じゅんむし日記

心は急いでいる。それなのに、何も思い通りの形にはなっていかない。がまんがまん。とにかく、今できることから始めよう。

「親鸞」五木寛之

2013-08-30 | 
2011年10月文庫本刊行

作者が五木寛之さんということもあり、ずっと気になっていた本ではありましたが、
「親鸞」というだけあって、何か難しそうでとっつきにくい…(^_^;)

それで、読み終えたのがこんな時期になってしまいましたが、
下巻を読み終えた瞬間、もう、すぐに次の「親鸞 激動編上下」を買いに走りたいくらいのおもしろさでした!

親鸞の幼少期の忠範(タダノリ)という名前から、
範宴(はんねん)→綽空(しゃくくう)→善信(ぜんしん)→親鸞(しんらん)と名前が変わっていく時期までの物語です。
とても読みやすく、あたかも自分がその時代に飛び込んだような錯覚さえおこります。

世俗の人と交わり、幼少期の九死に一生を得た衝撃的な事件から始まり、
9歳で比叡山に入り、
その後、苦行難業を終えても何にも到達することもなく苦悶し続ける…。

己の業と煩悩に情けなく思い、未熟さに呆然とし、己の過ちに後悔し、悩み続けていく…。

法然の門弟となり、
そして、名前を変えるごとに、人生の大きな山を越えていく姿は、人間として魅力的です。

さらに、周辺の個性的な人物もとても魅力的で、
たとえば、
下人(げにん)の生まれであるサヨ(昔の使用人)が、親鸞(この時は綽空と名乗る)のある行いについて、叱責し言い含めている…
親鸞といえば、それを聞きながら、息をしていないかのように全身をこわばらせ、うつむいて震えている…。
そんな話を盛り込むことで、とても親鸞を親しみやすくしています。

そんな情景を書くのは、ホントさすが!としか言いようがありません。
どんな事件やエピソードも、サスペンスのようにドキドキしながら読み進めていくことができます。
鬼気迫った、気迫の場面も、素晴らしい表現で惹きつけてくれます。

伝記、ではなく、小説、ですからね。
かなり飛躍した事件もありますが、それはそれでいいのでしょう。

そして、あまりよくわからなかった仏教に関しても、少しずつ少しずつわかっていきます。

浄土真宗の教え「一念義」
一度念仏を唱えればどんな人々でも救われる…の意味なども。

善とか悪とか、簡単に区別できるものではなく、すべての人は心に闇をかかえて生きている…。
だからそんな人々が救われる教えが必要なのですね。

ホント、少しずつ、少しずつ、ですけどね。
なんとなく、そうなんだなぁ、と。

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