Meiji.net 4/15(木) 9:30 中村 和恵(明治大学 法学部 教授)
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2020年、北海道白老町に国立アイヌ民族博物館がオープンしました。コロナ禍の状況で、入場制限が設けられていますが、オープン半年で約20万人が訪れています。いま、先住民族の文化や歴史に関心が高まっているのは、そこに多様性や持続可能性を学ぶことができるからかもしれません。
◇近代文明の無知から生じた先住民族に対する侮蔑
先住民族とは、現在地球規模であたりまえと考えられるようになりつつある、主に近代ヨーロッパを起源とするライフスタイルや価値観とは、異なる暮らし方を、保っていたり、記憶している方々を指す言葉です。つまりこれは、いわゆる近代文明の側からみた呼称であるわけです。昔からそこで暮らしていた人々からみれば、当然のことながら自分たちが普通の人間であり、余所からきた新参者たちのほうが、変わった人たちでした。
たとえばオーストラリア北端のアーネムランドには、自分たちをヨルングと呼ぶ人々がいます。これは人間という意味です。そこでは白人はバランダと呼ばれます。南太平洋の北海道や千島列島、サハリン島などには、自分たちをアイヌと呼ぶ人々がいます。これもやはり人間という意味です。そこではいわゆる和人はシサムと呼ばれました(さまざまな方言があるので呼称は地域により少しずつ違います)。
バランダやシサムといった新参者たちは、進出していった土地を自分たちにとっての新天地と考え、その地域に古くからいる方々の暮らしを軽視することが、しばしばありました。異なる文化の急激な流入は、反撥を呼び、争いも起きました。新参者たちは暴力でそれを押さえつけ、最終的には軍事力を持った近代国家の制度による支配を確立していった。これが植民地政策です。
こうしたことが自分の身に起きた、と考えてみてください。土地に生きる動植物を食料として採取し適切な人数で何世紀も、ときには何万年も暮らしてきた、そこに新参者がいきなりやってきて、大切な家族や知り合いをいきなり撃ち殺したり、拉致して強制労働させたりする。彼らは杭を打ち、ひろく囲みをつくって、見慣れぬ動物を飼い、見慣れぬ植物を生やす。しょうがないからそれを食べようとすると、勝手に盗ったといって暴力をふるわれたり檻に入れられる。祖先代々の土地にいきなり出現した門や囲いをくぐると、勝手に通行したといって逮捕される。食料や生活資材となる動植物循環システムは破壊され、見たこともなかった貨幣というものがないとなにもできなくなった。地域の経済活動の崩壊です。
新参者たちはさらに、土地の人には免疫のないウイルスや細菌なども持ち込みました。感染した先住民族の方々がつぎつぎに亡くなった。逃げ場のない島嶼地域では、民族虐殺といってもいい状態が起きた。カリブ海の島々からはカリブと呼ばれた方々の村が、わずか1,2の島をのぞき、ほぼ消えてしまった。オーストラリア南端のタスマニア島でも、同様のことが起こりました。
経済崩壊、食料危機、水質汚染、感染症の蔓延、そうしたわけのわからない状況による、深刻な精神的ダメージ。いまコロナウイルス感染拡大の世界を生きる私たちには、想像しやすいのではないでしょうか。多くの先住民族の方々が、数百年前から、こうした状況を経験してこられたわけです。
さすがに民族絶滅はまずい、という議論が一九世紀のイギリスで知識人たちの間に起こりました。消えゆく民を憐れみ、古い文化を記録し、できるだけ穏やかに白人化してよい暮らしができるよう教育していこう、と考えた人たちもいました。これは善意から出た考えであったのですが、残念ながら人種偏見が出発点にあります。近代文明を絶対と考え、物質的豊かさと進歩確信を人類の目標と信じた人たちは、領土の拡大、資源の獲得のために世界各地に出ていって、そこで出会った先住民族の方々を、昔ながらの自然のままに生きている原始的な人たち、劣った民族と勝手に思いこんでいました。
しかし二〇世紀後半頃から、これは随分勝手な思いこみだったことに多くの人々が気づき始めました。世界各地の先住民族の方々が、自分たちの暮らし方を維持継続したいと声を上げ出しました。第二次大戦後、さまざまな差別や偏見がもたらす暴力の恐ろしさが実感された時期でもありました。また、モノを潤沢にし、人工的に食糧の大量生産を実現し、さまざまな技術を開発し、より快適で便利な生活を目指す経済成長が世界各地で進む一方で、そうした現代文明の暗部が次第に明らかになってきます。化学物質や環境汚染が人体に深刻な影響を与え始めました。
なにかマズイのではないかという思いが、少なくとも一部の人々の内で募り始めました。私たちが優れた文明だと信じていたものは、先住民族をはじめ、私たち自身の首を絞めるものでもあった、というわけです。
では、先住民族の人たちは、どうやって、そうした困難の中で生き延びてきたのか、ということに関心が高まってきたわけです。たとえばオーストラリアの先住民族(アボリジニ、という英語の総称はあまり最近歓迎されません)は、あの大陸を4万~5万年前から維持してきた、途方もない管理能力の持ち主です。200年程度の植民地化の歴史がその生活に壊滅的損傷を与えましたが、現在でも150以上の言語を用いる各集団が共通性もありながら特有の文化をさまざまな方法で保持しています(言語数は研究者により数え方が違うので一説です)。変化を受け入れ、矛盾を抱えながら、現代の先住民族たちは生きる知恵を発揮しているわけです。
一方で、数千年前から滅亡と新興を繰り返してきた都市文明といわれるものは、世界の数カ所において発生したもので、いわば局所的なものでした。それがほぼ地球全体を覆うようになったのは、ごく最近のことなのだということを、私たちは思い出したほうがいいのではないでしょうか。いま日本には、夜中の2時でもアイスクリームが食べたいと思えば煌々と電気のついたコンビニの冷凍庫を開けて買えるのがあたりまえ、という都市文明の感覚が蔓延しています。これは実は、人類史上かつてない、異常事態といっていい豊かさです。
このようなライフスタイルは人類にとってスタンダードではないし永遠でもないことは、都市文明の歴史が物語っています。この暮らしを支えるエネルギーや物質の流れに破綻が生じる災害や異変に直面したとき、普段忘れてみないでいることを私たちは痛感します。つまりどんな無理を誰に強要してこの豊かさが保たれているのか、それがどんなに危ういものか。だからこそ、いまサステナビリティへの関心が高まっているのでしょう。
オーストラリアの先住民族は5万年前から、サステナビリティを実現してきたわけです。日本もふくめ、世界各地にそうした維持可能なライフスタイルの先例がある。参考にしたほうが、得策ですよね。「自然」「野蛮」「文明」「進歩」といった概念についての思いこみを、私たちは一度捨てて、人類にとって幸福な生活形態とはなにか、石器時代ではなくいまこの現代を一緒に生きるサステナビリティの先輩たちとともに、考える時期にあるのではと思います。
◇周辺とのオープンな関係の中で培われる文化
では、自然とともに暮らしていた先住民族の伝統的なカルチャーが理想であり、私たちはそれをただ真似るべきなのか、と考える方もおいでかもしれません。そうではないと思います。第一、数万年前からずっと同じ文化であり続けている民族などいないのです。みな過去の遺産を保持しながら、時代に合わせ変化している。日本人もまさに、そうですよね。
先住民族というと、いまでも腰蓑ひとつで槍を持ち、毎日動物を狩っているというイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。そうしたライフスタイルの人たちも一部にはおいでです。ただ狩猟採集民でも、動物はそう簡単に獲れるものではないです。自分でやってみたらわかります。実は芋や虫、貝や小動物など採りやすいものを採る女性の労働が食生活の相当部分を支えている、足の速い動物はたまのご馳走と考えたほうがよさそうです。
しかし、狩りだって数万年前のスタイルのままではないわけです。ヨルングはトヨタの四輪駆動が大好きだし、イヌイットもスノーモービルに乗ってアザラシを狩りにいく。現代の先住民族はみな、なんらかのかたちで近代文明の影響を受け、その中で生活の場を切り開いておられる。都市で暮らす方も多いです。
首都圏のアイヌ民族の方々にインタビューしたドキュメンタリー映画『TOKYO アイヌ』(森谷博監督・2010年)や、史実を素材にしたオーストラリア先住民族の物語『スウィート・カントリー』(Warwick Thornton 監督・2018年)を明治大学で上映し、登場する方のご親族や監督にお話いただいたとき(大学院教養デザイン研究科の映像資料プログラムとして)、学生たちがとても活発に反応し、映像の力だけでなく、やはり実際に人と出会うこと、肉声の力は大きいなと思いました。
現代のアイヌの人たちは、日本の学校教育を受け、卒業したら就職して、といった面ではまさに日本の多くの方々と同様の生活をしておられます。でも、彼らには伝統的なアイヌ文化がさまざまなかたちで受け継がれている、そうした世界から遠ざかったり、無縁であった方が学び直し新しいアイヌ文化をつくることもある。ミュージシャンのOKIさんや、小川基さん(切り絵などの活動もされている)などがそうですね。
アボリジナル・アートのキュレーター、ジョン・マンダィン(Djon Mundine)氏を本学に招き、講演を行ってもらったこともあります。そのとき彼は現代美術としてのアボリジナル・アートの話をされたのですが、学生から、では伝統的なアボリジナル・アートは途絶えてしまったのか、という質問が出ました。
すると彼は、現代的な作品も、伝統的なアボリジナル・カルチャーと無縁ではないこと、自分は白人の祖先の血も受け継いでいるが、先住民族の祖先の血を大切に考えていることを話され、こう言いました。「君は袴も穿いていないし、ちょんまげも結っていないね。でも君は日本人なんだろう」。まさに、日本人こそこうした伝統の変容と現代の連続に気づいてしかるべき民ではないでしょうか。
生きている文化は、常に変化している。人々が出会い、衝突し、考える過程で、異なるものが対立したり折衝したり、混ざりあって、変わっていく。固定して動かないものを正しいありかたと考えてひとつの視点に固執することは、誤った解答を導く可能性があります。
北海道の網走にある北方民族博物館の入り口には、北極を中心として描かれた世界地図のレリーフがあるのですが、その円形の地図は、とても新鮮に見えます。ヨーロッパもロシアもアメリカも北海道も、ちょっとそこまで、と橇に乗って行けそうな気がしてきます。
それは、日頃、私たちが、日本、あるいは欧米を中心とした視点で世界を見ているからだと思うのです。ちょっと視点をずらすと、いままでの世界が新鮮で、まるで違ったものに見えてくる。実際、北極を中心とした地域には横につながる独自の文化圏があります。日本にもその影響を受けた文化として、アイヌ文化のほかにも、オホーツク文化といわば仮に称されている人々の営みがあったことが知られています。アイヌの人たちは、自分たちとはどうやらまったく違うカルチャーであるオホーツク文化圏の海洋民族の人たちと隣り合って暮らし、争いもあったかもしれませんが、たしかに影響を与え合っていたと考えられます。いまに残る遺跡などにその様子をみてとることができます。オホーツク人たちはどうやらシベリアのほうからいらしたらしいです。日本の北は実に多彩でおもしろい。他の地域も、近寄ってみれば当然そうでしょう。
動くものとしての人間について学ぶ、そういう教養のありかたを提案してみると、世界中のあらゆることがつながっていることに気づかされます。おもしろい、もっと知りたい、世界のすべてと自分はなんらかの関係がある。大学で教えているうちに、私自身が気づかされた、学問する理由です。
◇自由に能動的に事実を見るために必要な知的好奇心
いま私は愛国主義的アナキズムというおもしろい発想について考えています。そんなばかな、と思われる方がほとんどではと思いますが、これはアメリカの人類学・政治科学者のジェイムズ・C・スコットほかの仕事に励まされて、いままで考えてきたことを、こういう言い方で表現してみるのはどうか、と考えたのです。この場合の「国」とは政治的な存在である近代国家(ステイト)ではなく、日本語的な用い方での「邦」、クニ、私の故郷という意味あいです。ナショナリズムというより、パトリオティズムと言ったほうがわかりやすいかもしれません。パトリア、すなわち、私たちひとりひとりの故郷ということです。
クニの主体であるネイション、民というのは、実は厳密な境界を引くことはできない、つねに周りと混ざりあいながら、それでも集団としての認識をさまざまなかたちで保持している人々です。民は、近代国家の国境の内側や、境界線にまたがって、つねに複数存在しています。近寄ってみればどんな国家にも複数の民がいます。
民と国家が結びついて、国民国家(nation state)が成立するのは18世紀末のフランス革命からといわれています。人類の歴史の中では、ごく最近、生まれた概念ということになります。ですが海により仕切られた国境線と国家、言語文化、そして民をまったくひとつのものと考えがちな日本人は、これをなにか自然なことのように、丸呑みしていることが、まま、あるのではないでしょうか。
国家と、愛する故郷と、民族・言語文化と、個人の所属意識は、てんでばらばら関係ない、それがむしろ普通だ、と言うと、混乱される人が多いように思います。でも、都市に住むワルピリのアーティストを考えてみれば、すぐわかります。パスポートの国政はオーストラリア、でも故郷はといわれれば中央砂漠の岩山を想い、ワルピリ語が母語で、でも現代美術こそ自分の生きる場所だから、都市で英語を使って暮らしている。むしろこういう人が、普通の現代人ではないでしょうか。
スコットの研究対象である東南アジア各国の国境にまたがる諸民族や、国を持たない世界最大の民族といわれるクルド人、そのほかアフリカ大陸や南米大陸の数々の民について読むと、彼らのナショナリズムと国家はむしろしばしば対立しています。国家制度に統治されない民の愛「邦」のありかたを、混乱や紛争の種と考えるのは、統治する側の視線、例の新参者の態度ではないでしょうか。むしろ問題は、そこで昔からの民と話し合い交渉する手間を省いてしまう、新参者の側にないでしょうか。
アイヌ語に「チャランケ」という言葉があります。立場が異なる者たちが論陣を張り合う、いわばディベートのような議論のことだそうです。そうしたことは苦手、という人が日本人には多いといわれています。でも、異なる人々が隣り合って暮らしていくには、これを避けていてはダメなんだと思います。難しいけれど、これを学ぶことが、実は日本の高等教育の場で、大変重要なのではと想うのです。
教育の現場から感じることを最後に申しますと、私たち自身の内側にもさまざまな矛盾がありますよね。そうしたいわば、自分の内のチャランケを避けず、どう折り合いをつけ、どういう基準でなにを選択していけば良いのか。さまざまな価値基準が揺らぐ現在、悩む人は多いと思います。
気になるのは、マクロ的な視点ばかりに頼る傾向です。まるで統治者のような上から目線になるのではなく、個別の事象を注意深く、近寄って見ることが大切ではないでしょうか。ものごとのひとつひとつを具体的に詳しく見ることで、真実に気がつくことがあると思います。そのためには、この情報化社会で、黙っていても与えられる情報をただ受動していてはいけないと思います。能動的に情報を得る、自分で調べに行く(インターネットの中でも、現実社会でも)ことが大切です。それを支えるのは、やはり知的好奇心だと思います。
与えられる情報で満足した気にならず、自らの好奇心に従って情報を得に行くこと。コロナウイルス感染拡大で国内外の旅行も難しいいまなら、空間が広く管理もしっかりしている博物館に行く、という選択もあります。おもしろい、知りたい、すべては私のことだから、好奇心を殺さずに生きたいと、私自身毎日、思っています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ef49a84c519bf955a017cfb872f9c218ee3cff20