「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

音楽とオーディオのどちらを優先する?

2022年07月17日 | 音楽談義

つい先日、家内がドキリとするようなことを言った。

「昔は、お父さんはモーツァルトの音楽を聴いて”涙が出るほどいいなあ~”とよく感激していたのに、最近はなんだかオーディオばっかり熱中してちっとも音楽のことを話題にしなくなったね~」。

ウーム、言われてみるとそうかもしれない。このところ、どうも音楽にのめり込む気がしないのも事実で、どうもこの暑さで集中力が散漫になっているせいかな。

いや、暑さのせいではなく歳のせいで感受性が鈍くなったことが本当のところだろう(笑)。

このブログでもこのところ、好きな曲目の紹介など音楽関係の記事はほぼ無縁の状態で「スピーカーをどうしたこうした」とかのオーディオ関係の記事ばかりで埋め尽くされている。

で、ここで「音楽&とオーディオ」の関係について考えてみよう。

今さら改めて述べるほどのことでもないが、これはいわば「主従の関係」であり「目的と手段」の関係でもある。

もちろん王様が音楽、オーディオが召使いである。音楽を聴くためにオーデイオがあるのだから当然至極。

そして、音楽がおろそかになってオーディオが主になっている人は俗にいう「音キチ」とされ、これは道を踏み間違えて倒錯している人に対する蔑称となる。

で、当然のごとく「音キチでいいじゃないか!」と開き直る方がいてもちっとも不思議ではない。

実は自分もその心境に近づいている(笑)。

若干言い訳めくが「好きな音楽をいい音で聴きたい」と、一心不乱にシステムの一部を代えたり、ちょっとした工夫で「いい音」になったときの快感が忘れられず、それは名曲に親しむときに覚える快感に勝るとも劣らない。

とはいえ、「キリがない」のも事実で、いくら「いい音」を手に入れたとしても何回も聴いているうちに何かしら不満が出てきてどこかをいじりたくなる、その繰り返しが延々と続いていく。いわばずっとトンネルの中にいて出口の明かりが見えないようなものかもしれない。

対比するとしたら、音楽は完結の世界になるが、オーディオは永遠に彷徨を続ける未完の世界となる。

で、どちらが飽きないかといえばそれは後者でしょう(笑)。どんなに気に入った音楽でも何回も聴いていると飽きてくる経験をどなたでもお持ちのはずだから。

ここで、先日のブログでも取り上げた村上春樹さんの言葉を引用しよう。

「 僕は思うのだが、優れた芸術とは多くの奥深い疑問を我々に突き付けるテキストのことだ。そしてたいていの場合、そこには解答は用意されていない。解答は我々一人ひとりが自分の力で見つけていくしかない。

おまけにそのテキストは~もしそれが優れたテキストであればだが~休みなく動き続け、形を変え続ける。そこには無限の可能性がある。時には間違った解答も出てくることもあるかもしれない。そこにはそんな危険性もある、しかし可能性とは危険性の同義語でもあるのだ。」

つまり、正解でも間違いでも構わない、自分さえ納得できたら誰が何といおうと「それでよし」ということでしょうか。

言い換えると「音楽&オーディオ」は何も「飯の種」じゃないんだから、どちらを優先しようとしまいと、本人の好き勝手にやればいい。

面倒くさい話は抜きにして、そういうことで行きましょう、ねっ(笑)。



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