伊根の舟屋をあとにして、次に向かったのは舞鶴です。
舞鶴に向かう途中に、由良川橋梁がありました。ここは撮り鉄さんには人気のスポットです。残念ながら列車はやって来ませんでしたが、後ろの山は薄っすらと雪化粧をしていました。
舞鶴に到着して、まず向かったのは廃線のトンネルです。
北吸トンネルは、明治37年につくられた海軍施設への物資運搬のための引き込み線です。
国の登録有形文化財でした。
昭和47年に廃線となり、遊歩道になりました。
レトロな照明器具です。
そして、やって来たのが「舞鶴赤れんがパーク」です。
赤れんがの倉庫は各地にありますが、横浜と函館に訪れただけのような気がします。そうそう、大阪市にもありました。
明治34年に海軍舞鶴鎮守府が開設しました。(日露戦争は明治37年開戦です。)それは、静かな漁村の様相を一変させたそうです。
赤れんがの倉庫は主に兵器を保管する目的で建てられたようです。
それから約120年が経ちました。今は観光スポットとなり多くの観光客が訪れます。やはり平和な世の中がいいですね。
さすが元海軍の港です。横須賀でも「海軍カレー」を食べた思い出があります。
※訪問日 2020.2.5
舞鶴に向かう途中に、由良川橋梁がありました。ここは撮り鉄さんには人気のスポットです。残念ながら列車はやって来ませんでしたが、後ろの山は薄っすらと雪化粧をしていました。
舞鶴に到着して、まず向かったのは廃線のトンネルです。
北吸トンネルは、明治37年につくられた海軍施設への物資運搬のための引き込み線です。
国の登録有形文化財でした。
昭和47年に廃線となり、遊歩道になりました。
レトロな照明器具です。
そして、やって来たのが「舞鶴赤れんがパーク」です。
赤れんがの倉庫は各地にありますが、横浜と函館に訪れただけのような気がします。そうそう、大阪市にもありました。
明治34年に海軍舞鶴鎮守府が開設しました。(日露戦争は明治37年開戦です。)それは、静かな漁村の様相を一変させたそうです。
赤れんがの倉庫は主に兵器を保管する目的で建てられたようです。
それから約120年が経ちました。今は観光スポットとなり多くの観光客が訪れます。やはり平和な世の中がいいですね。
さすが元海軍の港です。横須賀でも「海軍カレー」を食べた思い出があります。
※訪問日 2020.2.5