ここ暫く世の中には、女優の岡江久美子さんの訃報や、見舞いも儘ならないことを嘆いて母親を息子が特養ホームから退所させ無理心中を図ってしまった事件といった、新型コロナウィルスに関わる悲しいニュースが溢れかえってしまっております。今日は銀行に行く用事があって街に出たのですが、どことなく沈滞した空気感が漂っているように見えていました。
こんな時には、せめてちょっとでも楽しいことを見つけるに限ります。それで何かないかと思っていたのですが、先日バッハの自筆譜を掲載したことで面白いことがあるのを思い出しました。今回はモーツァルトです。
バッハ程ではないにせよ、モーツァルトもそのまま見ながらでも弾けそうな楽譜を書いています。ただ、私は一度未完成となった《ヴァイオリンとヴィオラとチェロのための協奏交響曲イ長調》と有名な《キラキラ星変奏曲》の自筆譜を観るチャンスがあったのですが、ものすごく音符が小ちゃいのてす。当時はつけペンだったはずなのですが、まるで現在の0.5mmペンで書いたかのような小ささにビックリさせられたのを覚えています。余程尖らせたペンを使って執筆していたのでしょう。
また、モーツァルトは楽譜に様々なイタズラ書きをすることでも知られています。上の写真はピアノ協奏曲第24番ハ短調の第1楽章の終盤近くの箇所なのですが、何故か楽譜に人の横顔が描かれています。実際のこの部分は、決してこんなオチャラケた雰囲気の場面ではないのですが…。
でも、遺されたモーツァルトの手紙や歌の歌詞の中にはかなりオゲレツでヒワイなものもあります。だから、真剣な曲のはずのピアノ協奏曲の楽譜にこんな落書きをしてしまうのも、映画『アマデウス』で描かれたようなイタズラっ子モーツァルトの面目躍如といったところでしょうか。
こうしてみると、やはり自筆譜というものは作曲家の性格がよく表れていると思います。クラシック音楽を有難がっているばかりではなくこうした茶目っ気の部分にも着目して頂けると、また違った角度から楽しめるかも知れません。