今日は昼過ぎから、かなり強い雨が降ってきました。こんな豪雨では、昨日見かけた花々が無事かどうか心配ではあります。
さて世間では、マスクやトイレットペーパーといった日用品が不足しているようです。
かく言う我が家では、こんな騒ぎになるずっと前に特売で購入したおいた備蓄があったので、大して気にもしていませんでした。しかし、たとえ使う人間が一人しかいないとは言いながら、それでも使っていれば自ずと残量も減ってくるもので、
『さてそろそろどうにかしないとな…』
とは思っていたのです。
そして今日、雨が降り始める前に買い物を済ませてしまおうと思って出かけたら、丁度とあるお店でトイレットペーパーが売られていました。
その時、周りには特にトイレットペーパーを血眼で探し求めるような人は見当たりませんでしたし、
《お一人様○パックまで》
みたいなヒステリックな張り紙も無かったので、これは別に制限がかかっているわけでも無いのだろうと判断し、普通に一つ手に取ってレジへ行って購入しました。
さて、当然ながら我が家に帰るまで購入したトイレットペーパーをプラプラぶら下げて歩くことになるわけですが、ふと気づくとすれ違う人が私の持っているトイレットペーパーをジロジロと見ていることに気づきました。はじめは
『何だろう…?』
くらいに思って、特に気にも留めていませんでした。ですが、途中で見ず知らずのヲバチャンにいきなり
「それ、どこで買ったの?!」
と詰め寄られたので、一応
「えぇっと…○○○ですけど、何か?」
と答えました。すると、
「まだあった?!」
とせっついて来たので
「さぁ?ここからあまり遠くでもありませんから、御自身の目で確かめられたらよろしいかと存じます。」
とだけ答えて、さっさと帰って来ました。
何だか分かりませんが、皆様必死ですね。
元をたどれば
『日本のトイレットペーパーは中国製。その中国からの輸入が滞っているから、市場からトイレットペーパーが無くなる。』
という根も葉もないデマに踊らされた人々が一斉に各小売店に押しかけて、他人を押し退けて買い占めに走った結果がこの体たらくなわけですよね。
つまり、日本人は昭和のオイルショック騒ぎから何も学んでいないということが、今回のことで露呈してしまったわけです。
よくよく考えてみれば、いくら石油の供給が滞ったって油からトイレットペーパーが出来るわけも無いわけだから市場から消え失せるはずもないのです。が、かつて江戸末期に全国的に『ええじゃないか』騷動に踊らされた過去を持つ日本人は、現在のようにネットが存在していなかった昭和時代ですら、一部の人間が発したデマに国全体がまんまと踊らされたわけです。
そして、それか半世紀近く経った令和の時代になっても、まだ同じことを国全体でやらかしたわけです。ひょっとしたら、今は昭和時代と違ってネットが発達しているだけに、往時より更に質が悪いかも知れません。
現在はマスコミの報道だけでなく、様々なソースから発せられる情報を簡便に入手することが可能です。そして、そうした中から一体どれが正しい情報なのかを、個々で精査出来るようにもなっているはずです。
第一、武漢肺炎を殊の外恐れる節がありますが、実は『コロナウィルス』というもの自体は毎年何処かで新種が発生し、大なり小なり流行っているものなのです。その発症・死亡リスクは、インフルエンザと大して変わりません。
そして、それらを寄せつけないようにするためには、何より『清潔』が一番なのです。
ネットネタで面白いものがありました。
中国・武漢で発生した武漢肺炎は、今や世界各国にその感染範囲を広げています。しかし、中国から本国に帰国したインド人は殆ど発症すらしなかったといいます。
何故か?
一説には彼等は手で食事を摂る習慣があるため、普段からとにかく入念に手を洗うのだそうです。なので、粘膜に触れる手は驚くほど清潔に保たれているため、感染リスクがかなり低いのだとか。
どこまで本当かは分かりませんが、総じて『如何に衛生観念が感染を未然に防ぐか』という戒めにはなります。
日本の公衆トイレに入るといつも思うことですが、用を足した後で手を洗わずに出ていく人の何と多いことか。特に年配になればなるほどハンカチを持ち合わせていないようで、尚かつ手を洗わずにいても平気なようです。
この武漢肺炎騒動を期に、ともすると日本人が失いかけていた衛生観念を取り戻してもらいたいと願うばかりです。
それにしても、どうして私ってああいう変な人にからまれやすいのでしょうか?こういう素質って、本当にいらないのですけど…。