熱海市指定有形文化財「起雲閣」
大阪万博は1970年に大阪で開催されました。
当時30歳であった私はこの企画に反対しました。
大きいこと、数が多いことなどを重視する浅薄な価値観を感じたからです。
大阪万博前は、20代の一会社員でも京都に行きますと、日本庭園の内庭がある情緒豊かな旅館に泊まることができました。
内庭の周りを部屋が囲んでおり、宿泊者は美しい内庭を見ながら旅の疲れを癒すことができました。
ところが大阪万博の企画が発表されると、京都の旅館まで、集合住宅のようなホテルに改築されました。
旅館業者が部屋数を確保し、高利益を得たいと思ったからです。
私がよく利用した旅館も数だけこなす集合住宅のようなホテルになりました。
従業員の教育もいい加減で、客の接待の基本もできていませんでした。
悲しい思いをしながらこの旅館の利用をやめました。
また大阪万博に対する反対の意志表示として一度も大阪万博を見に行きませんでした。
上の写真は熱海の起雲閣です。
最初は大正の海運王内田信也の別荘だったそうです。
次の所有者は昭和の鉄道王根津嘉一郎で、彼が今日残っている緑豊かな庭園を整えました。
戦後旅館となり、日本の伝統的な旅館の形である内庭の周りに部屋を設ける配置にしました。
起雲閣は熱海を代表する旅館となり、多くの人々に愛されたそうです。
しかし20世紀の終わりとともに旅館は廃業となり、熱海市指定有形文化財として建物と庭園が公開されました。
この起雲閣を見学した時、私が若い頃よく利用した京都の旅館を思い出しました。
起雲閣のような旅館では経営はむずかしいでしょう。
しかし今熱海に林立する集合住宅のような大きなホテルでも経営はむずかしいでしょう。
利益主義の結果、皮肉にも利益の確保が怪しくなり、その上日本の美が消えました。
現代は、大きいこと、数が多いことを重視する価値観を反省するべき時です。
単なる復古では日本の美の復活は不可能と思います。
利益主義だけでなく、美を追求する心を加えた建物づくり、町づくりを、政府も業者も人々も心がけると、日本は美しい国になるのではないでしょうか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます