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自分を守るために、
またはよく思われたいために、
積極的な嘘とまではいかなくても、
自分の都合いいことだけしか伝えなかったり、あるいは沈黙したり…
というようなことが誰しも多かれ少なかれあるのではないでしょうか。
そこから残酷な運命に繋がれてしまうときが、人生にはあるんでしょうか。
物語に出てくる「先生」と「先生の親友K」と「先生を慕う私」
先生がKに対して、最終的に与えたものはとてつもない苦しみでしたが、
その始まりは、予想し得ないほど些細なことだったとも思うのです。
恋…
恋は大事件ではありますが…
先生がKから(自分もまた意中の人でもある人への)恋心を打ち明けられて、何も考えられなかったとき―
これは心の重大事件と裏腹に、世の中の些細な出来事です。
そして、一つの無言から壁を突き破って、何もかもかなわないと感じていたKへの幾多の仕打ちへと変貌したとき―
先生は、世の中の残酷な巡り合わせに繋がれてしまったのでしょうか。
その変化する行動にいくまでの先生の心の道筋と、それから味わう人生の孤独感と苦しみの表現は本当に見事というしかありません。
Kが書いた遺書…それは先生を助けたはずなのに、一瞬の安堵からまたたくまに苦悩は広がりを見せていきます。
言葉を飲み込んで逝った者から生まれた、生きてる者への新たな人生の手引きとも呼べるものでしょうか。
いや…Kは言葉を飲みこんだのではない…
先生を恨むでもなく、ただただ悲しんで逝ってしまった…
だからこそよけいに、生きている者への新しい手引きが生まれてしまったと感じます。
自分の過ちを誰にもどうしてもどうしても打ち明けられない…
人間の罪を感じ、死んだ気で生きていこうと決心して何年も経つ…
怖ろしいほどの罰です。
人生の哀しみを感じます。
一般的にもよくある、俗っぽくもある、この心理と言葉の応酬を、
これほどまでに理知的に昇華させた芸術的な文体が、本当に素晴らしいと思いました。
二十ン年前に読んだ時と同様、
今も人生最大の本であるのは間違いないと感じました。