昨日のジメジメした梅雨空をそのまま引き継いだような天気の中、知らない間に暦が七月になっていました。何だか、暦から2017年の上半期が終了しました…という事実を一方的に突き付けられながら、そんなことを全く実感出来ていない自分がいたりします。
今にも雨が落ちてきそうで落ちてこない微妙な天候の中、今日は相模國一之宮の寒川神社に参詣しました。昨日こちらで、今年の上半期を締めくくる《夏越の大祓(なごしのおおはらえ)》神事が執り行われたので、一日遅れではありますが私も茅の輪くぐりをして、上半期の穢れを祓おうと思い立ったわけです。
《水無月の夏越の祓えする人は千歳の命延ぶといふなり》
夏越の大祓とは、一年の半分に当たる水無月の晦日に茅の輪を立ててそこをくぐり、年明けからそれまでに身につけた穢れを祓う神事です。これと対になるのが、大晦日に行われる《年越の大祓》となります。
手水舎から神門に向かうと、廻廊内の参道の真ん中に、大きな茅の輪が据えられています。
参拝者は先ず茅の輪の前で一礼して茅の輪をくぐります。そして行った先から左回りで戻って、更に一礼して茅の輪をくぐってから今度は右回りで、ちょうど無限大∞を書くような感じで戻ります。そして一礼して茅の輪をくぐり、青茅の香りを清々しく感じながら拝殿へと向かいます。これが茅の輪くぐりの一連の動作です。
実施される各御社毎にいろいろなものがありますが、寒川神社の茅の輪は、青竹で組まれた柱に編まれたばかりの青々とした茅の輪が据え付けられていて、横にも茅の輪に使った茅(ちがや)が添えられています。茅の輪の上方には紙で出来た人形代(ひとかたしろ)が提げられていて、如何にも陰陽道由来の八方除の御社ということを彷彿とさせます。
今日は土曜日ということもあって、それなりの人出が予想された…のですが、意に反して境内は閑散としていました。ただ、どういうわけだか今日はお宮参りの一行が多く、三組ほどのパパさんから茅の輪の前での親子写真の撮影を頼まれました。
こんな青々とした茅の輪の前でお宮参りが出来たあの子たちは、ある意味幸せです。彼等のこれから先の人生に、幸多からんことを願って止みません。
ところで、神門の外にある国旗掲揚台の横に、岐阜県伊吹山から運ばれたという『さざれ石』が据えられていました。
《君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで》
と日本国歌にも歌われるさざれ石ですが、実際にどんなものかを見たことがある人は、意外と少ないのではないでしょうか。
折角こんな立派なさざれ石があるのですから、ここへ子供たちを連れてきて見せてあげたいものです。
寒川神社を後にして、摂社の宮山神社にも参詣しました。すると
何と、普段固く閉ざされている扉が開いている!
そう、これは月初に行われる月次祭(つきなみさい)の行われた後だったのです。
思いがけず、月初の神事を済ませてパワーアップした宮山神社に参詣も出来て 、何だか得した気分になれたのでありました。
さて、今日から2017年も下半期です。一体、どんなことが待ち受けているでしょうか…。
今にも雨が落ちてきそうで落ちてこない微妙な天候の中、今日は相模國一之宮の寒川神社に参詣しました。昨日こちらで、今年の上半期を締めくくる《夏越の大祓(なごしのおおはらえ)》神事が執り行われたので、一日遅れではありますが私も茅の輪くぐりをして、上半期の穢れを祓おうと思い立ったわけです。
《水無月の夏越の祓えする人は千歳の命延ぶといふなり》
夏越の大祓とは、一年の半分に当たる水無月の晦日に茅の輪を立ててそこをくぐり、年明けからそれまでに身につけた穢れを祓う神事です。これと対になるのが、大晦日に行われる《年越の大祓》となります。
手水舎から神門に向かうと、廻廊内の参道の真ん中に、大きな茅の輪が据えられています。
参拝者は先ず茅の輪の前で一礼して茅の輪をくぐります。そして行った先から左回りで戻って、更に一礼して茅の輪をくぐってから今度は右回りで、ちょうど無限大∞を書くような感じで戻ります。そして一礼して茅の輪をくぐり、青茅の香りを清々しく感じながら拝殿へと向かいます。これが茅の輪くぐりの一連の動作です。
実施される各御社毎にいろいろなものがありますが、寒川神社の茅の輪は、青竹で組まれた柱に編まれたばかりの青々とした茅の輪が据え付けられていて、横にも茅の輪に使った茅(ちがや)が添えられています。茅の輪の上方には紙で出来た人形代(ひとかたしろ)が提げられていて、如何にも陰陽道由来の八方除の御社ということを彷彿とさせます。
今日は土曜日ということもあって、それなりの人出が予想された…のですが、意に反して境内は閑散としていました。ただ、どういうわけだか今日はお宮参りの一行が多く、三組ほどのパパさんから茅の輪の前での親子写真の撮影を頼まれました。
こんな青々とした茅の輪の前でお宮参りが出来たあの子たちは、ある意味幸せです。彼等のこれから先の人生に、幸多からんことを願って止みません。
ところで、神門の外にある国旗掲揚台の横に、岐阜県伊吹山から運ばれたという『さざれ石』が据えられていました。
《君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで》
と日本国歌にも歌われるさざれ石ですが、実際にどんなものかを見たことがある人は、意外と少ないのではないでしょうか。
折角こんな立派なさざれ石があるのですから、ここへ子供たちを連れてきて見せてあげたいものです。
寒川神社を後にして、摂社の宮山神社にも参詣しました。すると
何と、普段固く閉ざされている扉が開いている!
そう、これは月初に行われる月次祭(つきなみさい)の行われた後だったのです。
思いがけず、月初の神事を済ませてパワーアップした宮山神社に参詣も出来て 、何だか得した気分になれたのでありました。
さて、今日から2017年も下半期です。一体、どんなことが待ち受けているでしょうか…。