共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

来年も魅力的な展覧会が!

2024年12月16日 17時25分10秒 | アート
今日も寒い一日となりました。そんな中、買い物に行った先で



来年の美術展を紹介する雑誌があったので購入しました。

来年も様々な展覧会が開催予定なのですが、個人的に特に注目なものの一つが9月9日から東京国立博物館で開催される《運慶 祈りの空間ー興福寺北円堂》展です。

奈良県奈良市にある興福寺北円堂は1210年頃に建てられた寺内に現存する最古の堂宇として知られていて、国宝に指定されています。堂内には



鎌倉時代の大仏師運慶晩年の作である弥勒如来(みろくにょらい)坐像や、無著(むちゃく)・世親(せしん)菩薩立像(いずれも国宝)等が安置されています。

弥勒如来は、



弥勒菩薩が釈迦の入滅から56億7千万年後に悟りを開いた姿とされています。北円堂の弥勒如来坐像は像高141.9センチの寄せ木造りで、運慶の晩年の作として知られています。

無着と世親は大乗仏教の学僧である兄弟で、ともに2m近い大きさを誇ります。眼には水晶を嵌めた玉眼が施され、リアリティある表現が魅力的です。

先日、



北円堂本尊の弥勒如来坐像が奈良国立博物館文化財保存修理所内の工房で修理されることになり、堂内からの搬出作業が行われました。弥勒如来坐像の修理は昭和58年以来、約40年ぶりとなります。

今回の修理では本体の剝落(はくらく)止めなどを実施し、光背(こうはい)と台座も90年ぶりに修理されることとなります。公益財団法人・美術院の修理技術者らが本体と光背・台座に分け、それぞれ丁寧に梱包した上で堂内から運び出してトラックに積み込んでいました。

この修理で堂内から運び出された弥勒如来坐像が、両脇に立つ無著・世親菩薩立像や、現在中金堂に安置されている四天王像(国宝)とともに東京国立博物館にやってくることとなりました。中金堂の四天王像は、最近の研究で実は北円堂に安置されていたものであるといわれていて、今回はかつての内陣を再現するような展示がされるとのことで、非常に楽しみです。

あとは、9月20日から神戸市立博物館で開催される《大ゴッホ展》も注目です。

この展覧会は、阪神淡路大震災発生から30年の節目に開催されるものです。この《大ゴッホ展》はオランダのクレラー・ミュラー美術館のゴッホコレクションが来日し、2期にわたる大規模なものです。

第1期の目玉は、何と言っても



1888年に描かれたアルル時代の傑作の一つ『夜のカフェテラス』が20年ぶりに来日することです。この展覧会は神戸と福島で開催された後、翌年2026年5月29日からは東京・上野の森美術館に巡回してきます。

そして、更に翌年の2027年2月頃から開催される第2期では



同じく1888年に描かれた『アルルの跳ね橋』が、なんと約70年ぶりに来日することが決まっています。こちらも楽しみです。

いずれの展覧会も相当な混雑が予想されますので、いつも忘れがちな前売券を絶対にGETしておこうと思います。来年もいろいろな展覧会に足を運んでみようかと、今から楽しみにしております。

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なんとかなるかな…?

2024年12月15日 18時30分55秒 | 音楽
今日は一日、自宅でデスクワークをしていました。その中で何をしていたかというと、




5年生が音楽の授業で習う《風とケーナのロマンス》というリコーダーの曲の楽譜を書き換えていました。

以前登場した《星笛》同様、この曲もいい曲なのですが、音符が混み合っていて支援級の子どもたちが譜読みをするにはかなりハードルが高いのです。そこで、



はじめは二段譜にしてみたのですが、これでもまだ彼らにとっては読みにくいものになってしまいました。

なので、最終的に



上下のパート譜をバラバラにしてみました。これだとハモリ譜を読みながら演奏させるという教科書の主旨からは外れてしまいますが、あくまでもきちんと演奏できるようにすることに主眼を置けば、一番妥当な形だと思います。

別に誰かに頼まれたわけではないのですが、楽譜が読めなくてアタフタしている子どもたちを見ていて放っておけませんでした。これで彼らが、少しでも通常級の子たちと一緒に演奏できるようになれば…と、密かに願っています。

《風とケーナのロマンス》の演奏動画があったので、転載してみました。何ともフォルクローレチックなリコーダーデュエットを、是非聴いてみてください。


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今年も登場!ステーションピアノ🎹

2024年12月14日 17時25分17秒 | 音楽
今日は用事があって、小田急線の相模大野駅まで出かけていました。すると、駅の商業施設であるステーションスクエアの吹き抜けに、



今年もステーションピアノが設置されていました。



こちらのグランドピアノは、かつて藤野町にあった中学校に設置されていたものだそうで、かなり年季の入ったものです。この時も、年配の男性が覚束ない手つきで《アメイジング・グレイス》を演奏していました。

私も弾いてみようかな…と思ったのですが、このピアノは整理券制でそれを持っていない人は飛び入りするわけにもいかなかったので諦めました。コロナ禍が過ぎ去っても、こうしたものはなかなかフリーにはならないようです…。

さて、帰宅したらデスクワークが待っています。頼まれたわけではないのですが、どうしてもやらないといけないことなので頑張ります!

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来月は大変そう…

2024年12月13日 18時55分55秒 | 日記
今日、勤務先の校長から呼び出しがありました。内心

『あ、遂に懲戒免職か?』

などと思っていたのですが、校長から出たのは

「来月だけ、稼働を増やしてもらうことは可能ですか?」

という言葉でした。

何でも、私が担当している支援級クラスの担任が1月いっぱいリフレッシュ休暇を取得することになり、それに伴って人員が不足するため何とか出勤してほしい…とのことでした。懲戒免職でなくて面食らったのですが(オイ…)、とりあえず首はつながったままでした(ダカラ…)。

正直、ホッとしました。私は以前から担任に

「休暇をとってください」

と言っていたのですが、ようやく実現することになったようです。

私の担当クラスには中高学年が8名在籍しているのですが、情緒面に問題がある子たちばかりで、毎日が大変なのです。自分のテンション次第で平気で暴言を吐いたり、暴力に訴えてきたり、物に当たったり、物を投げつけてきたり…それを8人分、しかも毎日受け止めなければならない担当のストレスと気苦労は如何ばかりかと思っていたので、是非休暇を取るべきだと言い続けていました。

学校は事ある毎に『寄り添う指導』と言ってよこしてきますが、子どもから謂れのない暴言や暴行を受けた時に叱責もできない学校指導など、はっきり言って無意味です。1月にどのような学級運営体制になるのかまだ分かりませんが、自分でできる限りのことを精一杯務める所存です。

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突貫工事のマッチ棒パズル

2024年12月12日 17時00分00秒 | 日記
今日は勤務先とは別の小学校の放課後子ども教室の日でした。本来なら今日、私は他の先生の企画を生温〜く見ていればいいだけ…のはずだったのですが、担当する予定だった先生がお身内の不幸で忌引になってしまい、急遽私にお鉢が回ってきてしまったのです。

何にもネタを仕込んでいなかった私は盛大に焦りましたが、ふとあるものを作って置いてあることを思い出し、急遽それをやってみることにしました。それは



マッチ棒パズルに使うために大量生産したマッチ棒たちです。

脳トレなどでご存知の方もおられるかと思いますが、マッチ棒パズルとは



例えばこんな素っ頓狂な計算式を作って、一本だけ動かして正解にしなさい…というものです。因みにこのパズルでは



8の中の一本を取り出してーを+にすると



となり、数式が成立します。

こうしたパズルでは、



数字をデジタル表示にすることがミソです。それによって、足し算・引き算・掛け算までの様々な数式を表現することが可能になります。

子どもたちはチームになって、あぁでもない、こうでもない…と真剣に考えていました。たまに正解を思いついて口に出しそうになる大人がいましたが、何とかそれを封じながら子どもたちに楽しんでもらうことができました。

帰宅したら、また新たにやらなければならないことが待ち構えています。何とも気忙しいのですが、とりあえず急いで自宅に帰ろうと思いますε≡≡ヘ( ´Д`)ノ

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ひたすら無双の支援級勤務と『キャラメルナッツパフェ』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2024年12月11日 18時18分18秒 | カフェ
最近、小田原の小学校では体調不良による欠席者が相次いでいます。子どもたちだけでなく先生方でも欠席者が出ていて、一部授業にも影響が出ているほどです。

そんな中でも授業はあるもので、今日は特に中学年で書道と図工がありました。書道では書き初めの練習があり、図工では地域に掲示するゴミに関するポスター作りをしたのですが、支援級の子どもたちは相変わらず自分勝手なことを言って、担任を困らせていました。

それでも、担任や他の支援員はできる限り柔らかな言葉で子どもたちをその気にさせるべく必死でした。一方、私はというと

「はい!ゴチャゴチャ言ってないでサッサと授業に行く!!」

と、相変わらず叱り飛ばしながら子どもたちを追い立てていました。

これでまた主任あたりから横槍が入るかも知れませんが、そんなこと気にしていたら学習支援なんざ務まりません。さて、冬休み前までになにかお小言が来るでしょうか。

そんな小学校勤務を終えて、横浜あざみ野の音楽教室に向かいました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日は個人的に疲れたためひたすら甘いものを欲していたので、



『キャラメルナッツパフェ』をオーダーすることにしました。柔らかなムースとカリッとしたキャラメリゼナッツとの相性は絶妙で、美味しいコーヒーとの組み合わせも抜群です。

明日は勤務先とは別の小学校の放課後子ども教室の日です。先週工作担当になったので明日は私が主体になってやることはないので、気楽に務めようと思います。

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出過ぎたマネかも知れませんが

2024年12月10日 17時17分17秒 | 日記
今日も小学校支援級ではいろいろなことがありましたが、その中で毎度悩まされるのが『忘れ物の多さ』です。

特に図工や書写の道具を忘れてくることが多く、その度に前日準備するように注意したことを伝えています。しかし、彼らの口からは

「覚えていない」
「家の人が準備してくれなかった」

といった言い訳が「ごめんなさい」より先に出てきます。

それでも、そんなことをあげつらっていて彼らの作業が通常級の子たちより遅れてしまうのは見過ごすことはできません。なので、最近は先んじて



クレヨンや色鉛筆、



書道用具一式などを個人的に準備して、緊急事態に備えています。

一介の個別学習支援員如きが出過ぎたマネを…と思われるかも知れませんし、忘れ物を補填してしまっては忘れ物グセが抜けなくなると言われるかも知れません。しかし、道具が無いからといって彼らの学習が滞ることの方が、はるかにデメリットが大きいのです。

今日も100均や有隣堂を周って、万が一に備えていろいろと買い揃えてきました。これで、明日の授業に支障をきたすことはない…はずです(汗)。

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今日はワルトトイフェルの誕生日〜特に日本で大人気!《スケーターズ・ワルツ》

2024年12月09日 17時17分17秒 | 音楽
今日も神奈川県は、朝のうちに車のフロントガラスにうっすらと霜がつくほど冷えこみました。今朝は寒くて目が覚めたのてすが、何だか喉が痛いのが嫌な予感がします…。

ところで、今日12月9日はワルトトイフェルの誕生日です。

『…誰?』

と思われるかも知れませんが、



エミール・ワルトトイフェル(1837〜1915年)はフランスの作曲家です。大衆音楽、とりわけワルツやポルカなどのダンス音楽の作曲家として知られ、ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世(1825〜1899)にならって「フランスのヨハン・シュトラウス」「フランスのワルツ王」と呼ばれていました。

エミール・ワルトトイフェルはストラスブールで、アルザスのユダヤ人の家庭に生まれました。出身地アルザスは1793年以前および1871年から1918年まではドイツ領でしたが、ワルトトイフェルもその名が示すとおり、指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891〜1968)や医師でオルガニストのアルベルト・シュヴァイツァー(1875〜1965)らの多くのアルザス人と同じくドイツ系の家系であったと思われています。

兄のレオンがパリ音楽院に入学したのを期に一家でアルザスからパリに転出し、以降エミールは一生をこの地で過ごすこととなりました。エミール自身も1853年から1857年までパリ音楽院でピアノを学びましたが、同級生には歌劇《ウェルテル》《マノン》《タイス》の作曲家ジュール・マスネ(1842〜1912)や、歌劇《カルメン》《真珠採り》の作曲家ジョルジュ・ビゼー(1838〜1875)がいました。

28歳の時、ワルトトイフェルは



ナポレオン3世の皇后ウージェニー(1826〜1920)の宮廷ピアニストになり、また帝国主宰の舞踏会で楽団を指揮することとなりました。普仏戦争によって第二帝政が崩壊した後は、楽団はエリゼ宮の大統領主宰の舞踏会で演奏を行っていました。

1874年10月にワルトトイフェルは、当時英国皇太子だったエドワード7世の臨席する行事で演奏を行いました。ワルトトイフェルのワルツ《マノロ》に魅了されたエドワード7世はワルトトイフェルの曲をイギリスに盛んに紹介し、またロンドンを拠点とする出版社が彼と長期契約を結びました。

ワルトトイフェルの作品はバッキンガム宮殿においてヴィクトリア女王臨席の下で御前演奏され、ワルトトイフェルの名はロンドンの楽壇を制すると世界中で有名になりました。ワルツ《女学生》といった、今なおよく演奏されるワルトトイフェルの作品が作曲されたのもこの時期です。

そんなワルトトイフェルの誕生日である今日は、ワルツ《スケートをする人々》をご紹介しようと思います。

ワルツ《スケートをする人々》作品183は、エミール・ワルトトイフェルが作曲したワルツで、日本では《スケーターズ・ワルツ》という通称でも知られる作品です。ワルツ《女学生》作品191に並ぶ、作曲者の代表作です。

この作品は


(ルノワール作『ブローニュの森のスケート場』1868年)

パリの森林公園『ブローニュの森』にあったスケート場に着想を得て1882年に作曲されました。実は日本での人気がとりわけ高く、海外ではワルトトイフェル名曲集的な企画から漏れたりすることもあるようですが、かつてはトスカニーニやカラヤンが好んで取り上げた曲でもあります。

かつてスケート場に行くと必ずといっていいほどBGMで流れていましたが、久々に聴いてみるとまたスケート滑りたくなってきました。ただ、比較的近くにあったスケートリンクは次々と閉鎖になってしまったので、明治神宮あたりまで行かないといけません…。

そんなわけで、今日はワルトトイフェルの代表作《スケーターズ・ワルツ》をお聴きいただきたいと思います。デヴィッド・ブロフイー指揮によるWDRファンクハウス管弦楽団の演奏で、冬の定番ワルツをお楽しみください。


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今日はシベリウスの誕生日〜10歳で書いた処女作《水滴》

2024年12月08日 17時30分00秒 | スピリチュアル
今日も神奈川県は、安定した晴天に恵まれました。そんな中で、私は今日もデスクワークに勤しんでおりました。

ところで、今日12月8日はシベリウスの誕生日です。



ジャン・シベリウス(1865〜1957)は、後期ロマン派から近代にかけて活躍したフィンランド出身の作曲家でありヴァイオリニストです。フィンランドの最も偉大な作曲家であると広く認められていて、フィンランドが帝政ロシアからの独立を勝ち得ようと抗う最中、音楽を通じて国民意識の形成に寄与したと看做されることも多い作曲家です。

ジャン・シベリウスは1865年12月8日にヘルシンキの北方約100kmのハメーンリンナに、医師であった父クリスチャンの元に生まれました。父クリスチャンはシベリウスが2歳の時に他界してしまいましたが、姉リンダ、弟クリスチャンはそれぞれピアノ、チェロの演奏をしていました。

1885年、ヘルシンキ音楽院で作曲などを学び始めたシベリウスは、1889年にベルリンに留学し、その留学中にリヒャルト・シュトラウスの交響詩《ドン・ファン》の初演、ハンス・フォン・ビューローの演奏などに直接触れることとなりました。さらにウィーン音楽院において、ハンガリー出身のユダヤ人作曲家カール・ゴルトマルク(1830〜1915)に師事しました。

1891年にはシベリウス初の交響曲となる《クレルヴォ交響曲》作品7を手がけ、翌年春に初演されました。これは管弦楽に独唱・男声合唱の加わる大規模な曲で、初演は好評をもって受け入れられましたがその後は抜粋で3度演奏されるにとどまり、作曲者の生前に全曲が演奏されることはありませんでした。

1892年にアイノ・ヤルネフェルトと結婚して6女をもうけましたが、1人は2歳で他界してしまいました。1899年に『愛国記念劇』の音楽を発表しましたが、この曲の7曲目が改作されて交響詩《フィンランディア》作品26として独立し、現在でも人気を博しています。

そんなシベリウスの誕生日である今日は、ヴァイオリンとチェロのための《水滴》という作品をご紹介しようと思います。

この作品は1875年、シベリウスが10歳の時に書いた最初の作品で、ヴァイオリンとチェロのデュオによるたった24小節の小品です。シベリウス自身と弟がそれぞれの弦楽器を一緒に練習するためのものだったようで、ヴァイオリンのピッチカートが描く水滴がひとつ、ふたつと落ちていく描写は実に微笑ましく、それを受け止めるようなチェロのピッチカートも秀逸です。

この可憐な小品からシベリウスのキャリアが始まり、やがてフィンランドに国家の独立をめざす気運が高まり行く中で、フィンランドの民族叙事詩にもとづく劇音楽や帝政ロシアをおののかせた《フィンランディア》などの交響詩、さらには音の世界を突きつめた抽象画のような7つの交響曲が誕生することとなっていってわけです。演奏時間45秒ほどの作品ですが、この曲には後の大作たちにつながる豊饒な可能性が秘められている…と言うことができるでしょう。

そんなわけで、今日はシベリウスの《水滴》をお聴きいただきたいと思います。本当にあっという間に終わってしまうので、集中してお聴きください(汗)。


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他人事ではない訃報

2024年12月07日 17時17分17秒 | 日記
五十路の人間のひとりとして、やはりこの話題は避けて通れないでしょう。昨日



女優・歌手の中山美穂さんが他界されたという、衝撃的なニュースが日本を駆け巡りました。

享年54、私とひとつしか違わないことも含めて驚きを隠せません。つい最近まで元気だったということで、本当に突然の死だったのでしょう。

死因についてあれこれと憶測が飛んでいますが、浴室で亡くなっていたということから死因がヒートショックではないかと言われています。

もしそうだとすると、決して他人事とは思えません。私が住まうアパートはそこそこ古い物件なので浴室暖房や床暖房などという気の利いたものはなく、ヒートショックのリスクは決して低くはないのです

今年の冬は急激に冷えこんできたように感じていて、私は入浴する前に浴室の床にお湯をまいたり、フローリングにバスタオルを敷いたりといった工夫をするようにしています。それがどれほどの意味を持つのかは分かりませんが、自身でできる工夫はしていくつもりです。

ここに謹んで、個人の御冥福を御祈念申し上げます。

合掌。

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連日大騒ぎです…

2024年12月06日 18時00分00秒 | 日記
今日も小田原は暖かな陽気となりましたが、それとは裏腹に小田原ではちょっと物騒なニュースが飛び交っています。それが『左手のないサル騒動』です。




この『左手のないサル』はテレビのニュースでも取り上げられているのですが、
どうやら東北方面から埼玉⇒東京⇒神奈川と南下してきているようなのです。そして湘南地域から西に進んできて、現在は小田原市内のあちこちで目撃され、その度に学校から緊急連絡メールが回ってきます。

これから山にエサの少なくなると、人里への出没率がますます高くなります。そこへもってきて、小田原市内では庭木にミカンを植えていて、それを収穫せず鳴らしっぱなしにしている家が少なくないので余計に厄介なのです。

相手は野生動物ですから人間がどうこうしたところで太刀打ちできるようなものでもないでしょうが、子どもたちに実害が出ないうちに、捕まえるか、他所の地域に行ってくれるかすることを願うばかりです。
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ならぬものはなりませぬ!

2024年12月05日 17時17分17秒 | 工作
今日は、勤務先とは別の小学校の放課後子ども教室がありました。そこで、



勤務先でも作った紙皿リースを作らせたのですが、そこでちょっと一悶着ありました。

一人にひとつ、材料をセットにしたものを渡していったのですが、一人の低学年の男児がその材料セットを袋ごと投げ捨てたのです。私は

「そういうことをするなら、作らなくてよろしい。」

と言ってその子から材料セットをとりあげ、何事もなかったかのように他の子たちに作り方を説明しました。

しばらくすると、その男児が先生に連れられて泣きながら私のところに来て

「僕にも工作やらせてください…。」

と言ってきました。私は

「その前に、私に言うことがありますよね?」

と伝えると、しばらくモジモジした後に蚊の鳴くような声で

「ごめんなさい…」

と謝ってきたので、

「次に投げたら、本当にあげません。」

と釘を差してから、その子に材料セットを渡しました。

その男児はいわゆる支援級の子で、以前からいろいろと問題行動や発言が目立っていました。その度に他の先生方が注意してくださっていたのですが一向に改善しないので、今回は直接関わったこともあって私がキツめにお灸を据えたかたちになりました。

支援級の子たちは、通常級の子たちと比べると学習面や情緒面でいろいろと大変なのは分かっています。それを踏まえた上で、彼らには

『支援級だからといって、何をしても、何を言っても全部許してもらえるわけではない』

ということも学んでもらわなければなりません。

私の勤務先でもそうなのですが、なにかやらかしたり失敗したりした時に支援級の子たちというのは真っ先に

「僕(私)は悪くない!」

と言って『自分を正当化する』行動をとります。今日の男児も先生に促されてようやく謝罪の言葉を口にしたものの、残念ながらその目の奥に真の反省の色は見られませんでした。

しかし、それよりも先ずは自分の行動や言動を客観的に見つめた上で、必要に応じて『謝罪と反省』をすべきだということを、彼らには時間をかけてすり込んでいかなければなりません。なぜなら、そう遠くない将来、彼らが自身の非を認めて他者に謝罪や反省しなければならない場面がゴチャマンと出てくるからなのです。

これから先、しばらく私は彼に避けられたり睨まれたりすることでしょう。それでも、私はこれからも必要に応じて、時と場合によって『必要悪』で奮闘しようと思っています。

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孤軍奮闘の図工授業と『焼きりんごワッフル』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2024年12月04日 19時20分21秒 | カフェ
今日は中学年の図工の時間があり、そこで地域のごみ集積所に掲示するポスターを描くことになりました。地域の美化に一役買うことと、先週行ってきた環境事業センターでの見学の成果を発揮することが目的のものです。

しかし、御多分に漏れずというか何というか、支援級の子たちはたった数日前のことを何一つ覚えていませんでした。覚えているのは、見学の後に遊びに行った県立公園のことのみで、肝心のことは全て記憶から抜け落ちていました。

校外学習に同行していた者として若干目眩を催したのですが、そんな悠長なことも言っていられません。教科書や校外学習のしおりを片っ端から見せながら孤軍奮闘して何とか彼らの記憶を叩き起こし、テーマに見合うデザインを考えさせました。

支援級の子たちの学習支援が大変なことのひとつに学習能力が低いことが挙げられるのですが、もう一つ厄介なのが『学習に興味がないこと』です。興味がないから覚えようという意欲もわかないので外側からジャッキアップをしてやらないといけないのですが、はたしてこんなんで何年か後に中学生になれるのかしら…と、他人事ながら心配になります。

そんな小学校勤務を終えてから、横浜あざみ野の音楽教室に向かいました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

12月に入って、月替わりメニューも一新していました。今回はその中から、



『焼きりんごワッフル』をオーダーすることにしました。

先月は『りんご🍎パイ』でしたが、今月は例年と趣向を変えた焼きりんごのワッフルが登場しました。

ジューシーに焼き上げられた焼きりんごとりんごのバターソテーが、クロワッサン生地のワッフルとよく絡みます。自家製のりんごのコンフィチュールやバニラアイスとの相性も抜群で、自家焙煎コーヒーともよく合います。

こちらのお店でりんごのワッフルが出ると、いよいよ年末だな…という気分になります。学校の冬休みもチラついてきましたが、もう少し先生頑張ります。

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『ねんねんころり』は何の笛?

2024年12月03日 17時45分55秒 | 音楽
今日、高学年の音楽の時間に《子守唄》を学習する時間がありました。そう

〽ね〜んね〜ん、ころ〜り〜よ、
 おこ〜ろ〜り〜よ〜〜〜

という、あの歌です。

この《子守唄》の時にちょっと問題になるのが

〽里の土産に、何貰ろた〜
 でんでん太鼓に、しょうのふえ〜

という部分です。

学校の先生曰く『しょうのふえ』とは雅楽で使われる笙だと教えてしまうのですが、里帰りの子守風情にでんでん太鼓ならまだしも



宮中で使われるこんな高級な楽器を土産に渡すとは到底思えません。ましてや『しょうのふえ』の『しょう』に相当する漢字は『笙』と『蕭』があり、必ずしも雅楽器とは限らないのです。

以前調べてみたことがあるのですが、実はこの『しょうのふえ』、一筋縄では行かないもので、いくつもの説が跋扈していました。

●『ひょうのふえ』説

『ひょうのふえ』という言葉が訛ったという説です。

『ひょうのふえ』とは、竹に簡易な穴を空けた玩具の笛のことで



このようなものだったようです。それが、音韻変化で『ひょう』が『しょう』となった…例えば生粋の江戸っ子に言わせると

色紙⇒ひきし
朝日新聞⇒あさししんぶん

となるように変化していったという説です。

●伊勢土産説

伊勢参りの土産物に『しょうのふえ』というものがあったそうで、そのことを指すという説です。

雅楽器の笙は竹筒の中に金属製のリードが入っているハーモニカのような発音原理の楽器ですが、この『しょうのふえ』も簡易的なハーモニカ的発音原理のものだったようです。ただ、残念なことに明治時代に廃絶してしまい、現物はおろか写真すら残っていませんでした。

●『蕭』説

『笙』ではない『蕭』という楽器だという説です。

『蕭』は



竹でできた細長い縦笛で、日本で近いものだと尺八になると思います。中には、



パンフルートのように竹筒を横に並べて吹く『排蕭(はいしょう)』という楽器もあります(写真は東大寺正倉院に伝わる『甘竹蕭(かんちくのしょう)』という楽器)。

●篠笛説

『しょうのふえ』とは



祭囃子などで使われる篠笛であるという説です。

『篠』の字を音読みすると『しょう』となります。そのため、庶民でも比較的入手しやすい篠笛こそが『しょうのふえ』の正体だとするものです。

…とまぁ、これだけの説があり、またそのどれもが決め手に欠けるものです。いずれにしても、『しょうのふえ』に対する詳細な説明や現物がない限り、これ以上はどうしようもありません。

ただ、とにかく雅楽器の『笙』である可能性は限りなく低いものです。なので、できれば学校の先生たちには誤解を招くようなことを教えていただきたくない…というのが、音楽家の端くれなりの意見でございます(汗)。

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モーツァルトっぽいけどやっぱりベートーヴェン〜《ピアノ四重奏曲 第1番 変ホ長調》

2024年12月02日 17時40分10秒 | 音楽
今日も気持ちのいい秋晴れ…じゃなかった、冬晴れのお天気となりました。そんな中ですが、私は相変わらず自宅で内職に勤しんでいました。

作業しながらいろいろと音楽を聴いていたのですが、今日はちょっと変わったところを聴いていました。それが



ベートーヴェンの《ピアノ四重奏曲》です。

ピアノ四重奏曲というと真っ先に思い浮かぶのはモーツァルトの名作たちですが、ベートーヴェンの《ピアノ四重奏曲》はベートーヴェンが14〜15歳くらいだった1785年、最初期のボン時代に作曲されたものです。ベートーヴェンの死後になって出版されたものですが、その完成度の高さからとても14〜15歳の少年の作品とは思えません。

この曲ではベートーヴェンの最初期の他の作品にも見られるように、全体的な楽章構成や調設定、テンポ、主題や和声構造などの多くの点にモーツァルトの影響が顕著に見られます。またベートーヴェンの最初の出版作品の2つとなる《3つのピアノ三重奏曲 作品1》と、《3つのピアノソナタ 作品2》の中に、この曲の主題素材や楽節が取り出されています。

ベートーヴェンが15歳の時期はまさにモーツァルトの作品を一生懸命勉強していた時期ですので、私はモーツァルトの一連の《ピアノ四重奏曲》をお手本に作曲したものと思っていました。しかし、モーツァルトのピアノ四重奏曲は1785年の10月(K.478)と翌年の6月(K.493)に作曲されていますから、もしかしたらベートーヴェンの作品の方が早く書かれているかも知れないのです。

最近になって、この作品とモーツァルトの《アウエルンハンマー・ソナタ集》と呼ばれるヴァイオリン・ソナタとの関連性が指摘されるようになってきました。
《アウエルンハンマー・ソナタ集》は、以前にも《2台のピアノのためのソナタ ニ長調》や《2台のピアノのための協奏曲 変ホ長調》の時にもご紹介したウィーンの実業家の令嬢アウエルンハンマー嬢のために書かれた6曲からなるヴァイオリン・ソナタ集なのですが、ベートーヴェンはそのソナタの枠組みを使ってピアノを含んだ四重奏曲に仕立てあげたのではないか…というのです。

3曲ある中から、今回は《ピアノ四重奏曲 第1番 変ホ長調》をご紹介したいと思います。

この曲は、モーツァルトの《ヴァイオリンソナタ ト長調 K.379》を手本にしていると言われています。ただ、モーツァルトを丸写ししたわけではなくあくまでも下敷きにした感じなので、聴き比べてみると構成が似ているな…と思うくらいです。

第1楽章はアダージョ・アッサイの4分の2拍子、変ホ長調。暖かな変ホ長調の和音に支配されたメロディは優しい中にもどっしりとした印象を受け、所々に散りばめられた技巧的なパッセージがベートーヴェンらしいヴィルトゥオーゾを感じさせます。

第2楽章はアレグロ・コン・スピリトの4分の3拍子、変ホ短調(♭6つ!)。チェロの8分音符の連打とヴァイオリン・ヴィオラのシンコペーションのリズムに乗ってピアノが焦燥感のあるメロディを奏でます。随所に見られる力強いユニゾンは、いかにもベートーヴェンといった感じです。

第3楽章はカンタービレの4分の2拍子、テーマと6つの変奏とコーダの変ホ長調。ゆったりとしたテーマがピアノで奏され、その後でピアノ・ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロの順にテーマが変奏されていきます。変ホ短調に転じた後で再び弦楽合奏でテーマが奏されると終結部であるコーダに突入し、最後は余韻を楽しむかのように静かに終わります。

全体を通して聴くと、ベートーヴェンの『歌』を感じることができます。

ベートーベンと言えば、とかく最小単位の動機を論理的に積み上げて巨大な建造物を作りあげるような構築性や、それまでの常識を打ち破るようなデュナーミクの拡大などが特徴的です。しかし、もう一つ忘れていけないのはその優れた『歌心』です。

ベートーヴェンという作曲家は非常に美しく『歌う人』なのですが、残念ながらそれが往々にして構築性やダイナミズムの陰に隠れてしまうことがあります。しかし激しさだけがベートーベンではなく、『歌う人』としてのベートーベンの素質はすでに若くして優れたものであったことを、このピアノ四重奏曲が証明しています。

そんなわけで、今日はベートーヴェンの《ピアノ四重奏曲 第1番 変ホ長調》をお聴きいただきたいと思います。クリストフ・エッシェンバッハのピアノのアマデウス弦楽四重奏団員の演奏で、もしかしたらモーツァルトに先んじていたかも知れない若きベートーヴェンの意欲作をお楽しみください。


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