いやぁ…やってしまいました。
教室としては昨日が仕事納めだったのですが、終わったと思った途端に猛烈に気分が悪くなったのです。ですが、
『この症状には覚えがある』
と思った私は、とりあえず厚木まで身を引きずるようにして帰りました。そして何とか帰宅して荷物を降ろしてから救急車を呼んで病院に連れて行ってもらったのです。
型通りの問診を受けながら診察台の上でグッタリしてたら、夜勤の医師が来て聴診器を当てたりして様子を診てから、非常に事務的に点滴の準備をして私の腕に針を刺しました。それからどれだけの時間が経ったか…と思っていたら、
「ハイ、終わりましたよ〜。」
という事務的な呼びかけで目を覚ましました。
診断結果は『急性胃腸炎』
ハイ、やはりいつぞややらかしたのと同じでした。
医師からは
「年の瀬ですけど、暴飲暴食とかはしないように気をつけて下さいね。」
と冷たく言い放たれて終わりました。が、正直なところ私は呑み友達なんてものが存在すらしていないのでここ何ヶ月も酒なんか呑んでいないし、アラフィフになって段々と食が細くなってきているのでそんなにドカ食いもしていないのです。
これは前回の時も条件は同じだったのですが、そんな健全な食生活をしていて何で暴飲暴食を注意されなきゃならんのか…ハッキリ言って理不尽です。
そして前回同様に夜中に野外に放り出されて、つらつらと歩いて帰宅しました。それからは只管寝て過ごしていたのですが、昼過ぎに呼び鈴が鳴ったので出てみたら、先日東京駅で会った友人から小包が送られて来ていました。何だろう?と思って開けてみたら、この天女像が入っていたのです。
後でLINEで聞いてみたら
「ちょっと遅めのクリスマスプレゼントだよ。」
とのことでした。尤もクリスマスプレゼントに仏教の天女像もどうなのかと思ったりしたのですが…。
これは彼がある所に出張した時に、たまたま開催されていた蚤の市で売られていたものだそうです。元は仏壇か仏像の光背についていたのではないかということですが、正確なところは売り主にも分からないということでした。天衣を翻して天を舞う二人の天女を、柘植の木を使った一刀彫で作り上げたもので、表情までも精緻に掘り上げたなかなかの作品です。もしかしたら下の天女が右手に、上の天女と同じような蓮の花を持っていたかも知れないということですが、それが欠けていたからといってあまり気になりません。
これを我が家の仏壇にどう活かすか…それはこれからゆっくりと考えることにしますが、我が家の祈りの場が充実していくということは、兎にも角にも嬉しい限りです。
教室としては昨日が仕事納めだったのですが、終わったと思った途端に猛烈に気分が悪くなったのです。ですが、
『この症状には覚えがある』
と思った私は、とりあえず厚木まで身を引きずるようにして帰りました。そして何とか帰宅して荷物を降ろしてから救急車を呼んで病院に連れて行ってもらったのです。
型通りの問診を受けながら診察台の上でグッタリしてたら、夜勤の医師が来て聴診器を当てたりして様子を診てから、非常に事務的に点滴の準備をして私の腕に針を刺しました。それからどれだけの時間が経ったか…と思っていたら、
「ハイ、終わりましたよ〜。」
という事務的な呼びかけで目を覚ましました。
診断結果は『急性胃腸炎』
ハイ、やはりいつぞややらかしたのと同じでした。
医師からは
「年の瀬ですけど、暴飲暴食とかはしないように気をつけて下さいね。」
と冷たく言い放たれて終わりました。が、正直なところ私は呑み友達なんてものが存在すらしていないのでここ何ヶ月も酒なんか呑んでいないし、アラフィフになって段々と食が細くなってきているのでそんなにドカ食いもしていないのです。
これは前回の時も条件は同じだったのですが、そんな健全な食生活をしていて何で暴飲暴食を注意されなきゃならんのか…ハッキリ言って理不尽です。
そして前回同様に夜中に野外に放り出されて、つらつらと歩いて帰宅しました。それからは只管寝て過ごしていたのですが、昼過ぎに呼び鈴が鳴ったので出てみたら、先日東京駅で会った友人から小包が送られて来ていました。何だろう?と思って開けてみたら、この天女像が入っていたのです。
後でLINEで聞いてみたら
「ちょっと遅めのクリスマスプレゼントだよ。」
とのことでした。尤もクリスマスプレゼントに仏教の天女像もどうなのかと思ったりしたのですが…。
これは彼がある所に出張した時に、たまたま開催されていた蚤の市で売られていたものだそうです。元は仏壇か仏像の光背についていたのではないかということですが、正確なところは売り主にも分からないということでした。天衣を翻して天を舞う二人の天女を、柘植の木を使った一刀彫で作り上げたもので、表情までも精緻に掘り上げたなかなかの作品です。もしかしたら下の天女が右手に、上の天女と同じような蓮の花を持っていたかも知れないということですが、それが欠けていたからといってあまり気になりません。
これを我が家の仏壇にどう活かすか…それはこれからゆっくりと考えることにしますが、我が家の祈りの場が充実していくということは、兎にも角にも嬉しい限りです。