「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

俳句が変えた人生~ウマさん便り~

2024年12月09日 | ウマさん便り

こちら(南スコットランド)のお葬式は教会で執り行われるが、その昔、驚いたことがあった。

教会に入った途端、びっくりや! 
なんと大音量でロックが流れているのよ。なんで?

葬儀で、故人の好きな音楽を流すことは珍しくないと知った。
僕がメルヘン爺ちゃんと呼んでいたヒュー爺さんは、星を観察しながらモーツァルトのソナタを聴く人だったので、葬儀では、ピアニストがずっとモーツァルトのピアノソナタを演奏していた。

それと葬儀では、必ずB5サイズほどのチラシが配られる。
故人の写真やプロフィールなどに加え、故人作の俳句が紹介されていることも珍しくない。

Haiku は、もう日本だけのものではない。
俳句の授業がある中学校があるし、毎年、師走に入ると、スーパーや本屋のカレンダーコーナーに、俳句カレンダーが並ぶ。まず、草書で書かれた俳句(もちろん縦書き)…それの読み方(ローマ字)…その意味…そして、七五調で英語に訳したもの…

ところで…
地元ダンフリースの市営ジムにはちょくちょく行く。ま、たまには筋トレもするけど、いちばんの楽しみはサウナ。銭湯大好き人間が、銭湯のない国で、せめて銭湯代わりに行くのが、ジムのサウナというわけやね。

いつだったかなあ…サウナで派手な花柄ビキニを着た婆さんと出逢った。
とても立派な体格に花柄ビキニ…いいじゃない!自分の体型を気にせず、派手な花柄ビキニを着用しておられる。

こんな方って、裏おもてのない方じゃないか?と、とても好印象を抱いたね。


ついでに言うと…

人間ってさあ、体形と年齢を気にするのが必要な場合と、それらを忘れていい場合があるように思う。

それらを気にして節制したり体力作りに励むのはいいことだけど、それらを全然気にすることなくやりたいことをやる…これもいいことだと思う。例えば…


僕の大好きな画家、堀文子さん…
100歳まで作品作りに励んだ彼女、ご自分の年齢を気にしたことないんじゃないかなあ。
69歳でイタリアへ移住、トスカーナ地方にアトリエを構える…(イタリア語は出来ない…)
77歳の時、アマゾン旅行、マヤ遺跡、インカ遺跡など探訪…
82歳の時、ヒマラヤ登山、念願だった幻のブルーポピーを探しに行く…(のちに作品となる)
どお? 年齢を気にしてたら、こんな行動ちょっと無理じゃない?

で、サウナの婆さん、自分の年齢と体型を顧みず、派手な花柄ビキニ…立派だと思うなあ。

挨拶を交わしてすぐ、その婆さん、僕に…「あなた、日本人?」
ええ、そうですと答えると、エライコッチャ、あんた、とんでもないことが起こったのよ…
いや、驚いた。

そのビキニの婆さん、僕が日本人だとわかると、もう、ニコニコ…

なんと、俳句を暗唱しだした。しかも日本語や!

「フルイケヤ〜…カワズ…トビコム…ミズノオト〜…」

もう、びっくり! 呆気にとられてしもた…

そして、僕は、彼女が語る「俳句が変えた人生」に惹き込まれてしまった…

学生時代は、バイロンやジョン・キーツ、ボードレールなどの詩に親しんだとおっしゃる。
だけど、エドガー・アランポーの詩にも惹かれたと言うので、あれ?と思った。
「エドガー・アランポーって、詩人じゃなく推理小説家じゃないんですか? ほら、モルグ街の殺人…」
「そう、でも、彼は素晴らしい詩人でもあるのよ」
「エドガー・アランポーが詩人? 初耳や。昔、日本の推理小説家が、自分のペンネームをエドガワ・ランポにしましたよ」

俳句を知ったのは、今から50年以上前、造船所に勤めていた御主人が事故で亡くなった頃だという。

落ち込んでいた彼女に、友人がくれた一冊の本が「俳句入門」だった。

そして、その本で、芭蕉を知ったことが大きな転機になったとおっしゃる。言葉の戯れごとだった俳句を芸術の域まで高めたのが芭蕉だった。芭蕉なくして俳句はない。

こちらの俳句ファンは、芭蕉をニックネームのバナナと呼んでいる。昔、僕の祖父が果物のバナナをバショウと言ってたのを思い出す。


ビキニ婆さんは言う…
その「俳句入門」を読んでるうちに、シンプルな表現の中に様々な感情が込められているのが分かるようになった。
そして次第に俳句に惹かれるようになり、とうとう自分でも俳句を詠むようになった。
すると、過去を振り返ることがなくなり、悲しみとサヨナラすることが出来たとおっしゃる。そして常に前を向くようになったとも…
俳句なくして今の自分はないとまでおっしゃる。

僕の友人の数学者で芭蕉の研究家として知られるロナルド・ターンブルを紹介してあげたらすごく喜んでいた。
後日、彼が芭蕉のことを書き、僕の書が掲載されたトレッキング雑誌を彼女に進呈することになる。

ほかに人がいなかったせいか、サウナで汗を拭きふき、随分話し込んじゃった。
別れ際、彼女の名前を尋ねた…

その次に彼女に会ったとき、彼女の名前を筆で和紙に書いたのをプレゼントした…
彼女の名前ティナのティを「茶」とし、古池のある奈良の「奈」を加えて「茶奈 (ティナ)」…
緑茶が大好きだと言うティナ、もう飛び上がらんばかりに喜んでくれた。そしてハグハグ、ハグ…ちょっときついハグだったけど…

PS: 僕の葬式のチラシに載せる俳句はもう決めてまっせ…

「…まあ、しゃーない、三途の川のお出迎え…」(季語なし)… 上田敏子さんや、これ英語に訳してくれへん?

僕には俳句を詠む素養はないなあ。学生時代、友人のK君と車で北海道へ行った。

札幌から旭川を過ぎ、最北端の街、稚内(わっかない)を目指した。途中、サロベツ
原野で、雲にかすむ利尻島の利尻富士を望んで詠んだ一句…

「利尻富士…見えるかどうか…わっかない…」…K君、ドテッ!…

おあとがよろしいようで…。

最後に、ブログ主から~、

俳句じゃないけれど、文豪「スタンダール」(フランス)の墓碑銘は「書いた、愛した、生きた」と簡潔なものですが、もしかしてウマさんにピッタリじゃないかなあ。

ちなみに、ブログ主では「聴いた、読んだ、生きた」でしょうか。

読者の皆様も3語で己の人生を表すとしたらどうなんでしょう。

まさか「食べた、飲んだ、生きた」じゃないとは思うけど~(笑)。



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