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核の神話:10)原爆開発、聖地を追われた先住民族

2016-01-21 | 先住民族関連
朝日新聞 2016年1月20日16時28分
核と人類取材センター・田井中雅人

コロンビア川沿いで先住民族の暮らしを語るレックス・バックさん=米ワシントン州リッチランド、田井中雅人撮影
 1940年代の「マンハッタン計画」に始まる米国の核開発の歴史は、先住民族にとっては聖なる土地を汚され、そこから追われる苦難の歴史だった。ハンフォード周辺の先住民族「ワナパム」のリーダー、レックス・バックさん(60)がインタビューの待ち合わせに指定した時刻は午前6時。夜明けのコロンビア川を眺めながら、部族の歴史と暮らしを聞いた。
■先住民族リーダー、レックス・バックさん
 「マンハッタン計画」によって、ぼくたちワナパム部族に何が起こったのか、お話ししよう。
 それは、原爆開発のための土地を探していた陸軍のフランクリン・マサイエス大佐がハンフォードに目をつけたのが始まりだった。原子炉を冷やすためのコロンビア川の豊かな水と、何もない広大な土地があり、秘密を守れる人里離れた場所だったから、まさに条件にぴったりだったということだ。
 ある日、大佐がやって来て「この土地は軍が使うから出ていけ」と祖父に言い渡した。2500人ほどのワナパム部族のリーダーだった祖父は無用なトラブルを避けるため、それに従った。「心配するな。良き民であれば、創造主が我々を助けてくださる」と。
 部族の言葉で創造主のことを「ナミピアップ」って言うんだ。ぼくらは今でも「創造主の掟(おきて)(ビッグロー)」に従って生きている。何百年と続く掟は、現代の法律とは違って、気に入らないからといって作り直すわけにはいかないよ。自然や土地がぼくらの主なんだ。夜明けとともに目覚め、日の入りとともに眠る。他人と争うな。土地をいたわれば、土地が人間の面倒をみてくださる。そういうふうにできている。
 当時の部族は、この聖なる土地一帯を馬で移動しながら暮らしていた。春から秋にかけては山で狩りをしたり、コロンビア川でカヌーをこいで魚をとったりしていた。冬に備えて食料をためておき、みんなで分け合った。食料をめぐる争いが起きないようにする部族の知恵なんだ。そうやって何百年も暮らしてきた。男は狩りや魚取り、女は薬草集め。花や根を蒸して飲むんだよ。
残り:1422文字/全文:2274文字
http://www.asahi.com/articles/ASJ1H6QNHJ1HPTIL02D.html

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伊達の歴史、旧仙台藩など3本柱で 総合文化館の展示計画

2016-01-21 | アイヌ民族関連
北海道新聞 01/20 16:00
 【伊達】市教委は、だて歴史の杜総合公園内で2018年度の開館を目指す仮称「市総合文化館」の設計案と展示計画をまとめた。常設展示は旧仙台藩亘理伊達家とアイヌ文化、明治以降の開拓を三つの柱として、伊達の歴史を分かりやすく紹介する。
 設計案によると、現在ある文化体験施設「黎明観(れいめいかん)」の一部を解体し、空いた土地に鉄筋コンクリート造り2階建て、延べ床面積約1600平方メートルの新施設を建設する。昨春公表した建設計画と比較すると、展示品の保護のため展示室と収蔵庫に前室を設けるほか、全面ガラス張りとしていた2階の東側をアルミ素材の外壁にするなど変更を加えた。
 展示計画によると、観覧無料の1階部分を「交流ゾーン」とし、施設案内のインフォメーション、市の歴史に関する資料を閲覧できるライブラリー、各種講座やセミナーを実施、市民の企画展示も想定した体験・レクチャーコーナーの3機能を持たせる。
 有料の2階部分は「展示ゾーン」で、展示室、特別展示室、収蔵庫からなる。常設展示を行う展示室は「縄文~アイヌ文化の道」「亘理伊達家中の道」「共に歩む展示」の3コーナーに分け、現在、市開拓記念館などで所蔵する文化財を分かりやすく再構成する。
 市は本年度中に実施設計を終え、今夏の着工を目指す。(石井昇)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/doo/1-0225125.html


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歴史の流れ常設展示、伊達・総合文化館の実施設計へ

2016-01-21 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2016年1月20日(水)朝刊】

2018年度に開館する総合文化館のイメージ図
 伊達市教育委員会は19日、2018年度(平成30年度)開館を目指す総合文化館(仮称)の配置計画、設計案などを明らかにした。作業中の実施設計にこれらを盛り込み、本年度内に取りまとめる。
 総合文化館は、老朽化した市開拓記念館に替わる展示体験施設。15年度内に実施設計を仕上げ、16年度に着工、18年度のオープンを予定している。
 建設場所は梅本町57・1。総合公園だて歴史の杜にある観光文化体験施設・黎明観の旧物産館を取り壊し、跡地に設置する。
 規模は鉄筋コンクリート2階建て延べ1623平方メートル。1階にインフォメーション・ライブラリースペース、体験・レクチャースペース、管理事務室などを設け、2階に224平方メートルの展示室、108平方メートルの特別展示室、収蔵室を配置する。
 2階の展示スペースは開拓記念館の展示室の1・5倍の広さを確保し、有料ゾーンとする。1階は無料で、市民や来街者が気軽に利用できる交流ゾーンとする。
 「守ること、伝えること」を理念に(1)伊達市が有する貴重な文化財を展示し、歴史・文化を伝える(2)最先端の調査、研究成果を展示する(3)市民の活動成果を展示する―を基本方針とした。
 常設展示は「アイヌ民族の時間軸」と「亘理伊達家中の時間軸」を基本とし、「二つの大きな歴史の流れと明治以降の共に歩む道を紹介する」としている。特別展示室はイベントや企画展にも利用する。
 市教委は19日の市議会総務文教常任委員会でこれらを報告し、2月中に実施設計を取りまとめたいとしている。
(伊藤教雄)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2016/01/20/20160120m_07.html

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<韓国文化>「在日」を記録した呉徳洙監督

2016-01-21 | アイヌ民族関連
東洋経済日報-2016/01/15

 在日コリアンの近現代史をドキュメンタリー映画に記録し続けた在日2世の呉徳洙(オ・ドクス)監督が、昨年12月に亡くなった。生前、呉監督と交流を重ねてきた門間貴志・明治学院大学准教授に追悼文を寄せてもらった。
◆映画作りに覚悟の深さ見せた 門間 貴志(明治学院大学准教授)◆
 ドキュメンタリー映画監督の呉徳洙氏が昨年12月13日に亡くなられた。享年74歳であった。
 1941年、秋田県鹿角市で在日韓国人二世として生まれた呉監督は、早稲田大学で演劇を学び、卒業後に映画界入りした。
 大島渚監督の『白昼の通り魔』『日本春歌考』に助監督として参加した後、東映東京制作所に入所、テレビドラマ『柔道一直線』『刑事くん』『ジャイアントロボ』『キイハンター』『プレイガール』などの制作にたずさわった。
 1979年に労働組合闘争をきっかけに東映を退社すると、自身のプロダクションOH企画を設立し、以後ドキュメンタリー映画の製作を行ってきた。また在日の仲間たちと季刊誌「ちゃんそり(小言)」を発行している。
 ドキュメンタリー監督としての呉徳洙の名を知らしめたのは、在日外国人に対する差別と管理の象徴である指紋押捺制度に対する運動を描いた映画『指紋押捺拒否』(1984)であった。
 映画の冒頭、外国人登録証に火がつけられる映像が印象的だったが、それが呉監督自身のものだと後から知らされ、その覚悟の深さに驚かされた。
 『指紋押捺拒否』以降、呉監督は在日の歴史を多面的に捉えていく膨大な作業に着手し、掘り起こした古い記録映像を丹念に検証、長編ドキュメンタリー映画『戦後在日五〇年史 在日』(1997)として結実した。
 これは在日の歴史のみならず、戦後日本史を俯瞰する重要な作品として高く評価されている。
 初めて呉監督に出会ったのは、90年代の終わり頃である。それまで面識のなかった呉監督から連絡をいただき、事務所近くの珈琲屋で初対面とあいなった。
 これまで東アジア映画の研究を続けてきた私は、日本映画における民族表象、具体的には在日、華僑、沖縄、アイヌなどのステレオタイプについても調査してきた。もちろん呉監督の作品にも注目していた。
つづきは本紙へ
http://www.toyo-keizai.co.jp/news/culture/2016/post_6446.php


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