指揮者の「岩城(いわき)宏之」さん(1932~2006)といえば、N響の指揮者を中心に活躍された方だが、亡くなられてからもう18年が経つことに驚いた・・、光陰は矢のごとし。
指揮者の傍ら洒脱な「音楽エッセイ」を何本も執筆されている。このブログでも過去に「オーケストラのいじめの風景」を取り上げたことをご記憶でしょうか。
指揮者ならではの独特の見方は一読するに値すると思うので、たまたま図書館で見かけたこの本を読んでみた。
まずはネットのレヴューから。
「12冊目は名指揮者によるエッセイ。音楽家で文章もうまい人といえば山下洋輔ですがクラシック界ならこの人がピカイチです◆一日の指揮棒を振る回数を数えたり「大物指揮者に見える秘訣」を考えたり、さらには暗譜をめぐる議論から引退の時期まで「言われてみれば気になる」指揮者をめぐるトリビアが満載です◆印象的だったのは言葉をめぐる話。
どの指揮者も、母国のオーケストラを振るのが一番難しい。理由は「母国語だとリハーサルでしゃべりすぎるから」。不自由な外国語のほうが、かえって言いたいことを端的に伝えられるのだそうです。」
もう一つ。
「指揮者というお仕事紹介エッセー。オチョクリ四分の三、専門的な本音四分の一で、指揮台から落ちた話やらお菜箸を削って指揮棒を作る話など裏話から舞台上の失敗まで面白く教えてくれる。その根底には音楽への情熱がしっかりと読み取れる。
オーケストラの指揮に興味がある人向きとは思うが、昭和ヒトケタ生まれ男子が世界進出していく物語としても面白かった。昭和ヒトケタパワーは凄い。このエッセイの最終話が書かれたのが1998年。8年後、2006年に亡くなっている。晩年に書かれたものがあれば、また読んでみたい。」
続いて、ブログ主が興味を惹かれた部分を抜粋してみよう。
〇 大物指揮者になるための一番の近道はユダヤ人になることだ。指揮者に限らず世界的な演奏家の90%以上はユダヤ人である。どうしてあれほど音楽の才能、特に演奏の才能があるのだろう。
作曲家の場合はそれほどのパーセンテージではないかもしれないが、ヴァイオリンやチェロなどの弦楽器の大物の99%はユダヤ人だといっていだろう。
〇 もう一つ、世界的な大物の音楽家であるための強力な資格があるのだ。ホモセクシャルである。この割合も過半数をはるかに超える。チャイコフスキーをはじめKもBも、あの人もこの人もそうかと、うんざりするほど、偉大な男の音楽家のホモセクシャル率は大きい。
〇 30年ほど前、アメリカのあるオーケストラを客演した時、練習を終えて廊下を歩いていたら一枚の紙が落ちていた。アンケ―ト用紙だった。
質問は25項目あった。
「この指揮者の耳はどうか」「バトン・テクニックはどうか」「練習の時間の使い方はどうか」「たびたびゲストとして招くに値するか」「将来、常任指揮者になって欲しいか」・・、それぞれに10点までの採点をかくようになっている。アメリカのオーケストラはこうやって指揮者の勤務評定をしているのかと感心した。
最後の二つの質問が凄かった。「オーケストラメンバーのミスに追い打ちを掛ける、イヤな性質があるか」もう一つは「この指揮者はユーモアを理解する人間であるか、適当なジョークでリハーサルを円滑に行うか」
ぼくがこれまでに知っている大指揮者たちは、誰もが素晴らしいユーモアのセンスの持ち主だった。普段ニコリともしないコワーイ人でも、時にはちらっとジョークを飛ばして、硬い雰囲気をガラッと変えてしまうのだ。
というわけです。
芸術の殿堂であるはずのクラシック音楽界・・、外から見るのと内から見るのとでは様相が随分違うようで、かなり人間臭いところがありますな(笑)。
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