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アイヌの子どもを支えて30年:文化奨励賞を受賞した「とかちエテケカンパの会」物語(前編)

2021-04-01 | アイヌ民族関連
ニッポンコム2021.03.30

帯広市でアイヌの子どもたちに教育支援を行う「とかちエテケカンパの会」が2020年に設立30年を迎え、アイヌ民族文化財団の文化奨励賞を受賞した。「貧困と差別を次の世代に残さない」と懸命に活動してきた、これまでの歩みを追った。
エテケをやる話が出た時、“マサヱのバカ、なぁにが子ども集めて勉強会だ”って、そこらの連中がみんなして悪口言ったんだ。ところがいざ始めたら、子どもがたくさん集まった。学校に行かんくても、勉強会には来たんだよ」
1990年6月から続くアイヌの子弟のための私塾「とかちエテケカンパの会」の会長の木村マサヱさん(72)は設立のころを振り返り、そう語った。「エテケカンパ」は「手を重ね合わせる」という意味のアイヌ語だ。子どもたちを守り、育んできたこの会にふさわしい名前に感じる。本稿では、関係者やOBが略して語るのに倣い、以下、「エテケ」と記す。
エテケ設立の4年前、1986年の「北海道アイヌ生活実態調査」(※1)によると、アイヌ子弟の大学・短大進学率は8.1%で、地域の進学率27.4%と比べ19.3ポイント低かった。また、同調査で差別について「受けたことがある」と答えた人のうち、「どのような場面で」という質問の答えは、「学校で」「職場で」「結婚のことで」が毎回上位を占める。子どもが安心して学べる場が求められていた。
エテケは毎週木曜日に帯広市生活館(※2)で開かれる。教員や大学生、僧侶らがボランティアとして勉強を教えるほか、キャンプや運動会、遠足、クリスマス会、入学と卒業を祝う会など、親子で参加できるイベントも定期的に開かれている。活動費は寄付で賄われ、無償で学習と遊びの場を提供。これまで300人近くの子どもたちを送り出してきた。
当初は母子家庭と不登校の子どもを対象にしていたが、基本的にアイヌの子であれば誰でも受け入れるようになった。「“お前も勉強会に来い”って子どもが子どもを呼んだの。私はそれでいいと思った」と木村さんは語る。
差別と貧困の中で過ごした木村さん
木村さんは1949年、帯広市の東隣にある中川郡池田町に生まれた。その別保(現・高島西地区)という小さな集落には、アイヌの家とアイヌの養子になった和人の家、約30軒がひっそりと建ち、木村さんが子どものころは、口にシヌイェ(入れ墨)を施した高齢女性の姿も見られたという。58年に母親が33歳の若さで病死。その時、木村さんは9歳で、7歳の妹と4歳の弟がいた。
「母親が結核性の肺がんで病院に入り、付き添いをしていた私も腹膜炎にかかって1年半入院したんだ。卒業式の日も病院にいたんだよ。4年生から6年生までの大事な時期に学校に行けなかったから、分数もローマ字も分からなかった」
木村さんが義務教育を受けた1950〜60年代は、アイヌ差別が今よりも露骨で激しい時代だった。
「中学1年の時、体がちっちゃくて、めんこい顔をした農家の息子がクラスにいた。その子にアイヌってバカにされて頭にきてね、椅子で頭をぶん殴ってやった。もう学校来なくてもいいわと思って、先生にも言わずに帰った。もう情けなくて情けなくて…。帰り道の途中の草むらに座って、泣きながら四つ葉のクローバーを探したんだ」
ほどなくして、次は父親が失踪。3人きょうだいは父方の叔母の家に預けられ、その後に帯広の養護施設に入所することとなった。
「施設に入ったおかげで2年生から毎日中学校に行けるようになったけど、英語は一切分からない。親切な友達がいて、放課後にローマ字から教えてくれた」
家のない木村さんは、卒業式の翌日から住み込みで働く。差別と貧困が木村さんから学びの楽しさを奪っていった。そのくやしさと悲しみが、のちに木村さんがエテケを続ける原動力となった。
エテケは安心して遊び、学べる場
アイヌの子どもたちにとってエテケは、和人のクラスメートにいじめられる学校とは違い、ウタリ(同胞)だけの環境で安心して学び、そして遊べる場所となった。最初期の生徒だった3人に証言してもらう。帯広市在住の主婦、酒井真理さん(39)は、設立の翌年(1991年)からエテケに通った。
「行ってる子から“真理たちも来ればいいのに”と言われて、小学4年から通った。それまで私もきょうだいも外で友達と遊んでなかったから、週1回そんな集まりがあるなら参加させようと親も考えて行かせてくれた」
2020年に開館した「ウポポイ(民族共生象徴空間)」の職員に採用され、今は白老町に住んでいる荒田裕樹さん(35)は、小学校1年だった1992年から通った。
「エテケに行けば同年代のアイヌの友達と会えて、一緒に遊べるのが大きかった。週1回の楽しみだった。でも、勉強したのは小学校まで。中学生になったら行くには行ったけど、友達と裏の公園でたばこを吸ったりしてた。それも楽しかったよ。俺はちょっとやさぐれて足が遠のいた時期があったけど、高校卒業まで顔は出していた」
酒井真理さんの夫で自動車整備士の学さん(44)は、高校1年の93年から。
「小学生のころから遊んでばかりで勉強しなかったからさ、割り算は分からんし掛け算も危うかった。“せっかく高校に入っても留年するからエテケに行け”とオカンに言われて、そっからお世話になった」
3人は当時、帯広市大空町にある大空団地に住んでいた。
内風呂がなかった帯広の「アイヌ団地」
大空団地は帯広市の人口増加に伴い建設された、人口1万人規模の集合住宅群だ。市中心部から南西に約8キロ離れたエリアで1967年に造成が始まり、70年に完成。市内と周辺に住んでいたアイヌの人たちの多くが移り住んだ。
71年から2018年まで北海道アイヌ協会の帯広支部長を務めた笹村二朗さん(87)は、帯広アイヌの生き字引だ。3人のひ孫も現在エテケに通っている。大空団地とアイヌの関係について、笹村さんはこう話す。
「伏古、音更、幕別、芽室、池田、利別──あちこちのコタン(集落)のアイヌが大空団地に入れられた。だから、あそこは昔“アイヌ団地”と言われとった。アイヌをそこに追いやるのはまだいいとしてよ、いちばん酷かったのはアイヌが入れられた住宅に風呂がなかったことだ。和人の住宅は木造二階建てで、下にちゃんと風呂があった。もちろん差別だ。銭湯があったんだが、アイヌは裸を見られるのが嫌なんだ」
木村マサヱさんも、かつて大空団地に暮らしていた。中学を卒業してすぐに家政婦として働き、結婚後は道内各地の建築現場の宿泊施設で炊事の仕事をした。団地の完成時は出産・子育てに追われている時期で、一家で移住した。
「大空に向かう日、バスに乗っても遠くて遠くて、どうしてこんなところに住むんだろうと思った。でも、いざ着いてみると、新築できれいだし、トイレも水洗だった。ただし、お風呂がなかったのよ。当時は団地の中に銭湯があったけど、アイヌを小バカにする人が多かったから、行くと嫌な思いするんだ」
1985年生まれで、今回取材したOBの中で最年少の荒田さんは、団地での暮らしを次のように回想する。
「俺が子どものころ、大空団地にはアイヌとワルしかいなかった。というか、アイヌも和人も悪かった。帯広市内で下水道が整備されたのは大空が最初だったと聞いている。それで、団地のまわりにモダンな一軒家が建っていった。そんなところに小学校と中学校があるからさ、俺らアイヌは和人の子からずいぶんいじめられたよ。その後はいじめられたままの人、立ち向かっていく人、同じアイヌでも生き方が2通りに分かれていった」
今回の取材では、木村さん宅を訪ねる前に酒井さん夫妻と荒田さんに会っている。「マサヱさんには会ったほうがいい、うそがない人だから。ちょっと話を盛るけどね。きかねえ(やんちゃな)猫がいるから気をつけて」と言って荒田さんは笑った。3人に会ったことを伝えると木村さんは言った。
「昔の子どもらは行儀の悪い、どうもならん奴しかいなかった。裕樹たちに会うといつも言うんだ。“お前らと違うぞ、いまの子は”ってね。だからって昔の子らが憎たらしかったわけでない。みんなめんこいんだ」
(後編に続きます。掲載写真は全て2020年2月撮影)
バナー写真:活動日に集まった小学生と、勉強を教える帯広畜産大学の学生ら。子どもたちは学校の話を楽しそうに語ってくれた
(※1) ^ アイヌの人たちの生活の実態を把握し、施策のあり方を検討するために必要な基礎資料を得る目的で北海道が実施している調査。これまで1972年、79年、86年、93年、99年、2006年、13年、17年の8回行われた。1999年までの名称は「北海道ウタリ生活実態調査」。
(※2) ^ 生活館とはアイヌの文化や生活についてのさまざまな活動を行う施設で、アイヌの人たちが多く住む地域に建設されている。その整備などにかかる費用は道のアイヌ政策予算で賄われる。
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g01064/?fbclid=IwAR2AwriVnPDXXm9p4A63lwHh5XdGQ_Rt19HiF-q6jRHsnHJNIwHK9BjSA8w

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差別と闘う中で社会の変化も実感:アイヌ文化奨励賞を受賞した「とかちエテケカンパの会」物語(後編)

2021-04-01 | アイヌ民族関連
ニッポンコム 2021.03.31

テレビの情報番組でひどい「差別事件」が発生するなど、アイヌの人たちを取り巻く環境はまだまだ厳しい。一方、最前線で差別と闘ってきた同会の芦澤満事務局長は、前向きな「社会の変化」も感じている。
「兄ちゃんが行ってたから俺もエテケに通うようになって、アッシーが車で送り迎えしてくれた」(荒田裕樹さん)
「アッシーのおかげで今の俺があると思ってる。家に泊まりに行って勉強を教えてもらったこともある。学校の先生よりも踏み込んで、俺のことを真剣に考え、一緒に悩んでくれた」(酒井学さん)
「エテケには遊びに行ってる感覚だったから、“勉強しなさい”ってアッシーにメッチャ注意されるのをウザいと思ってた。その時は嫌いになりそうだったけど、大変なことをしてくれていたのが大人になって分かった」(酒井真理さん)
とかちエテケカンパの会の取材をしていると、OBや関係者の口から「アッシー」という言葉が頻繁に出てくる。木村マサヱさんとともにエテケに設立から関わり、現在は事務局長を務めている芦澤満さん(54)のことだ。
く刺さったアイヌ女性の言葉
芦澤さんは北海道名寄市で育ち、新潟市の私立高校に進学。在学中に犬養道子の小説『人間の大地』、バンド・エイドの歌「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」やUSAフォー・アフリカの「ウィ・アー・ザ・ワールド」に触発され、飢餓に苦しむ人ためにエチオピアで農業支援に取り組みたいと考えるようになった。そして1年浪人して農業研究開発室のある帯広畜産大学に進学する。
1987年、大学2年生の時に、北海道大学で開かれた農業問題研究会の全道大会に参加。その大会で登壇した年配のアイヌ女性の言葉が、彼の未来を方向づけていく。
「おばあちゃんがいろいろ語ってくれたんですが、最後は“シャモ(和人)は北海道から出ていけ!”と言って話が終わりました。北海道庁爆破事件(※1)を念頭にした、和人に対する批判です。僕は、“なんだ、せっかく聞きにきたのに”と憤慨しました」
しかし、深くは考えなかった。翌年の夏に芦澤さんはカナダに渡り、農家や酪農家、養豚場、キリスト教の研修所を訪れて仕事を手伝いながら放浪する。しかし、米国に入って移動を続けるうちに所持金が底をついてしまう。クリスマスのニューヨークで芦澤さんは、ある思いに囚われていた。
「北海道生まれですから、僕がいなければアイヌの人たちを踏みつけることはなかった。思い詰めて、アメリカで野垂れ死にするつもりでした。知らないうちに、あのおばあちゃんの言葉が深く刺さっていたんです」
1989年冬、なんとか移動を再開した芦澤さんは、ミネソタ州で二人の日本人留学生と知り合った。彼女たちは、アパルトヘイト下の南アフリカを舞台にした映画『遠い夜明け』の話をしていた。
「一人が、“黒人は南アフリカ生まれの白人も受け入れないといけない”と言ったんです。頭をハンマーで打たれたような衝撃を受けました。アイヌの人たちが受け入れてくれるなら、僕は北海道に戻れるかもしれない。それを言った彼女が実はアイヌだったことを、後になって知りました」
差別と闘う「アイヌと和人」のコンビ
帰国後、芦澤さんは帯広市内の私立高校の教員からアイヌの高校生二人の家庭教師を頼まれる。二人と触れ合ううちに、もっと多くの子どもたちが学びたがっているのではないかと察した芦澤さんは、そのころアイヌの一人親世帯の経済支援に取り組んでいた木村マサヱさんと出会い、エテケが始まった。その時、木村さんは41歳。芦澤さんは24歳で、まだ大学4年生だった。
学校で差別の問題が起こるたびに木村さんと芦澤さんは対応に追われた。木村さんは語る。
「いじめに遭った女の子がいたから、担任をうちに呼んだ。“アイヌというだけの理由で学校行けなくなるのはどうかと思いますよ”って言ったっけ、その女の先生が“いや、べつに何も言いませんし、何もしません”って言うんだ。“あのね、何もしませんっていうのは、みんなして構わないってことでしょ? それもいじめだって分かんないのか”って言ったっけ、先生が泣き出してね」
芦澤さんは大学生でありながら、アイヌの子がいる家庭や小学校への訪問を繰り返していた。海外で働く夢も捨てきれず、かといって、アイヌの子どもたちとの関わりを絶ってしまうのは無責任に思え、進路に悩んでいた。そして1991年4月、大学の恩師の勧めで面接を受け、帯広市の私立高校の教員に採用された。しかし、エテケの活動を投げ出すことはできなかった。問題が起きたと勤務時間中に連絡が入ると、“ちょっと抜けます”と言って、あちこちの小学校や中学校に駆け付けた。
「差別された子は下を向いてポツンと立っています。勤務先の高校にもアイヌの子が通っていたのですが、ある日、黒板に“アイヌ死ね”と書かれました。それも一度ではありません。当時住んでいた大空町の家の裏にある公園の滑り台にも同じ言葉を見つけました。ありとあらゆる悲惨な現場に立ち会いました。先生たちは“アイヌのことをどうやって教えたらいいのか分からない”と言うんです。僕も難しいと思いました」
芦澤さんはそこまで言うと少し沈黙し、そして続けた。
「エテケを始めてしばらくは、お母さんたちから強く言われていました。“アイヌのことは絶対に教えないで”と。タイミングを待つしかないと思いました。学校でいじめられ、無視される中で、アイヌの子たちが自らの血を受け入れ、自信をもって生きていけるようにするには、基礎学力の習得が必須だと考えました。そうすれば、高校に行ける。頑張れば大学にだって行ける。進路が開けて、もっと幸せな生活ができ、流れている血を受け入れられるようにきっとなる。そんな希望を伝えたかった」
先住民族同士のつながり
その後、芦澤さんの発案でエテケは活動の幅を広げ、1995年、98年、2001年に子どもらがカナダを訪問。2010年には台湾を訪れ、現地の先住民族と交流した。酒井さんは第1回、真理さんは第2回、荒田さんは第3回のカナダ旅行に参加。荒田さんは、カナダで自分は変わったと語る。
「ヘイルツク民族の同年代の男の子と話して、学校で嫌なことがあったとか、同じような境遇にあるのを知った。それから互いの踊りを披露したんだけど、ヘイルツクの子が上半身裸で声を張りあげて踊る姿がカッコよすぎた。俺、何やってんだろうと思ったね。保存会(帯広カムイトウウポポ保存会(※2))に入っていたけど、遊び半分だったから。帰国後は真剣に取り組むようになったよ」
一方、芦澤さんの感想は控えめだ。
「先住民族のつながりを感じたと、みんなが言うんです。そこは和人の僕には分からないですね。分からないままでいいと思います。先住民族同士という意識が芽生えたのは、予想を超えていました」
酒井学さん、真理さん夫妻の双子の息子たちは小学1年からエテケに通い、2020年に高校に入学した。学さんは「息子たちもそのうちカナダに行けば、きっといい経験するんじゃないかな」と言って目を細めた。
変わりつつある地域・社会
エテケの設立から30年が過ぎた。ほかの地域の団地と同様に、大空団地も過疎化が進んでいる。取材したエテケOBの3人も、団地を去っていった。初期には30人ほどいたエテケの生徒は、少子化の影響もあって小学生から高校生まで合わせても3分の1になった。そこに不登校の子はいない。芦澤さんは語る。
「社会が変わりました。毎年、僕の学校にもアイヌの子が入ってきますが、さらっとカミングアウトします。“私、アイヌなの”って。昔だったらあり得ないです」
1997年に旧土人保護法に代わり制定されたアイヌ文化振興法が学校教育に果たした役割は大きい、と芦澤さんは指摘する。
「この法律を契機に、北海道内の小学校ではアイヌ文化を授業で取り扱うようになりました。例えば、帯広市の小学4年生の教科書は記述が丁寧になり、ページ数もかなり増えました。アドバイザー制度を用いて、アイヌの人を講師として招くこともできます。学芸会で、子どもたちがアイヌ古式舞踊を披露する小学校もあるんですよ。アイヌのことをどう教えたらいいのか分からなかった先生たちが、その方法を得たんです」
芦澤さんは顔を輝かせて続ける。「お母さんたちも変わりました。今は生活館でアイヌの刺しゅう教室をやってますからね。“アイヌのことは教えないで”と言っていたのがうそのようです」
そして2020年10月、エテケは長年の教育支援活動が評価され、アイヌ民族文化財団主催のアイヌ文化奨励賞を授与された。
「今でも毎週木曜日、子どもたちに会い、感謝と感動で胸が熱くなります。集まることで子どもたちが癒されると同時に私たちも癒されています。この関係はお互いのものです」と述べて芦澤さんは話を結んだ。
多くの人たちの闘いと努力の積み重ねで、社会は少しずつ良くなっているように見える。しかし──。今年3月12日にテレビの朝の情報番組で、アイヌに対する差別発言が全国に流された。それは引用するのもはばかられる陰湿な言葉で、昔から和人がアイヌを侮辱するときに投げつけてきた「定番」のフレーズだった。そして、SNSでの差別や誹謗中傷、デマの投稿もあとを絶たない。夜明けはまだ遠いのか。
「将来はマクドナルドの店員になりたい」「男は体育だよね。バドミントンが好き」「エテケは鬼ごっこだけ楽しい」──休憩時間に話してくれたエテケの子どもたちの笑顔を守るために何ができるのか。差別はされる側ではなく、する側の問題である。傷ついて固く握りしめた手にそっと重ねるのは、あなたの手でもいいはずだ。
(※1) ^ 1976年3月2日、北海道庁1階エレベーターホールに置かれた時限式消化器爆弾が爆発し、職員2人が死亡、95人が重軽傷を負った事件。地下鉄駅のコインロッカーから「東アジア反日武装戦線」を名乗る犯行声明文が見つかった。その書き出しは〈すべての友人の皆さんへ。私たち日帝本国人は、アイヌ、沖縄人民、チョソン人民、台湾人民、民、そしてアジアの人民に対する日帝の支配を打ち砕いていかなければならない〉。となっていた。
(※2) ^ アイヌの歌謡や舞踏、儀式の伝承保存活動をおこなう団体。「十勝アイヌウポポ愛好会」を前身として1964年に結成された。84年に国の重要無形民俗文化財に指定された。
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g01065/

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「差別表現であるとの認識が欠如」アイヌ差別発言スルーした日テレ担当プロデューサーの判断力に絶句

2021-04-01 | アイヌ民族関連
ブロゴス 2021年04月01日
果たして、通常では起こり得ないような単純なミスだったのだろうか!?
日本テレビ系列の朝の情報番組「スッキリ」の中で起こった「アイヌ民族差別発言」である。
問題は3月12日の放送で勃発した。同局傘下の動画配信サービス「Hulu(フールー)」のオススメ番組を紹介するコーナーで、アイヌ女性をテーマにしたドキュメンタリー「Future is MINE―アイヌ、私の声―」を扱ったものだったが、その中でお笑い芸人の「脳みそ夫」が謎かけで、
「この作品とかけまして、動物を見つけた時ととく、その心は…あ、犬!」
と、面白おかしく言い放ったのだ。
このコーナーは事前収録。しかも、その謎かけでは、ご丁寧に「アイヌ」とテロップまで入れており、結果として目と耳を通じて二重でアイヌの方々を傷つける事態となってしまった。
放送後、同局には視聴者から「非常識な発言」「訂正すべきだ」と言う声が相次ぎ、さらにSNSでも「アイヌの方々に失礼」「許されない発言」などと批判が殺到した。
これを受けて同局は、同日夕方のニュース番組の中で「アイヌ民族を傷つける不適切な表現の発言があった」とのお詫びをしたのだが、これが逆に火に油を注ぐ結果となってしまったのだ。
生放送中に謝罪できず 判断の甘さ
スポーツ紙の放送記者が言う。
「昨年、ナインティナインの岡村隆史が『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)で、女性を蔑視するような発言をしたことで大きな問題になりましたが、実は似たようなところがありました。
もちろんラジオとテレビでは状況に違いはありますが、放送中にSNSなどで批判の意見が届いていたにもかかわらず、視聴者からの声に対応しなかったことです。判断のつかない部分もあったのかもしれませんが、少なくとも放送中に謝罪するなり、何らかの対応が出来ていた可能性もあったはずです。もし、そこで適切な判断をしていたら、ここまでの騒動にはならなかったように思いますけどね」
確かに、朝の番組での問題だったのに、正式にお詫びの放送をしたのが夕方のニュース番組というのはお粗末過ぎる。
「局内には、視聴者から人気の高い藤井貴彦アナにお詫びをさせれば多少は収まるのではないかと言った甘い考えもあったのだろうと思います。まさかここまでの大騒動になるなんて思ってもいなかった。アイヌ民族に対する日テレ内部の認識がはからずも露呈してしまったことになります」
実際、アイヌ民族に対して認識の甘さがあったことは同局の釈明からも透けて見えてくる。
「当該コーナーの担当者にこの表現が差別に当たるという認識が不足しており、放送前の認識も不十分でした。その結果、正しい判断が出来ないまま、アイヌ民族の方々を傷つける不適切な表現で放送をしてしまいました」
と事情を説明した上で、今後について、
「速やかに事例を社内に周知・検証し、研修を通じて再発防止に努めたい」
などと、そのコメントは一般論的だった。
差別表現であるとの認識が欠如
ところが、その後になって驚くような釈明のコメントを出して謝罪したのが同局の小杉善信社長だった。
「制作に当たった担当者にアイヌ民族の皆様が差別を受けてきたことの理解が足りず、放送した言葉が直接的な差別表現であるとの認識が欠如していた。理解が足りなかったことに尽きる。あの部分は事前にVTRを撮っているので、放送までに気づくことが出来た。理解が全く足りていなかった」
その程度の認識しか持たない社員プロデューサーに朝の看板情報番組を仕切らせていたというのだ。
そもそも通常は「社員プロデューサーが出演者と相談しながらコメントは考える」と言う。今回、問題となった謎かけに関しても、その社員プロデューサーが脳みそ夫との間で考え出したことになる。その上で同局によれば「最終的に決定したのは社員プロデューサー。ただ誰が最後に採用したのかが問題」としながらも、責任は「日本テレビにある」とした。
考査部門のチェックも受けず
さらに信じられないのは、その社員プロデューサーは放送前に考査部門のチェックを受けずに放送していたことだった。
ある放送関係者は、今回の問題について
「社員プロデューサーは当初、考査部門への相談も考えていたようですが、そもそも表現が差別に当たるとは思っておらず、結局はチェックを怠っていたわけです。
騒動後に社員プロデューサーを更迭したと言っていますが、その社員プロデューサーが単なるプロデューサーだったのか、それとチーフの立場だったのか…どのレベルのプロデューサーだったのかもハッキリしません。
いくら責任は日テレにあると説明しても、関わっていたプロデューサーの立場を明らかにしなければ根本的な問題解決にはならないと思います。だいたいディレクターもいたはずなのに、プロデューサーの言いなりになっていたのでしょうか」
と指摘する。
週明けの3月15日。番組冒頭で水卜麻美アナとメインMCを務める極楽とんぼの加藤浩次が謝罪し再発防止を説明したが、
「根本的に放送現場が緩み切っているのだから、いくら再発防止を訴えても意味がないと思いますけどね」
と言う放送ライターもいた。
日本テレビホールディングスの大久保好男会長も、さすがに事態を深刻に捉えたに違いない。3月18日の日本民間放送連盟の定例記者会見で、わざわざこの問題について取り上げ謝罪と再発防止を訴えていた。
「冷静に考えると、民放連会長が定例会見の中で、自局の不祥事を謝罪するというのもおかしい。責任をとって会長を辞任するというのであれば理解できるのですが…」(放送関係者)。
いずれにしても、北海道アイヌ協会では対応を協議した結果、「このまま終わらせない」とし、今後については「きっちりとした対応を日本テレビには求めていく」と言うだけに、あるいは番組の打ち切りどころか、最悪は小杉社長の進退にも及ぶ可能性も出てきた。
https://blogos.com/article/526899/

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イベント多彩に 道内自治体が計画 東京パラ聖火リレー

2021-04-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞 04/01 05:00
 東京パラリンピックの聖火リレーで使う炎を採取する「採火」の実施が31日に発表された道内24市町村の多くは、そのマチならではの工夫を凝らして火をおこすイベントを計画している。新型コロナウイルスの感染拡大で、観客を入れるかなど不確定な部分も多いが、各自治体は採火を機に障害者スポーツへの理解を深めたいと期待する。
 檜山管内江差町は大会延期後の昨秋、道の意向調査で採火に立候補。町伝統の姥神(うばがみ)大神宮渡御祭の翌日、8月12日に採火の予定で、祭りのかがり火から火をランタンに納めるという。
 同様に新たに採火に加わった名寄市は、市立天文台を活用。8月12日に、望遠鏡のレンズで太陽光を集めて火をおこす。五輪の聖火もギリシャで太陽光から着火することから、天文台の村上恭彦台長は「五輪同様、印象に残る行事になる」と話している。
 釧路市は8月14日、アイヌ古式舞踊などを上演する市内の劇場「阿寒湖アイヌシアターイコロ」でアイヌ民族のエカシ(長老)による祈りの儀式などを交えた採火を予定している。
 一方、参加予定だったが辞退した士別市の担当者は「(海外から合宿で訪れる)選手と共に行う前提だったので、選手不在では行えない」と理由を話した。(和泉優大、犬飼裕一)
※「阿寒湖アイヌシアターイコロ」の「ロ」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/528287

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国土交通省人事(4月1日)=関係分

2021-04-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞 04/01 05:00
開発監理部人事課長(公益財団法人アイヌ民族文化財団民族共生象徴空間運営本部本部長補佐)藤田望
▽開発監理部開発調整課開発企画官(釧路開建築港課長)山下香▽開発監理部アイヌ施策推進課アイヌ施策推進企画官(開発監理部総務課長補佐)茂木永
▽札幌開建技術管理官(室蘭開建技術管理官)能代靖己▽札幌開建技術管理官(旭川開建士別道路事務所長)松久浩
▽出向=公益財団法人アイヌ民族文化財団民族共生象徴空間運営本部本部長(事業振興部調整官)齊藤基也▽出向=公益財団法人アイヌ民族文化財団民族共生象徴空間運営本部本部長補佐(開発監理部開発調査官)佐々木孝治
▽監察官補佐(帯広開建総務課長)西尾克則▽開発監理部総務課長補佐(開発監理部アイヌ施策推進課長補佐)馬渕貴裕
▽開発監理部アイヌ施策推進課長補佐(旭川開建契約課長)米田雅己▽開発監理部アイヌ施策推進課長補佐(開発監理部アイヌ施策推進課開発専門官)元嶋徹
▽開発監理部開発計画課開発専門官=北海道局参事官付併任(公益財団法人アイヌ民族文化財団民族共生象徴空間運営本部企画広報部管理運営課長)音喜多卓嗣
▽開発監理部アイヌ施策推進課開発専門官(開発監理部アイヌ施策推進課上席開発事務専門官)目黒淳▽開発監理部アイヌ施策推進課開発専門官(開発監理部職員課開発専門官)廣川健▽開発監理部アイヌ施策推進課象徴空間施設管理官付開発専門官(釧路開建経理課長補佐)山道将紀
▽出向=公益財団法人アイヌ民族文化財団事務局財務会計課長(開発監理部会計課開発専門官)舟津秀人
▽函館開建地域振興対策官(公益財団法人アイヌ民族文化財団民族共生象徴空間運営本部企画広報部企画調整課参事)村田賢太郎
▽北海道局総務課アイヌ政策室課長補佐(釧路開建総務課長)佐藤昌通
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/528212

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道人事(4月1日)

2021-04-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞 部分 04/01 01:06
■部長級
▽環境生活部アイヌ政策監(石狩振興局長)佐藤則子
【出向】      
▽人事委事務局長(環境生活部アイヌ政策監)長橋聡
▽東京事務所副所長(建設部建設政策局建設政策課長兼環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課周辺整備調整担当課長兼経済部観光局参事)南里智之
▽知事室次長(環境生活部文化局文化振興課長兼環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課歴史文化担当課長)所健一郎
▽地域創生局長兼総合政策部官民連携推進室長(環境生活部次長=アイヌ民族文化財団派遣)今井太志
▽環境局自然環境担当局長(環境生活部総務課長兼環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課調整担当課長)高橋奉己
【経済部】     
▽労働政策局産業人材担当局長(経済部労働政策局産業人材課長兼環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課担い手育成担当課長)磯部政志
【胆振総合振興局】 
▽副局長=建設管理部担当兼日高振興局副局長(建設部まちづくり局都市環境課長兼環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課まちづくり担当課長)沼上仁
【十勝総合振興局】 
▽副局長=地域創生部・保健環境部・産業振興部担当兼十勝総合振興局地域創生総括(環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課象徴空間担当課長)永田英美
【出向】      
▽道議会事務局次長(環境生活部アイヌ政策推進局象徴空間担当局長)遊佐貴志
【転出・退職】    
(3月31日)
▽建設部土木局道路課長兼環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課道路整備担当課長=開発局へ転出 佐藤匡之
【環境生活部】   
▽総務課長兼環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課調整担当課長(総務部危機対策局原子力安全対策課長)村松卓己
▽くらし安全局道民生活課青少年担当課長兼環境生活部くらし安全局道民生活課長(環境生活部くらし安全局道民生活課長)西田陽一郎
▽文化局文化振興課長兼環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課歴史文化担当課長(総務部法人局独立行政法人課参事=札医大事務局経営企画課長兼財務室長派遣)渡辺厚義
▽アイヌ政策推進局アイヌ政策課象徴空間担当課長(女性相談援助センター副所長兼女性相談援助センター総務課長)田名瀬雅元
【経済部】     
観光局観光振興課誘客推進担当課長兼総合政策部航空局航空課国際観光推進担当課長兼環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課観光担当課長(経済部観光局参事)池田和明
▽労働政策局産業人材課長兼環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課担い手育成担当課長(経済部観光局参事兼環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課観光担当課長兼総合政策部航空局航空課国際観光推進担当課長)匂坂圭子
【建設部】     
▽建設政策局建設政策課長兼環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課周辺整備調整担当課長兼経済部観光局観光振興課建設政策担当課長(十勝総合振興局帯広建設管理部事業室長)橋本雄太
▽土木局道路課長兼環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課道路整備担当課長(建設部土木局道路課高速道・市町村道担当課長)泉智夫
【十勝総合振興局】 
▽産業振興部地域産業担当部長(環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課主幹)下舘広慎
【退職】      
(3月31日)
■道議会事務局
▽事務局次長(環境生活部アイヌ政策推進局象徴空間担当局長)遊佐貴志
■人事委事務局
▽事務局長(環境生活部アイヌ政策監)長橋聡
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/528206

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道人事(1日)【課長補佐級】

2021-04-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞 部分 04/01 01:06
【環境生活部】
▽総務課課長補佐兼総務部人事局人事課主幹(環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課主幹)森田和寿
▽くらし安全局道民生活課女性支援室主幹(環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課主幹=アイヌ民族文化財団派遣)遠藤通昭
▽アイヌ政策推進局アイヌ政策課主幹(環境生活部くらし安全局道民生活課女性支援室主幹)中田智雄▽アイヌ政策推進局アイヌ政策課主幹=アイヌ民族文化財団派遣(胆振総合振興局総務課主幹=白老町派遣)笹山学▽アイヌ政策推進局アイヌ政策課主幹=アイヌ民族文化財団派遣(留萌振興局保健環境部環境生活課長)遠藤健司▽北海道博物館学芸部学芸主幹(北海道博物館学芸部学芸主査兼北海道博物館研究部学芸主査)鈴木琢也▽北海道博物館アイヌ民族文化研究センター研究主幹(北海道博物館学芸部学芸主幹兼北海道博物館アイヌ民族文化研究センター研究主幹)甲地利恵
【後志総合振興局】
▽保健環境部保健行政室健康推進課主幹(環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課総括主査)羽生孝之
▽保健環境部環境生活課長(環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課主幹=アイヌ民族文化財団派遣)中村佳弘
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/527612

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道、5部長交代 1日付人事 コロナ対策監など新設

2021-04-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞 04/01 00:11
 道は1日付で人事異動と機構改革を行い、部長8人のうち、総務部長や総合政策部長など5人が交代した。機構改革ではいずれも部長職の新型コロナウイルス感染症対策監と次世代社会戦略監を新設。最優先課題であるコロナ対応の強化と、コロナ後を見据えたデジタル技術活用の推進を図る狙いだ。
 コロナ対策監は保健福祉部に新設する感染症対策局を所管。厚生労働省出身の職員を充てる。落ち込んだ観光需要の喚起を図る観光振興監にも国土交通省出身の職員を登用するなど中央省庁の人材登用が目立つ。
 また、2050年までに温室効果ガス排出を実質ゼロにする「ゼロカーボン北海道」の推進に向け、環境生活部にグリーン戦略担当局長、経済部に省エネ・新エネ促進室長を置いた。
 全体の係長級以上の異動は前年度比262件増の3186件で、ほぼ例年並み。このほか特別職人事では6月1日付で、中野祐介副知事が総務省に戻り、後任に小玉俊宏教育長を充てる。後任の教育長には倉本博史前総合政策部長が就く予定。(内藤景太)

 【総務部長兼総務部北方領土対策本部長】
 藤原 俊之氏(ふじわら・としゆき)北村国務大臣秘書官事務取扱、総務省大臣官房政策評価広報課企画官。埼玉県。慶大法卒。44歳。
 【総合政策部長】
 浜坂 真一氏(はまさか・しんいち)政策局長、知事室長。札幌市。北大法卒。56歳。 
 【環境生活部長】
 森 隆司氏(もり・たかし)財政局長、東京事務所長。後志管内ニセコ町。北大経卒。57歳。 
 【農政部長】
 宮田 大氏(みやた・だい)農政部次長、食の安全推進監。札幌市。北大獣卒。57歳。
 【建設部長】
 北谷 啓幸氏(きたや・ひろゆき)建設部技監、後志総合振興局長。旭川市。北大工卒。57歳。
 【会計管理者兼出納局長】
 野村 聡氏(のむら・さとし)留萌振興局長、危機管理監。札幌市。北大法卒。58歳。 
 【総務部職員監】
 若原 匡氏(わかはら・ただし)スポーツ局長兼東京オリンピック連携局競技開催支援担当局長、総務部次長兼行政局長。十勝管内清水町。北海学園大法卒。57歳。
 【総務部危機管理監】
 永山 秀明氏(ながやま・ひであき)まちづくり局長、檜山振興局長。旭川市。都立大工卒。58歳。
 【総合政策部次世代社会戦略監】
 中島 俊明氏(なかじま・としあき)経済部次長、上川総合振興局長。小樽市。京大法卒。55歳。
 【総合政策部知事室長】
 三橋 剛氏(みつはし・つよし)産業振興局長、経済部次長兼経済企画局長。大阪府。北大農卒。55歳。
 【環境生活部アイヌ政策監】
 佐藤 則子氏(さとう・のりこ)人事局長、石狩振興局長。小樽市。北大法卒。57歳。 
 【保健福祉部新型コロナウイルス感染症対策監】
 原田 朋弘氏(はらだ・ともひろ)関東信越厚生局指導総括管理官、保健福祉部次長。広島県。東大教養卒。44歳。
 【経済部観光振興監】
 山崎 雅生氏(やまざき・まさき)国交省航空局航空ネットワーク部航空ネットワーク企画課空港経営改革推進室長、経済部次長。釧路市。一橋大商卒。46歳。
 【経済部食産業振興監】
 山口 修司氏(やまぐち・しゅうじ)胆振総合振興局長、釧路総合振興局長。小樽市。北大水卒。57歳。
 【農政部食の安全推進監】
 横田 喜美子氏(よこた・きみこ)研究法人室長、農業経営局長。札幌市。北大大学院修。57歳。
 【東京事務所長】
 加納 孝之氏(かのう・たかゆき)知事室次長、計画推進担当局長。帯広市。北大経卒。55歳。
 【札幌道税事務所長】
 斎藤 正彦氏(さいとう・まさひこ)税務課長、札幌道税事務所税務管理部長。小樽市。北海学園大法卒。59歳。
 【衛生研究所長兼保健福祉部参与】
 粟井 是臣氏(あわい・よしとみ)少子高齢化対策監、道立病院部長。士別市。旭医大医卒。59歳。
 【空知総合振興局長】
 白石 俊哉氏(しらいし・としや)建設政策課長、土木局長。夕張市。北大工卒。55歳。 
 【石狩振興局長】
 浜田 智子氏(はまだ・ともこ)十勝総合振興局森林室長、森林環境局長兼全国育樹祭推進室長。日高管内浦河町。北大大学院修。57歳。
 【後志総合振興局長】
 天沼 宇雄氏(あまぬま・たかお)空知総合振興局副局長兼石狩振興局副局長、建設部技監。室蘭市。室工大大学院修。56歳。
 【胆振総合振興局長】
 谷内 浩史氏(たにうち・こうじ)計画推進担当局長、人事局長。赤平市。北大法卒。54歳。
 【檜山振興局長】
 槙 信彦氏(まき・のぶひこ)観光局長、政策局長。愛媛県。北大法卒。54歳。
 【上川総合振興局長】
 佐藤 昌彦氏(さとう・まさひこ)誘客担当局長、観光局長。江別市。明大商卒。57歳。
 【宗谷総合振興局長】
 辻井 宏文氏(つじい・ひろふみ)危機対策局長、水産林務部次長。小樽市。北大経卒。55歳。 
 【釧路総合振興局長】
 菅原 裕之氏(すがわら・ひろゆき)交通政策局次長、交通政策局長。上川管内幌加内町。北海学園大経卒。55歳。
 【監査委員事務局長】
 花岡 祐志氏(はなおか・ゆうじ)子ども未来推進局長、胆振総合振興局長。旭川市。小樽商大短大卒。57歳。
 【人事委員会事務局長】
 長橋 聡氏(ながはし・さとし)政策局長、アイヌ政策監。小樽市。北大法卒。58歳。
 【企業局長】
 三島 斉氏(みしま・ひとし)経済企画局長、地域経済局長。網走市。北大経卒。58歳。
 【道立病院部長】
 道場 満氏(どうば・みつる)保健福祉部総務課長、地域医療推進局長。千歳市。札幌月寒高卒。56歳。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/528219

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<ウポポイ オルシペ>12 受け継ぐ技 「製品」の形で文化守る

2021-04-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞 03/31 05:00
 ウポポイ・国立民族共生公園にある施設の一つ「イカラ ウシ 工房」では木彫や刺繍(ししゅう)、織物などの展示、実演見学、製作体験などを通してアイヌの手仕事に触れることできます。
 アイヌ民族は、かつては、親の手仕事を見て学び、日常の中で手仕事に必要な感性や技術を受け継いできましたが、江戸時代後半から広まった「場所請負制度」により、各漁場の労働者として酷使され、文化の伝承どころか、生活することも厳しい状況となりました。
 その時の凄惨(せいさん)な状況を1845年(弘化2年)から6度に渡り、北海道を踏査した松浦武四郎(1818~88年)は日誌に記しています。
 そんな中、先人たちは「製品」という形で文化を守ってきました。この時代の交易品には、それ以前の干サケや干ナマコ、獣皮に加えて「細工物」が加わるようになり、役人に献上した品物目録にはさじや筆立て、糸巻き、盆、茶たく、花ゴザなどが記載されています。漁場労働の傍らで作り伝えてくれた木彫品が現在の工芸品の一つとなっています。
 ウポポイの職員も先人たちや資料から学び、さまざまなものづくりに挑戦しています。資料は技術以外にも多くの事を読み取ることができます。写真のマキリ(小刀)も見た目の美しさだけではなく、機能性も兼ね備えたデザインとなっており、作り手が使い手のことを思って作ったことがわかります。これからも少しでも多くの技術や思いを受け取り、人から人へ伝えていける場を目指していきたいです。
(文・写真 山道ムカラ=民族共生象徴空間運営本部工房担当)
◆イカラ ウシ 工房のラは小さい字
◆山道ムカラさんのラは小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/527788

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高校教科書検定 科目改編でページ増 アイヌ民族掲載38点

2021-04-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞 03/31 05:00
 文部科学省は30日、全国の高校で2022年度から使われる教科書の検定結果を公表した。地理歴史や公民、国語は科目編成が大きく変わり、世界史、日本史を統合して近現代史を学ぶ「歴史総合」など新たな教科書が登場。各科目でページ数が増加した。新学習指導要領で初めてアイヌ民族の「文化に触れること」と明記されたことを受け、歴史総合の教科書12点すべてが固有文化や歴史を紹介した。
 22年度から段階的に施行される新学習指導要領に基づく初の高校教科書。主に1年生用で、商業などの専門教科も含めて298点が申請され、うち296点が合格した。
 新指導要領は生徒自身による「主体的・対話的で深い学び」を重視。必修科目として歴史総合のほか、主権者教育を取り入れた「公共」、防災や環境問題も扱う「地理総合」が新設される。国語は実用的な文章を読解し、論理的思考を養う「現代の国語」と、文学作品や古典を学ぶ「言語文化」に分かれる。
 科目再編を受け、出版各社は教科書の内容を大幅に改編した。生徒が自ら課題を設定し、討論や発表などを通じて解決策を探るように促し、生徒の思考力を高めるように工夫する教科書が目立った。
 この結果、主な新科目の1点当たりの平均ページ数を現行科目と比べると、「地理総合」は「地理A」より18・6%増、「公共」は「現代社会」より14・2%増などとなった。国語は32・3%減だが、2科目を学ぶため事実上は30%以上増える。
 アイヌ民族に関する記述がある教科書は「歴史総合」「公共」など9科目の計38点。昨夏開業した胆振管内白老町のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」を紹介した記述もあった。北方領土については「地理総合」「公共」の計18点すべてが「固有の領土」と明記した。
 また、今回の検定では「英語コミュニケーション1」の1点が検定途中で申請を取り下げ、「歴史総合」の1点が「基本的な構成を満たしていない」などとして、不合格となった。検定意見の総数は現行の指導要領に基づく15年度検定よりも45・9%増え、9549件だった。(大能伸悟)
 <ことば>教科書検定 民間の教科書会社が編集した原稿段階の教科書を、文部科学省が申請から約1年間かけて審査する制度。《1》学習指導要領に則しているか《2》範囲や表現は適切か―などを、学識経験者による教科書検定審議会がチェック。教科書会社は指摘された「検定意見」に沿って内容を修正する。合格しないと教科書として認められない。合格の翌年度に教育委員会などが使用する教科書を採択し、その次の春から学校で使われる。おおむね4年ごとに編集、検定、採択のサイクルを繰り返す。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/527776

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高校教科書検定 「差別」も取り上げて 関係者、歓迎の一方…負の歴史「足りぬ」

2021-04-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞 03/31 10:21 更新
 道内のアイヌ民族関係者は30日、来春から高校で使われる各種教科書にアイヌ関連の記述が盛り込まれたことを歓迎しつつ、「権利回復運動や差別問題の記述が足りない」と学校現場での指導充実を訴えた。道内でもアイヌ民族の歴史や差別問題を積極的に教える学校は限られ、アイヌ民族を招いた授業など積極的な取り組みが求められている。
 北海道アイヌ協会の阿部一司理事(74)は「多くの教科で取り上げられ、アイヌ民族を正しく理解することにつながる。ただ、差別に関する記述内容はばらつきがあり、残念だ」と話した。日高管内平取町の平取アイヌ遺骨を考える会の木村二三夫共同代表(72)は「遺骨返還問題の記述が乏しい。問題は続いていると教えてほしい」と訴えた。
 道内の教育現場でも指導に差がある。胆振管内白老町の白老東高は1年生が地元のアイヌ民族と江戸時代末期に入植した和人の交流の歴史を学ぶ。同校は「差別を含めた郷土の歴史を理解してもらう狙い」と話す。
 全学年でアイヌ民族学習を行っている千歳市立末広小は6年生の授業で地域のアイヌ民族を招き、差別の経験を語ってもらう。担当する中原直彦講師(61)は「いじめにあったことや『アイス』の看板を『アイヌ』と見間違えてどきりとした話を当事者から聞くことは、人権意識を育む貴重な経験になる」と話す。
 一方、釧路市や札幌市、日高管内平取町ではアイヌ文化の体験授業はあるが、差別の歴史を扱う授業は限られ、札幌市教委は「教科書の内容しか触れていない」と説明する。アイヌ民族文化財団(札幌、旧アイヌ文化振興・研究推進機構)が全国の小中学校に配布している副読本の利用率は道内で小学校83%、中学校34%、道外では小学校32%、中学校17%と低調だ。
 教員側の戸惑いもある。札幌市内の30代の男性教員はアイヌ民族差別を授業で扱ったところ、保護者から「差別はなかった」と抗議された。教員は「指導要領で差別問題の扱いは明記されていない。消極的になる」と明かす。アイヌ民族の保護者から「わざわざ授業で差別を取り上げ、寝た子を起こさないでほしい」と言われた教員もいた。
 苫小牧駒沢大の坂田美奈子准教授(先住民研究)は「教員だけに任せるのは限界がある。アイヌ民族を学校に招いた授業や指導者育成の機会を増やし、幅広い学習環境を整えるべきだ」と国や自治体が積極的に関与すべきだと指摘した。(田鍋里奈、金子文太郎)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/527765

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アイヌ文化、幅広い教科で紹介 高校教科書検定

2021-04-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞 03/31 10:20 更新
 文部科学省が30日公表した高校の教科書検定では、「歴史総合」をはじめ、英語や音楽など幅広い教科でアイヌ民族に関する記述が盛り込まれた。
 新学習指導要領は「歴史総合」で、アイヌ民族の文化に関する記述を求めている。出版各社はイオマンテ(クマの霊送り)などに触れつつ、アイヌ民族が江戸時代に不公正な取引に苦しめられたことや、明治政府の同化政策を取り上げた。
 昨夏開業した胆振管内白老町のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」は帝国書院、第一学習社が掲載。「公共」で、アイヌ民族を先住民族と明記した「アイヌ施策推進法」と併せて紹介した。
 音楽で古式舞踊、英語では「危機にひんするアイヌ語」をテーマにした英会話文などが掲載された。
 ただ、文部科学省によると、サケ漁を行う先住権の確認を求める訴訟や、研究目的で持ち去られた遺骨の返還問題に触れた教科書はなかった。現在のアイヌ民族を取り巻く課題の記述は乏しかった。(大能伸悟)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/527764

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高校教科書検定 学び深める態勢が急務

2021-04-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞 03/31 05:00
 文部科学省はきのう、2022年度から主に高校1年生が使う教科書の検定結果を公表した。
 22年度から施行される新学習指導要領による初の高校教科書である。新たな必修科目として「歴史総合」「公共」などが登場した。
 指導要領が掲げる「主体的・対話的で深い学び」をめざし、生徒が自ら考え、課題を解決する力を養う。そんな内容を広く盛り込んだ。実用性も強く打ち出した。
 時代の変化に対応する能力を育む狙いは重要だろう。だが内容が大きく変わっただけでなく、量の増加も目立っている。
 コロナ禍もあって教育現場の負担が増し、新教科に対応できる教員の不足も懸念される。深い学びを真に実現するには、学校の実情に即した態勢の整備が急務だ。
 目を引くのは地理歴史、公民分野での新しい科目である。
 歴史総合は世界史と日本史を統合し、横断的に近現代史を学ぶ。「地理総合」は地理としてはほぼ半世紀ぶりの必修化となり、地球規模の課題や防災も扱う。
 公共は18歳選挙権を念頭に主権者教育の要素を取り入れた。
 いずれも資料や図を多く使い、答えを見いだすまでの思考力を重視する工夫を凝らした。意欲的な試みであることは間違いない。
 だが量の増加は気がかりだ。例えば、地理総合では平均ページ数が現行の「地理A」より2割弱も増えている。
 生徒が内容を十分理解するには指導法の確立や入念な準備が必要になる。教員の働き方改革を含め国や自治体の支援は欠かせない。
 教員の確保も課題となろう。長く選択科目だった地理や、プログラミングを教える「情報1」は専門知識のある教員の絶対数が少ない。早急な対応が求められる。
 見過ごせないのは、北方領土や竹島など領土問題や安全保障政策を巡る記述で、政府の見解を正確に記すよう強く求めた姿勢だ。
 主体的・対話的な学びを重視するなら、現状をつぶさに見せたり多様な見方を示したりすることで生徒の自発的な思考を促すのも大切ではないか。
 歴史総合の教科書12点すべてがアイヌ民族を取り上げたことは特筆すべきだ。
 先住民族としての歴史や文化への理解を深め、民族共生の理念を具現化するために、学校教育が果たす役割は極めて大きい。
 ただアイヌ民族が受けた苦難の歴史の記述は十分とは言い難い。今後に課題を残したと言えよう。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/527739

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