共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日はヴェーベルンの祥月命日〜後期ロマン派的作品《弦楽四重奏のための緩徐楽章》

2022年09月15日 15時33分51秒 | 音楽
今日は一日曇り空だったこともあってか、めっきり涼しくなりました。来週には秋のお彼岸になることもありますから、もうそろそろこうした秋らしい陽気が続いてほしいものです。

ところで、今日9月15日はヴェーベルンの祥月命日です。



アントン・ヴェーベルン(1883〜1945)はオーストリア出身の作曲家、指揮者、音楽学者です。

ヴェーベルンは、一昨日ご紹介したアーノルド・シェーンベルクやアルバン・ベルクと並ぶ『新ウィーン楽派』の中核メンバーであり、なおかつ20世紀前半の作曲家として最も前衛的な作風を展開しました。そのためか親しみ難い作曲家として生前は顧られる機会が殆どありませんでしたが、戦後の前衛音楽勃興の中で再評価され、その後の多くの作曲家に影響を与えることとなりました。

オーストリア=ハンガリー帝国の首都ウィーンに生まれたヴェーベルンの家はクロアチアなどに領地を所有する貴族の家柄で、正式な名前は『アントン・フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ヴェーベルン』といいます。ただヴェーベルン自身はミドルネームを公式には使わず、恐らく厭戦的な気分やオーストリア帝国が崩壊したことなどを受けてか、1918年には貴族のみに名乗ることを許された『フォン』を姓から外してしまいました。

1902年からウィーン大学で音楽学を学んだヴェーベルンは1904年からシェーンベルクに師事して作曲修行を続け、1908年に《パッサカリア ニ短調》作品1によって独立を許されました。同じくシェーンベルクの門下生だったアルバン・ベルクは、その後のヴェーベルンの音楽活動において影響を及ぼしています。

第一次世界大戦後は、シェーンベルクを輔佐して『私的演奏協会』を設立しました。1922年から1934年まではウィーン労働者交響楽団の指揮者を務め、BBC交響楽団の公演にも定期的に客演を続けました。

1938年にナチス・ドイツによりオーストリアが吸収合併されると、ヴェーベルンの前衛的な音楽はナチスから『頽廃音楽』の烙印を押されてしまい、演奏活動で生計を立てることは困難になってしまいました。1945年には、終戦後に作曲活動を再開する思惑からウィーンを去って、ザルツブルク近郊の娘の家に避難することとなりました。

しかし、この娘の婿が元ナチスの親衛隊で、当時は闇取引に関与していたことが仇となってしまいました。1945年の9月15日、ヴェーベルンがタバコを吸うためにベランダに出て火をつけたところ、それを偶然見たオーストリア占領軍の米兵がその炎を闇取引の合図と勘違いしてしまい、なんとその場で射殺されてしまったのです(享年61)。

さて、そんなヴェーベルンの作品の中から、今日は初期に作曲された《弦楽四重奏のための緩徐楽章》をご紹介しようと思います。

ナチスを避けてアメリカに亡命したシェーンベルクと違って、ヴェーベルンはヒトラーの熱心な支持者でした。ところが、ナチスにとって必要な音楽はリストやヴァーグナーといったドイツにおいて歴史と伝統のある確固たるロマン派の音楽だったため、ヴェーベルンの前衛的な現代音楽は先程も書いたようにナチスによって『頽廃音楽』の烙印を押されてしまったのです。

そうしたことも原因して、ヴェーベルンの生前の評判はあまり芳しいものではありませんでした。しかし、ヴェーベルンの初期の作品は前衛的な技法や実験的な要素などは殆ど感じられず、むしろブラームスやヴァーグナーといった後期ロマン派の音楽への憧憬を感じるほどです。

《弦楽四重奏のための緩徐楽章》が書かれたのは1905年、ヴェーベルンが22歳の時でした。10分もないくらいの短い作品ですが、雰囲気としては師匠であるシェーンベルクの《浄められた夜》を凝縮したような内容の濃い作品です。

伸びやかで抒情感豊かな第1主題と生命力に溢れた第2主題との対比が、単一の緩徐楽章に表情をもたらしています。作品全体に流れる美しく情緒深い旋律は、若き日のヴェーベルンが思いを馳せた後期ロマン派の音楽の芳醇な香りが漂うものとなっています。

《弦楽四重奏のための緩徐楽章》は、ヴェーベルンの不慮の死から17年後の1962年に初演されました。ヴェーベルンが師匠シェーンベルクから巣立ち、自身の音楽を窮めていこうとするまさにその時の作品で、師から学んだものを自身のものとして表現していこうとしていた時の作品ということができます。

この後期ロマン派の香り高い佳曲が、当時演奏されることがなかったことは残念なことです。もしこうした初期の作品が演奏される機会に恵まれてヴェーベルンがナチスや当時の音楽界から冷遇されていなければ、現代音楽史はもしかしたら少し変わっていたかも知れません。

そんなわけで、ヴェーベルンの祥月命日である今日は《弦楽四重奏のための緩徐楽章》をお聴きいただきたいと思います。不運な最期を遂げてしまったヴェーベルン若き日の、小品ながら何とも哀しくロマンティックな世界観をお楽しみください。



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