人気作家の最新刊を読んだけど…
なんか今ひとつ…^^;
それで今度は、ウチにある本棚の中から選んで読むことにしました。
1946年第1版 1976年改版
右は、小学校の卒業式の日に(息子じゃなくワタシだよっ)、校長先生からプレゼントされたものです。
「今はちょっと難しいかもしれませんが、もうちょっと大きくなったら読んでくださいね」
というようなことを、その当時言われました。
で、大きくなってから読みました。
読んだのは20代後半になってからかな…大きくなりすぎていたかも…^^;はっはっはっ
しかし…
ナント!旧仮名遣いだったため、読みにくく…
でも、苦労しつつも読み終えることが出来たのは、おもしろかったから!
そして、再読しようと思ったときに、現代仮名遣いに改版された本を買い、今回再々読です。
日々の暮らしの心がけを大切にしていくこと、そうすれば、誰でも後世に遺物を残すことができる。
当たり前のようなことなのに、気付いていなかった…そんなことを教えてくれます。
これだけの説得力を持って、人々に感銘を与え続けているというのは、すごいことだと思います。
どんな説得力か…
これはワタシには説明できません。読んでもらえば、この説得力に圧倒されると思います。
才能ある人を羨ましく思ったり、目に見えて世の中に功績を残している人と比べて、自分を卑下しなくてもいいということを教えてくれます。
普通で取り柄がなくても、後世に遺物を残してあげることができる、として、
私たちに勇気を与えてくれる、存在を認めてもらえる、素晴らしい本だと思います。
短い講演録なので、何度も読み返したいです。
↓ 自分で勝手にまとめたものです。本を読んだほうが感銘受けますっ!
人には、名を残してこの世を去りたい、という欲望を持つ場合がある。
そして、少しでも世の中をよくして逝きたい、という思いを持つ場合がある。
人は、何を残して…何を置いて逝くのがいいのだろう。
一つは、お金。
これは、誰でもできるというものではない。富を一つに集めることのできるものは、これは非常に神の助けを受くる人でなければできない。
金を遺物としようと思う人には、金を溜める力とまたその金を使う力とがなくてはならない。
二つ目は、事業。
これも一部の人に与えられたものである。
神から受けた特別の天才が要るばかりではなく、また社会上の位地がいる。
三つ目は、思想を遺す。
著述をすること(文学)、学生を教えること、である。
もしも事業が遺せなかったとしても、思想を遺せば、将来にいたって事業をなすことにつながる。
しかし、これとて、誰でもが文学者になったからといって、あまり社会に益をなすものでもなく、誰にでもできるものでもない。
それならば、どうしたらよいか。
世の中を、失望でなく希望と信じ、悲嘆ではなく歓喜であるという考えを生涯として実行し、その生涯を世の中の贈り物としてこの世を去る。
その生涯は、けっして五十年や六十年の生涯ではなく、水のほとりに植えたる樹のように、だんだん芽を萌き枝を生じてゆくものである。
なんか今ひとつ…^^;
それで今度は、ウチにある本棚の中から選んで読むことにしました。
1946年第1版 1976年改版
右は、小学校の卒業式の日に(息子じゃなくワタシだよっ)、校長先生からプレゼントされたものです。
「今はちょっと難しいかもしれませんが、もうちょっと大きくなったら読んでくださいね」
というようなことを、その当時言われました。
で、大きくなってから読みました。
読んだのは20代後半になってからかな…大きくなりすぎていたかも…^^;はっはっはっ
しかし…
ナント!旧仮名遣いだったため、読みにくく…
でも、苦労しつつも読み終えることが出来たのは、おもしろかったから!
そして、再読しようと思ったときに、現代仮名遣いに改版された本を買い、今回再々読です。
日々の暮らしの心がけを大切にしていくこと、そうすれば、誰でも後世に遺物を残すことができる。
当たり前のようなことなのに、気付いていなかった…そんなことを教えてくれます。
これだけの説得力を持って、人々に感銘を与え続けているというのは、すごいことだと思います。
どんな説得力か…
これはワタシには説明できません。読んでもらえば、この説得力に圧倒されると思います。
才能ある人を羨ましく思ったり、目に見えて世の中に功績を残している人と比べて、自分を卑下しなくてもいいということを教えてくれます。
普通で取り柄がなくても、後世に遺物を残してあげることができる、として、
私たちに勇気を与えてくれる、存在を認めてもらえる、素晴らしい本だと思います。
短い講演録なので、何度も読み返したいです。
↓ 自分で勝手にまとめたものです。本を読んだほうが感銘受けますっ!
人には、名を残してこの世を去りたい、という欲望を持つ場合がある。
そして、少しでも世の中をよくして逝きたい、という思いを持つ場合がある。
人は、何を残して…何を置いて逝くのがいいのだろう。
一つは、お金。
これは、誰でもできるというものではない。富を一つに集めることのできるものは、これは非常に神の助けを受くる人でなければできない。
金を遺物としようと思う人には、金を溜める力とまたその金を使う力とがなくてはならない。
二つ目は、事業。
これも一部の人に与えられたものである。
神から受けた特別の天才が要るばかりではなく、また社会上の位地がいる。
三つ目は、思想を遺す。
著述をすること(文学)、学生を教えること、である。
もしも事業が遺せなかったとしても、思想を遺せば、将来にいたって事業をなすことにつながる。
しかし、これとて、誰でもが文学者になったからといって、あまり社会に益をなすものでもなく、誰にでもできるものでもない。
それならば、どうしたらよいか。
世の中を、失望でなく希望と信じ、悲嘆ではなく歓喜であるという考えを生涯として実行し、その生涯を世の中の贈り物としてこの世を去る。
その生涯は、けっして五十年や六十年の生涯ではなく、水のほとりに植えたる樹のように、だんだん芽を萌き枝を生じてゆくものである。