かつて荒川はそのまま隅田川に流れ込んでいたので
明治期まで東京は水害が絶えなかった。
明治44年から放水路を掘削して隅田川への水を
東京湾まで直行させた。その分岐点が岩淵水門です。
青水門。
最初の水門である"赤水門"の老朽化により昭和49年に着工した。
増水時にはゲートを閉じて隅田川を守る。
下流側から見ると300m上流に最初にできた赤水門が見える、
今では"記念碑的"な存在となっている。
大正5年に着工し、大正13年10月に完成した当初の水門、
赤い塗装から赤水門と呼ばれる。
平成11年には東京都選定歴史的建造物に選定された。
上流から見ると赤水門の下流にに青水門が見られる。
ここから東京湾まで約22kmの荒川放水路が掘削された、
分岐点が岩淵水門となり水門をくぐった水は隅田川となって東京湾へ注ぐ。
看板の右端に"都市農業公園"の文字がが見られる。
水門の効果。
台風などで水流が増えると水門を閉め
隅田川への濁流はシャットアウトされている。
赤水門の前にはかつての洪水の痕跡が表示されている。
一番上は昭和22年のカスリーン台風、水位は8.6m。
そのほか狩野川台風などの水位が示されている。
平常時はのんびりとした散歩道、河川敷では
いろいろなイベントなども行われている。
10月22日には久しぶりに花火大会も行われ
向かい側の農業公園にも見物客が集まったようだ。
私が東京へ来たころは荒川ではなく荒川放水路と呼ばれていた、
いつの間にか単に荒川と呼ばれるようになったが
古い設備などには今でも"荒川放水路"の文字が見られる。
data: EOS70D/EF70-200 1:2.8。 撮影 10月 27日 岩淵水門