毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
チョコで作った車
愛知万博が開催されたのは一年前の今頃だった。それを記念して、私の市の近辺では色々なところでイベントが催されている。新聞でもそれに関連した記事が増えていて、知らず知らずのうちにそうした催し物に行ってみたくなるような仕掛けが施されているような気がする。私もまんまとその策略にはまってしまって、日曜日、昼食に出かけた帰りにそうしたイベントの1つを訪れてみた。なんでも、市の中心部にある大きな建物が開館1周年を迎えたとかで、その記念イベントとして万博イタリア館に展示してあった、チョコレートでできたフィアットの「チンクエチェント」という車が展示されているのだ。新聞でその記事を読んだときから、妙に興味を惹かれて実物を見たいと思っていた。妻や息子にその話をしたら、二人とも賛成してくれた。
チンクエチェントという車は、フィアット500(イタリア語でチンクエチェント)のことであり、アニメ映画「カリオストロの城」でルパン3世一味が乗って大活躍していた車のことだ。(これはルパン3世好きの妻が教えてくれたことだが)今でもイタリアのローマなどでは現役で走っているそうだが、小さくて可愛らしい車だ。それをチョコレートで作ったというのだから、やっぱり一見の価値はある。会場に入っていくと、いつもは閑散としているその建物が珍しく人出でにぎわっている。やっぱり何か1つ目玉があると人は集まるものだなと感心しながら、車の展示してある2階に上がっていった。すると、階段の途中からもうチョコレートの甘い香りが立ち込めてくる。これはすごいなあとますます興味がそそられて、自然に足どりが速まる。人だかりの隙間から、黄色のボディーをしたチンクエチェントが見えた。文字通りちょこんと座っているような感じだ。
前から後ろから眺めてみるが、本当に可愛らしい車だ。これがチョコでできてるなんて信じられないやと、思わずデジカメで何枚も写真を撮ってしまった。見学者の多くが思い思いの角度から写真を撮っている。今はデジカメの時代なんだなあと、改めて実感する。と、そのとき妻が、「なんだ、全部チョコレートでできてるんじゃないんだね」と言った。その言葉で、車内をよく見回してみると、確かに金属だとしか思えない部分がある。「なんだ、塗りつけただけか・・」と私もちょっとがっかりしてしまった。周りの壁に貼ってあるパネルを見ると、製造過程が写真に撮られていた。確かに車の金属製のボディーにチョコレートをコーティングしている様子が撮られている。これじゃあ、「何と言っても目玉は、愛・地球博イタリア館で展示されていたチョコ製チンクエチェントの展示」と書いてある案内が嘘みたいじゃないか。「チョコ製」などと書いてあれば、誰だって全部チョコレートでできていると思うに決まっているだろう。なんだか憮然とした気持ちになってしまった。
「羊頭狗肉」という四字熟語があるが、その意味は、「表面と内容が一致しないこと、宣伝は立派でも内実がそれに伴わないことのたとえ」とある。初めから分かっていたら、それ程失望もしなかっただろうが、期待が大きかっただけに反動が大きかった、本当にがっかりした。
まあ、コーティングの技術はすばらしいものだったから、それだけでも見る価値はあったのだが・・・
(注)4枚の写真の中には我が愛する息子が写っております。どれが息子かお当てください。
チンクエチェントという車は、フィアット500(イタリア語でチンクエチェント)のことであり、アニメ映画「カリオストロの城」でルパン3世一味が乗って大活躍していた車のことだ。(これはルパン3世好きの妻が教えてくれたことだが)今でもイタリアのローマなどでは現役で走っているそうだが、小さくて可愛らしい車だ。それをチョコレートで作ったというのだから、やっぱり一見の価値はある。会場に入っていくと、いつもは閑散としているその建物が珍しく人出でにぎわっている。やっぱり何か1つ目玉があると人は集まるものだなと感心しながら、車の展示してある2階に上がっていった。すると、階段の途中からもうチョコレートの甘い香りが立ち込めてくる。これはすごいなあとますます興味がそそられて、自然に足どりが速まる。人だかりの隙間から、黄色のボディーをしたチンクエチェントが見えた。文字通りちょこんと座っているような感じだ。
前から後ろから眺めてみるが、本当に可愛らしい車だ。これがチョコでできてるなんて信じられないやと、思わずデジカメで何枚も写真を撮ってしまった。見学者の多くが思い思いの角度から写真を撮っている。今はデジカメの時代なんだなあと、改めて実感する。と、そのとき妻が、「なんだ、全部チョコレートでできてるんじゃないんだね」と言った。その言葉で、車内をよく見回してみると、確かに金属だとしか思えない部分がある。「なんだ、塗りつけただけか・・」と私もちょっとがっかりしてしまった。周りの壁に貼ってあるパネルを見ると、製造過程が写真に撮られていた。確かに車の金属製のボディーにチョコレートをコーティングしている様子が撮られている。これじゃあ、「何と言っても目玉は、愛・地球博イタリア館で展示されていたチョコ製チンクエチェントの展示」と書いてある案内が嘘みたいじゃないか。「チョコ製」などと書いてあれば、誰だって全部チョコレートでできていると思うに決まっているだろう。なんだか憮然とした気持ちになってしまった。
「羊頭狗肉」という四字熟語があるが、その意味は、「表面と内容が一致しないこと、宣伝は立派でも内実がそれに伴わないことのたとえ」とある。初めから分かっていたら、それ程失望もしなかっただろうが、期待が大きかっただけに反動が大きかった、本当にがっかりした。
まあ、コーティングの技術はすばらしいものだったから、それだけでも見る価値はあったのだが・・・
(注)4枚の写真の中には我が愛する息子が写っております。どれが息子かお当てください。
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素敵な休日
元日以来の久しぶりの休日、どうしようか色々考えたのだけれど、一人じゃ何もできないのが私だから、あれこれ妻に提案してみたのだが、全て却下されてしまった。映画を観に行こうか、名古屋ドームの花フェスタに行こうか、デパートに買い物に行こうか、イタリア村に行こうか、ずいぶん知恵を絞ったのだが、どれも受け入れてもらえなかった。やむなくダラダラ過ごしてしまったのだが、せっかくの久しぶりの休みにこんな過ごし方というのも情けない。それでも、かなり楽しい一日だったと今では思うから、そんな一日を振り返ってみよう。
休みになると早く目が覚めるのがここ数年来続いている。理由は分からないがそうだから仕方ない。空腹を覚え、妻に声をかけ喫茶店に赴く。
これがかの有名な小倉トーストだ。こんな美味しいものが全国区でないなんて信じられない。週に1回は必ず小倉トーストを食べている。私は無類のあんこ好きなので、家にアンパンは常備されている。この小倉トーストとアイスレモンティ、モーニングの玉子を食べたのが私の朝食。「コメダ珈琲」というチェーン店のものだが文句なしに美味しい。
その後、家に戻ってぐだぐだしていたら、すぐに12時を過ぎてしまった。やっと起きて来た息子の意見を聞きながら、昼食を何にするか考える。WBCの日本対韓国戦が始まっているので、遠出はしたくない。そこで、自宅から、10分ほどで行けるスパゲッティー屋に行くことにする。そこは名古屋発祥のあんかけスパゲッティーの店である。
私の注文したのは、シーフードスパのMサイズである。(普段はLを頼むが、小倉トーストが結構残っていたため少し抑えた)「あん」という名の通り、ドロッとしたソースで黒コショウがピリリときいてくせになる味である。数年前に初めて食べたときは辛いばかりでそれ程美味しいとは思わなかったが、少し経ってまた食べたくなって、それ以来定期的に足を運んでいる店である。店主の動きがいささかスロウなのが気にかかるが、美味しいから我慢している。
その後で、ビール(豊潤・まろやか酵母など)を買い、帰宅した後にWBCを観戦する。ちょうど福留が2ランを放ったところで、その後の怒涛の攻撃に大声を上げる。さすがに韓国に3連敗はしないだろうと思っていたが、すっきりした勝ち方ができて満足した。決勝はキューバ、何とか勝って世界一となって欲しい。
興奮冷めやらぬまま弁慶(愛犬)と散歩に出向く。相変わらず力強く引っ張られそうになるが、川の中にカモの姿を見つけて写真に収める。
呑気そうに見えて、水中で必死に脚をばたつかせながら川上へ進んでいくカモを見ながら、なんだか普段の自分の姿をダブらせてみたが、せっかくの休日そんなことは忘れようと、家に帰ってビールを飲み始める。普段ならこれで一日が終るが、昨日は夕食に父が「とろろ」を作ると前夜から言っていたため、その手伝いをする。珍しく私がすりこぎを2時間近くこねて完成した。
何が好物といって、この「とろろ」ほど美味しいものはない。ご飯にかけて食べるのだが、あまりに食べることに夢中になってしまい、その写真を撮るのを忘れてしまった。刺身に絡ませて食べるとまた格別だ。どれだけでも食べられる。父が秋に掘らずにおいた自然薯を数日前に掘ってきてくれたため、この時期には思いもよらぬものが食べられた。美味しかった、最高だ!
平穏無事な休日だったが、年をとるとこんな休日がすこぶる大切に思える。どこかに外出するよりもこうしたのんびりした時間が過ごせる喜びを大切にしたいと思う一日だった。
休みになると早く目が覚めるのがここ数年来続いている。理由は分からないがそうだから仕方ない。空腹を覚え、妻に声をかけ喫茶店に赴く。
これがかの有名な小倉トーストだ。こんな美味しいものが全国区でないなんて信じられない。週に1回は必ず小倉トーストを食べている。私は無類のあんこ好きなので、家にアンパンは常備されている。この小倉トーストとアイスレモンティ、モーニングの玉子を食べたのが私の朝食。「コメダ珈琲」というチェーン店のものだが文句なしに美味しい。
その後、家に戻ってぐだぐだしていたら、すぐに12時を過ぎてしまった。やっと起きて来た息子の意見を聞きながら、昼食を何にするか考える。WBCの日本対韓国戦が始まっているので、遠出はしたくない。そこで、自宅から、10分ほどで行けるスパゲッティー屋に行くことにする。そこは名古屋発祥のあんかけスパゲッティーの店である。
私の注文したのは、シーフードスパのMサイズである。(普段はLを頼むが、小倉トーストが結構残っていたため少し抑えた)「あん」という名の通り、ドロッとしたソースで黒コショウがピリリときいてくせになる味である。数年前に初めて食べたときは辛いばかりでそれ程美味しいとは思わなかったが、少し経ってまた食べたくなって、それ以来定期的に足を運んでいる店である。店主の動きがいささかスロウなのが気にかかるが、美味しいから我慢している。
その後で、ビール(豊潤・まろやか酵母など)を買い、帰宅した後にWBCを観戦する。ちょうど福留が2ランを放ったところで、その後の怒涛の攻撃に大声を上げる。さすがに韓国に3連敗はしないだろうと思っていたが、すっきりした勝ち方ができて満足した。決勝はキューバ、何とか勝って世界一となって欲しい。
興奮冷めやらぬまま弁慶(愛犬)と散歩に出向く。相変わらず力強く引っ張られそうになるが、川の中にカモの姿を見つけて写真に収める。
呑気そうに見えて、水中で必死に脚をばたつかせながら川上へ進んでいくカモを見ながら、なんだか普段の自分の姿をダブらせてみたが、せっかくの休日そんなことは忘れようと、家に帰ってビールを飲み始める。普段ならこれで一日が終るが、昨日は夕食に父が「とろろ」を作ると前夜から言っていたため、その手伝いをする。珍しく私がすりこぎを2時間近くこねて完成した。
何が好物といって、この「とろろ」ほど美味しいものはない。ご飯にかけて食べるのだが、あまりに食べることに夢中になってしまい、その写真を撮るのを忘れてしまった。刺身に絡ませて食べるとまた格別だ。どれだけでも食べられる。父が秋に掘らずにおいた自然薯を数日前に掘ってきてくれたため、この時期には思いもよらぬものが食べられた。美味しかった、最高だ!
平穏無事な休日だったが、年をとるとこんな休日がすこぶる大切に思える。どこかに外出するよりもこうしたのんびりした時間が過ごせる喜びを大切にしたいと思う一日だった。
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先週買った本
毎週1回は必ず書店に行く。普通は木曜に妻と連れ立って、少し離れた書店に車で出かける。あれこれ物色しているうちに、面白いと思った本は深く考えもせず買ってしまうのだが、それができるのも、代金を一か月まとめて支払う約束ができていて、普段は伝票にサインするだけですむ気軽さがあるからだろう。月末に請求書をもらうと、金額の多さに驚くこともしばしばだが、本だけはできるだけ自由に買いたいというのが私の長年の願いだから、この習慣は治らないだろう。
そこで、そんな私が先週買ってきた本を何冊か、以下に紹介したいと思う。種々雑多、訳が分からぬものが多い。
まずは「会社四季報・春号」。
これは父のために買ってきた。私の父は、株をやり始めて40年以上になる。年季だけで言ったら、ホリえもんなど父の足元にも及ばないが、儲けた額では逆に父の方が足元にも及ばないだろう。まあ、そのお陰で狭い部屋に閉じ込められることもなかったのだが・・父は、株価を知るため短波ラジオを四六時中聴いている。それがまるで猫の鈴のような役割をしてくれて、どこにいるのかよく分かって甚だ都合がいい。最近は一段と熱が入って、日刊の株式新聞までとるようになったし、株屋から電話が入ることもしょっちゅうだ。ネット取引などというハイテクとは縁遠い人物だから、危険も少ないかもしれないが、ボケ防止には大いに役立っているはずだ。
2冊目は、「ルバイヤート」(マール社)。
「ルバイヤート」とは、中世ペルシアで生まれた四行詩集のことである。作者、オマル・ハイアームは、「数学・天文学・医学・歴史・哲学などを究めた学者であり、ペルシアを代表する大詩人の一人である。学問に秀で詩的才能に恵まれた稀有な人物である」と紹介されている。これをエドワード・フィッツジラルドが英訳し、さらにそれを竹友藻風という人が1921年に日本語訳したものが本書である。110編の詩の中から、印象的なものを載せる。
「如何(いか)なれば」とも知らず、この天地(あめつち)に
「何処(いずこ)より」とも知らず、諾否(うむ)なく流れ、
その外へ、あれ野行く風のごとくに、
「何処へ」とわれ知らず、諾否なく吹けり。
3冊目は、「人体解剖図」(金園社)。
これを見つけた時は、何故こんなものが書店においてあるのか不思議に思った。表紙の目次を見ると、骨格系の全景(前面・後面)、筋系の全景(前面・後面)・・などと書かれている。パラパラとめくってみるといくつかの人体図が、折り畳められている。家で広げてみたら、部屋の天井から床まで届いた。2m50cmくらいになるのだろうか。塾の授業で必要かもしれないと思ったのが、買ってみた主な理由だが、人体の構造を詳しく知っておくことも必要ではないかと、酔狂な気持ちが動いたのも事実である。
最後に「不思議の国のアリス」(メディアファクトリー)。
この本は、作家村山由佳が翻訳したものであるため、旧来のアリスとは少しばかり読んだ印象が違う(まだ全部読んでいないので、細かなことは分からないが)。しかし、私はアリスを新訳で読み直すためにこの本を買ったのではなく、挿絵を描いているのがトーべ・ヤンソンだったから、手に取ったのだった。トーベ・ヤンソンといえば、ムーミンの生みの親で、フィンランドの画家・短編作家だ。私はムーミンに登場する、スナフキンの大ファンで、あんなふうになれたらいいなとずっと思って生きてきた。その原作者がアリスの挿絵を描いているのだから、ぜひ「読む」のではなく「見」なければならないと思ったのだ。表紙の真ん中に描かれている「チェシャ猫」だけでも、一見の価値があると思う。ざっと調べたところ、3回「チェシャ猫」の姿が描かれている。ムーミンの作家が描いた「チェシャ猫」、なかなかの迫力があって私は好きだ。
そこで、そんな私が先週買ってきた本を何冊か、以下に紹介したいと思う。種々雑多、訳が分からぬものが多い。
まずは「会社四季報・春号」。
これは父のために買ってきた。私の父は、株をやり始めて40年以上になる。年季だけで言ったら、ホリえもんなど父の足元にも及ばないが、儲けた額では逆に父の方が足元にも及ばないだろう。まあ、そのお陰で狭い部屋に閉じ込められることもなかったのだが・・父は、株価を知るため短波ラジオを四六時中聴いている。それがまるで猫の鈴のような役割をしてくれて、どこにいるのかよく分かって甚だ都合がいい。最近は一段と熱が入って、日刊の株式新聞までとるようになったし、株屋から電話が入ることもしょっちゅうだ。ネット取引などというハイテクとは縁遠い人物だから、危険も少ないかもしれないが、ボケ防止には大いに役立っているはずだ。
2冊目は、「ルバイヤート」(マール社)。
「ルバイヤート」とは、中世ペルシアで生まれた四行詩集のことである。作者、オマル・ハイアームは、「数学・天文学・医学・歴史・哲学などを究めた学者であり、ペルシアを代表する大詩人の一人である。学問に秀で詩的才能に恵まれた稀有な人物である」と紹介されている。これをエドワード・フィッツジラルドが英訳し、さらにそれを竹友藻風という人が1921年に日本語訳したものが本書である。110編の詩の中から、印象的なものを載せる。
「如何(いか)なれば」とも知らず、この天地(あめつち)に
「何処(いずこ)より」とも知らず、諾否(うむ)なく流れ、
その外へ、あれ野行く風のごとくに、
「何処へ」とわれ知らず、諾否なく吹けり。
3冊目は、「人体解剖図」(金園社)。
これを見つけた時は、何故こんなものが書店においてあるのか不思議に思った。表紙の目次を見ると、骨格系の全景(前面・後面)、筋系の全景(前面・後面)・・などと書かれている。パラパラとめくってみるといくつかの人体図が、折り畳められている。家で広げてみたら、部屋の天井から床まで届いた。2m50cmくらいになるのだろうか。塾の授業で必要かもしれないと思ったのが、買ってみた主な理由だが、人体の構造を詳しく知っておくことも必要ではないかと、酔狂な気持ちが動いたのも事実である。
最後に「不思議の国のアリス」(メディアファクトリー)。
この本は、作家村山由佳が翻訳したものであるため、旧来のアリスとは少しばかり読んだ印象が違う(まだ全部読んでいないので、細かなことは分からないが)。しかし、私はアリスを新訳で読み直すためにこの本を買ったのではなく、挿絵を描いているのがトーべ・ヤンソンだったから、手に取ったのだった。トーベ・ヤンソンといえば、ムーミンの生みの親で、フィンランドの画家・短編作家だ。私はムーミンに登場する、スナフキンの大ファンで、あんなふうになれたらいいなとずっと思って生きてきた。その原作者がアリスの挿絵を描いているのだから、ぜひ「読む」のではなく「見」なければならないと思ったのだ。表紙の真ん中に描かれている「チェシャ猫」だけでも、一見の価値があると思う。ざっと調べたところ、3回「チェシャ猫」の姿が描かれている。ムーミンの作家が描いた「チェシャ猫」、なかなかの迫力があって私は好きだ。
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ディーゼル・バス
2006年03月18日 / 車
水曜日、バスを運転していたら、携帯電話が鳴った。バスを止めて電話に出ると、塾を手伝ってくれている大学生からだった。「バスが動かないんですけど」と唐突なことを言う。「エッ、動かないってどういうこと?」「エンジンがかからないんです」「うーーん、困ったなあ。それじゃあ、家に電話してみるからちょっと待ってて」と電話を切って、自宅にかけ直した。「バスが動かなくなったらしいから、すぐに見に行ってくれないか」と私が頼むと、電話に出た妻が車庫まで走っていった。私はそのまま送迎を続けたが、途中気になって電話をしたら、大学生と妻がそれぞれの車で分担して、生徒の送迎をしているとの返事が帰って来た。ちょっと安心したが、バスが一台使えなくなったのは困ったことになったと、塾に着くまでどう対処しようかずっと思案していた。
戻ってすぐに車庫に入ったままのバスに乗り込んで、エンジンをかけようとしたが、セルは回るものの、エンジンがかからない。なんだか、変なにおいもしだしてこれはエンジンが焼きついてしまったかもしれないと、ちょっとばかり不安になってきた。帰ってきた大学生に様子を聞くと、その車は前夜から変な調子だったという。アクセルを踏み込んでも、回転数が上がらず、ノッキングするような感じで、苦労しながら戻ってきたそうだ。前日といえば、私がスタッドレスタイヤをノーマルタイヤに交換した日だ。空気圧が少ないと思って、スタンドに持って行って、調節をしてもらい、ついでにガソリンを入れた日だ。その時は何事もなく乗れたのに、何故その夜突然調子が悪くなり、翌日には動かなくなってしまったのか、納得がいかない。日産の販売店に電話しても、あいにく休業日で留守番電話になっていた。仕方ないので、知り合いの営業マンの携帯に電話して、事情を話して翌日にバスを見に来てくれるよう頼んだ。
授業をしながらも、生徒をどうやって送っていこうかあれこれ考えていたが、はたと思い当たることがあった。動かなくなったのはディーゼルエンジンのバスである。ひょっとしたら、軽油を入れなきゃいけないのに間違えてレギュラーガソリンを入れたんじゃないだろうか。以前もそうした間違いをして動かなくなったことがあり、今回も症状がよく似ている。いや、これはきっとその通りだぞ、と確信めいた思いになってスタンドの伝票を探したけれど、捨ててしまったのか見つからない。スタンドに聞くしかないなと、その夜は何とかやりくりをして、生徒たちを送り届けた。
翌日、朝早くスタンドに電話して確認を取ったところ、やっぱり思ったとおり、レギュラーガソリンが入れてあったそうだ。「すみません、きちんと処理しますから」と所長が平謝りしているが、私としては動くようにさえなればいいので、「お願いします」と電話を切った。日産の営業マンに電話して、その旨を報告したところ、事態は私が思うほど簡単なものではないと言う。最悪の場合、エンジンがだめになっているかもしれないから、覚悟しておいてくださいよと怖いことを言う。実は、このバスは、愛知県がディーゼル車の所有を禁止するため、4月の車検を受けられなくなり、やむなく買い換える予定になっていたものだ。営業マンは下取り車が壊れてしまったら、えらいことになると心配しているのだが、私としてはどうせ新車に替えるんだからと、軽い気持ちでいた。そのギャップで微妙に話がずれておかしかった。
昼過ぎに、スタンドの所長が来てバスを牽引して行った。「きちっとやってきますから」と神妙な顔で戻っていったが、最悪の場合にはスタンドが責任を取らなければならないと思っているのか、深刻な表情だった。確かに給油口を開くと「軽由のみ」とシールが貼ってあるし、キャップにも「ディーゼル」と刻印してあるから、それを確かめなかったスタンドのせいだろうけど、私もちゃんと「軽油を」と言わなかった負い目があるものだから、一方的に相手の責任にするのも気が引けた。何とか動くようになってくれよと願っていたら、2時間ほどでバスが動いて戻ってきた。ホッとした私に、所長が「ガソリンを抜いて、エンジンのフィルターも外して全部洗ってきれいにしましたので、これで大丈夫だと思います。申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げる。私は「いえ、こちらこそ、どうも」としどろもどろに答えてしまったが、とにかく動くようになってよかった。
その夜は、生徒の送迎にちゃんと動いてくれたから、とりあえずは大丈夫だろう。今月いっぱいは、なんとか頑張ってもらわなければならない。
お願いね、2号車くん。
戻ってすぐに車庫に入ったままのバスに乗り込んで、エンジンをかけようとしたが、セルは回るものの、エンジンがかからない。なんだか、変なにおいもしだしてこれはエンジンが焼きついてしまったかもしれないと、ちょっとばかり不安になってきた。帰ってきた大学生に様子を聞くと、その車は前夜から変な調子だったという。アクセルを踏み込んでも、回転数が上がらず、ノッキングするような感じで、苦労しながら戻ってきたそうだ。前日といえば、私がスタッドレスタイヤをノーマルタイヤに交換した日だ。空気圧が少ないと思って、スタンドに持って行って、調節をしてもらい、ついでにガソリンを入れた日だ。その時は何事もなく乗れたのに、何故その夜突然調子が悪くなり、翌日には動かなくなってしまったのか、納得がいかない。日産の販売店に電話しても、あいにく休業日で留守番電話になっていた。仕方ないので、知り合いの営業マンの携帯に電話して、事情を話して翌日にバスを見に来てくれるよう頼んだ。
授業をしながらも、生徒をどうやって送っていこうかあれこれ考えていたが、はたと思い当たることがあった。動かなくなったのはディーゼルエンジンのバスである。ひょっとしたら、軽油を入れなきゃいけないのに間違えてレギュラーガソリンを入れたんじゃないだろうか。以前もそうした間違いをして動かなくなったことがあり、今回も症状がよく似ている。いや、これはきっとその通りだぞ、と確信めいた思いになってスタンドの伝票を探したけれど、捨ててしまったのか見つからない。スタンドに聞くしかないなと、その夜は何とかやりくりをして、生徒たちを送り届けた。
翌日、朝早くスタンドに電話して確認を取ったところ、やっぱり思ったとおり、レギュラーガソリンが入れてあったそうだ。「すみません、きちんと処理しますから」と所長が平謝りしているが、私としては動くようにさえなればいいので、「お願いします」と電話を切った。日産の営業マンに電話して、その旨を報告したところ、事態は私が思うほど簡単なものではないと言う。最悪の場合、エンジンがだめになっているかもしれないから、覚悟しておいてくださいよと怖いことを言う。実は、このバスは、愛知県がディーゼル車の所有を禁止するため、4月の車検を受けられなくなり、やむなく買い換える予定になっていたものだ。営業マンは下取り車が壊れてしまったら、えらいことになると心配しているのだが、私としてはどうせ新車に替えるんだからと、軽い気持ちでいた。そのギャップで微妙に話がずれておかしかった。
昼過ぎに、スタンドの所長が来てバスを牽引して行った。「きちっとやってきますから」と神妙な顔で戻っていったが、最悪の場合にはスタンドが責任を取らなければならないと思っているのか、深刻な表情だった。確かに給油口を開くと「軽由のみ」とシールが貼ってあるし、キャップにも「ディーゼル」と刻印してあるから、それを確かめなかったスタンドのせいだろうけど、私もちゃんと「軽油を」と言わなかった負い目があるものだから、一方的に相手の責任にするのも気が引けた。何とか動くようになってくれよと願っていたら、2時間ほどでバスが動いて戻ってきた。ホッとした私に、所長が「ガソリンを抜いて、エンジンのフィルターも外して全部洗ってきれいにしましたので、これで大丈夫だと思います。申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げる。私は「いえ、こちらこそ、どうも」としどろもどろに答えてしまったが、とにかく動くようになってよかった。
その夜は、生徒の送迎にちゃんと動いてくれたから、とりあえずは大丈夫だろう。今月いっぱいは、なんとか頑張ってもらわなければならない。
お願いね、2号車くん。
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「父帰る」
妻の元気さは相変わらずであるが、考えて見れば今年になって一度も遠征に出かけていない。せいぜい「有頂天ホテル」を観に行ったことと、娘とデパートに買い物に行ったぐらいしか覚えていない。2月末までは確定申告で、毎日忙しがっていたから仕方がなかったのかもしれないが、傍から見ているとおとなしく暮らしているように見えた。しかし、着々と準備は進めていたようで、4月になるとためていた力を一気に爆発させる予定になっているらしい。先日聞いたところによると、4月だけで、草剛の舞台を1回、藤原竜也の舞台を3回観るために東京に出向くそうだ。さらに、娘とペアーで申し込むと、草の舞台のチケットが当たるという抽選に申し込んであるから、うまく行ったら5回になるかもしれないと、あまりに能天気な見通しを立てていた。「それはさすがにやりすぎだろう」と、堪りかねた私が文句を言ってやったら、「だから、もし剛の舞台が当たったら、藤原の舞台は一回あきらめる」と、当然と思えることを偉そうに言う。名古屋で2回、大阪で1回のチケットは既に確保してあるそうだから、それくらい我慢してもどうってことないのに、さも道理が分かった振りをして物を言うからカチンと来る。でも、自分で組んだ予定にこれ以上私が口をはさむと逆ギレするのがオチだから、「仕方ないや」となすがままにしておくのに越したことはない。
しかし、草の舞台のチケットは手に入れるのに相当苦労したようだ。何でも、世田谷のシアタートラムという小さな劇場で上演されるようで、元々観客数が少ない上になんと言っても草剛だ、プラチナチケットになるのも当然だろう。妻はSMAP仲間の人から運良く1枚回してもらえることになったが、それが分かったときは狂喜乱舞していた。それ程嬉しいものなのかなと不思議に思うが、感情の起伏の烈しい奴だから分からないでもない。それにしても、演目が菊池寛の「父帰る」と「屋上の狂人」とは妙に古典的なものだなと、前々から興味深く思っていた。菊池寛は有名な作家であるが、私は「恩讐の彼方に」しか読んだことがなかった。「父帰る」も「屋上の狂人」も読んだことはなかったので、書棚にある中央公論社の「日本の文学」を探してみた。すると運よくどちらも掲載されていたので、早速読んでみた。脚本として書かれた短いものなのですぐに読了できた(草の舞台では、それぞれ40分で演じる予定)。ストーリーを簡単に纏めると次のようだ。
『父帰る』
家族を顧みず、放蕩のあげくに女をつくって家出した父が、二十年ぶりに落ちぶれ果てた姿で我が家に戻ってくる。 母と次男と娘は温かく迎えたが、貧困と闘いつつ一家を支え、弟妹を中学まで出した長男・賢一郎は父を許さず、自分たちにとっては親どころか敵であると、積年の恨みを叩きつける。 長男の怒りの前に、父は悄然と去る。しかし、「賢一郎!」と哀願する母の叫びに、彼は弟を連れて、狂気のように父の跡を追うのであった。
『屋上の狂人』
瀬戸内海のある島の財産家の長男・義太郎は、毎日自分の家の高い屋根に上り、一日中、穏やかな海を凝視している。「金毘羅様の空の彼方に神殿があり、天人と天狗が舞い踊る様子が見える」と言っては、彼はいつも無邪気に喜んでいる。しかし、両親にとっては、世間体もあり、何とか癒そうと苦心するが効き目がない。そんなある日、義太郎の奇行は狐が憑いたせいだという巫女が現れ、両親は巫女の言う通りに、屋上の義太郎を松葉でいぶし始める。そこへ中学校から帰宅した弟の末次郎が憤慨して巫女を追い出し、両親に、兄は今のままが幸福なのだと説き、将来は自分が面倒を見ると誓い、屋根に上り、狂人の兄とともに、穏やかな瀬戸内の海を照らす夕日を眺めるのであった。
私としては「屋上の狂人」で、草の演じる儀太郎を見てみたいとは思うが、妻はまだこの脚本を読んでいないので、どういう感想を持つのか分からない。しかし、今週の土・日に草が演じる「愛と死を見つめて」に関する彼のインタビュー記事が先日スポーツ紙に載っていた。それを見た妻が面白いことを言った。「剛はいつでも同じことしか言わないから読まなくていい。映画やドラマをやっても、覚えたせりふが身になって行かないんだよね、剛は・・・その点、藤原は違うんだな。舞台をやるたびにその中のセリフが確実に自分のものになっていってるのが分かる、若いのにすごいよ、あの子は」
恐るべし、藤原竜也・・・て言うほどのことでもないかな。
しかし、草の舞台のチケットは手に入れるのに相当苦労したようだ。何でも、世田谷のシアタートラムという小さな劇場で上演されるようで、元々観客数が少ない上になんと言っても草剛だ、プラチナチケットになるのも当然だろう。妻はSMAP仲間の人から運良く1枚回してもらえることになったが、それが分かったときは狂喜乱舞していた。それ程嬉しいものなのかなと不思議に思うが、感情の起伏の烈しい奴だから分からないでもない。それにしても、演目が菊池寛の「父帰る」と「屋上の狂人」とは妙に古典的なものだなと、前々から興味深く思っていた。菊池寛は有名な作家であるが、私は「恩讐の彼方に」しか読んだことがなかった。「父帰る」も「屋上の狂人」も読んだことはなかったので、書棚にある中央公論社の「日本の文学」を探してみた。すると運よくどちらも掲載されていたので、早速読んでみた。脚本として書かれた短いものなのですぐに読了できた(草の舞台では、それぞれ40分で演じる予定)。ストーリーを簡単に纏めると次のようだ。
『父帰る』
家族を顧みず、放蕩のあげくに女をつくって家出した父が、二十年ぶりに落ちぶれ果てた姿で我が家に戻ってくる。 母と次男と娘は温かく迎えたが、貧困と闘いつつ一家を支え、弟妹を中学まで出した長男・賢一郎は父を許さず、自分たちにとっては親どころか敵であると、積年の恨みを叩きつける。 長男の怒りの前に、父は悄然と去る。しかし、「賢一郎!」と哀願する母の叫びに、彼は弟を連れて、狂気のように父の跡を追うのであった。
『屋上の狂人』
瀬戸内海のある島の財産家の長男・義太郎は、毎日自分の家の高い屋根に上り、一日中、穏やかな海を凝視している。「金毘羅様の空の彼方に神殿があり、天人と天狗が舞い踊る様子が見える」と言っては、彼はいつも無邪気に喜んでいる。しかし、両親にとっては、世間体もあり、何とか癒そうと苦心するが効き目がない。そんなある日、義太郎の奇行は狐が憑いたせいだという巫女が現れ、両親は巫女の言う通りに、屋上の義太郎を松葉でいぶし始める。そこへ中学校から帰宅した弟の末次郎が憤慨して巫女を追い出し、両親に、兄は今のままが幸福なのだと説き、将来は自分が面倒を見ると誓い、屋根に上り、狂人の兄とともに、穏やかな瀬戸内の海を照らす夕日を眺めるのであった。
私としては「屋上の狂人」で、草の演じる儀太郎を見てみたいとは思うが、妻はまだこの脚本を読んでいないので、どういう感想を持つのか分からない。しかし、今週の土・日に草が演じる「愛と死を見つめて」に関する彼のインタビュー記事が先日スポーツ紙に載っていた。それを見た妻が面白いことを言った。「剛はいつでも同じことしか言わないから読まなくていい。映画やドラマをやっても、覚えたせりふが身になって行かないんだよね、剛は・・・その点、藤原は違うんだな。舞台をやるたびにその中のセリフが確実に自分のものになっていってるのが分かる、若いのにすごいよ、あの子は」
恐るべし、藤原竜也・・・て言うほどのことでもないかな。
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月2回のお手伝い
毎月第一・第三水曜の夜は忙しい。塾が終わって、一息つきながらブログを眺めているのが毎晩の日課だが、月に2回、この2晩だけはボヤボヤしていられない。というのは、第一・第三木曜日が、市の決めた私の町内の空き缶・空き瓶・ペットボトルの回収日となっているからだ。我が家の回収担当が私となってもう一年以上になる。どういうきっかけでそんなことになったのか、今では忘れてしまったが、少しくらいは妻の役に立ってみるかと、私にしては珍しく殊勝な考えで始めたものである。
その夜は、塾が終わって帰宅すると、まず台所に集めてある空き缶の袋を持って自分の部屋へ上がっていく。そして部屋のあちこちに散乱しているビールの空き缶を集める。寝る前に350mℓの缶ビールを2本飲むのが私のささやかな楽しみだから、2週間経つとかなりの空き缶が溜まる。それを全部袋の中に入れると、部屋がかなりすっきりする。ちょっと気分が軽くなって、ガチャガチャ音を立てながら階下に行き、空き瓶とペットボトルの入った袋を併せ持って、塾舎に向かう。
こちらは毎日飲むウーロン茶とお茶のペットボトルがかなり溜まっている。事務室には流し台が設置してあるが、手を洗うか、顔を洗うくらいにしか使わないので、飲み終えたペットボトルの置き場所になっている。2ℓのものがほとんどなので、2週間も経つとかなりかさばってくる。面倒くさいが、この日を逃したらまた2週間待たなければならないから、急いで作業に取り掛かる。
周知のように、ペットボトルの回収には決められたやり方がある。まず、キャップを外して、軽く水洗いをする。次にラベルを外さなければならないが、これが見かけほど簡単ではない。私が毎日飲むのは、サントリーのウーロン茶と伊右衛門と決まっている。(コカコーラの「一」は余り飲まなくなった)ウーロン茶の方は、ペットボトルがしっかりしていて、ミシン目もはっきり付けてあるので、破ってはがすのにそれ程苦労しない。しかし、伊右衛門の方は、ペットボトルが柔らかいため、ラベルをはがそうと力を入れると簡単にへこんでしまい、はがしにくくなることがよくある。それでも2ℓ入りの容器ならラベル部分が小さいから、まだ楽だ。500mℓのものだとふにゃふにゃな上に、ラベルが容器全体に巻きついているから、ミシン目に沿って破ろうとしても途中であらぬ方向に破れていってしまうことが多い。こうなると、力ずくではがさなくてはならなくなって、要らぬ労力がいって腹が立つ。真夜中に、「くそっ」とかブツブツ唸りながら、流し台に向かって一人でペットボトルのラベルをはがしているオヤジの姿は、哀愁に満ちた滑稽なものであろうが、焦れば焦るほどグチャグチャになってしまう。私が500mℓを極力避けて、2ℓしか買わなくなった大きな理由はこれである。
最後にラベルをはがして透明になったペットボトルを潰しながら袋に入れていく。全て終ると、流し台の中はきれいさっぱりして気持ちがいい。タワシでサッと洗ってやると、ピカピカして私の気持ちも清々しくなる。実はずいぶん前にペットボトル回収用のダンボール箱を買ったのだが、奥の部屋で届けられたままの姿で眠っている。色々思い付くことはあっても、それを実行に移す段になると面倒になってしまうのが私の悪い癖だ。近いうちに使うようにしようと思う。
さて、後は業者の置いていった回収用のかごや袋に集めた空き缶・空き瓶・ペットボトルを入れるだけだ。ガチャガチャいわせながら、塾舎のすぐ横まで運んでいく。いくら、近くにさほど家が多くないと言っても、深夜だから音はかなり響く。迷惑をかけてはいけないと思いながら、そっとかごに流し込むのだが、やはり音はうるさい。業者が早朝集めに来るため、朝の遅い私にはこの時間しか都合がつかない。しかし、一仕事終えるとやっぱり充実感が味わえる。2週間に1度、めったにしない家事の手伝いを果たした満足感も私にはうれしいものだ。
でも、こうやって妻の負担を少しでも減らしてやろうと自発的に始めた回収行為も、最初の頃こそ感謝されたが、今では当たり前のことになってしまったようだ。常日頃、妻に感謝や労いの言葉をかけることが少ない私であるから、当然の結果だとは思うが、「ちょっぴり寂しい」というのが正直な気持ちだ。
その夜は、塾が終わって帰宅すると、まず台所に集めてある空き缶の袋を持って自分の部屋へ上がっていく。そして部屋のあちこちに散乱しているビールの空き缶を集める。寝る前に350mℓの缶ビールを2本飲むのが私のささやかな楽しみだから、2週間経つとかなりの空き缶が溜まる。それを全部袋の中に入れると、部屋がかなりすっきりする。ちょっと気分が軽くなって、ガチャガチャ音を立てながら階下に行き、空き瓶とペットボトルの入った袋を併せ持って、塾舎に向かう。
こちらは毎日飲むウーロン茶とお茶のペットボトルがかなり溜まっている。事務室には流し台が設置してあるが、手を洗うか、顔を洗うくらいにしか使わないので、飲み終えたペットボトルの置き場所になっている。2ℓのものがほとんどなので、2週間も経つとかなりかさばってくる。面倒くさいが、この日を逃したらまた2週間待たなければならないから、急いで作業に取り掛かる。
周知のように、ペットボトルの回収には決められたやり方がある。まず、キャップを外して、軽く水洗いをする。次にラベルを外さなければならないが、これが見かけほど簡単ではない。私が毎日飲むのは、サントリーのウーロン茶と伊右衛門と決まっている。(コカコーラの「一」は余り飲まなくなった)ウーロン茶の方は、ペットボトルがしっかりしていて、ミシン目もはっきり付けてあるので、破ってはがすのにそれ程苦労しない。しかし、伊右衛門の方は、ペットボトルが柔らかいため、ラベルをはがそうと力を入れると簡単にへこんでしまい、はがしにくくなることがよくある。それでも2ℓ入りの容器ならラベル部分が小さいから、まだ楽だ。500mℓのものだとふにゃふにゃな上に、ラベルが容器全体に巻きついているから、ミシン目に沿って破ろうとしても途中であらぬ方向に破れていってしまうことが多い。こうなると、力ずくではがさなくてはならなくなって、要らぬ労力がいって腹が立つ。真夜中に、「くそっ」とかブツブツ唸りながら、流し台に向かって一人でペットボトルのラベルをはがしているオヤジの姿は、哀愁に満ちた滑稽なものであろうが、焦れば焦るほどグチャグチャになってしまう。私が500mℓを極力避けて、2ℓしか買わなくなった大きな理由はこれである。
最後にラベルをはがして透明になったペットボトルを潰しながら袋に入れていく。全て終ると、流し台の中はきれいさっぱりして気持ちがいい。タワシでサッと洗ってやると、ピカピカして私の気持ちも清々しくなる。実はずいぶん前にペットボトル回収用のダンボール箱を買ったのだが、奥の部屋で届けられたままの姿で眠っている。色々思い付くことはあっても、それを実行に移す段になると面倒になってしまうのが私の悪い癖だ。近いうちに使うようにしようと思う。
さて、後は業者の置いていった回収用のかごや袋に集めた空き缶・空き瓶・ペットボトルを入れるだけだ。ガチャガチャいわせながら、塾舎のすぐ横まで運んでいく。いくら、近くにさほど家が多くないと言っても、深夜だから音はかなり響く。迷惑をかけてはいけないと思いながら、そっとかごに流し込むのだが、やはり音はうるさい。業者が早朝集めに来るため、朝の遅い私にはこの時間しか都合がつかない。しかし、一仕事終えるとやっぱり充実感が味わえる。2週間に1度、めったにしない家事の手伝いを果たした満足感も私にはうれしいものだ。
でも、こうやって妻の負担を少しでも減らしてやろうと自発的に始めた回収行為も、最初の頃こそ感謝されたが、今では当たり前のことになってしまったようだ。常日頃、妻に感謝や労いの言葉をかけることが少ない私であるから、当然の結果だとは思うが、「ちょっぴり寂しい」というのが正直な気持ちだ。
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春支度
2006年03月15日 / 車
先週末の暖かさとうって変わって、今週月曜・火曜と冬が戻ってきたような寒さだ。二日続けて小雪が舞ったのには驚いた。さらにひとりの中学生が、その雪を「なごり雪」と称したのにはさらに驚いた。結構、言葉を知っているものだなと感心したが、ひょっとしたらイルカの歌を知っているのかなと思った。するとその瞬間、頭に歌詞が浮かんできて思わず口ずさんでしまった。
汽車を待つ君の横で
ぼくは時計を気にしてる
季節はずれの雪が降ってる
「東京で見る雪はこれが最後ね」と
さみしそうに 君がつぶやく
なごり雪も 降る時を知り
ふざけすぎた 季節のあとで
今 春が来て 君はきれいになった
去年よりずっと きれいになった 伊勢正三 作詞
高校入試も終った。私には束の間、時間に余裕ができる。新学期の準備も色々忙しいが、とりあえずこれでしばらく日曜が休みになる。正月2日から休みなく、ずっと毎日塾を続けてきたのが、やっと一息つける。だが、ちょっと考えれば、やらなけりゃいけないことが山積している。まず、もういくらなんでも積もるほど雪は降らないだろうから、スタッドレスタイヤの交換をしなければいけない。まず、それから始めることにした。
でも、車4台、16本のタイヤを交換するのはなかなか大変だ。気合を込めなけりゃとてもやる気が出てこない。「よし!やるぞ!」と思いっきり叫んで、11時頃から作業を開始した。まず、午前中に2台完了する予定で始めたのだが、一番大きな15人乗りのマイクロバスのタイヤ交換に手間取る。ナットを外すのに使うレンチの穴の大きさが上手くあわない。いつもはこの車だけはスタンドで交換してもらうのだが、今回は全部自分でやろうと決めているから泣き言は言っていられない。スタンドに持っていけば、一本600円、一台2400円取られる。4台分で9600円節約しようと、私にしては殊勝な心がけで始めたことだから、頑張るしかない。横を通った父が削ってやると言って、工具でレンチの先を磨耗してくれたので、その後はスムースに進んだ。結局午前中は大きなバス1台しか完了できなかったが、これくらいの遅れは計算済みだ、仕方ない。
昼食もそこそこに、作業を再開する。私は何かを始めるまでは、なかなかその気になれないが、一旦始めると半ばヤケの気持ちも手伝ってわき目も振らずやりだす。昨日もそういう状態になって、本格的に作業の手伝いをし始めてくれた父の力を借りて、流れ作業的に進んでいく。途中、また小雪がちらつき始めたが、さすがに「なごり雪」を口ずさむ余裕はなく、ただ黙々と作業を続けた。小一時間で2台完了した。私はちょっと、ふらふらになってきて「もう一台は明日にする」と父に告げたところ、「なら、俺が後の一台はやっておいてやるから、車を出しておいてくれ」と答えた。えっ、まさか「それならお願いしますね」とも言えないだろう・・と気持ちを奮い立たせて、やむなく残りの一台の作業に取り掛かった。やれば、どうってことなく短時間で無事タイヤ交換は完了したのだが、こうやって「作業を中途半端に残さない、できるときには全部やる」というのが、父のように長い間職人として働いてきた人たちの習性なんだなと改めて思った。私のように力仕事とは縁の遠い毎日を過ごしていると、少しくらい疲れたぐらいですぐに弱音を吐いてしまう。そこで、グッと踏ん張って最後までやり遂げれば、後々楽だし、予定も遅滞なく進んでいくものだと、父から教わったような気がした。いつまでたっても、父からは教えられることばかりだ。
本当は、のばし放題になった髪の毛も切って一気に春支度を済ませたかったのだが、ゲンを担いで毎年入試が終るまでは切らないでいるものだから、合格発表のある22日まで待ってから切るべきだと考え直した。先週末の暖かさが続いていたら、暑苦しくなって切ってしまったかもしれないが、寒の戻りがあったためこのままにしておいた方が寒さしのぎになるだろうと、いささか身勝手な理由もなくはない。
しかし、なれない作業は疲れる、本当に疲れた・・・
汽車を待つ君の横で
ぼくは時計を気にしてる
季節はずれの雪が降ってる
「東京で見る雪はこれが最後ね」と
さみしそうに 君がつぶやく
なごり雪も 降る時を知り
ふざけすぎた 季節のあとで
今 春が来て 君はきれいになった
去年よりずっと きれいになった 伊勢正三 作詞
高校入試も終った。私には束の間、時間に余裕ができる。新学期の準備も色々忙しいが、とりあえずこれでしばらく日曜が休みになる。正月2日から休みなく、ずっと毎日塾を続けてきたのが、やっと一息つける。だが、ちょっと考えれば、やらなけりゃいけないことが山積している。まず、もういくらなんでも積もるほど雪は降らないだろうから、スタッドレスタイヤの交換をしなければいけない。まず、それから始めることにした。
でも、車4台、16本のタイヤを交換するのはなかなか大変だ。気合を込めなけりゃとてもやる気が出てこない。「よし!やるぞ!」と思いっきり叫んで、11時頃から作業を開始した。まず、午前中に2台完了する予定で始めたのだが、一番大きな15人乗りのマイクロバスのタイヤ交換に手間取る。ナットを外すのに使うレンチの穴の大きさが上手くあわない。いつもはこの車だけはスタンドで交換してもらうのだが、今回は全部自分でやろうと決めているから泣き言は言っていられない。スタンドに持っていけば、一本600円、一台2400円取られる。4台分で9600円節約しようと、私にしては殊勝な心がけで始めたことだから、頑張るしかない。横を通った父が削ってやると言って、工具でレンチの先を磨耗してくれたので、その後はスムースに進んだ。結局午前中は大きなバス1台しか完了できなかったが、これくらいの遅れは計算済みだ、仕方ない。
昼食もそこそこに、作業を再開する。私は何かを始めるまでは、なかなかその気になれないが、一旦始めると半ばヤケの気持ちも手伝ってわき目も振らずやりだす。昨日もそういう状態になって、本格的に作業の手伝いをし始めてくれた父の力を借りて、流れ作業的に進んでいく。途中、また小雪がちらつき始めたが、さすがに「なごり雪」を口ずさむ余裕はなく、ただ黙々と作業を続けた。小一時間で2台完了した。私はちょっと、ふらふらになってきて「もう一台は明日にする」と父に告げたところ、「なら、俺が後の一台はやっておいてやるから、車を出しておいてくれ」と答えた。えっ、まさか「それならお願いしますね」とも言えないだろう・・と気持ちを奮い立たせて、やむなく残りの一台の作業に取り掛かった。やれば、どうってことなく短時間で無事タイヤ交換は完了したのだが、こうやって「作業を中途半端に残さない、できるときには全部やる」というのが、父のように長い間職人として働いてきた人たちの習性なんだなと改めて思った。私のように力仕事とは縁の遠い毎日を過ごしていると、少しくらい疲れたぐらいですぐに弱音を吐いてしまう。そこで、グッと踏ん張って最後までやり遂げれば、後々楽だし、予定も遅滞なく進んでいくものだと、父から教わったような気がした。いつまでたっても、父からは教えられることばかりだ。
本当は、のばし放題になった髪の毛も切って一気に春支度を済ませたかったのだが、ゲンを担いで毎年入試が終るまでは切らないでいるものだから、合格発表のある22日まで待ってから切るべきだと考え直した。先週末の暖かさが続いていたら、暑苦しくなって切ってしまったかもしれないが、寒の戻りがあったためこのままにしておいた方が寒さしのぎになるだろうと、いささか身勝手な理由もなくはない。
しかし、なれない作業は疲れる、本当に疲れた・・・
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ホワイトデー
私からの、ホワイトデーのプレゼント
市内のケーキ屋さんで見つけた「末長~いロールケーキ」だそうだ。全長約55cmある。バレンタインデーに心配りをしてくださった方々にささやかなプレゼントをさせていただく。
『母さん、ボネさん、ビーバーさん、でこさん、写真だけで申し訳ないですが、私の感謝の気持ちを受け取ってください』
ホワイトデーとは、バレンタインデーに受け取ったプレゼントの交換日なのだろうが、「プレゼント交換」と聞くと忘れられない物語がある。O・ヘンリーの短編『賢者の贈り物』(原題 "The Gift of the Magi")である。全文をここに載せるのは大変なので要旨を書いてみる。
貧しい生活を送る若い夫婦の物語。
クリスマスのお祝いに愛する夫に何かプレゼントをと妻は思う。しかし、貧しくて高価なものは買えない。夫の懐中時計に金の鎖をつけてあげたい、そう願った彼女は、その金の鎖を買うために、自分の自慢だった、長い美しい髪の毛をばっさりと切ってそれを売ったお金で金の鎖を手に入れる。
一方の夫も、最愛の妻に何かをプレゼントしたいと考えるが、貧しくて何も買ってあげることができない。自分の持っているものといえば、懐中時計だけしかない。彼はその懐中時計を売って、輝くばかりに美しい妻の髪にと髪飾りを手に入れる。
そして、クリスマスの夜、プレゼント交換する夫婦。あげたものは互いにもう何の役にもたたなくなってしまったもの・・・
あらすじはこんなところだ。
(全文の訳は、http://www.hyuki.com/trans/magi.html で読める)
この後二人がどんな反応をしたかを考えるのは読者次第だろう。「互いに溢れる涙をぬぐいあって抱きしめあう二人」を想像する者もいるだろうし、「互いの顔を見つめて笑いあう二人」を思い浮かべる人もいるだろう。しかし、大多数の人々はこの物語を心温まるいい話だと受け取ることだろう。この話は、ずっと以前中学校の英語の教科書に載っていた。それを訳してみようと一生懸命探してみたが、見つからなかった。当時の中学生はそれを読んでどんな感想を持っただろう。ずいぶん以前のことなので、当時の子ども達の反応など覚えていない。ならば、今の子供ならどうだろう。一度たずねてみよう。
ところで、原題の Magi というのは、キリスト降誕の際、贈り物を持ってきた東方の博士のことだと、今辞書を調べて初めて知った。だから、物語の最後に、O・ヘンリーが次のようにいっている意味がやっと分かった。
東方の賢者は、ご存知のように、賢い人たちでした ―― すばらしく賢い人たちだったんです ―― 飼葉桶の中にいる御子に贈り物を運んできたのです。東方の賢者がクリスマスプレゼントを贈る、という習慣を考え出したのですね。彼らは賢明な人たちでしたから、もちろん贈り物も賢明なものでした。たぶん贈り物がだぶったりしたときには、別の品と交換をすることができる特典もあったでしょうね。さて、わたくしはこれまで、つたないながらも、アパートに住む二人の愚かな子供たちに起こった、平凡な物語をお話してまいりました。二人は愚かなことに、家の最もすばらしい宝物を互いのために台無しにしてしまったのです。しかしながら、今日の賢者たちへの最後の言葉として、こう言わせていただきましょう。贈り物をするすべての人の中で、この二人が最も賢明だったのです。贈り物をやりとりするすべての人の中で、この二人のような人たちこそ、最も賢い人たちなのです。世界中のどこであっても、このような人たちが最高の賢者なのです。彼らこそ、本当の、東方の賢者なのです。
私はとてもこんな意味での賢者にはなれないだろうな・・・
市内のケーキ屋さんで見つけた「末長~いロールケーキ」だそうだ。全長約55cmある。バレンタインデーに心配りをしてくださった方々にささやかなプレゼントをさせていただく。
『母さん、ボネさん、ビーバーさん、でこさん、写真だけで申し訳ないですが、私の感謝の気持ちを受け取ってください』
ホワイトデーとは、バレンタインデーに受け取ったプレゼントの交換日なのだろうが、「プレゼント交換」と聞くと忘れられない物語がある。O・ヘンリーの短編『賢者の贈り物』(原題 "The Gift of the Magi")である。全文をここに載せるのは大変なので要旨を書いてみる。
貧しい生活を送る若い夫婦の物語。
クリスマスのお祝いに愛する夫に何かプレゼントをと妻は思う。しかし、貧しくて高価なものは買えない。夫の懐中時計に金の鎖をつけてあげたい、そう願った彼女は、その金の鎖を買うために、自分の自慢だった、長い美しい髪の毛をばっさりと切ってそれを売ったお金で金の鎖を手に入れる。
一方の夫も、最愛の妻に何かをプレゼントしたいと考えるが、貧しくて何も買ってあげることができない。自分の持っているものといえば、懐中時計だけしかない。彼はその懐中時計を売って、輝くばかりに美しい妻の髪にと髪飾りを手に入れる。
そして、クリスマスの夜、プレゼント交換する夫婦。あげたものは互いにもう何の役にもたたなくなってしまったもの・・・
あらすじはこんなところだ。
(全文の訳は、http://www.hyuki.com/trans/magi.html で読める)
この後二人がどんな反応をしたかを考えるのは読者次第だろう。「互いに溢れる涙をぬぐいあって抱きしめあう二人」を想像する者もいるだろうし、「互いの顔を見つめて笑いあう二人」を思い浮かべる人もいるだろう。しかし、大多数の人々はこの物語を心温まるいい話だと受け取ることだろう。この話は、ずっと以前中学校の英語の教科書に載っていた。それを訳してみようと一生懸命探してみたが、見つからなかった。当時の中学生はそれを読んでどんな感想を持っただろう。ずいぶん以前のことなので、当時の子ども達の反応など覚えていない。ならば、今の子供ならどうだろう。一度たずねてみよう。
ところで、原題の Magi というのは、キリスト降誕の際、贈り物を持ってきた東方の博士のことだと、今辞書を調べて初めて知った。だから、物語の最後に、O・ヘンリーが次のようにいっている意味がやっと分かった。
東方の賢者は、ご存知のように、賢い人たちでした ―― すばらしく賢い人たちだったんです ―― 飼葉桶の中にいる御子に贈り物を運んできたのです。東方の賢者がクリスマスプレゼントを贈る、という習慣を考え出したのですね。彼らは賢明な人たちでしたから、もちろん贈り物も賢明なものでした。たぶん贈り物がだぶったりしたときには、別の品と交換をすることができる特典もあったでしょうね。さて、わたくしはこれまで、つたないながらも、アパートに住む二人の愚かな子供たちに起こった、平凡な物語をお話してまいりました。二人は愚かなことに、家の最もすばらしい宝物を互いのために台無しにしてしまったのです。しかしながら、今日の賢者たちへの最後の言葉として、こう言わせていただきましょう。贈り物をするすべての人の中で、この二人が最も賢明だったのです。贈り物をやりとりするすべての人の中で、この二人のような人たちこそ、最も賢い人たちなのです。世界中のどこであっても、このような人たちが最高の賢者なのです。彼らこそ、本当の、東方の賢者なのです。
私はとてもこんな意味での賢者にはなれないだろうな・・・
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息子の修学旅行
息子が沖縄への修学旅行から帰って来た。3月8日に出発して3泊4日の旅をして、11日に戻って来た。その間9日に猫のとらが死んだことは息子には連絡していなかった。友だちに悲しむ姿を見られたくないから、もし死んだとしても知らせないでくれと、ちょっと男らしい言葉を残していったそうだ。しかし、息子を駅まで迎えに行った妻が、家に戻るまでの車中でとらの死を告げたところ、一瞬何のことか理解できなかった様子だったらしい。旅行での睡眠不足と疲れから理解力が鈍っていたせいなのかもしれないが、事実を受け入れるのに時間がかかったようだ。とらが生きている間、息子は自分が家にいるときには必ずエサの世話をしてやり、夜も一緒に寝ることが多く、まさに猫可愛がりしていた、言わば、兄弟のようなとらが死んだのだから、息子の悲しみは私などには想像もできないものだったに違いない。「土を掘り起こしてとらに会いたい」と呟いたそうだが、それこそが心の叫びだったのだろう。しかし、昨日とらの眠る墓標の傍らの桜の木を見たら、何輪かの花が咲いていた。悲しむ息子の心をなだめるかのように咲き始めた桜は、とらの息子への思いやりなのかもしれない。
修学旅行は、全般的に天気が悪く余り楽しくなかったようだ。沖縄に行ったことがない私は、少しでも土地の様子を聞きたいと思ったのだが、面倒くさがって教えてくれない。残念だが、しつこく聞くのも嫌なので、これから折に触れて聞いていけばいいかと思い直した。しかし、息子が帰って来た日はちょっとした沖縄物産展が開催されたようだった。あらかじめ宅配便で送って来たものと、息子が自分で持ち帰ったものとを合わせると、かなりの種類のみやげ物が台所のテーブルの上に並べられた。泡盛・ちんすこう・さーたーあんだぎー・紅いもカステーラ・紅いも田舎まんじゅう・沖縄そば・マンゴープリンのたまご・シークワサーの「ハイチュー」など、ずらっと並べられているとなかなかの壮観だ。食べるものばかりというのが、息子らしくて笑える。私が、「シーサーの置物は買ってこなかったのか」とたずねると、「なんだ、シーサーが欲しかったの。そんなもの買うわけないじゃん。欲しいなら教えておいてよ」と一蹴されてしまった。3年前に娘が高校の修学旅行で同じく沖縄に行った時に買ってきてくれた小さなシーサーが塾の教室に飾ってある。今は受験のお守り代わりになることもあり、塾の守り神のような役割を果たしている。そういうものを1つ買ってきてと頼んでおくべきだったが、後悔してもどうにもならない。
泡盛は祖父に、ハイチューは塾の友だちに、マンゴープリンは母と祖母へのみやげとなるようだ。紅イモやちんすこうは、長いあいだお世話になってきた習字の先生のところへ持っていくらしい。「で、俺のは?」とたずねてみたところ、「お父さんはその辺のものをなにか適当に食べておいて」と、訳のわからぬ食べかけのものを指差した。「くそっ、またかよ」と内心舌打ちした。娘が去年イタリアに行った時もそうだったが、どういうわけか子供たちは私へのおみやげにちゃんとしたものを買ってきてくれない。息子にだって小遣いは渡して、親としての務めは果たしたはずなのに、なんだこの扱いは!と少々腹が立ったが、そんなことで目くじらを立てても父親の沽券に関わると思って、「ふーん」とだけ言ってその場を離れた。でも、今でも納得がいかない・・・
息子も4月から高校3年生。いよいよ受験生として正念場を迎える。本人も大分実戦モードになりつつあるが、とらの死を乗り越え、人間的に一回り成長できれば、それ程心配せずとも自力で道を切り拓いていってくれるのではないかと密かに期待している。そういう意味でも、とらという猫は私たちに色々なことを教えてこの世を去っていったんだなと、改めて立派な猫だったと感心する。
とらが息子を見守っていてくれるように。
修学旅行は、全般的に天気が悪く余り楽しくなかったようだ。沖縄に行ったことがない私は、少しでも土地の様子を聞きたいと思ったのだが、面倒くさがって教えてくれない。残念だが、しつこく聞くのも嫌なので、これから折に触れて聞いていけばいいかと思い直した。しかし、息子が帰って来た日はちょっとした沖縄物産展が開催されたようだった。あらかじめ宅配便で送って来たものと、息子が自分で持ち帰ったものとを合わせると、かなりの種類のみやげ物が台所のテーブルの上に並べられた。泡盛・ちんすこう・さーたーあんだぎー・紅いもカステーラ・紅いも田舎まんじゅう・沖縄そば・マンゴープリンのたまご・シークワサーの「ハイチュー」など、ずらっと並べられているとなかなかの壮観だ。食べるものばかりというのが、息子らしくて笑える。私が、「シーサーの置物は買ってこなかったのか」とたずねると、「なんだ、シーサーが欲しかったの。そんなもの買うわけないじゃん。欲しいなら教えておいてよ」と一蹴されてしまった。3年前に娘が高校の修学旅行で同じく沖縄に行った時に買ってきてくれた小さなシーサーが塾の教室に飾ってある。今は受験のお守り代わりになることもあり、塾の守り神のような役割を果たしている。そういうものを1つ買ってきてと頼んでおくべきだったが、後悔してもどうにもならない。
泡盛は祖父に、ハイチューは塾の友だちに、マンゴープリンは母と祖母へのみやげとなるようだ。紅イモやちんすこうは、長いあいだお世話になってきた習字の先生のところへ持っていくらしい。「で、俺のは?」とたずねてみたところ、「お父さんはその辺のものをなにか適当に食べておいて」と、訳のわからぬ食べかけのものを指差した。「くそっ、またかよ」と内心舌打ちした。娘が去年イタリアに行った時もそうだったが、どういうわけか子供たちは私へのおみやげにちゃんとしたものを買ってきてくれない。息子にだって小遣いは渡して、親としての務めは果たしたはずなのに、なんだこの扱いは!と少々腹が立ったが、そんなことで目くじらを立てても父親の沽券に関わると思って、「ふーん」とだけ言ってその場を離れた。でも、今でも納得がいかない・・・
息子も4月から高校3年生。いよいよ受験生として正念場を迎える。本人も大分実戦モードになりつつあるが、とらの死を乗り越え、人間的に一回り成長できれば、それ程心配せずとも自力で道を切り拓いていってくれるのではないかと密かに期待している。そういう意味でも、とらという猫は私たちに色々なことを教えてこの世を去っていったんだなと、改めて立派な猫だったと感心する。
とらが息子を見守っていてくれるように。
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花粉症
やっと咳が抜けた。薬はまだ飲んでいるが、胸の中でゴロゴロ言っていたものが消えた。深呼吸をしても苦しくない。よかった、すっきりした、と喜んだのも束の間、今度はくしゃみを連発し始めた。あーあ、花粉症だ・・・。昨日は、日中暖かかったから、窓を開けて授業をしていたのがいけなかった。鼻がムズムズし始めて、「ハックション!」と何度しぶきを飛ばしたか分らない。途中で気が付いて窓は閉めたのだが、その後も鼻のムズムズ感は止まらなかった。鼻水も出始め、口の周りをなめてみたら、花粉がべったり付いている感触がした。ほんのわずかだが、嫌な味もする。花粉が顔中にくっついているんだと思っただけで、またくしゃみが出そうになる。ウンザリする。
私の花粉症との付き合いは古い。花粉症などという名称を一度も聞いたこともなかった大学生の頃に、春先やたらくしゃみが出て困ったことがあった。風邪をひいたわけでもないのに、何故こんなにくしゃみが出るだろうと不思議に思っていたのだが、それが私の花粉症との出会いだった。それ以来この季節には必ずくしゃみが止まらず苦しんだものだが、当時はアレルギーというものに何の知識もなく、ただまた今年もか、と漠然と気持ちが重くなるだけだった。しかし、余りにくしゃみの回数が多いのに閉口していたのだろう、このままくしゃみが止まらなかったら、息もできなくなって死んでしまうぞと冗談半分に考えたことがあった。それが12月にこのブログに載せた「不幸の王子」という童話(?)のモチーフとなった。妻が「大学で童話を書く課題が出たからお願いね」と言ったのに答えたのだが、あまりに短時間で私が書き終えたので妻は驚いたが、花粉症にかかっていなかったらとても思い付くことはなかっただろうから、そのときばかりはしつこいくしゃみに感謝した。
その後もずっと花粉症に悩まされてきたが、28、9歳だった頃に、どういう加減かよく分からないが、くしゃみを重ねるうちに味覚が全くなくなってしまったことがあった。何を食べても何の味もせず、ずいぶん寂しい思いをした。2、3ヶ月間続いたにもかかわらず、医者にもかからず、いつの間にか治ってしまった。今思うと無茶したなと思うが、現在でも病院に行くことだけは極力避けたい気持ちは同じだから、偉そうなことは言えたものじゃない。
私の花粉症の症状は基本的にはくしゃみであり、長い間ずっとそれだけですんできたので、敢えて予防策をとったことはなかった。しかし、ここ数年バージョンアップしたようで、目が痒くなるようになってしまった。昨年の5月頃、山の中の釣堀に虹鱒を釣りに行ったところ、周りが全て杉の木だったのに気付いたときはもう手遅れで、目がショボショボし始め、涙がとまらなくなった。くしゃみを連発するわ、鼻水は垂れ流しになるわで、まさに花粉症に一気に攻めたてられた状態になり、釣り終わるや否や、ほうほうの態で逃げ帰ってきた。今までにあれほどひどい目に会ったことはないと思えるほどの、地獄の責め苦だった。帰宅して何度も顔を洗い、うがいをし、服を着替えてもしばらくの間は症状が治まらなかった。本当に辛くて苦しかった。それ以来、外出する際には必ず目薬を携行するようにしている。
2年前、新幹線に乗って、杉林の近くを通り抜けたとき、強風に飛ばされた杉の黄色い花粉が一面に飛び散るのを見たことがある。一緒に乗っていた、同じく花粉症の妻は、「うわーっ」と大声を上げたが、私も心底ゾッとした。あんなものを見たら、花粉症の人なら誰でも気を失いそうになるだろう、それほど凄惨な光景だった。今思い出しても身震いするほどだ。
松井も例年花粉症に苦しめられている。花粉症が少なからずバッティングに悪影響を与えているのは周知の事実だが、新聞報道によると、今年も既に苦しみ始めているようだ。松井の症状は私とは比べ物にならないくらい深甚なようであるから、克服するのは容易ではないだろう。花粉症の仲間としても、辛い気持ちはよく分かる。しかし、何とか乗り越え、快打を連発して欲しいというのが、かなり身勝手ではあるが、一ファンとしての切なる願いである
私の花粉症との付き合いは古い。花粉症などという名称を一度も聞いたこともなかった大学生の頃に、春先やたらくしゃみが出て困ったことがあった。風邪をひいたわけでもないのに、何故こんなにくしゃみが出るだろうと不思議に思っていたのだが、それが私の花粉症との出会いだった。それ以来この季節には必ずくしゃみが止まらず苦しんだものだが、当時はアレルギーというものに何の知識もなく、ただまた今年もか、と漠然と気持ちが重くなるだけだった。しかし、余りにくしゃみの回数が多いのに閉口していたのだろう、このままくしゃみが止まらなかったら、息もできなくなって死んでしまうぞと冗談半分に考えたことがあった。それが12月にこのブログに載せた「不幸の王子」という童話(?)のモチーフとなった。妻が「大学で童話を書く課題が出たからお願いね」と言ったのに答えたのだが、あまりに短時間で私が書き終えたので妻は驚いたが、花粉症にかかっていなかったらとても思い付くことはなかっただろうから、そのときばかりはしつこいくしゃみに感謝した。
その後もずっと花粉症に悩まされてきたが、28、9歳だった頃に、どういう加減かよく分からないが、くしゃみを重ねるうちに味覚が全くなくなってしまったことがあった。何を食べても何の味もせず、ずいぶん寂しい思いをした。2、3ヶ月間続いたにもかかわらず、医者にもかからず、いつの間にか治ってしまった。今思うと無茶したなと思うが、現在でも病院に行くことだけは極力避けたい気持ちは同じだから、偉そうなことは言えたものじゃない。
私の花粉症の症状は基本的にはくしゃみであり、長い間ずっとそれだけですんできたので、敢えて予防策をとったことはなかった。しかし、ここ数年バージョンアップしたようで、目が痒くなるようになってしまった。昨年の5月頃、山の中の釣堀に虹鱒を釣りに行ったところ、周りが全て杉の木だったのに気付いたときはもう手遅れで、目がショボショボし始め、涙がとまらなくなった。くしゃみを連発するわ、鼻水は垂れ流しになるわで、まさに花粉症に一気に攻めたてられた状態になり、釣り終わるや否や、ほうほうの態で逃げ帰ってきた。今までにあれほどひどい目に会ったことはないと思えるほどの、地獄の責め苦だった。帰宅して何度も顔を洗い、うがいをし、服を着替えてもしばらくの間は症状が治まらなかった。本当に辛くて苦しかった。それ以来、外出する際には必ず目薬を携行するようにしている。
2年前、新幹線に乗って、杉林の近くを通り抜けたとき、強風に飛ばされた杉の黄色い花粉が一面に飛び散るのを見たことがある。一緒に乗っていた、同じく花粉症の妻は、「うわーっ」と大声を上げたが、私も心底ゾッとした。あんなものを見たら、花粉症の人なら誰でも気を失いそうになるだろう、それほど凄惨な光景だった。今思い出しても身震いするほどだ。
松井も例年花粉症に苦しめられている。花粉症が少なからずバッティングに悪影響を与えているのは周知の事実だが、新聞報道によると、今年も既に苦しみ始めているようだ。松井の症状は私とは比べ物にならないくらい深甚なようであるから、克服するのは容易ではないだろう。花粉症の仲間としても、辛い気持ちはよく分かる。しかし、何とか乗り越え、快打を連発して欲しいというのが、かなり身勝手ではあるが、一ファンとしての切なる願いである
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