「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

オーディオを超越した音楽、それがモーツアルトだ!

2023年09月15日 | 音楽談義

夏の花といえばサルスベリ(百日紅)が大好き。

連日の猛暑にもめげず、けなげにも満開の花を咲かすので感心の至りだったが、これが契機となってブログ仲間のMさんからいろいろと教えてもらった。

「サルスベリは30種ほどあって約100日くらい咲き続けるといわれますが、次々と咲いていくので、ずーっと咲いているように見えるだけ・・・。

< 散れば咲き 散れば咲きして 百日紅 > 加賀千代女(かがのちよじょ)」

     

左から「別府公園(再掲)」「Mさん宅のお庭(画像借用)」「朝のウォーキングコース」で見かけたサルスベリ。ブログに花の画像が登場すると武骨なオーディオ機器とは違って一転華やかになりますねえ(笑)。

しかし、今となっては色が褪せたり、はかなく散ってしまったりで、もはや全盛時の面影はない。来年まで楽しみに待つことにしよう。

「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かれど 風も吹くなり  雲も光るなり。」(林 芙美子)。

この言葉をネットでググっていたら、どなたかの次のような文章が目に入った。 

「花のいのちは短くてもの悲しい。泣ける悲しさではなく、涙が出てくる悲しさでもない。やはり物悲しいとしか言い様のない悲しさである。

人間の存在はある視点からみると、物悲しい存在であると言えるのだろうか。さしずめモーツアルトの音楽などはその代表格である。美しい、そして物悲しい。」

そうなんです!

モーツァルトの音楽は悲しさが(涙が追いつかないほどに)疾走する」とは、よく聞かされる言葉だが、彼の音楽の中に “そこはかとなく漂うもの悲しさ” が感じとれれば、(鑑賞力が)合格ラインに到達していることを日本有数のモーツァルト通が保証しよう(笑)。

さらにモーツァルトの音楽は“もの悲しさ”とは別に、より高い健康効果が認められることをご存知だろうか。

                    

この本の一節に次のような記述がある。(155頁~)

「JBL者の社長、ポール・ベンテがJBLの(最高機種の)エベレストD66000を設置したリビングで最初にかけた一枚は何だったのだろうか? と気になったので聞いてみると、すぐに立ち上がって取り出してきた一枚のCDがモーツァルトのヴァイオリン・コンツェルト3番&5番だった。」

なぜ、この曲目だったのかというわけだが、実に興味深い話なので少々長くなるが引用させてもらおう。

「耳鼻咽喉科医のトマティス博士による研究によると、人は生まれたばかりのときは完全な聴力を持っているが、成長する過程でひどく叱られたときの先生の声や嫌な思いをしたときの音、何か衝撃的なことが起こったときの雰囲気や人の声などに対して、耳はひとりでにその周波数をシャットアウトしてしまう習性がある。

つまり、いつのまにか知らない間に身体に聴こえていない音(周波数)の部分が出来てしまう。イヤだという思いを耳が体に入れまいとするからである。そのことが自律神経を正しく刺激しなくなり、具合の悪い箇所を呈してしまう。

トマティス博士はこの聴力の障害を回復するために音楽を用いる。そのため、人間の身体に影響を及ぼす音について、地球上のあらゆる音源を研究したのである。

風の音から水の音、各国の民族音楽、ジャズからポップス、バッハやベートーヴェンやワグナーなどを辛抱強く丁寧に試してみたのである。50年にもわたるその臨床と実験の結果、体に効果のある音は、何とモーツァルトただ一人だけであり、”モーツァルトの音楽でなければならない”という結論であった。(正しくはグレゴリオ聖歌とモーツァルト)」

ただ惜しいことに、この文章には「なぜ効果があるのか」という理由が書かれていない。そこで他の文献から拾ってきたものを掲載しておこう。モーツァルトの音楽の特性として次の3点が挙げられている。

1 音の高い周波数(3500ヘルツ以上の高音)がよく含まれている

2 自然の音と同じ一定のリズムを保ちながら「変化のある音=”ゆらぎ”」に満ち満ちていること

3 倍音(音と音とがぶつかり合ってさらに高い周波数になる)と呼ばれる音の特性が交感神経(ストレスなどを喚起する)の働きにブレーキをかけること

この中でも特筆すべきは2の「ゆらぎ」で、これこそモーツァルトの音楽の核心で交響曲第39番の第四楽章などはその最たるものだろう。

ところで、前述の文中にあるイヤな思いをしたときの音の話だが子供の頃に大人から上から目線でガミガミ叱られた記憶がある人は、大きくなっても上から降ってくる音には拒絶反応を示すそうで、一般的にオーディオシステムにおいても目線(耳線)の上から音が降ってくると何となく居心地が悪くなるのもそういうことを踏まえると判るような気がする。

さて、そのモーツァルトの音楽の中でも顕著に効果があったのが「ヴァイオリン協奏曲の3番と5番」ということだったが、
じぶんに言わせればモーツァルトのヴァイオリン協奏曲は1番から5番まで、いずれも似たようなもので別に特定する必要もなく、すべてひっくるめて「ヴァイオリン協奏曲だ」との思いをずっと持っているので特に何番とかにこだわる必要はあるまい。

現在のCD盤の手持ちはグリュミオー、フランチェスカッティ、レーピン、オイストラフ、ハイフェッツ、オークレール、クライスラー、シュタインバッハー、ムターといったところだが、「You Tube」では山のように(演奏者が)出てくるのでいくらCDを持っていても意味はない(笑)。

いずれも一流の演奏者ばかりで自分ごときに優劣を論ずる資格はないし、録音が悪いので聴く気にならないという気持ちにならないのも不思議。

この辺が明らかにほかの作曲家とは違う・・。

「オーディオを超越した音楽、それがモーツァルトだ!」と、声高らかに叫びたいところですね(笑)。

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