共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

《未完成》はメインになる!

2020年03月27日 19時40分37秒 | 音楽
昨日、神奈川県知事から週末の不要不急の外出を控えるようにとの要請が出されたのを受けて、小市民な私(?)は大人しく我が家で過ごしておりました。しかし、ただ家でボケ~ッとしているのも能がないので、押入れの整理なんぞに精を出してみようと思い立ちました。

そう言えば押入れの奥の方には、引っ越して来てから全く開けていない箱がいくつかありました。そこで折角の機会なので押入れから引っ張り出して、ついでに何か中に入っているのかを確認してみることにしました。

箱のひとつには、存在すら忘れていたCDやDVDがギッシリと入っていました。その中から出てきたのが、上の写真の古いDVDでした。これは、かつて私がヴィオラの首席を務めさせて頂いていた指揮者の神宮章氏率いる『アンサンブルJ』という室内管弦楽団が、2002年に東京の三鷹市芸術文化センター・風のホールで行った公演を収録したものです。

この時のプログラムはベートーヴェンの交響曲第4番と、シューベルトの交響曲第7番《未完成》でした(アンコールはシューベルトの『軍隊行進曲』でした)。そして、このコンサートのコンセプトが

『《未完成》はメインになれる!』

というものだったことを、これを見てハッキリと思い出しました。

通常、交響曲というと4つの楽章で構成されるものが殆どです。しかし、シューベルトが1822年に作曲した交響曲第7番ロ短調は第2楽章までが完成されていますが、第3楽章は



冒頭の20小節が書かれたのみで、その後はしばらくピアノ譜形式で続くものの遂に途中で終わってしまっていて、第4楽章に至っては影も形もありません。そして、シューベルトの死後1865年に初演された時にも完成された二つの楽章のみが演奏され、そのまま名曲《未完成》交響曲として今日に伝えられています。

何故にシューベルトが途中で作曲を止めてしまったのか…そのことについては現在でも諸説あります。時には『未完成な状態』を良しとされずに、後世になって残された部分やスケッチ等から補筆完成版が作られたこともありました。

しかし、現在一番の通説になっているのは、シューベルト自身がこの二つの楽章での状態で作品が完成されていると判断して筆を置いたのであろう…というものです。だから本当にそうだとしたら、『交響曲は楽章が4つあるもの』というステレオタイプでの見地からの《未完成》という後世に付けられてしまったネーミングは、もしかしたらシューベルトにとっては甚だ迷惑なものなのかも知れません。

話を戻しますが、この時のコンサートではその《未完成》という名の交響曲の音楽的完成度の高さから、二つの楽章のみでの構成ということ故に物理的な演奏時間の長さは無いものの、音楽作品としての密度の濃さは四楽章制交響曲に引けを取らないという観点に基づいて、敢えて《未完成》をメインに立てたコンサートを開いてみよう…と企画されたものでした。アンサンブルJはプロアマ混合のオーケストラでしたが、指揮者の神宮章氏の熱のこもったタクトの下でメンバー全員が真摯に取り組んで練習を重ね、一丸となって神宮氏の目指す音楽を構築していきました。

そして迎えた本場当日…

年の瀬ということもあって他団体の第九公演に客を獲られたのか、あまり多くはない聴衆に見守られながらのコンサートが始まりましたが、ベートーヴェンの音楽が進んでいくにつれて、場内が徐々に熱を帯びていきました。

そしていよいよ『メイン』としての《未完成》…

チェロとコントラバスとによる重々しいテーマの第1楽章が始まると、やがて晩年のシューベルト作品独特の緊張感が会場に満ちていきました。そんな中を演奏しながら、シューベルトの『歌』に満ちた音楽が場内に広がっていくのを感じていました。

そして、ロ短調の悲愴な響きに満ちた第1楽章から、やがてホ長調の天国的な優しさが支配する第2楽章へ…。

時に切なく、時に厳かに、時に激しく展開する音楽に、会場中にピンと張り詰めた集中力の高い空気が広がっていくのを感じながら、シューベルトの書いたひとつひとつの音符に全員が向き合って演奏していきました。

そして、最後のホ長調のハーモニーが会場の空気の中に溶けていった瞬間…コンサートホールの中を、まるで誰もいないかのような静寂が支配しました。と次の瞬間、客席から溜め息のような

「…ブラーヴォ」

という声が聞え、それを合図に堰を切ったように拍手が巻き起こりました。その時の身震いするような感動は、今でもハッキリと覚えています。

あんな凄まじい《未完成》を、あの時以来私は体感したことはありません。今日このDVDを見つけて再生してみて、あの時の感動が甦ってきました。

あんな凄まじい瞬間にあとどれくらい立ち会えるのか分かりませんが、またいつか出会えるその瞬間のために、また日々精進していこうと思います。
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