今日は終戦記念日です。七十一年前の今日、ラジオから流れた昭和天皇陛下の『玉音放送』によって、戦争の終結が告げられた日です。
本来ならば靖國神社に参詣したいところでしたが、諸事情あって今年は厚木神社境内にある忠霊碑前での終戦記念日となりました。以前に訪れた時よりも数は少なくなりましたが、それでも何人かの方がいらしていて、正午の時報と共に一分間の黙祷を捧げました。
父の兄にあたる伯父に聞いた話によると当時のラジオの感度は決していいものではなく、しょっちゅう音が途切れ途切れになっていたそうです。この日も予め『天皇陛下からラジオで重大発表がある』とは聞かされてはいたものの、実際には電波の感度の悪さと文語体の文章内容とが相俟って、当時尋常小学生だった伯父には何のことだかチンプンカンプンだったそうです。
その後、周囲の大人たちに内容を教えてもらった時にはものすごくショックだったそうですが、それでも
『これで明日からもう爆弾が降ってくることはないんだ…。』
ということだけは漠然と理解した…と言っていました。
先の大戦では日本国内外で三百十万人余の犠牲者が出たとか。それだけの御霊の上に今日の発展を享受していることを、私達は常に肝に銘じておかなければなりません。
この日がこれから代々経てもずっと、そうした戒めと鎮魂の日であり続けることを願うばかりです。
本来ならば靖國神社に参詣したいところでしたが、諸事情あって今年は厚木神社境内にある忠霊碑前での終戦記念日となりました。以前に訪れた時よりも数は少なくなりましたが、それでも何人かの方がいらしていて、正午の時報と共に一分間の黙祷を捧げました。
父の兄にあたる伯父に聞いた話によると当時のラジオの感度は決していいものではなく、しょっちゅう音が途切れ途切れになっていたそうです。この日も予め『天皇陛下からラジオで重大発表がある』とは聞かされてはいたものの、実際には電波の感度の悪さと文語体の文章内容とが相俟って、当時尋常小学生だった伯父には何のことだかチンプンカンプンだったそうです。
その後、周囲の大人たちに内容を教えてもらった時にはものすごくショックだったそうですが、それでも
『これで明日からもう爆弾が降ってくることはないんだ…。』
ということだけは漠然と理解した…と言っていました。
先の大戦では日本国内外で三百十万人余の犠牲者が出たとか。それだけの御霊の上に今日の発展を享受していることを、私達は常に肝に銘じておかなければなりません。
この日がこれから代々経てもずっと、そうした戒めと鎮魂の日であり続けることを願うばかりです。