読売新聞 2015年11月10日
手作りの印鑑にフクロウを彫る鮒田さん
先住民族・アイヌの出身で、木彫り工芸家の鮒田晃男ふなだあきおさん(71)が福岡で暮らし始めて約20年が過ぎた。糸島市の工房で彫り続けているのが、アイヌの人々から「神の鳥」として敬われるシマフクロウ。「これからもアイヌの心を伝えていきたい」と願う。(丸山一樹)
北海道東部の村で生まれ、アイヌ名はポン・オタストン。「小さな英雄」の意味が込められているという。
19歳の時、北海道・阿寒湖のほとりの民芸品店でアルバイトを始めた。周辺で暮らすアイヌは木で人形を作るなどして、観光客に喜ばれていた。「自分もアイヌとしての自信を持ちたい」と思い、木彫りの世界に足を踏み入れた。
腕を磨き、26歳で神奈川県へ。デパートなどで置物やアクセサリーを彫る実演販売をする中、出会った福岡の工芸家から、「アイヌとはなじみの薄い九州で民族の文化を広めてみては」と勧められ、50歳で福岡市へ移った。56歳の時、糸島の自然に魅力を感じ、玄界灘を望む糸島市志摩野北のぎたに工房を構えた。
現在、ツゲなどの自然木を材料にした印鑑作りに力を注ぐ。自然木の特徴を生かすため、印影が横長になるなど形は様々だが「世界でただ一つの印鑑です」と胸を張る。
印鑑に彫り込むシマフクロウは、アイヌ語で「コタンコロカムイ」と言い、「村の守り神」を意味する。「自然のあらゆるものに神が宿ると考え、大切にする文化を、フクロウを通して伝えている」と語る。
福岡で長く暮らす理由は、「人が温かく、アイヌを理解しようという気持ちが伝わってくるから」。小中学校などで先住民族の歴史を教える講師も務め、子供たちから「アイヌのポンさん」の愛称で親しまれている。「古里を思いつつ、この地で余生を過ごしたい」と鮒田さんはほほ笑んだ。
http://www.yomiuri.co.jp/local/fukuoka/news/20151109-OYTNT50330.html
手作りの印鑑にフクロウを彫る鮒田さん
先住民族・アイヌの出身で、木彫り工芸家の鮒田晃男ふなだあきおさん(71)が福岡で暮らし始めて約20年が過ぎた。糸島市の工房で彫り続けているのが、アイヌの人々から「神の鳥」として敬われるシマフクロウ。「これからもアイヌの心を伝えていきたい」と願う。(丸山一樹)
北海道東部の村で生まれ、アイヌ名はポン・オタストン。「小さな英雄」の意味が込められているという。
19歳の時、北海道・阿寒湖のほとりの民芸品店でアルバイトを始めた。周辺で暮らすアイヌは木で人形を作るなどして、観光客に喜ばれていた。「自分もアイヌとしての自信を持ちたい」と思い、木彫りの世界に足を踏み入れた。
腕を磨き、26歳で神奈川県へ。デパートなどで置物やアクセサリーを彫る実演販売をする中、出会った福岡の工芸家から、「アイヌとはなじみの薄い九州で民族の文化を広めてみては」と勧められ、50歳で福岡市へ移った。56歳の時、糸島の自然に魅力を感じ、玄界灘を望む糸島市志摩野北のぎたに工房を構えた。
現在、ツゲなどの自然木を材料にした印鑑作りに力を注ぐ。自然木の特徴を生かすため、印影が横長になるなど形は様々だが「世界でただ一つの印鑑です」と胸を張る。
印鑑に彫り込むシマフクロウは、アイヌ語で「コタンコロカムイ」と言い、「村の守り神」を意味する。「自然のあらゆるものに神が宿ると考え、大切にする文化を、フクロウを通して伝えている」と語る。
福岡で長く暮らす理由は、「人が温かく、アイヌを理解しようという気持ちが伝わってくるから」。小中学校などで先住民族の歴史を教える講師も務め、子供たちから「アイヌのポンさん」の愛称で親しまれている。「古里を思いつつ、この地で余生を過ごしたい」と鮒田さんはほほ笑んだ。
http://www.yomiuri.co.jp/local/fukuoka/news/20151109-OYTNT50330.html