はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

植山古墳を訪ねました

2021-08-04 19:15:15 | 古代史の舞台を歩く
今回は地味に古墳の話です。
この日は、藤原宮跡のキバナコスモスやおふさ観音の風鈴まつりを訪ねたのですが、そちらは後回しにします。

明日香には沢山の古墳があり、ほとんどの古墳には行ったのですが、以前から気になっていた古墳がありました。
それは、植山古墳と呼ばれる古墳です。(ここは正しくは橿原市になります。)
ここは現在、植山古墳公園として整備中のようでした。


丘の上に登って見ると、遠くに二上山、近くには畝傍山が見えました。




柱列のことしか書かれていない案内板がありました。




古墳の石室部分は現在も発掘中(整備中)なんでしょうか、カバーがかけられていました。長方形の方墳だったようです。




先ほどの案内板をよく見ると、二つの石室があるのがわかります。ここがこの古墳の大事なところです。




実はこの古墳は、推古天皇と子息の竹田皇子が最初に葬られた古墳だと考えられています。
その後、改葬され(改葬の事は古事記・日本書記に書かれています。)、現在は太子町にある「磯長山田陵」が推古天皇・竹田皇子の合葬陵墓に治定されています。




はじめは、この山のような所が古墳だと思っていました(笑)




推古天皇は最初の女性天皇として知られています。その摂政を務めたのが聖徳太子です。簡単に言えば、その頃のお話です。




すぐ隣には、奈良県最大の前方後円墳の丸山古墳が望めました。画面一杯の大きな古墳です。これは明らかに大王の古墳でしょう。




現在、後円部の所だけが畝傍陵墓参考地として宮内庁により管理されています。しかし、これこそが真の欽明天皇の陵墓と考えている学者も多いようです。




真夏の昼下がり、こんな所を歩いているもの好きは私一人だけでした(笑)




※訪問日 2021.8.2