今日は天長節です。昨日の大雨から一転、今日は『晴れの特異日』たる天長節の面目躍如といった快晴の空が広がりました。
今日は溜まっていた洗濯物を一気に片づけて、午後から散歩に出かけました。2時間ほど歩きましたが、爽やかな秋風の中の散歩は気持ちのいいものでした。
ところで、今日11月3日はベッリーニの誕生日です。
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ヴィンチェンツォ・サルヴァトーレ・カルメーロ・フランチェスコ・ベッリーニ(1801〜1835)はシチリア島・カターニアに生れパリ近郊で没した作曲家で、主としてオペラの作曲家として有名です。
ベッリーニは、ロッシーニやドニゼッティとともに『ベルカント・オペラ』と称される19世紀前半のイタリアオペラを代表する作曲家です。特にベッリーニについては、ショパンやワーグナーらの賞賛と愛情の言葉を得ている事で知られています。
ベッリーニは、合唱指揮者でオルガニストでもあったロサリオ・ベッリーニを父とし、11人兄弟の第1子として1801年11月3日、カターニアで生まれました。祖父ヴィンチェンツォ・トビアも宗教音楽やオペラなどを手がけた作曲家で、祖父と同じ名を名付けられたベッリーニは3歳で音楽の勉強を開始し、6歳で最初の宗教声楽曲を作曲しました。
1819年、貴族の後援者の助力のもと、ナポリ王立サン・セバスティアーノ音楽院に入学しました。作曲を師事したニコロ・アントニオ・ツィンガレッリが熱心な古典音楽の信奉者であったことも手伝ってか、この時期には2曲のミサ曲に代表される約20ほどの宗教声楽曲や6つの交響曲などを作曲しています。
音楽院在学中に書いたオペラが劇場支配人の目に留まったベッリーニは、そこから《夢遊病の女》や《ノルマ》《清教徒》といった数々の名作オペラを発表しました。しかし1835年に、わずか33年の生涯をパリ近郊で終えてしまいました。
そんなベッリーニの誕生日にご紹介するのは《オーボエ協奏曲 変ホ長調》です。
《オーボエ協奏曲 変ホ長調》はベッリーニによるオーボエ協奏曲で、音楽院在学中の1823年に作曲されたと思われています。唯一の現存する協奏曲で、ベッリーニの限られた器楽作品として重要な作品です。
演奏時間は通常7~8分と、協奏曲としてはかなり短いものです。全体は
第1楽章:リゾルート・アレグロ
第2楽章:ラルゲット・カンタービレ
第3楽章:アレグロ・ポロネーズ
で構成されています。
第1楽章は弦楽合奏のみによる、わずか8小節のト長調のアレグロです。唐突ではありますが、これを聴いただけでも後のベッリーニのベルカントオペラの名曲たちを予感させるものとなっています。
第2楽章は変ホ長調のラルゲット・カンタービレです。この楽章はオペラ・アリアのカヴァティーナという、ゆったりと情感豊かに歌い上げる部分に相当するものです。
そよ風のような弦楽合奏にのって、オーボエが切々とした歌を紡いでいきます。途中に技巧的なフレーズが挟まってくるあたりは、後にベルカント・オペラの作曲家となるベッリーニの面目躍如といったところです。
第3楽章は変ホ長調のアレグロ・ポロネーズです。この楽章はアリアのカバレッタという技巧的な部分に相当するもので、この作品全体の半分以上の長さがあります。
弦楽合奏のピッチカートにのって、オーボエソロがコロラトゥーラ・ソプラノのアリアのような旋律を歌い上げます。途中で弦楽器と有機的に絡んだり、憂いのあるト短調の部分を挟みながら何とか冒頭のメロディを演奏し、オーボエがクライマックスを歌い上げた後は、弦楽合奏がオペラ・アリアの結びのような小気味良いコーダを奏でて終わります。
そんなわけで、今日はベッリーニの《オーボエ協奏曲 変ホ長調》をお聴きいただきたいと思います。トマス・インデアミューレのオーボエで、後のオペラ作品を彷彿とさせる佳品をお楽しみください。