戦争や大飢饉、迫害にも影響、一方で新たな商売や「黄金時代」ももたらした
ナショナルジオグラフィック2024.02.28
ベルギー、アントワープ近郊の凍り付いたスヘルデ川。1593年、ルーカス・ファン・ファルケンボルフ作。(PHOTOGRAPH BY INCAMERASTOCK, ALAMY STOCK PHOTO)
16世紀から19世紀まで、北半球は長く続く厳しい寒さに見舞われた。この期間は「小氷期」と呼ばれているが、その原因は何だったのだろうか。また、どのような影響があり、人々は寒さにどう適応したのか。そして、新たな気候変動の時代に入っている現代の私たちは、そこから何を学ぶことができるのだろうか。
小氷期とは何か、その原因は
小氷期は、本物の氷河期とは違う。平均気温はおそらく0.5℃低下しただけで、寒さがずっと続いていたわけでもない。米ジョージタウン大学の環境歴史学准教授であるダゴマール・デグルート氏は、「小さな小氷河期」が繰り返し起こっていた時代だったと説明する。
米航空宇宙局(NASA)の定義によると、小氷期は1550年前後に始まり(一部の研究者はもっと早かったと主張している)、温暖な時期を挟んで寒さのピークが3回、1650年と1770年、1850年に訪れたとされている。
小氷期がなぜ起こったのかはまだ解明されていないが、太陽活動の低下や火山噴火の増加のほかに、ヨーロッパ人による北米先住民の大量虐殺が原因だという説がある。大量虐殺によって人口が減り、耕作されなくなった農地に代わって森林が拡大し、大気中から約70億トンの炭素を吸収したという。(参考記事:「米先住民の大量死は17世紀の寒冷化に影響した? アマゾンで検証」)
2021年12月15日付けで学術誌「Science Advances」に発表された論文は、逆説的なようだが、1300年代末頃に非常に暖かい海水が熱帯から北に移動したことで、北極圏の氷が北大西洋に流出したことが寒冷化の引き金になったのではないかと推測している。
歴史のいたるところに影響
小氷期の影響は歴史のいたるところに見ることができるが、どこまでがその影響によるものなのかは専門家の間で意見が異なる。(参考記事:「“17世紀の危機”の原因は小氷期」)
1658年にスウェーデン国王カール10世グスタフの軍隊が、凍り付いた海峡を渡ってデンマークのフュン島に侵攻したことや、1795年にフランス軍が海氷にはまって動けなくなったオランダ艦隊を捕獲したことなどは、確かに寒冷化がなければ起こりえなかっただろう。馬に乗った軍隊が艦隊を捕らえたのは、後にも先にもこれきりだ。
農作物の不作が続くことによる恐れと不安から、ヨーロッパでは魔女裁判やユダヤ人への迫害が急増した。(参考記事:「魔女狩りの恐ろしい歴史、不当な嫌疑で殺された女性たち」)
さらに中国でも、食料不足によって農民の反乱が増えたことが明王朝崩壊の一因になったという見方がある。グリーンランドでスカンディナビア人の植民地が消滅したのも、気温低下に伴って海と陸の両方で氷が増加したためだろうと推測されている。
ストラディバリウスのバイオリンが持つ独特の音は、寒さのためにアントニオ・ストラディバリが使用した木材の密度が高くなっていたためであるという説さえある。
歴史的な出来事だけでなく、小氷期はそれ以上に普通の農民や都市に住む貧困者を苦しめた。人類学者のブライアン・フェイガン氏は、自著『歴史を変えた気候大変動:中世ヨーロッパを襲った小氷河期』(河出書房新社)のなかで、「アルプスの人々は、木の実の殻をひいたものを大麦とオーツ麦の粉に混ぜ合わせてパンを焼いていた」と書いている。
英ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジのアリエル・ヘッサヨン氏によると、17世紀と18世紀初めに食料危機が深刻化し、1600年代末にはいくつかのヨーロッパの国で大飢饉が起こったという。あまりの厳しさに、1684年の冬、イングランド国王チャールズ2世は国民を助けるための寄付を募り、自らもそれに貢献した。おかげでイングランドは、近隣諸国よりはましな冬を乗り切ることができた。
それでも、「全国で人が次々に死んでいった。動物、鳥、魚も同様だ。地面が硬くて穴が掘れず、埋葬もできなかった。樹木は割れ、植物は枯れた」と、ヘッサヨン氏はブログに書いている。(参考記事:「アラスカの凍土に眠る血みどろの歴史、貴重な遺物に消失の危機」)
寒さに適応して生まれた商売や戦略
それほど厳しい寒さにあっても、適応した人々がいた。ロンドンでは凍り付いたテムズ川で「氷祭り」が開催された。ホットチョコレートやパイを売る屋台が立ち並び、人々は氷上サッカーをしたり、イヌにクマを攻撃させる「クマいじめ」を見物したり、アーチェリーの腕を競ったりした。
水上タクシーなど、川が凍り付いて商売ができなくなった人々もいたが、氷祭りで屋台を出すなど別の収入源を確保することで変化に適応していたと、ヘッサヨン氏は言う。「川の上なら賃料を払う必要がありませんから」
米大陸では、現在のカリフォルニア州に住んでいた先住民モハベ族が、やはり気候の変動を受けて「高度に分散された交易文化を発達させました」と、デグルート氏は言う。また、丈夫な籠や陶器を作ってその中に物資を入れ、長距離を運んだ。「ある地域で食料が不足しても、別の地域との交易でその分を補っていました」
ネーデルラント連邦共和国(現在のオランダとベルギーの一部)も同じようにして、気候変動に強く多様な交易インフラを構築し、小氷期の最も困難な時期に「黄金時代」を過ごしていた。
北米ニューイングランドの先住民からなるワバナキ連邦は、寒さと雪を味方につけ、雪靴を履いてイングランド植民地を襲撃した。しかし18世紀前半になると、今度は入植者たちが先住民の技術と知識を取り入れ、雪靴を履いた兵士らがワバナキの狩猟場をパトロールするようになった。
現代人が学べること
デグルート氏によると、意外にも小氷期に商業が栄え、紛争が減った地域もあったという。それが、北極圏の捕鯨場だ。「寒くなって氷が増えたことでクジラが狭い場所に集中し、捕鯨がしやすくなったのです」。その結果、北極圏の捕鯨をめぐる武力紛争はなくなったという。
そこには、現代の気候変動に直面する私たちが学ぶべきことがあるかもしれないと氏は続ける。「現代の国家安全保障をめぐる議論では、北極圏で正反対のことが起きると予想されています。北極の氷が解ければ競争が激しくなり、この地域での紛争が増えるというのです」
各地に甚大な影響をもたらした小氷期だが、その気温の低下の幅は、現在の地球が直面している気温の上昇幅ほど大きくはなかった点を、デグルート氏は強調する。だからこそなおさら、当時のことや、人々がどのように適応していったかを理解することは重要だと、ヘッサヨン氏も言う。
「研究できそうな材料は山のようにあります。そこから、現在の危機にどう立ち向かうかを学べることを期待しています」(参考記事:「気候危機の伝え方は間違っていた? 気温目標ではダメと新提案」)
文=KIERAN MULVANEY/訳=荒井ハンナ