共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

和製円舞曲第壱號 《美しき天然》

2015年04月15日 21時31分35秒 | 音楽
先日生徒のレッスンをしていて、たまたま取り組んでいたのがワルツだったのですが、その子にとっては三拍子のリズムというものが難しいようで苦戦していました。レッスン後「もうヤダ!誰が三拍子の曲なんか作ったの?!」とゴネだしたので、「西洋音楽を手がけるについちゃあ、嫌でも三拍子は何処までもついてまわるよ」と言ったらゲンナリしていました…。

確かに日本人はワルツに限らず三拍子の曲があまり上手ではない…と言われています。恐らく遡れば民族的発達と文化にまで話が及ぶことになるのでしょうが、早くから騎馬で狩猟生活をしていたヨーロッパ人に対して、農耕民族だったアジア系民族はどうしてもリズムの取り方がヨイトマケになりがちです。しかし、だからといって日本にワルツが馴染まないか…というと、案外そうでもありません。特に文明開化以降、西洋から様々な音楽がもたらされた中で、先人達は当時最先端の西洋文化を貪欲に吸収しようとしました。そして明治35年に、日本人作曲によるオリジナルワルツ第一号として作曲されたのが《美しき天然(うるはしきてんねん)》です。

この《美しき天然》は海軍兵学校の士官だった田中穂積が、軍歌調の厳めしい音楽が世に溢れていた当時、赴任先の佐世保の女学校の生徒たちにも口ずさみやすい曲を作ろうと思い立ち、滝廉太郎の《花》の作詞でも有名な武島羽衣の詩に作曲した作品です。曲頭に『ワルツのテンポで』と明記してあることから、和製ワルツ第一号と言われるようになりました。

佐世保近くの九十九島の光景を歌ったといわれるこの曲はたちまち評判になり、やがて学校の枠を超えて日本中で歌い、演奏されるようになっていきました。特に、作曲者が海軍関係者ということもあってか、元海軍音楽隊員だった音楽家が寄り集まってできたジンタで盛んに演奏され、それがやがてチンドン屋に引き継がれていくことになったようです。特に昭和生まれの人間がこの曲を聞くとサーカスや大道芸を想起するのは、そういった経緯が一因しているのかも知れません。

このうら悲しいワルツを、田谷力三と並び賞される往年の名テノール奥田良三の歌唱で収録したSP盤を再生している動画を見つけたので転載してみました。日本人が初めて手がけたワルツの響きを御堪能下さい。

さてうちの生徒は、来週こそはしっかりとワルツを聞かせてくれるかしら…?


奥田良三 Ryozo Okuda_ 美しき天然
コメント
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