昨日、なにげにネットを彷徨っていたら、こんな記事に出くわした。
数年前、妹から貰った本の中に、
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というのがあった。
この本は、妹が通っていた看護学校の授業で、臓器移植のことを取り上げた「あげたい人に、臓器はあげたい」の一節が引用されていたようだ。
そのことを思い出して、早速、手に取ってみた。
そして、たまたま開いたところが、
「がん論争に欠落しているもの」
だった。
えっ、と思った。
でも、読んでみた。
「数年前、私も初期がんが見つかったが、人生の基本的な考えは変わらなかった。むしろ、本当はうれしく、やっと務め(人生)から解放されるか。自分が変わり者であることは自覚しているが、なんだか死に損ねて還ってきてしまって、未だ人生という義務を遂行している。」
との旨のくだりがあった。
たまたまこのようなところを読むなんて、何の拍子か、不思議なタイミングだが、
年齢的に早い死であったかもしれない。でも、おそらく、本人は納得してその瞬間を選んだのだ。そう、僕は思った。