今日も、日中は暖かな日差しか注ぎました。そんな中でしたが、学校では欠席の子が多く見られていました。
どうやら風邪の他にアデノウィルスなどに罹患してしまった子どもたちもいたようで、学校に来た子でも急に発熱したり戻してしまったりして早退する子が見られました。何だかコロナ禍とはまた違った面倒なものが流行っているようで、全く油断なりません。
そんな小学校勤務を終えて帰路につき、ちょっとばかり寄り道して小田原城址公園まで足を伸ばしてみることにしました。小田原城址公園の本丸広場には
かつてここにあった『小田原動物園』の名残の猿山があって7頭のニホンザルが飼育されていますが、このお猿さんたちが来週ここから茨城県にある東筑波ユートピアというところへ譲渡されていなくなってしまうことになりました。
小田原動物園は1950年、市制10周年を記念した「こども文化博覧会」の会場を残す形で開園しました。タイからやって来たインド象のウメ子やサルは開園時から市民に愛され、最盛期の1988年にはツキノワグマやワニ、インドクジャクなど70種332匹が天守閣周辺をにぎわせていました。
一方で明治時代に廃城となった小田原城址は本丸周辺が1959年に国指定史跡となり、天守閣も1960年に再建されました。当時は城内に遊園地や野球場、市役所、学校まであったのですが、1970年に文化庁から
「城に関係ない施設は撤去すべき」
と求められたため、市は数十年かけて市役所や学校などの移転を進めていました。
それからウメ子さんが亡くなったり他の動物たちが譲渡されたりして、徐々に規模が縮小ししていました。最後まで残っていた猿山でしたが、遂にそれも無くなります。
来週13日にはお別れのセレモニーも行われるとのことですが、当のお猿さんたちはそんなことを知ってか知らずか
エサの果物を食んでいました。この子たちがいなくなると、小田原動物園は70年に及ぶ歴史に幕を下ろすこととなります。
私が訪れるようになってから当たり前のように存在してきた猿山が無くなったら、一体どんな様子になるのか…それは、この子たちがいなくなって檻が撤去されるまで分かりません。またひとつ、歴史が変わっていく瞬間に立ち会うことだけは確かです。