先住民族関連ニュース

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アイヌ民族の木製盆も公式商品化 五輪組織委 全都道府県の産品で達成

2021-04-16 | アイヌ民族関連
北海道新聞 04/15 20:16

 東京五輪・パラリンピック組織委員会は15日、全国の伝統工芸品で大会公式商品を製作する企画について、全47都道府県の産品で商品化を達成したと発表した。北海道の工芸品はアイヌ民族の伝統的な木製盆「二風谷イタ」の彫刻技術を使った生活民具「メノコイタ」で、橋本聖子会長が記者会見でPRした。
 企画は日本文化を発信する取り組みの一環。2019年3月から東日本大震災の被災地の工芸品を手始めに、順次増やした。全104種類で、色違いなどを含めて計303点に上る。
 メノコイタは、まな板と盆を兼ね備え、アイヌ文様を手彫りで施し、大会エンブレムを入れた。縦28センチ、横11センチで価格は4万4千円。大会の公式オンラインショップや日高管内平取町の二風谷工芸館などで購入できる。
 会見で橋本会長は「地元の方がアイヌ文化の伝承に努力されているので、商品化はうれしい」と話した。(木村直人)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/533712

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有珠、旅人の視点で紹介 17日から伊達で企画展

2021-04-16 | アイヌ民族関連
北海道新聞 04/15 18:51 更新
 【伊達】江戸時代から明治にかけて有珠を訪れた英国人旅行作家イザベラ・バードと旅行家で博物学者の菅江真澄の2人の記録を中心に200~140年前の有珠の様子を紹介する企画展「旅人がみた有珠」が17日から、だて歴史文化ミュージアムで開かれる。
 イザベラ・バードは1878年(明治11年)、アイヌ文化を知るため東北~北海道を旅し、日高管内平取町のコタンを訪問後に有珠で宿泊。企画展では、有珠湾の夕暮れに感動して「有珠は美と平和の夢の国である」などと記した旅行記「日本奥地紀行」の内容などを説明する。
 また、紋鼈(もんべつ)(当時の伊達)が亘理伊達家の開拓開始から8年後には整然とした農地が広がり、穀物が良く実る、美しく豊かな場所になっていた―とする「日本奥地紀行」完訳本の記録も紹介。紋鼈の開拓地の様子を伝えるバードのこの記録は、一般に出回っている簡略版(高梨健吉訳の平凡社ライブラリーなど)では省略されているほか、伊達市史などでも取り上げられていない内容だ。
 東北や蝦夷地(えぞち)などを回り、多くの紀行文を残した菅江真澄は1791年(寛政3年)に有珠を訪れている。その記録を含む著作「蝦夷廼手布利(えぞのてぶり)」も内容も紹介している。有珠山にも登り「有珠山は全体的に赤く、登っている最中は富士山を登っているように思えた」と記している。
 5月30日までの午前9時~午後5時。高校生以上300円。問い合わせは同館(電)0142・25・1056へ。(和田年正)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/533669

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木製戦闘機製作 江別の歴史紹介 民衆史道連が冊子

2021-04-16 | アイヌ民族関連
北海道新聞 04/15 16:00
【江別】道内各地の民衆史を発掘している郷土史研究会「民衆史道連」(事務局・札幌)は、民衆史道連シリーズ第7集「江別・木製戦闘機 キ106、他」をまとめた。
 連絡会事務局の小松豊・札幌郷土を掘る会代表らが執筆した。木製戦闘機は王子製紙(現王子エフテックス)江別工場を転用して1944年(昭和19年)に設立された王子航空機が製作を担当。3機が完成した。経緯を記し、機体の解剖図も載せた。
 このほか明治初期、国が樺太アイヌを江別の対雁に強制移住させた歴史の解説や史料も掲載されている。
 A5判、66ページ。無料(送料負担あり)。250部作製。申し込みは小松さん(電)011・785・2622(ファクスも同じ)へ。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/533492

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アイヌ協会と首相が面会へ 日テレ差別表現問題

2021-04-16 | アイヌ民族関連
北海道新聞 04/15 05:00
 菅義偉首相は14日、日本テレビ系列の情報番組「スッキリ」でアイヌ民族への差別表現があった問題を巡り、北海道アイヌ協会(札幌)の幹部と意見交換する意向を示した。
 同日、首相と官邸で会った日本維新の会の鈴木宗男参院議員によると、鈴木氏が協会側からの面会の希望を伝え、首相は「(新型コロナウイルス対策の)まん延防止等重点措置が明けた後、話を承りたい」と述べた。東京都の重点措置の期限は5月11日。(佐藤陽介)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/533300

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「仙台藩陣屋跡」土塁復元へ 白老町教委、保存活用計画を策定 ウポポイとの関連重視

2021-04-16 | アイヌ民族関連
北海道新聞 04/15 05:00
 【白老】町教委は町陣屋町にある国指定史跡「白老仙台藩陣屋跡」について、史跡の保存や伝承、昨年開業したアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」と関連した活用を図るための「保存活用計画」を策定した。今後は計画に基づき、土塁の復元作業や資料展示の改善などに取り組む。
 計画はA4判カラー184ページの冊子にまとめており、3月に作成した。期間は2021年~30年度。今後の修復作業や調査の方針、史跡に関する資料やこれまでの調査結果を盛り込んだ。
 具体的には、土塁や建物跡は定期的な点検で状況を把握し、劣化が生じている箇所は復旧。御本陣跡や兵粮(ひょうろう)蔵跡などの施設は復元に向けた調査を進める。ウポポイ関連では、藩士が取り組んできたアイヌ民族との共生の逸話を発信していく。ガイドの質向上のための研修や勉強会を実施、企画展示の開催も行う。
 22年度までに整備基本計画を策定し、23年度以降から遺構の復旧や絵図面の複製を始める。文献調査は21年度から、発掘地質調査は22年度から順次開始する。
 08年に宮城県丸森町の旧仙台藩士宅から発見された絵図面「仙台藩白老陣屋之図」には元陣屋の建物や周辺の地形が詳細に描かれており、計画の典拠資料として活用。絵図に描かれながらも、現在確認できていない痕跡もあり、調査の参考にするという。
 同史跡は江戸幕府が仙台藩に命じて造営させた遺跡で、1856年(安政3年)から12年間にわたり、仙台藩士が警戒に当たっていた。藩士は先住民族だったアイヌ民族との関係を構築する役割も担っていたという。周辺の河川や丘陵地を含めた面積は約35ヘクタール。
 冊子は200部発行し、道内外の図書館などに寄贈する。仙台藩白老元陣屋資料館の武永真館長は「陣屋跡の整備や活用により、多くの人に史跡を知ってもらえれば。今後の調査による新たな発見にも期待したい」としている。(斎藤佑樹)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/533161

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先住民族が滅びる民というなら、先に滅びるのはきっと私たち

2021-04-16 | 先住民族関連
Meiji.net 4/15(木) 9:30 中村 和恵(明治大学 法学部 教授)

2020年、北海道白老町に国立アイヌ民族博物館がオープンしました。コロナ禍の状況で、入場制限が設けられていますが、オープン半年で約20万人が訪れています。いま、先住民族の文化や歴史に関心が高まっているのは、そこに多様性や持続可能性を学ぶことができるからかもしれません。
◇近代文明の無知から生じた先住民族に対する侮蔑
先住民族とは、現在地球規模であたりまえと考えられるようになりつつある、主に近代ヨーロッパを起源とするライフスタイルや価値観とは、異なる暮らし方を、保っていたり、記憶している方々を指す言葉です。つまりこれは、いわゆる近代文明の側からみた呼称であるわけです。昔からそこで暮らしていた人々からみれば、当然のことながら自分たちが普通の人間であり、余所からきた新参者たちのほうが、変わった人たちでした。
たとえばオーストラリア北端のアーネムランドには、自分たちをヨルングと呼ぶ人々がいます。これは人間という意味です。そこでは白人はバランダと呼ばれます。南太平洋の北海道や千島列島、サハリン島などには、自分たちをアイヌと呼ぶ人々がいます。これもやはり人間という意味です。そこではいわゆる和人はシサムと呼ばれました(さまざまな方言があるので呼称は地域により少しずつ違います)。
バランダやシサムといった新参者たちは、進出していった土地を自分たちにとっての新天地と考え、その地域に古くからいる方々の暮らしを軽視することが、しばしばありました。異なる文化の急激な流入は、反撥を呼び、争いも起きました。新参者たちは暴力でそれを押さえつけ、最終的には軍事力を持った近代国家の制度による支配を確立していった。これが植民地政策です。
こうしたことが自分の身に起きた、と考えてみてください。土地に生きる動植物を食料として採取し適切な人数で何世紀も、ときには何万年も暮らしてきた、そこに新参者がいきなりやってきて、大切な家族や知り合いをいきなり撃ち殺したり、拉致して強制労働させたりする。彼らは杭を打ち、ひろく囲みをつくって、見慣れぬ動物を飼い、見慣れぬ植物を生やす。しょうがないからそれを食べようとすると、勝手に盗ったといって暴力をふるわれたり檻に入れられる。祖先代々の土地にいきなり出現した門や囲いをくぐると、勝手に通行したといって逮捕される。食料や生活資材となる動植物循環システムは破壊され、見たこともなかった貨幣というものがないとなにもできなくなった。地域の経済活動の崩壊です。
新参者たちはさらに、土地の人には免疫のないウイルスや細菌なども持ち込みました。感染した先住民族の方々がつぎつぎに亡くなった。逃げ場のない島嶼地域では、民族虐殺といってもいい状態が起きた。カリブ海の島々からはカリブと呼ばれた方々の村が、わずか1,2の島をのぞき、ほぼ消えてしまった。オーストラリア南端のタスマニア島でも、同様のことが起こりました。
経済崩壊、食料危機、水質汚染、感染症の蔓延、そうしたわけのわからない状況による、深刻な精神的ダメージ。いまコロナウイルス感染拡大の世界を生きる私たちには、想像しやすいのではないでしょうか。多くの先住民族の方々が、数百年前から、こうした状況を経験してこられたわけです。
さすがに民族絶滅はまずい、という議論が一九世紀のイギリスで知識人たちの間に起こりました。消えゆく民を憐れみ、古い文化を記録し、できるだけ穏やかに白人化してよい暮らしができるよう教育していこう、と考えた人たちもいました。これは善意から出た考えであったのですが、残念ながら人種偏見が出発点にあります。近代文明を絶対と考え、物質的豊かさと進歩確信を人類の目標と信じた人たちは、領土の拡大、資源の獲得のために世界各地に出ていって、そこで出会った先住民族の方々を、昔ながらの自然のままに生きている原始的な人たち、劣った民族と勝手に思いこんでいました。
しかし二〇世紀後半頃から、これは随分勝手な思いこみだったことに多くの人々が気づき始めました。世界各地の先住民族の方々が、自分たちの暮らし方を維持継続したいと声を上げ出しました。第二次大戦後、さまざまな差別や偏見がもたらす暴力の恐ろしさが実感された時期でもありました。また、モノを潤沢にし、人工的に食糧の大量生産を実現し、さまざまな技術を開発し、より快適で便利な生活を目指す経済成長が世界各地で進む一方で、そうした現代文明の暗部が次第に明らかになってきます。化学物質や環境汚染が人体に深刻な影響を与え始めました。
なにかマズイのではないかという思いが、少なくとも一部の人々の内で募り始めました。私たちが優れた文明だと信じていたものは、先住民族をはじめ、私たち自身の首を絞めるものでもあった、というわけです。
では、先住民族の人たちは、どうやって、そうした困難の中で生き延びてきたのか、ということに関心が高まってきたわけです。たとえばオーストラリアの先住民族(アボリジニ、という英語の総称はあまり最近歓迎されません)は、あの大陸を4万~5万年前から維持してきた、途方もない管理能力の持ち主です。200年程度の植民地化の歴史がその生活に壊滅的損傷を与えましたが、現在でも150以上の言語を用いる各集団が共通性もありながら特有の文化をさまざまな方法で保持しています(言語数は研究者により数え方が違うので一説です)。変化を受け入れ、矛盾を抱えながら、現代の先住民族たちは生きる知恵を発揮しているわけです。
一方で、数千年前から滅亡と新興を繰り返してきた都市文明といわれるものは、世界の数カ所において発生したもので、いわば局所的なものでした。それがほぼ地球全体を覆うようになったのは、ごく最近のことなのだということを、私たちは思い出したほうがいいのではないでしょうか。いま日本には、夜中の2時でもアイスクリームが食べたいと思えば煌々と電気のついたコンビニの冷凍庫を開けて買えるのがあたりまえ、という都市文明の感覚が蔓延しています。これは実は、人類史上かつてない、異常事態といっていい豊かさです。
このようなライフスタイルは人類にとってスタンダードではないし永遠でもないことは、都市文明の歴史が物語っています。この暮らしを支えるエネルギーや物質の流れに破綻が生じる災害や異変に直面したとき、普段忘れてみないでいることを私たちは痛感します。つまりどんな無理を誰に強要してこの豊かさが保たれているのか、それがどんなに危ういものか。だからこそ、いまサステナビリティへの関心が高まっているのでしょう。
オーストラリアの先住民族は5万年前から、サステナビリティを実現してきたわけです。日本もふくめ、世界各地にそうした維持可能なライフスタイルの先例がある。参考にしたほうが、得策ですよね。「自然」「野蛮」「文明」「進歩」といった概念についての思いこみを、私たちは一度捨てて、人類にとって幸福な生活形態とはなにか、石器時代ではなくいまこの現代を一緒に生きるサステナビリティの先輩たちとともに、考える時期にあるのではと思います。
◇周辺とのオープンな関係の中で培われる文化
では、自然とともに暮らしていた先住民族の伝統的なカルチャーが理想であり、私たちはそれをただ真似るべきなのか、と考える方もおいでかもしれません。そうではないと思います。第一、数万年前からずっと同じ文化であり続けている民族などいないのです。みな過去の遺産を保持しながら、時代に合わせ変化している。日本人もまさに、そうですよね。
先住民族というと、いまでも腰蓑ひとつで槍を持ち、毎日動物を狩っているというイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。そうしたライフスタイルの人たちも一部にはおいでです。ただ狩猟採集民でも、動物はそう簡単に獲れるものではないです。自分でやってみたらわかります。実は芋や虫、貝や小動物など採りやすいものを採る女性の労働が食生活の相当部分を支えている、足の速い動物はたまのご馳走と考えたほうがよさそうです。
しかし、狩りだって数万年前のスタイルのままではないわけです。ヨルングはトヨタの四輪駆動が大好きだし、イヌイットもスノーモービルに乗ってアザラシを狩りにいく。現代の先住民族はみな、なんらかのかたちで近代文明の影響を受け、その中で生活の場を切り開いておられる。都市で暮らす方も多いです。
首都圏のアイヌ民族の方々にインタビューしたドキュメンタリー映画『TOKYO アイヌ』(森谷博監督・2010年)や、史実を素材にしたオーストラリア先住民族の物語『スウィート・カントリー』(Warwick Thornton 監督・2018年)を明治大学で上映し、登場する方のご親族や監督にお話いただいたとき(大学院教養デザイン研究科の映像資料プログラムとして)、学生たちがとても活発に反応し、映像の力だけでなく、やはり実際に人と出会うこと、肉声の力は大きいなと思いました。
現代のアイヌの人たちは、日本の学校教育を受け、卒業したら就職して、といった面ではまさに日本の多くの方々と同様の生活をしておられます。でも、彼らには伝統的なアイヌ文化がさまざまなかたちで受け継がれている、そうした世界から遠ざかったり、無縁であった方が学び直し新しいアイヌ文化をつくることもある。ミュージシャンのOKIさんや、小川基さん(切り絵などの活動もされている)などがそうですね。
アボリジナル・アートのキュレーター、ジョン・マンダィン(Djon Mundine)氏を本学に招き、講演を行ってもらったこともあります。そのとき彼は現代美術としてのアボリジナル・アートの話をされたのですが、学生から、では伝統的なアボリジナル・アートは途絶えてしまったのか、という質問が出ました。
すると彼は、現代的な作品も、伝統的なアボリジナル・カルチャーと無縁ではないこと、自分は白人の祖先の血も受け継いでいるが、先住民族の祖先の血を大切に考えていることを話され、こう言いました。「君は袴も穿いていないし、ちょんまげも結っていないね。でも君は日本人なんだろう」。まさに、日本人こそこうした伝統の変容と現代の連続に気づいてしかるべき民ではないでしょうか。
生きている文化は、常に変化している。人々が出会い、衝突し、考える過程で、異なるものが対立したり折衝したり、混ざりあって、変わっていく。固定して動かないものを正しいありかたと考えてひとつの視点に固執することは、誤った解答を導く可能性があります。
北海道の網走にある北方民族博物館の入り口には、北極を中心として描かれた世界地図のレリーフがあるのですが、その円形の地図は、とても新鮮に見えます。ヨーロッパもロシアもアメリカも北海道も、ちょっとそこまで、と橇に乗って行けそうな気がしてきます。
それは、日頃、私たちが、日本、あるいは欧米を中心とした視点で世界を見ているからだと思うのです。ちょっと視点をずらすと、いままでの世界が新鮮で、まるで違ったものに見えてくる。実際、北極を中心とした地域には横につながる独自の文化圏があります。日本にもその影響を受けた文化として、アイヌ文化のほかにも、オホーツク文化といわば仮に称されている人々の営みがあったことが知られています。アイヌの人たちは、自分たちとはどうやらまったく違うカルチャーであるオホーツク文化圏の海洋民族の人たちと隣り合って暮らし、争いもあったかもしれませんが、たしかに影響を与え合っていたと考えられます。いまに残る遺跡などにその様子をみてとることができます。オホーツク人たちはどうやらシベリアのほうからいらしたらしいです。日本の北は実に多彩でおもしろい。他の地域も、近寄ってみれば当然そうでしょう。
動くものとしての人間について学ぶ、そういう教養のありかたを提案してみると、世界中のあらゆることがつながっていることに気づかされます。おもしろい、もっと知りたい、世界のすべてと自分はなんらかの関係がある。大学で教えているうちに、私自身が気づかされた、学問する理由です。
◇自由に能動的に事実を見るために必要な知的好奇心
いま私は愛国主義的アナキズムというおもしろい発想について考えています。そんなばかな、と思われる方がほとんどではと思いますが、これはアメリカの人類学・政治科学者のジェイムズ・C・スコットほかの仕事に励まされて、いままで考えてきたことを、こういう言い方で表現してみるのはどうか、と考えたのです。この場合の「国」とは政治的な存在である近代国家(ステイト)ではなく、日本語的な用い方での「邦」、クニ、私の故郷という意味あいです。ナショナリズムというより、パトリオティズムと言ったほうがわかりやすいかもしれません。パトリア、すなわち、私たちひとりひとりの故郷ということです。
クニの主体であるネイション、民というのは、実は厳密な境界を引くことはできない、つねに周りと混ざりあいながら、それでも集団としての認識をさまざまなかたちで保持している人々です。民は、近代国家の国境の内側や、境界線にまたがって、つねに複数存在しています。近寄ってみればどんな国家にも複数の民がいます。
民と国家が結びついて、国民国家(nation state)が成立するのは18世紀末のフランス革命からといわれています。人類の歴史の中では、ごく最近、生まれた概念ということになります。ですが海により仕切られた国境線と国家、言語文化、そして民をまったくひとつのものと考えがちな日本人は、これをなにか自然なことのように、丸呑みしていることが、まま、あるのではないでしょうか。
国家と、愛する故郷と、民族・言語文化と、個人の所属意識は、てんでばらばら関係ない、それがむしろ普通だ、と言うと、混乱される人が多いように思います。でも、都市に住むワルピリのアーティストを考えてみれば、すぐわかります。パスポートの国政はオーストラリア、でも故郷はといわれれば中央砂漠の岩山を想い、ワルピリ語が母語で、でも現代美術こそ自分の生きる場所だから、都市で英語を使って暮らしている。むしろこういう人が、普通の現代人ではないでしょうか。
スコットの研究対象である東南アジア各国の国境にまたがる諸民族や、国を持たない世界最大の民族といわれるクルド人、そのほかアフリカ大陸や南米大陸の数々の民について読むと、彼らのナショナリズムと国家はむしろしばしば対立しています。国家制度に統治されない民の愛「邦」のありかたを、混乱や紛争の種と考えるのは、統治する側の視線、例の新参者の態度ではないでしょうか。むしろ問題は、そこで昔からの民と話し合い交渉する手間を省いてしまう、新参者の側にないでしょうか。
アイヌ語に「チャランケ」という言葉があります。立場が異なる者たちが論陣を張り合う、いわばディベートのような議論のことだそうです。そうしたことは苦手、という人が日本人には多いといわれています。でも、異なる人々が隣り合って暮らしていくには、これを避けていてはダメなんだと思います。難しいけれど、これを学ぶことが、実は日本の高等教育の場で、大変重要なのではと想うのです。
教育の現場から感じることを最後に申しますと、私たち自身の内側にもさまざまな矛盾がありますよね。そうしたいわば、自分の内のチャランケを避けず、どう折り合いをつけ、どういう基準でなにを選択していけば良いのか。さまざまな価値基準が揺らぐ現在、悩む人は多いと思います。
気になるのは、マクロ的な視点ばかりに頼る傾向です。まるで統治者のような上から目線になるのではなく、個別の事象を注意深く、近寄って見ることが大切ではないでしょうか。ものごとのひとつひとつを具体的に詳しく見ることで、真実に気がつくことがあると思います。そのためには、この情報化社会で、黙っていても与えられる情報をただ受動していてはいけないと思います。能動的に情報を得る、自分で調べに行く(インターネットの中でも、現実社会でも)ことが大切です。それを支えるのは、やはり知的好奇心だと思います。
与えられる情報で満足した気にならず、自らの好奇心に従って情報を得に行くこと。コロナウイルス感染拡大で国内外の旅行も難しいいまなら、空間が広く管理もしっかりしている博物館に行く、という選択もあります。おもしろい、知りたい、すべては私のことだから、好奇心を殺さずに生きたいと、私自身毎日、思っています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ef49a84c519bf955a017cfb872f9c218ee3cff20


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よいち水産博物館など今期営業開始 続縄文時代から近代の余市の魅力発信

2021-04-16 | アイヌ民族関連
みんなの経済新聞 2021/04/15 22:16
 【写真】旧余市福原漁場
 よいち水産博物館(余市郡余市町入舟町)と余市町内の文化財施設が4月10日、今季営業を始めた。(小樽経済新聞)
 営業を始めた、同博物館、旧下ヨイチ運上家(入舟町)、フゴッペ洞窟(栄町)、旧余市福原漁場(浜中町)の4施設では、入場人数の制限を行うほか、マスク着用、手指消毒など、新型コロナウイルス感染拡大対策をとった上での来館を呼び掛ける。
 よいち水産博物館は余市町の歴史を学ぶことができる博物館。アイヌ資料やかつてのニシン漁具、余市と入植者の多かった会津に関する資料、町内の遺跡で発見された考古学的資料などを展示する。旧下ヨイチ運上家は国指定史跡・国指定重要文化財で、江戸時代、アイヌの人々との交易を松前藩から請け負った商人が拠点とした建物。旧余市福原漁場は国指定史跡で、ニシン定置網漁をしていた福原家が明治期に所有した、当時の漁場経営の様子を伝える建物群。親方家族と漁夫が生活した主屋をはじめ、文書庫、石蔵、網倉、米味噌倉などを見ることができる。フゴッペ洞窟は国指定史跡で、2000〜1500年前の続縄文時代という北海道特有の時代の遺跡。壁面に人物・動物・魚など約800点を数える刻画が描かれた洞窟遺跡。館内には、小樽市の手宮洞窟や海外の洞窟遺跡などの調査研究資料も展示され、興味深く、見学することができる。
  開館時間は9時〜16時30分。入館料は、大人=300円、小人(中学生以下)=100円、小学生未満無料。4館共通入場券は、大人=880円、小人=320円。休館日は月曜日(月曜日が祝日の場合は開館)と祝日の翌日。12月5日まで。
https://news.goo.ne.jp/article/minkei/region/minkei-otaru778.html

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東大の入試問題を「初見」でもラクに解くコツ 知らないことは「似た事柄」に置き換え考えよう

2021-04-16 | アイヌ民族関連
東洋経済 2021/04/15 16:00
入試改革が進み、「読解力」「思考力」「表現力」といった力が必須となっている昨今、教科書に載っている基本的な知識を使い、考えることを要求する問題も出題される傾向にあります。
こんなとき、「見たことがない問題だから解けない」「どこから手をつけていいかわからない」となる子も多いかもしれませんが、人気の国語教室を運営する善方威氏によると、「初見」の問題でも知っている知識をうまく“スライド”させて考えることで解けるケースがほとんどだといいます。「未知の問題」をどう解くか? そのコツを紹介します。
※本稿は『全試験対応! わかる・書ける・受かる 超思考力』より一部抜粋・編集したものです
学校で習った知識だけでは対応できない
2020年度から小学校で始まった新しい「学習指導要領」では、これまでの知識や技能に加えて、「思考力・判断力・表現力」や「学びに向かう力・人間性」を育てることが大きな柱として示されました。
また、2021年1月に実施された「大学入学共通テスト」では、思考力を問う問題が一定数出題されました。しかし、このような思考力を重視する傾向は、すでに東京大学の入試問題などではおなじみです。
具体的に解説するために、実際の入試問題を一緒に見てみましょう。
以下、東京大学の日本史で出題された入試問題を要約してお示しします。
<問題>
松前藩は、江戸時代にアイヌとの交易権を幕府に認められていた。それはなぜか。
(東京大学 日本史 平成16年 類題)
<解答例>
寒冷で耕作地に恵まれない松前藩から年貢米に代わるものを得るために、アイヌとの交易権を認める必要性があったから。(→「必要性」)
また、藩の力が弱く江戸から遠方にある松前藩が、江戸に攻め上がる危険性は低かったから。(→「許容性」)
江戸幕府には、交易や情報収集の窓口として、長崎出島、対馬、薩摩、松前の4つの窓口がありました。これを日本史では「4つの口体制」とよんでいますが、これに関する問題です。「なぜか」と聞かれているので、理由が問われていることがわかります。鎖国下で蝦夷地の松前藩に特別に交易が認められるにいたった「必要性」は何か。そして、幕府はなぜそれを許すことができたのかという「許容性」を考えて解答します。
これは、大学入試の問題ですが、中学入試にも、このように理由を問う問題が当たり前のように出題されています。ですから、解答するための何らかの対策が必要です。そしてこういった「理由を問う」問題で使えるのは、「思考の道具」なのです。
問題の解答例では、「必要性」「許容性」という「思考の道具」を使って答えました。理由を問われた問題では、このように「必要性」は何か、「許容性」はあるのかを考えると、うまく解答できることが多いのです。
「思考力」というと、多くの人が「もとから備わっているもの」と思いがちです。子どもであれば「地頭がいい子」、大人であれば「頭のいい人」が持っているものと思われています。しかし、思考力とそれにともなう表現力というのは、そのようなぼんやりしたものではありません。道具を得て、訓練すれば、誰でも身につけることができるものなのです。
そして、最初は「借り物の道具」であったとしても、自分の頭で考え、使い続けることでそれは本物の「思考力」「表現力」へと変化していきます。まずは何より、新しい道具を手にすること、それが大切なのです。
未知の問題には「似た事柄」を思い出せ
さて、今度は中学入試の問題を見てみましょう。中学入試は、学校によって問題傾向に大きな違いがあります。なかでも社会はその傾向が強く、昔からの御三家である武蔵中も、なかなかユニークな問題を出すことで知られています。さっそく要約した問題を見てみましょう。
<問題>
(小麦の栽培は、いまから約1万年前に、現在のシリアやイラクのあたりで始まりました)
小麦、その他の穀物を栽培することで、人々の生活のあり方はそれまでと比べて大きく変わったといわれています。どのように変わったと思いますか。
(武蔵高等学校中学校 社会 平成8年・改変)
この武蔵中の問題を見て、「中学入試には、世界史の知識も必要なのか……」と思った人もいるでしょうが、そうではありません。この問題、「似た事柄」を思い出せば、日本史の知識で解くことができるのです。みなさんもちょっと考えてみてください。ヒントは、「小麦をあるものに置き換える」ことです。
そう、「あるもの」とは「米」です。稲作が広がった弥生時代(現在は、縄文時代の終わり頃に稲作が始まったとも言われています)のことを参考にして書けば、この「世界史」の問題も解答することができます。
<解答例>
小麦の生産によって食生活が安定したため、定住化が進み集落ができ、その規模も次第に拡大した。富の蓄積が可能になったことで、その拡大した集落のなかで階級ができることになった。また、富を巡って各地で集落同士の争いが起こり、その勝者がやがて国へと発展した。
この解答は、弥生時代に米の栽培が広がったことで定住化が進んだこと、保存ができるという米の特性が富の蓄積を生んだこと、そしてそれが階級や富を巡る争いに発展したことを書いています。たんに、米を小麦に変えただけです。
知識ではなく「思考法」が問われている
中学受験生には世界史の知識はありませんから、もちろんメソポタミア地域のことなど知りません。それは学校側もわかっています。学校側が求めているのは、「持っている知識を『平行移動』させて解いてください」ということ。それに気がつくことができるかどうかが、この問題のポイントです。

未知の問題に遭遇したとき、冷静になって「自分の知識のなかに『似た事柄』はないか?」と考えられるかどうかが、分かれ目となるのです。

「知識」と「思考力」は対立した概念のように語られることがありますが、決してそうではありません。「思考」はあくまで「知識」をベースとして成り立つことを、頭に入れておきましょう。
より妥当な解決のためには、「多様性」という道具が有益です。わかりやすいように、入試問題や時事問題をクイズ化してみました。
Q1. 大日本帝国憲法に地方自治の規定がないのはなぜか
Q2. シニア世代のネット活用を支援するのに必要な視点は何か(3/5日経MJ)
Q3. バービー人形の昔と今の大きな違いは何か
Q4. 昔のバスと今のバスは大きく違う。その設計思想は何が違うか
Q5. アメリカの連邦や地方の選挙でどういう候補者の当選が増えているか(3/8朝日朝刊)
5問に共通する「ある視点」
一見、何のつながりもないようなこれらの問題ですが、実はたった1つの視点で筋の通った考え方ができるのです。
そう、それは「多様性」です。
人や組織にはそれぞれの価値や特性があります。そのそれぞれの価値や特性、つまり多様性を認め、その多様性に合わせた対応を取ることは、より妥当な解決に直結するのです。
では、この「多様性」という視点から上述の問題を考えてみましょう。
<解答例>
A1.
大日本帝国憲法制定時の日本は欧米列強に近づく必要性から、中央集権国家を志向していた。それゆえ地方自治を憲法上認め、地方それぞれの「多様性」を認める余裕がなかったから。
即興で作ってみました。先にふれた「許容性」の視点も「余裕」という形で入れました。いかがでしょう?
A2.
ネットはシニア世代にとっては「大人になってから出てきたもの」です。学生時代に習ったことがないものですから「すでに実践している」方と「全くやったことがなくイメージすらもできない」という方の差が大きいのです。
それゆえ、一律に支援策を考えるのではなく、その「多様性」に応じた支援策を考える必要性が大きな分野と言えるでしょう。
A3.
かつて、バービー人形は白人女性をモデルとしたと思われるもののみが売られていました。しかし「多様性」を尊重し、すべての人の価値や特性が認められる社会を目指そうとする動きが高まるなか、今ではさまざまな体型や人種、宗教的、文化的特徴を反映したバービー人形、さらには例えば車いすや義足を導入したバービー人形のコレクションも発売されています。
「多様性」を認めていこうという動きは、人形、おもちゃの世界にまで広がっているのです。
A4.
かつてのバスの出入り口は階段状でした。また、車いすスペースやフリースペースどころか優先席すらない時代もありました。
しかし、世の中には小さな子どもやお年寄り、障がいのある人などさまざまな人がいます。その「多様性」に応じた設備を準備しようという思想のもと、今のバスは設計されているのです。
A5.
アメリカの連邦や地方の選挙で性的少数者「LGBTQ」の当選者が増えています。
アメリカの18歳以上の5.6%もが自らを「LGBT」と認識しているという調査があります。議会の審議にこの性的少数者の声が反映され、それにより議会の判断も変化していく、という循環が生まれれば、性的な「多様性」に理解ある社会に少しずつ近づくことになっていくのです。
「多様性」も1つの思考の道具
以上のように「より妥当な解決」のために「多様性」は場広く使える思考の道具です。
私はβ(ベータ)国語教室という中小企業の経営者でもありますが、つねに受講生の「多様性」に合わせた授業が行われるようにと考えてきました。
例えばカリキュラムは固定しておらず、志望校の出題傾向と本人の特徴をふまえて指導内容を決めています。その方針のおかげもあり、コロナ禍でも経営は順調であり、「多様性」という視点の有効性を強く実感しています。
著者:善方 威
https://news.goo.ne.jp/article/toyokeizai/bizskills/toyokeizai-421440.html

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今金町まるわかり情報【観光・グルメ】

2021-04-16 | アイヌ民族関連
北海道Likers 2021/04/15 12:00
今金町(いまかねちょう)は北海道渡島半島北部に位置しています。道南地区の市町村はほとんどが海岸線に面していますが、今金町は境界線が一切海岸線に面しておらず、とても珍しい地理的環境だといえるでしょう。この地区は昔から北海道の先住民族であるアイヌ民族が住んでおり、アイヌ語に由来する地名が多い町です。
今金町の基本情報
所在地 北海道檜山振興局に属する町です。
面積 568.25km2
人口 4,982人・2,472世帯*
*令和3年3月末現在
由来
区画整備により現在の基礎をつくった今村藤次郎と金森石朗両氏の性の冠字をとって市街地を「今金」と呼び、昭和22年には自治制施行50周年を迎えたのを機に「今金町」として町制を施行し、先人たちの偉業に敬意を表しています。
引用:今金町ホームページ
今金町へのアクセス
今金町は駅がないため、車やバス、レンタカーでアクセスします。
<札幌からのアクセス>
車で2時間程度です。
JRは札幌駅から長万部駅まで約2時間。函館バスに乗り換えて約1時間10分です。
<道外からのアクセス>
飛行機は「新千歳空港」「函館空港」がおすすめです。
「函館空港」からはレンタカーで約2時間。JRでは、函館駅から長万部駅まで約1時間30分、バスに乗り換えて今金町へ。
今金町の気候
内陸性気候で初夏には道内の最高気温を記録することもあります。
<夏>
気温が30℃をこえる日もありますが、道内では比較的温暖な気候です。最高気温は32.1℃(2020年)。
<冬>
季節風が強くなり積雪も多く、特別豪雪地帯とされています。最低気温は-17.4℃、合計積雪量325cm(2020年)です。
今金町のグルメ
今金町はイモや米、長ネギや大根などが質の高い農産物として評価を受けています。
なかでも気候を活かし作られた『今金男しゃく』が全国ブランド化されています。道南の流通が少ないことから“幻のイモ”ともされています。
今金町の観光

清流として知られる『後志利別(しりべしとしべつ)川』の上流にある『美利河(ぴりか)ダム』は、河川を横断したダムとして日本で最も長いダムとして知られています。
また今金町には温泉施設が多く、大自然のなかで入浴する露天風呂はくつろぎの空間となっています。
今金町の周辺情報
今金町に隣接する自治体の情報はこちら
・八雲町
・せたな町
特有の自然環境に恵まれた今金町は、気候を活かした特産品や自然を満喫できる施設など、さまざまな見どころがある魅力的な町です。
【参考】今金町ホームページ、檜山振興局、気象庁
【画像】CRENTEAR、@@&@@、bigtora / PIXTA(ピクスタ)
https://news.goo.ne.jp/article/hokkaidolikers/region/hokkaidolikers-20210415-36443.html

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