先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

ヘイトスピーチ許さない社会に 前田教授が講演 札幌

2015-11-16 | アイヌ民族関連
北海道新聞 11/15 07:00

ヘイトスピーチをめぐる問題について語る前田朗教授
 特定の人種や民族への憎悪をあおるヘイトスピーチについて考える講演会が14日、札幌市中央区のウリトンポセンターで開かれた。市民ら約50人がヘイトスピーチを許さない社会のあり方などを考えた。
 戦後70年の節目を迎え、在日韓国・朝鮮人やアイヌ民族などが置かれた状況を見つめ直そうと、市民でつくる「戦後70年の今を見つめ、未来を考える会」が主催した。
 札幌市出身でヘイトスピーチの問題に詳しい東京造形大の前田朗(あきら)教授(59)=刑事人権論=が講師となり、最近の状況を紹介した。
 前田教授は、日本では表現の自由を根拠にヘイトスピーチを法律で規制することに慎重な意見が多く、「相手の人格を攻撃し、精神的・身体的な被害を生むことを見落としている」と指摘した。「表現の自由とは、(在日韓国・朝鮮人のような)少数派の意見を尊重するためのもの。被害は深刻で、踏み込んだ法的な対応が必要だ」と訴えた。(野呂有里)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/sapporo/1-0202221.html

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白老のポロト公園でイオル体験事業、アンコウを調理

2015-11-16 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2015年11月15日(日)朝刊】

アンコウに包丁を入れる参加者 一般社団法人白老モシリ主催のイオル体験交流事業が13日、白老のポロト公園で開かれ、アイヌ語で「ペライショック」と呼ばれるアンコウを調理、みそ味の鍋にして味わった。
 白老や登別から20人余が参加。白老の熊野昭子さん、野本テツ子さんがまず木の枝につるしたアンコウを解体する「つるし切り」を実演。女性たちは指導を受けながらアンコウに包丁を入れて切り身にしたり、直径1メートルほどの大鍋でアンコウ鍋を調理した。参加者からは「アンコウは白老沖でも捕れるんですか」「冬に捕れる魚ですか」といった質問が出ていた。
 ポロト湖を臨む会場は暖かな陽光が降り注ぎ、参加者たちは談笑しながらハクサイやネギ、豆腐などが入ったアンコウ鍋を堪能していた。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2015/11/15/20151115m_07.html

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日ハム、アイヌに対する不配慮、バナーだけではない。「イランカラプテ」を流行らそう!

2015-11-16 | アイヌ民族関連
ハフィントンポスト- 2015年11月15日 11時07分 JST
プロ野球球団の北海道日本ハムファイターズは、この度、新千歳空港に掲げていた広告を撤去すると発表した。同空港ターミナルビルの天井につり下げられていた縦5・5メートル、横2メートルの巨大バナー4面のうちの1つに栗山英樹監督の写真とともに記されていた「北海道は、開拓者の大地だ。」の文言が問題視された。このフレーズが「先住民族の権利を害し、不適切な表現である」と公益社団法人北海道アイヌ協会より指摘を受けた。
これに対して球団側は「プロ野球界において常に先進的な取り組みをし、新たな領域を切り拓くチームであり続ける意図をこのフレーズに込めた」までだと述べながらも「アイヌ民族の皆様に対して配慮に欠けたことはお詫びすべきとの理由から、可及的速やかに取り下げる判断に至りました」と経緯を明かした。
球団の対応に対してアイヌ協会は「球団は迅速な対応をとられた。今後はこのようなことがないようにしてほしい」と伝えた。
今回の件は最終的に、両者が互いに配慮する形で収まったことは喜ばしい。しかし両者間のやりとりの中で登場する「速やかさ」は今回の件では、見当たらない。つまり、11月6日に撤去されたこのバナーは今年の6月から掲げてあったのである。実に5ヶ月近く多くの人の目にさらされながら空港に掛かっていたことになる。
日本に空港が85ヶ所あるが、その中で新千歳空港の利用者数は全国で4番目に多く、2014年の数字で1927万人が利用している。空港利用者に関しては、日本語を読めない者や注意深く読まない者もいるだろうが、それでもざっと計算すると5ヶ月の間にこのバナーが813万人もの人間の目に触れたことになる。バナーの文言を考える企画段階からも多くの人の目に触れているはずであり、空港で掲示されてからもこのように無数の人間の目に触れていたことになる。
それにもかかわらずなぜ、アイヌ協会が指摘するまで文言は問題であると誰も気づかなかったのか、大きな疑問が残る。これはアイヌではない人間の不勉強や無知によるものなのか、彼らの無関心がもたらしたものなのか。もう一つの側面として、空港を利用したであろうアイヌの人間までもがなぜ気がつかなかったのかも気になる。それはアイヌは、この地の先住民としての自らのアイデンティティーを忘れたのか、それとも倭人によってかつて進められた同化政策の中でアイデンティティーが奪われ、アイヌとしての感覚までも麻痺させられてしまったというのか。
断っておくが、今回の記事を通して、アイヌの人々を批判するつもりも、日本ハムファイターズを責めるつもりも毛頭ない。2014年から北海道に移ってきた野球球団と北海道の先住民族との間の平和で発展性のある良好な関係を願うまでである。ましては日ハムは、このアイヌの地で拠点を置いて活動をしている唯一のプロ野球チームとして、アイヌの力を堂々と取り入れて、生かす特権を有しているのある。
もちろん私ごときが提案するまでもなく、日ハムはとっくにアイヌの力を野球の発展に取り入れていた。2014年のチームのスローガンは「前進せよ」であったが、そこに「戦う人」を意味する「~トゥミコロクル~」というアイヌの言葉を併記した。アイヌの言葉をスローガンに加えたのは、日本の12球団の中で初めてで、もちろん未だに唯一でもある。北海道にホームグラウンドがあるという最大の強みにしっかり気づき、しっかり取り入れていた。
さらには、日ハムとして、アイヌ文化の保存・伝承および発展に寄与したいとの思いから、その前の年(2013年)に産学官連携のもと実施された『イランカラプテ(アイヌ語でこんにちは)』キャンペーンのイメージ動画に日ハムの栗山監督が出演したり、球団選手らが白老ポロタコタン(アイヌ民族博物館)を訪問して体験学習などの活動にも参加をしている。
チームのスローガンにアイヌ語を取り入れたことがきっかけとなり、2014年に札幌大学で「アイヌ語にチャレンジwith栗山監督」という企画も実施され、市民と共に監督が熱心にアイヌ語やアイヌ踊りなどを学んできた。日ハムはアイヌとは素晴らしいといっても過言ではない実に良好な関係を築いてきたことが見て取れる。だからこそ今回のアイヌへの不配慮バナー問題が、アイヌ民族に対して敬意を表する1人の人間として、そして日ハム含む日本野球の1ファンとしても残念である。
しかし、今回の「北海道は、開拓者の大地だ」の失言が出る前に実はその前兆がしっかり現れていた。私たちは皆その現象を見てながらも見落としていた。そのことに気づくことが重要である。そこに私たちにとっての大きな学びがある。
これは2015年1月26日に発表された日ハムの今年のスローガンに注目したい。
2015年の日ハムファイターズのスローガンは、新たな時代を切り開く覚悟を持ち、北海道から野球界に変革を起こすという、強い信念を示す意味で考え出された「EZOlution」である。その意味は、英語の「Revolution(変革)」「Evolution(進化)」「Resolution(決意、誓い)」など幾つもの意味合いを込めているという。スローガンに込めた意味合いは実に素晴らしい。しかしここまでは、素晴らしいと言わざるをえないということが、残念でならない。
気になるのは「EZOlution」に、込めた最後の意味である。それは「EZO」(北海道)だと言う。このアイヌの地で、地域に根ざして活動する球団として、EZO(蝦夷)という言葉をスローガンとして使うに当たっての躊躇することはなかったのだろうか。
近代国家が生まれる前の今の北海道のこの地域は、先住民の言葉でカムイモシリ(神の住むところ)やアイヌモシリ(人間の静かなる大地)などと呼ばれていた。「蝦夷」とは、大和朝廷から続く中央政権から見た、カムイモシリまたはアイヌを異端視した呼称であった。17世紀にアイヌと交易を行ったシサムモシリ(隣人の島という意味。本州のことである)の人間に対して自分たちのことを蝦夷と呼ばず、アイヌ/アイノと呼ぶよう求めたという話もある。蝦夷ではなく、アイヌと、そして蝦夷でなく北海道との呼称が一般的に使われるようになったのは、明治以降なったからである。
話を歴史から2015年に戻したい。つまり、今年になって北海道日本ハムファイターズのスローガンをかつて大和朝廷から続く中央政権から見たカムイモシリやアイヌを異端視する意味合いを含んだ概念を蘇らせたことになる。
球団側に今年のスローガンに「蝦夷」を使うことによって、カムイモシリのアイヌ(神の住むところの人間)は寂しい思いをするかも知れないという想像力は働かなかったのだろうか。
この文章を読んで多数派日本人から少数者は「考えすぎ」や「言葉狩り」との指摘をしてくるに違いない。しかし、少数者に言わせると多数派は「考えなさ過ぎ」や「言葉を大事にしない」としか考えられない。大事なのは一緒に考えることである。一緒に考えるのにどうしたら良いか。
カムイモシリやアイヌの力を野球に取り込む特権を有している日本のたった一つのチームとして、その活躍に期待を寄せたい。そのためにも、この地の先住民への配慮は欠かすことはできない。もしも、日ハム側の意思決定に参加できる立場に、または広報課などにアイヌにルーツのある当事者がいたら、「北海道は、開拓者の大地だ。」も「蝦夷」も事前に止められた可能性は高い。
日本のダイバーシティー アンド インクルージョンはイコール女性活用にばかり目がいっているが、この国の先住民に学び、先住民の叡智を取り入れ、生かすことも立派なダイバーシティー アンド インクルージョンである。
私などは、日本がこの国が好きで来日し、今でもその気持ちには全く揺らぎはない。そして私は、この日本でアイヌと出会い、日本を惚れ直した。和文化と同じようにアイヌ文化もこの日本のかけがえのない宝である。アイヌ文化を和文化に同化させて消してしまうようでは、こんな勿体無いことはない。シサムモシリとアイヌを大事にすることは、日本を一層素晴らしい国にすることでもある。
今回のバナー問題の収束をうけて、北海道アイヌ協会の加藤理事長は「これからも良い関係を築きたい。野球の試合を通して『イランカラプテ』を広めて欲しい」と伝えた。
「イランカラプテ」とは、アイヌの言葉でいう「こんにちは」である。ただアイヌのこんにちは「イランカラプテ」は、日本語のこんにちはのような軽い意味で使われているわけではない。「イランカラプテ」には「あなたの心に寄り添いたい」という素晴らしい意味が込められている。
ダイバーシティー アンド インクルージョンは、我々に強さだけではなく、優しさももたらせてくれる。アイヌは、日本に強さ、優しさ、しなやかさ、美しさをもたらせてくれる。
http://www.huffingtonpost.jp/nishanta/baseball_b_8560378.html

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アイヌ民族儀礼具「捧酒箸」1本1本に個性 網走で展示

2015-11-16 | アイヌ民族関連
北海道新聞 11/15 07:00
さまざまな表情を見せる捧酒箸
 【網走】アイヌ民族が神や先祖にお酒をささげる時に使う木製の儀礼具「捧酒箸(ほうしゅばし)」(イクパスイ)を集めたロビー展が29日まで、道立北方民族博物館(網走市潮見)で開かれている。
 1910年~40年代に収集された56点を展示。アイヌ語で「イク」は酒を飲む、「パスイ」は箸を意味する。祈るときにこの儀礼具の先端に杯の酒を付けてささげることによって、人間の願いが神に伝わると信じられているという。
 展示ケースには、さまざまな材質やデザインの捧酒箸がずらりと並ぶ。道内にはない竹で作られたものや、刀やクマを模した彫刻、金属板をはめ込んだ装飾など、1本1本異なる表情を見せている。
 ロビー展のみの観覧は無料。問い合わせは博物館(電)0152・45・3888へ。(米田真梨子)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/doto/1-0202206.html


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さらなる友好発展誓う 姉妹都市締結35周年記念式典

2015-11-15 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 (2015年 11/14)

ダルトン市長(左)に記念品を渡す岩倉市長
 苫小牧市と姉妹都市のニュージーランド(NZ)・ネーピア市を訪れている苫小牧市民訪問団(団長・岩倉博文苫小牧市長、31人)は13日、ネーピア市役所で姉妹都市35周年記念式典に参加した。NZには他国の各都市と42の姉妹都市があるが、両市の交流は中でも3番目の長さ。出席者は友好関係をさらに進めていくことを誓い合った。
 式典には訪問団やアイヌ文化の継承に取り組む苫小牧うぽぽ、ネーピア市の市議団、在NZ大使など約70人が参加した。
 ネーピア市のビル・ダルトン市長は「皆さんをお迎えできるのは大きな誇り。35年間の姉妹都市関係を非常にうれしく思っている」とあいさつ。岩倉市長は「市民と市民の温かい触れ合い、多くの人の努力により相互交流がずっと続いてきたことに深い感銘を覚えている。これまでにも増して両市の結び付きを深め、市民交流を土台とした新たな可能性を共に探っていこう」と呼び掛けた。
 ネーピア市からはリトグラフ版画と訪問団一人ひとりに記念品がプレゼントされ、苫小牧市は同市の公式キャラクター「とまチョップ」の石像を記念品として贈呈。両市長が固い握手を交わした。ニュージーランド姉妹都市協会のモリス裕美会長は両市や苫小牧ニュージーランド協会などに長年に渡る相互交流への感謝状を贈った。両市は交互に訪問しており、式典後、ダルトン市長は「2年半後には苫小牧を訪問したい」と述べた。
 この日は王子製紙などが出資し、現在も同社苫小牧工場にパルプを輸出しているパンパック社(本社ネーピア)主催で、NZで最も古いワイナリーの一つ、ミッションワイナリーを会場に昼食会を実施。この後、訪問団は同社工場を見学した。夕食会では地元の友好協会メンバーなどから盛大な歓迎を受け、最後はマオリ族の伝統音楽と日本の「さくら」などを歌い合い、親睦を深めた。
 王子町の花井洋達さん(46)は「ホスピタリティーあふれる温かい歓迎の気持ちが伝わり、とても感激した。35年間培ってきたものが、確実に友好に結び付いているのを改めて実感した」と話していた。
http://www.tomamin.co.jp/20151132185

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アイヌ語の危機、全国に訴えたい 札旭丘高生、英語弁論で全国へ

2015-11-15 | アイヌ民族関連
北海道新聞 11/14 16:00

優勝トロフィーを手に笑顔を見せる仙北谷さん
 札幌旭丘高2年の仙北谷(せんぼくや)侑希さん(17)が第16回全道高校英語弁論大会(道高文連主催)で優勝し、来年1月の全国大会に出場する。弁論のテーマは消滅の危機にある「アイヌ語」について。仙北谷さんは「少数言語の大切さを伝えたい」と全国の舞台を楽しみにしている。
 全道大会は10月31日と11月1日の2日間、札幌で開かれ、各地区予選を通過した19人が参加。5分30秒のスピーチを行い、審査員が発音や内容を評価した。
 仙北谷さんは「死滅しつつある言語」と題し、アイヌ語の話者が極めて少ないことを紹介。「英語は経済的な面で重要だが、文化的多様性も必要。すべての言語に関心を示して」と身ぶりを交えて訴えた。
 学校では英会話を学ぶ部活「国際交流局」に所属。中学生のころから英語が好きで、言語の大切さを考えるようになったという。指導する庄末(しょうすえ)剛教諭は「言語をテーマにすると英語を選びがちだが、アイヌ語という北海道ならではの問題を取り上げた点も評価されたのでは」と話す。
 全国大会には18人が出場する予定。仙北谷さんは「せっかく出場するのなら、上位を狙いたい。少しでも多くの人にアイヌ語の存在を知ってもらいたい」と話した。(鹿内朗代)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/sapporo/1-0202072.html

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アイヌ語賛美歌きょう公開 室蘭の教会、バチラー八重子録音

2015-11-15 | アイヌ民族関連
北海道新聞 11/14 16:00、11/15 04:27 更新

バチラー八重子の録音テープを手にする大友正幸さん
 【室蘭】歌集「若きウタリに」を著したアイヌ民族の歌人バチラー八重子(1884~1962年)が歌った、貴重なアイヌ語の賛美歌の録音音声が15日、室蘭市のカトリック東室蘭教会(宮の森町4の9)で公開される。歌詞は養父でアイヌ民族への布教に取り組んだ英国人宣教師ジョン・バチラーがアイヌ語訳した。
 テープを所有する日本聖公会の大友正幸司祭(76)=札幌市中央区=によると、大友さんの先輩司祭だった故渡辺政直さんが1961年ごろ、伊達町(現伊達市)の八重子の自宅で録音したという。親交のあった渡辺さんは八重子の晩年、札幌から月1回程度、身の回りの世話をしに通った。
 大友さんは70年ごろ、渡辺さんから複製のカセットテープを受け取った。賛美歌「主 われを愛す」と「蛍の光」の独唱が計約2分間録音されている。
  大友さんは「八重子さんは尊敬するジョン・バチラーの遺志を継ごうとアイヌ語の賛美歌を歌い続けた。テープはその証しだ」と話す。当日、音声の解説をするアイヌ文化振興・研究推進機構(札幌)のアイヌ文化活動アドバイザー富樫利一さん(82)は「アイヌ民族の歴史と人の生き方を学ぶ機会にしたい」と言う。
 午前11時からで無料。問い合わせは同教会(電)0143・44・3851へ。
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/life-topic/life-topic/1-0202079.html

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<プレミア12>台湾代表の主将、侍ジャパンにタピオカティー差し入れ

2015-11-15 | 先住民族関連
中央フォーカス台湾 2015/11/14 13:04

12日のカナダ戦で本塁打を放ち、主将の貫禄を見せた林智勝選手
(台北 14日 中央社)台北などで予選が行われている野球の国際大会「プレミア12」。台湾代表の主将・林智勝内野手は13日、自身が所属する台湾プロ野球・ラミゴの関係者に依頼し、桃園国際球場で練習中の日本代表に台湾発祥の「タピオカミルクティー」を50杯差し入れ、歓迎の意を示した。台湾の複数メディアが報じた。
台湾原住民(先住民)アミ族出身の林は、本塁打王を3回獲得しているほか、プロ12年目となる今年は台湾プロ野球初のトリプルスリー(打率3割8分、31本塁打、30盗塁)を達成。2014年には日本プロ野球・ロッテの秋季キャンプに参加し、日本の選手らと交流を深めていた。今大会では、11日のイタリア戦から2試合連続で本塁打を放つ活躍を見せている。
(編集:杉野浩司)
http://japan.cna.com.tw/news/aart/201511140002.aspx

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<金口木舌>“埋められた”巨人を忘れず

2015-11-14 | アイヌ民族関連
琉球新報 2015年11月14日 06:00
 「北海道は、開拓者の大地だ」とうたった日本ハムの球団広告が撤去された。先住民族がいた正しい歴史の理解につながらず「配慮が足りない」と北海道アイヌ協会が申し入れた
▼今、新作の翻訳が最も待たれる1人、英国の作家カズオ・イシグロさんが10年ぶりの長編「忘れられた巨人」を上梓(じょうし)した。遠くにいる息子を探し、奇妙な霧が覆う大地を行く老夫婦の旅を書く
▼霧は人々の大切な記憶や過去、歴史をおぼろげにする。翻訳家・柴田元幸さんのインタビューでイシグロさんは、国家における記憶と忘却を描こうとしたと語る
▼「個人は、国家はどこまで自分をだますべきか」「いろいろな国にこのことは忘れることにしようと国民が同意しているような、何か大きな事柄があるように思う。あいにくそれらは隠されたままでなく何度でも戻ってくる」
▼安倍政権の下でナショナリズムや歴史修正主義、無知や無関心の霧が覆う。アイヌもしかり、沖縄や福島、「慰安婦」などの“埋められた”または“埋められつつある”巨人を忘れず、繰り返さぬため、個人や国家がどう霧を払うかが試される
▼複合化学汚染が見つかった沖縄市サッカー場に近い北谷町の住宅地土壌から、基準値の約2倍のダイオキシンが検出された。米軍返還地の環境汚染もまた、霧のせいにして忘れてはならない埋められた巨人である。
http://ryukyushimpo.jp/column/entry-171468.html

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母語を守る

2015-11-14 | アイヌ民族関連
中日新聞 2015年11月14日
 半年前、各地の支局で働く若い記者の研修会を開いたときのことです。ある女性記者が近況を話すと小さな笑いが起きました。彼女の言葉に、勤務する土地のなまりがあったからです。
 初めての土地に早くもなじんでいる。地元の人には親しみを感じてもらえるだろうな。少し感心しながら近況を聞きました。
 <ふるさとの訛(なま)りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし>
 寺山修司のよく知られた歌で、懐かしき言葉を忘れたような友を嘆いています。方言やお国なまりはその土地の人々を結びつける大事なものなのでしょう。
 先日、こんな新聞記事を読みました。前に国連教育科学文化機関(ユネスコ)から消滅の危機にあると指摘されたアイヌ語、沖縄語や八丈語など八つの言語・方言を次世代に残すため、文化庁が対策に乗り出すという話です。
 この八つだけでなく、各地でも多くの方言が消える恐れがある。そうした心配を語る専門家の声も載っていました。まさかと思うものの、世界に六千以上あるという言語の多くが絶滅の危機にあるという指摘もあります。日本でもいずれ多くの方言が消えてしまうというのは、決して杞憂(きゆう)ではないのかもしれません。
 そうなったときの味気なさを想像します。生きものに似て、言葉も多様であってこそ豊かな国が保たれるのでしょう。
 「祖国とは、国語だ。それ以外ではない」。シオランというルーマニアの思想家はそんな言葉を残しました。これにならえば「故郷とは方言だ」でしょうか。
 それぞれの母語ともいえる方言を守ることは、つまりは人を大切にすることにもなるのでしょう。日本語は無論、数多くの土地の言葉を大事にしたいものです。
(名古屋本社編集局長・臼田信行)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/desk/CK2015111402000116.html


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「グレートジャーニー」の出発地は、パタゴニアの先住民のお墓の前だった

2015-11-14 | 先住民族関連
webDICE-2015-11-13 17:30

『光のノスタルジア』『真珠のボタン』探検家・関野吉晴さんによるトークイベント・レポート
映画『真珠のボタン』より、セルクナム族 © Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema - 2015
南米ドキュメンタリーの巨匠、パトリシオ・グスマンが自国チリの歴史を圧倒的な映像美で描く2部作『光のノスタルジア』『真珠のボタン』が岩波ホールにて公開中。両作を読み解くトークイベントが3日間にわたり実施され、11月8日は探検家・医師の関野吉晴さんが登壇した。
関野さんは人類のルーツを南アメリカからアフリカのタンザニアまで逆ルートから踏破するという旅「グレートジャーニー」を敢行。このトークイベントでは、『真珠のボタン』の舞台となるパタゴニア、『光のノスタルジア』で描かれるアタカマ砂漠といったチリの自然や現地の人々との交流、今作で明らかになったチリの歴史の暗部について、といったエピソードが披露された。
【『真珠のボタン』について】
全長4300キロ以上に及ぶチリの長い海岸線。その海の起源はビッグバンのはるか昔まで遡る。そして海は人類の歴史をも記憶している。チリ、西パタゴニアの海底でボタンが発見された。―そのボタンは政治犯として殺された人々や、祖国と自由を奪われたパタゴニアの先住民の声を我々に伝える。火山や山脈、氷河など、チリの超自然的ともいえる絶景の中で流されてきた多くの血、その歴史を、海の底のボタンがつまびらかにしていく。
【『光のノスタルジア』について】
チリ・アタカマ砂漠。標高が高く空気も乾燥しているため天文観測拠点として世界中から天文学者たちが集まる一方、独裁政権下で政治犯として捕らわれた人々の遺体が埋まっている場所でもある。生命の起源を求めて天文学者たちが遠い銀河を探索するかたわらで、行方不明になった肉親の遺骨を捜して、砂漠を掘り返す女性たち……永遠とも思われる天文学の時間と、独裁政権下で愛する者を失った遺族たちの止まってしまった時間。天の時間と地の時間が交差する。
グレートジャーニーのスタート地点、パタゴニア
1971年に初めて南米に行きました。約40年前ですが、最初の20年は南米と言ってもほとんどアマゾン、アンデス、パタゴニア、ギアナ高地などの先住民といることが多かったんです。彼らと過ごすうちに、先住民と日本人は非常に似ていると思って、ルーツが知りたくなりました。アフリカで人類が生まれて世界中に拡散していくのですが、その中で一番遠くまで行った人たち……シベリア、アラスカ経由で最南端まで行った人々の旅路をイギリスの考古学者はグレートジャーニーと名付けたわけですけども、私は逆ルートでそれを自分の腕力と脚力だけで10年かけて歩きました。人類が一番最後に到達した地点は、この映画にも出てくる先住民、ヤマナ族の住むナバリーノ島のプエルト・ウィリアムズです。すから敬意を表して、彼らの先祖の墓があるメヒジョンという場所を出発地点にしました。
当時のチリの空気
アマゾンに1年ほどいて、72年にチリに行きました。アジェンデ政権の時ですね。世界で初めて民主的な手続きで社会主義政権ができたわけですから、世界中が注目していました。
アマゾン疲れしていたのでヒッチハイクでチリに向かいました。ペルーからアタカマに入って陸路でチリを縦断して、最後パタゴニアに行きます。
印象的だったのは、サンティアゴより南のほうで汽車に乗って旅をした時のことです。車内で歌を歌いだしたグループがいました。すると同じ車内の他のグループが別の歌を歌い始めました。それが終わると最初に歌ったグループがまた歌い始めました。交互に歌い始めたのですが、お互いに自分の土地の自慢話を即興で歌っているんです。曲は古いチリの曲だったようですが、詩は即興でした。それで、真ん中にいる私に声がかかったんです。「歌わなくてもいいから、こっちに来なよ」 と。やがて、1グループが列車から降りる時、私に「汽車を降りて私たちの町に来て、泊まっていきなさい。いいところだから」とお呼びがかかりました。一方、残ったグループからも、「泊まるならうちらの町においで、もっといい村だから」と誘われました。私は当てのない旅だったので、最初に声を掛けてくれた村に行くことにしました。そのグループは町に住む工場労働者、小売業者と学生たちが主体でしたが、1家族だけ郊外に住んで農業を営んでいました。チリでは夏休みを1か月くらいたっぷり取るんです。毎日がフィエスタのように音楽に合わせて踊り、土日は海や湖に行ってワインを飲み、フルーツを食べ遊び、休みます。メロンなんかをくりぬいて、そこにワインをどぼどぼと注いで、みんなで回し飲みします。ワインが水より安いんです。
私の泊めてもらった家の主人は露店で雑貨を売っていました。狭い家に住んでいましたが、私の寝る空間を作ってくれ、常に私に気を使ってくれました。彼らはアジェンデ政権を熱烈に支持していました。1週間ほど彼らに世話になった後に、郊外に住む1家族を訪れました。ここでも大歓迎してくれました。彼らは広い土地を持つ地主で、農園を経営していました。アジェンデ政権の農地改革で土地を奪われていたので、アジェンデ政権を非常に憎んでいました。悪口ばかり言っていましたね。当時のチリは、アメリカのCIAが経営者や運輸業者にストをやらせたりして、非常に混乱していました。その後私はいったん日本に帰ったのですが、1973年4月ごろ、再びアマゾンに入って、9月12日に出てきました。ペルーで新聞を見たら、一面トップに「クーデター発生」と書いてあった。9.11に軍事クーデターが起こったんですね。たしかに物はないし、経済的にはボロボロだった。クーデターが起こるんじゃないという予感はありましたが、びっくりしました。
パタゴニアの先住民―カウェスカル族のマリア・ルイサと、
ヤマナ族のクリスティナ・カルデロン
その後、ゆっくりとパタゴニアに行きました。『真珠のボタン』の舞台ですね。映画にも出てくるカウェスカル族の家に何度か行って、しばらく居候していました。僕は旅をするときいつも「泊めてください。同じご飯を食べさせてください。なんでもしますから」どこかの家を訪ねます。ほとんど断られたことはありません。
カウェスカル族は25年前の当時で16人しかいませんでしたから、今はもっと減ってるかもしれませんね。滞在していた家はお父さんが結核でいなくて、お母さんと13歳の娘、マリア・ルイサがいました。私はいつも、旅先で子供がいたら「大きくなったら何になるの?」と聞くんですが、南米ではだいたいスチュワーデスや先生や看護師、という答えが多い。今回もそういう答えが返ってくるのかなと思っていたら、彼女は「考古学者になりたい」と。そんな答えは初めてでした。
彼女はある冊子を見せてくれました。それはチロエ島の先住民ウィジチェの歴史を描いた劇画でした。つまり彼女は、カウェスカルの歴史もこのように本にしたい、それが夢だと言ったんです。彼女は学校に通っていましたから「社会科の教科書みせて」と言って見たら、太古からコロンブスまでの歴史は1ページ。あとは全部スペイン人がやってきてからの歴史でした。案の定。そうじゃない歴史を彼女は作りたかったんですね。
ちなみに、ウィジチェとカウェスカルは交流があって、ウィジチェは船を作る技術を持っているんですが、仕事がないので技術を活かせない。一方、カウェスカルは漁をしているけど漁船がないので、白人や白人の混血の人のもとで、本当に安い賃金で働かされています。それを助けようと、あるベルギーのNGOが支援をしたんです。ウィジチェに11メートルの漁船を作らせ、カウェスカルに船を操業させて自由に漁業ができる形にしました。まったく理想的な形ですよね。2つの民族が船を作る技術、魚をとる技術を活かせる。船の名前は、カウェスカルの少女マリア・ルイサからとってマリア・ルイサ号という名前がついています。
マリア・ルイサはその後、プンタアレナスで高校に通って大学受験の準備をしていました。先住民には枠があるので入学できるかもしれないと言っていたのですが、残念なことに大学を諦めていました。そして、混血の男性と結婚していました。彼女はカウェスカル族の中で最年少だったので、もう純血のカウェスカルが残る可能性はなくなって彼女がいなくなったら純粋なカウェスカルはいなくなります。
それから『真珠のボタン』に出てくる、クリスティナ・カルデロンさんというヤマナ族のおばあちゃんに何回か会ったことがあります。最後に会ったときはお姉さんがいたんですけど、亡くなってしまって今は一人になってしまったんですね。彼らは世界最南端のプエルト・ウィリアムズというチリ海軍基地の近くのウキケというムラにいて、かつては先祖の墓があるメヒジョンという、放牧にも農業にも適した集落に住んでいましたが、現在は海軍に占拠され、追い払われてしまったのです。もう90歳に近いのですが、カルデロンさんが最後です。ですから彼女が国宝となっていますが、彼女がなくなった後はみんなが混血なんです。ですからヤマナも滅びてしまう。
アタカマ砂漠のミイラ
アタカマの話に移りますが、アタカマは本当に天気がいいんです。『光のノスタルジア』にカラマの女性たちが出てきますが、カラマでは観測史上、一回も雨が降ったことがない。それなのに人が住んでいるのはどうしてだと思いますか?それは人が住むのに雨は必要がないからです。アンデス山脈から川が西の方に伸びて流れていて、川があれば緑や畑が広がるので、実は砂漠の土地はとても肥沃なんです。アタカマには博物館があって、そこにはミス・アタカマというミイラがあります。アタカマはミイラ文化で有名なんです。実は一昨年前に科学博物館でわたしの「グレートジャーニー」という特別展をやったのですが、そのときにアタカマから持ってきた世界最古のミイラを飾りました。ようするにエジプトより古いミイラがあります。おもしろいのはミイラを飾っている家があることです。そしてまるで生きているように朝、食事をあげるという文化が根付いています。
西パタゴニアとアタカマって本当に正反対です。パタゴニアの氷河を歩いたのですが、ずぶずぶで着生植物だらけのところを縫っていかなくてはならない。それでやっと岩や氷のところにたどり着けます。『光のノスタルジア』『真珠のボタン』、この2本の映画の舞台はまるで対照的な2つの地域なんです。政治的なことを扱ってはいますが、それをちょっと引いた目で、啓示的な視点で観てるから、ダイレクトじゃない。チリの歴史に興味がなくても、知らなくても見られる。そして素直に入っていける、とてもすばらしい映画ですね。
(2015年11月8日、岩波ホール内・岩波シネサロンにて)
関野吉晴(せきの・よしはる) プロフィール
一橋大学在学中に探検部を創設、アマゾン全踏査隊長としてアマゾン川全流を下る。その後医師となり、南米への旅を重ねる。1993年から2002年にかけて、アフリカで誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸に拡散した道を、南米最南端から逆ルートでたどる「グレートジャーニー」に挑んだ。2004年からは「新グレートジャーニー 日本列島にやってきた人々」をスタート。シベリアから稚内までの「北方ルート」、ヒマラヤからインドシナを経由して朝鮮半島から対馬までの「中央ルート」、インドネシア・スラウェシ島から石垣島までの「海上ルート」を踏破。1999年植村直己冒険賞受賞。現在武蔵野美術大学教授。
http://www.webdice.jp/dice/detail/4906/

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苫小牧市民訪問団、ネーピア入り ホンギで歓迎

2015-11-14 | 先住民族関連
苫小牧民報  (2015年 11/13)

空港でホンギを交わす訪問団とマオリ族の人たち=12日、ネーピア市のホークスベイ空港
 苫小牧市と姉妹都市締結35周年となるニュージーランド・ネーピア市への苫小牧市民訪問団が12日、現地に到着した。ネーピア市のホークスベイ空港でニュージーランドの先住民マオリ族から歓迎を受けた。
 市民訪問団27人と、すでに現地入りしていた1人が同空港に昼すぎに到着。ネーピア市のビル・ダルトン市長やホークスベイ日本人協会のロバート・アレル会長をはじめとするメンバー、マオリ族5人の計15人が横断幕を掲げて迎えた。
 ビル・ダルトン市長は「訪問団を歓迎します」と笑顔であいさつ。マオリ族が伝統の歌を披露し、友好を表す鼻と鼻をくっつけるあいさつ「ホンギ」を訪問団一人ひとりと交わした。夜には岩倉博文市長などが合流した。
 訪問団の一人、今田和史さん(67)は「5年前にも横断幕を掲げて迎え入れてくれた。今回はマオリの儀式もあり、非常に感銘を受け、友情がまた深まっているのを実感している。あすからは苫小牧市美術博物館の収蔵展も始まるので、ネーピアの方たちに苫小牧の文化を知ってほしい」と話していた。
http://www.tomamin.co.jp/20151132138



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【BOOKセレクト】佐山和夫著「1935年のサムライ野球団」

2015-11-14 | 先住民族関連
スポーツ報知 2015年11月13日15時0分
 米国野球に造詣の深いノンフィクション作家の佐山和夫さん(79)が「1935年のサムライ野球団」(KADOKAWA、1728円)を刊行した。今から80年も前に、米カンザス州で行われた“裏ワールド・シリーズ”に参加したカリフォルニア州の日系2世チーム。善意とフェアネスに基づく、その奮闘ぶりを描いている。佐山さんは、米国史上最高の投手といわれる伝説の黒人選手サチェル・ペイジも参加した大会の経緯や、日本野球は米国人にどう映ったのか、現地取材で解き明かした。(蛭間 豊章)
 通算2000勝以上したという“米球界最高の投手”サチェル・ペイジ研究の第一人者である佐山さん。今回取り上げた“裏ワールド・シリーズ”を知ったのもペイジが出場していたからだった。
 「米国だけでなくカリブ海沿岸諸国まで足を伸ばしていたペイジは、いろいろな試合に投げていました。この大会も多くの登板試合の一つかと思って最初は興味を持たなかったんです」
 しかし、その当初「ナショナル・ベースボール・コングレス・ワールド・シリーズ」と呼ばれたその大会が、当時、白人しかプレーできなかったメジャーリーグのワールド・シリーズに対抗して計画されたもので、元メジャーだけでなく排除されていた黒人、米先住民、海外から米国に定住した2世らによって編成された32チームが集結していたことを知って、作家意欲をかき立てられた。歴史を掘り起こそうと考えたという。
 「この大会はプロ、アマ関係なく、そして肌の色が違っていてもOKの、まったく差別のない野球大会だったのです。そして日系2世チームも出ていたんです。彼らはどこから来たのか、どんな選手で、どうして参加したか、次々と疑問が湧いてきたのです」
 佐山さんは、大会が行われた米国のど真ん中・カンザス州ウィチタに飛んだ。あのメジャーの通算本塁打記録保持者バリー・ボンズも大学生の時に2度出場した「ナショナル・ベースボール・コングレス」として続いている大会。その創設者の名前を冠したローレンス・デューモント・スタジアム外野後方のモニュメントには「ジャッキー・ロビンソンが大リーグにあった人種差別の壁を破った1947年よりはるか以前に(中略) すでに人種差別を撤廃していた」と大会の意義が記されていた。そして、参加チームのひとつとして、「全員が日本人から成るニッポニーズ(Nipponese)・スターズ」とも記されている。
 「調べてみると、カリフォルニアからはせ参じた日系チームは、ウィチタに行くまで各地で試合を重ねて移動費用を捻出しながらだったようです。大会には、彼らのほかに、アメリカ先住民族野球大会優勝チーム、兄弟だけのチーム、など、全米から集結したのです」
 太平洋戦争以前の米国では、野球が最も人気のあるスポーツだった。特にカリフォルニア州の日系人にとっても最大の娯楽でもあり、米マイナーのチームでプレーする選手もいたほどだった。そのカリフォルニア州の日系オールスターともいうべきニッポニーズ。メンバーの中には、後に日本プロ野球の阪急で“ヘソ伝”のニックネームで知られた(フランク)山田伝外野手、後にパ・リーグの審判にもなった(ジョージ)上田藤夫内野手も加わっていたことも突き止めた。
 「日本と違って米国は、戦災に遭っていないので各地の図書館には古い地元紙が大切に保管されています。ですから、彼らがどのようにウィチタまでの3000キロを超える道のりを向かったのかも分かったのです」
 80年前の“侍ジャパン”は、大会では2戦連敗し早々と姿を消した。だが、帰路でもさまざまな試合に出場した彼らは、大会を含めた遠征中、実に約40日で32試合(22勝)も戦った。すべての試合で、真摯(しんし)で全力プレーの“日本野球”を貫き、観客にはそれを印象づけた。
 「彼らは米国的なベースボールではなく、父世代の一世が日本で学んできた正々堂々とした野球を披露しました。そして日本人がどんなに真面目で善意に満ちていたかと示そうとしたのです」
 翌年、日本プロ野球がスタート。21世紀に入ってプロ参加の国際試合が格段に多くなり、現在プレミア12が開催中だ。
 佐山さんは「80年前の日系人が、米国で日本野球の神髄を披露してくれた。今の侍ジャパンにもそんな先達の真摯なプレーを忘れずに、優勝してほしい」と期待している。
 ◆佐山 和夫(さやま・かずお)1936年8月18日、和歌山県生まれ。79歳。慶大文学部英文学科卒業後、レコード会社勤務や高校教師などを経て文筆活動へ。「史上最高の投手はだれか」で84年度(第3回)潮ノンフィクション賞を受賞。その後も精力的に野球のルーツを探る書籍を多数出版。近著に「箱根駅伝に賭けた夢」(講談社)、「ペリーより62年も前に」(渓流社)がある。報知新聞社制定「ゴールデンスピリット賞」では第1回から選考委員も務める。
 ◆プレゼント 佐山和夫さんの直筆サイン本「1935年のサムライ野球団」を5人に。希望者ははがきに〒住所、氏名、年齢、好きな作家、社会面の感想を書き、〒108―8485 報知新聞社文化社会部・ブック「佐山和夫」係まで。11月19日の消印まで有効。当選者発表は発送をもって代えます。
 【小田嶋さんが選ぶこの一冊】
 佐山さんは感銘を受けた本として、評論家の故・松本健一氏が03年に刊行した「砂の文明・石の文明・泥の文明」(PHP新書)を挙げた。
 「文明論として、こんなに具体的で分かりやすい本は他にありません。世界に広まってきたベースボールという球技が、それぞれの地でどうしてかくも違った様相を呈するのか。その理解のカギを、私はこの本から得た気がします」
 松本氏は民族と風土のあり様を3つのカテゴリーに分類。「砂の文明」のイスラム、「石の文明」の欧米、そして「泥の文明」のアジアの、それぞれの文明の発達のあり方を描いた独創的な文明論。
 「ボール状の物を、バット状の物で打つという遊びは、人類の最初からあったでしょう。それが各地において違った価値観を背負うものとなっていった根源を教えられます。ボールの発生からベースボールへの進化、あるいはベースボールになり得たゲームたちの消滅の背景までわかりました」
 野球のルーツを追って米国各地だけでなく、英国やフランスにまで足を運んだ佐山さんだけに、ボールゲームの歴史を語る上で格好の一冊になったという。
http://www.hochi.co.jp/topics/serial/CO019592/20151113-OHT1T50096.html

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インディオ代表者が政府高官と面会=居住地を狭める法案に反対し

2015-11-14 | 先住民族関連
ニッケイ新聞2015年11月13日

ベルゾイーニ総務室長官と面会するインディオの族長達(Valter Campanato/Agencia Brasil)
 リカルド・ベルゾイーニ大統領府総務室長官は11日、ブラジリアで全国各地から集った先住民族(インディオ)の訪問を受けた。
 先住民達の訪問は、先住民保護区の制定権を連邦議会に移すという憲法補足法案(PEC)215/2000に反対するためのものだった。
 総務室広報担当官によると、ベルゾイーニ長官は先住民達の闘争を支援する姿勢を打ち出し、「我々のスタンスは対話を求めること。PEC215は議会から出たもので、連邦政府は賛成していない」との声明を発表後、「PEC215は対立を煽り、先住民族の領土権を危険にさらす可能性があり、何の解決策にもならない」とも付け加えた。
 カラジャー族の族長、ナルビア・ウェレリア氏は「部族全体がPECは部族の土地を奪うものだと考え、同法案を先住民の権利の後退だと評している」と述べた。
 トカンチンス州生まれの同族長は、先住民保護区の制定を今後も継続する事を求めると共に、「我々は勝ち得た権利が脅かされるのを良しとしない。現世代は闘争を通じて鍛えられている。PECの速やかな撤回を要求する」と語った。(11日付アジェンシア・ブラジルより)
http://www.nikkeyshimbun.jp/2015/151113-02topics.html


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岐阜)狩猟文化発信に研究所 岐阜大助教が揖斐川に開設

2015-11-14 | 先住民族関連
朝日新聞 2015年11月13日03時00分 古沢孝樹

 岐阜大学地域科学部助教の山口未花子さん(38)が、狩猟文化の発信や交流拠点「狩猟採集文化研究所」を揖斐川町の山間部に開設した。獣害対策だけではなく、狩猟を通した人と動物の密接な関係も伝えたい考え。こうした内容に特化した研究所は珍しい。
 研究所の開設では、岐阜大が「地(知)の拠点整備事業」(大学COC事業)で助成し、地元住民らが協力。施設は空き家だった民家を利用した。山口さんは代表者として、その運営にあたる。
 山口さんは人間の生活と関わりが深い動物と向き合いたいと、カナダで狩猟を続けている先住民カスカ族の生活を研究。ヘラジカなどの大型動物は猟銃で、ビーバーなど小型動物はワナで狩猟をしている。
残り:507文字/全文:808文字
http://www.asahi.com/articles/ASHC95WGNHC9OHGB00N.html

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