカレーライス作りに取り組んだ。施設見学後は町内の中学生らとゲームをしたり一緒に夕食を食べた。きょう8日、帰途に就く。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2014/08/08/20140808m_08.html

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弓、剣、海の舞を奉納/白糠

2014-08-12 | アイヌ民族関連
釧路新聞  2014年08月08日
  北海道アイヌ協会白糠支部(高木津吉支部長)の第36回ふるさと祭(先祖供養祭)が、アイヌ文化拠点施設ウレシパチセと東山公園内のアイヌ弔魂碑前で行われた。ウレシパチセでは、北海道アイヌ協会本部の豊岡征則副理事長が祭司を務め、カムイノミ(神への祈り)が行われた。東山公園では供物を捧げてイチャルパ(先祖供養)などが行われ、白糠アイヌ文化保存会と春採アイヌ古式舞踊釧路リムセ保存会のメンバーが弓の舞、剣の舞、海の舞などの古式舞踊を奉納した。  
http://www.news-kushiro.jp/news/20140808/201408086.html

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ちっぽけな人間を実感させる知床の自然 絶景百名山知床地の涯の山後編羅臼岳夏

2014-08-12 | アイヌ民族関連
インフォシーク-2014/08/07 17:09
【大人のTV】絶景百名山知床地の涯の山後編羅臼岳夏(BSフジ、8日午後10時)
 暑い日が続いている。こんなときは、せめてテレビぐらい、涼しい画を見たいもの。そんな思いを満たしてくれるのがこの番組だ。
 オホーツク海に、幅25キロ、長さ70キロにわたって突き出る北海道の知床半島。言わずと知れた世界自然遺産の登録地だ。
 知床の語源は、「地の涯」を意味するアイヌ語の「シリエトク」だという。海から見る半島は断崖に囲まれ、浜にはヒグマの姿も。その名の通り、“地の涯”の光景が広がっている。
 その知床にそびえる百名山は2座。ひとつは、半島の付け根にそそり立つ斜里岳(1547メートル)。もうひとつが知床連山の一角、羅臼岳(1661メートル)。今回は、羅臼岳周辺を登る後編にあたる。
 羅臼平から知床連山を縦走し、硫黄山へと向かう2泊3日のルート。地元ガイド、滝澤大徳さん(47)の案内で登る。ただし普通の登山ではない。もうひとり姿なき同行者の気配がつねにつきまとう。
 ヒグマだ。「ヒグマがいるのは当たり前。お邪魔するという気持ちで」と語る滝澤さんの言葉のほうが自然なのだろう。むしろ、知床では、人間のほうが邪魔者なのだと再認識させられる。
 映し出される自然の姿は圧倒的だ。山の緑、空の青、雪の白。沈む夕日と赤く染まるオホーツク海。そして、空一面を埋め尽くす満天の星。自然が怒涛(どとう)のごとく押し迫ってくる。
 火山である硫黄山を登る。ごつごつとした岩場を抜けて、たどり着いた山頂でみえた景色は、意外にも花畑だった。足元には色鮮やかな高山植物が咲き乱れる。かれんにみえて、実は一番力強いのかもしれない。
 滝澤さんは話す。「知床を知りたいなら、ぜひ山に登ってほしい」と。その言葉通り、そこには想像をはるかに超えた原生の自然が息づいている。人間も自然の一部にすぎないことを改めて思い知らされる。見終わったあとの爽快感はこの上ない。やはり日本の自然は美しい。(哲)
http://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/07fujizak20140807001

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エディーJ、オールブラックス戦は大正製薬が冠スポンサーに!

2014-08-12 | 先住民族関連
サンケイスポーツ-2014.8.8 05:01
 日本ラグビー協会は7日、東京都港区の明治記念館で会見し、11月1日に兵庫(ノエス)、同8日に東京(秩父宮)で行われる日本代表のマオリ・オールブラックス戦を大正製薬が冠スポンサーとなり、「リポビタンDチャレンジカップ2014」として行うと発表した。同社は同月の欧州遠征も支援する。
 マオリ・オールブラックスはニュージーランド先住民のマオリ族の血を引く選手による代表チームで、実力は世界のトップ10に入るともいわれる強豪。過去にはイングランド、アイルランドを倒した実績を持つ。
 昨秋からテストマッチ10連勝中で、世界ランクで初の10位につける日本代表のエディー・ジョーンズ・ヘッドコーチ(54)は「勝ち続けている流れを秋の試合でも継続して、来年のW杯へ強化を続けていきたい」と、今秋最強の相手との対戦に意欲を見せた。
(紙面から)
http://www.sanspo.com/rugby/news/20140808/jap14080805010001-n1.html

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アイヌ民族の暮らしも体験 ポロトの森キャンプに27人

2014-08-12 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 (2014年 8/7)
 白老町のポロトの森で5、6の両日、白老観光協会が主催する自然体験キャンプが開かれ、白老、苫小牧の両市町から小学生27人がアイヌ文化を体験しながら自然との触れ合いを楽しんだ。同協会主催では6回目。白老モシリやアイヌ民族博物館、自然観察教室一樹会などから約20人がサポートで参加し、子どもたちの楽しい時間づくりを支援した。
 子どもたちは大きな荷物を抱えながら、ポロトの森インフォメーションセンターに集合。オリエンテーションで団体生活のルールなど注意事項を聞き、キャンプ場入りした。
 初日はあいにくの雨模様。テントサイトには雨よけ用の大型テントがいくつも設置され、アイヌの伝統料理であるイナキビご飯や「オハウ」と呼ばれるサケの塩汁などを用意した。
 子どもたちは昼食用のサケの串焼きづくりを体験。アドバイスを受けながら切り身に串を通す作業を行った。生魚に触るのは初めてという児童は「思ったより軟らかい」と複雑な表情。白老竹浦小6年の青木颯汰君(11)は「軟らかくて刺すのが大変だった」と語っていた。
 雨続きのため、初日は予定していた川遊びや「カチャ」と呼ばれるアイヌ民族の仮小屋づくりなど一部プログラムは中止に。それでも子どもたちは元気いっぱいに、ムックリなどの民族楽器制作や自然体験を楽しんでいた。
http://www.tomamin.co.jp/20140815604

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松浦武四郎と十勝越え(1)

2014-08-12 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2014年08月06日
北海道への旅 まなざしの系譜【北海道への旅 まなざしの系譜】
 幕末の探検家松浦武四郎(1818~88)が残した膨大な記録がもしなかったとしたら、僕たちはたかだか160年ほど前の北海道の内陸のようすさえよくわかっていなかったにちがいない。
 現在の三重県松阪市に生まれた武四郎は、28歳から41歳までのあいだに6回にわたって蝦夷地を歩いた。前半の3回は好奇心にあふれ無類の行動力をもつ青年として、後半の3回は、北方の脅威を懸念する江戸幕府の命を受けた北方調査の役人として。
 武四郎の人となりは、探検家と呼ぶだけでは語れない。彼はまず生涯を旅に生きたタフな旅人であり、社会派のルポライターにも見える。また篆刻(てんこく)や漢詩の巧者にして書画や古遺物の収集に熱中した趣味人でもあった。集める対象はモノにとどまらない。例えば武四郎が蝦夷地で記録した地名は1万を超えるという。
 最後の蝦夷地行となった1858(安政5)年の旅は、1月に箱館を発ちおよそ8カ月にも及んだものだった。現在の地名でいうと函館から長万部、喜茂別と進み中山峠を越えて豊平川水系を下る。札幌から石狩川沿いに旭川に入ると、さらに十勝や阿寒を通って網走、さらには宗谷まで北上、その後増毛や銭函にいたり襟裳岬にまで足をのばして、日高や噴火湾をめぐって函館に戻っている。
 現代のわれわれが道と呼べるものが皆無だったこの時代。原始林を踏み分けながら川筋をのぼり分水嶺(ぶんすいれい)を越えることを繰り返す困難で長大な旅を、武四郎はひとりで達成したわけではない。すべての行程で各地のアイヌの人々の先導が欠かせなかった。明治以降に道路や鉄路が整えられる前、この島のすみずみには水系に沿ってきめ細かなアイヌの道があったのだ。のちの幹線道路や鉄道網の大部分は、この道をなぞったものだという。
 現在のこよみで58(安政5)年の4月下旬。武四郎は12人のアイヌの力を借りながら忠別(旭川)から南に進み、2千メートル前後の高峰がつらなる十勝連峰を越えて十勝平野をめざした。世にいう「十勝越え」だ。
(文・谷口雅春 写真・露口啓二)
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20140806011260001.html

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地の声 卓上四季

2014-08-12 | アイヌ民族関連
北海道新聞 2014・8・7
きょうは立秋。暦の上では涼風がそよぎ始める季節だが、名ばかりの日々が続く。「秋は、ずるい悪魔だ。夏のうちに全部、身支度をととのえて、せせら笑ってしゃがんでいる」。随筆「ア、秋」で、こう書いたのは太宰治だ。まもなくススキの穂波が目立ち、セミ時雨の音色も変わる。季節の移ろいは思ったよりも早い▼アイヌ民族の古布絵作家宇梶静江さんが、6年前に出版した絵本に、「セミ神さまのお告げ」がある。北の海辺で6代の人の世を生きてきたおばあさんが、「大津波がやってくる」と歌う▼下の台地の人は信じず、上の台地の人は高台に移り住んだ。予言通り、津波は押し寄せ、住民は運命を分けた。おばあさんはセミ神になり、夏が来るたびに美しい声を響かせた―▼子ども向けとはいえ、3年前、東日本大震災を経験した身としては生々しい。全道的に大雨が続いているが、秋は風水害が多い。予報に注意を払い、用心するに越したことはない▼セミにはさまざまな伝承がある。風や空気から天候ばかりか農作物の生育を予知し、鳴き声で知らせる。もっとも、貴重な情報を伝えてくれる生物はセミに限らないが▼肝心なのは、大地の発する声を謙虚に受け止める姿勢だろう。集団的自衛権の論議を境に世論の風向きは変わりつつある。「地の声」を「天の声」と、感じ取れるか。耳を傾ける相手は何も自然ばかりではない。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fourseasons/555559.html

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洞爺湖芸術館の砂澤ビッキ展示室が5年ぶりに一新

2014-08-12 | アイヌ民族関連
【2014年8月7日(木)朝刊】
 北海道の風土に根差した独創的な作風で知られる彫刻家・砂澤ビッキの作品を所蔵する洞爺湖町洞爺町の洞爺湖芸術館は、ビッキの展示室を5年ぶりに一新、ビッキ作の絵画や大型の彫刻作品を入れ替えた。同館と音威子府村のアトリエ3モアのみが所蔵するビッキのデスマスクも公開し、来館者の注目を集めている。23日には夫人の砂澤涼子さんがギャラリートークを開く。
 リニューアル展示では、ビッキ作の素描2点をはじめ計8点の絵画を並べた。ビッキがカナダ人作家と出会った前後の作品を並べ、作風が変化した様子を鑑賞できる。彫刻は開館当初に展示していた「樹頭」2点をはじめ、連作「TOH」「風」の各1点ずつ計4点が久しぶりにお目見え。23日~9月7日にはビッキが友人に宛てた直筆の書簡や、書き込みがある蔵書を限定公開する。
 ビッキの作品は、札幌芸術の森美術館(札幌市)で開催中の札幌国際芸術祭2014エキシビジョンの企画展示「都市と自然」で、野外展示の著名な作品「四つの風」に加え、館内で「神の舌」と「風に聴く」が公開されるなど注目を集めている。三島邦代館長は「ビッキの人間的な側面を間近に感じられるまたとない機会」と来場を呼び掛けている。
 ビッキ夫人・涼子さんのギャラリートークは23日午後2時開会。作品を鑑賞しながら制作プロセスなどに迫る。涼子さんが来館者の質問に直接答える形式で進める。館内ではビッキがデザインを担当した民芸品をはじめ、ポストカードや作品集を数量限定で販売している。入場料は一般300円、高校生200円、小中学生100円、洞爺湖町民無料。午前10時~午後6時。月曜休館。
音威子府時代の砂澤ビッキ=井上浩二氏撮影
 問い合わせは同館、電話0142・87局2525番。
(野村英史)
 砂澤ビッキ(すなざわ・びっき) 1931年(昭和6年)旭川市生まれ。本名・恒雄。アイヌ語でカエルを意味するビッキは幼少からの愛称。阿寒湖畔で土産物の木彫に携わり鎌倉で澁澤龍彦らと交友。油彩から彫刻に転向し58年、第8回モダンアート協会展新人賞受賞。78年、音威子府に移住。83年カナダでハイダ族の彫刻家と出会い作風に影響を受ける。89年1月25日逝去。
【写真=展示内容を一新した砂澤ビッキの展示室(上)、音威子府時代の砂澤ビッキ=井上浩二氏撮影(下)】
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2014/08/07/20140807m_06.html

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身内が撮影した米カイオワ族の暮らし

2014-08-12 | 先住民族関連
ウォール・ストリート・ジャーナル日本版-2014 年 8 月 7 日 12:06 JST
 米オクラホマ州の先住民族カイオワ族のHorace Poolaw(1906~84年)が、20年代から70年代に家族や隣人を撮影した写真。作品集が出版され、ニューヨークの国立アメリカ・インディアン博物館で写真展が開催される。
http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702303570604580076224060018364

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ブラジル観光、熱帯雨林の神秘的な先住民部族へ

2014-08-12 | 先住民族関連
新華ニュース 2014年08月07日 11時31分
英紙「デイリー・メール」の5日付記事では、ブラジルの旅行社業者は、観光客に、世界で一番神秘的な先住民部族、カシナワ族を訪れ、儀式に参加する珍しい機会を提供するユニークな観光コースを設計している。
カシナワは「本当の人間」という意味で、カシナワ族はブラジルアクレ州のアマゾン熱帯雨林に住み、5550人と多彩な文化遺産をもっている。言葉、絵、芸術、伝統医学など、カシナワ族の文化の多くは神秘に包まれている。地政学的にペルーに近いので、インカ帝国から大きな影響を受けてきた。子供は11歳にポルトガル語の勉強を始める。
カシナワ族は毎年の9月に、「Xina Bena」を開催し、全世界に神秘的なドアを開ける。観光客はブラジルの旅行社業者が提供する小型機で小さな町に着いてから船に乗ってその神秘的な文化を訪れる。
(翻訳 金慧)
http://www.xinhuaxia.jp/social/43121


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