明日香にある牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)が復元され、一般公開が始まったので行ってきました。
古墳といえば山のように大きな前方後円墳を思いおこしますが、飛鳥時代の古墳終末期には大古墳は造られなくなります。
そんな飛鳥時代の古墳のひとつが、牽牛子塚古墳です。
復元された牽牛子塚古墳は、石張りで八角形をした古墳です。これまでの古墳のイメージとはかなり異なります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/d3/eb59c0cb38041be985d1520891925de5.jpg)
牽牛子塚古墳を訪れるのは3回目になります。今回はきれいに整備された道を進んでいきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/54/1bd1e4ac77ee64e1751332535b8b6241.jpg)
復元された牽牛子塚古墳はピラミッドのように見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/9d/0589e07756ea2b7a84b937c7dec75a19.jpg)
案内板にはあっさりと古墳の説明だけが書かれていました。被葬者のことにはあえて触れなかったのでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/89/d9e08caebc6984ed738ed60a6dd02ce3.jpg)
墓室ですが、2室あるのがわかります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/76/18dc23b5ca2be2dfe73e2b5532ba7ddb.jpg)
この日は春分の日で、それなりに人が訪れていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/64/7c3d0ebcaa572ca24f6d36ac2040e8c4.jpg)
古墳のまわりには明日香らしい長閑な景色が広がっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/ce/d0b443fd99a5a401d674edd0aab56ac4.jpg)
今回、一番興味があったのが、牽牛子塚古墳のすぐ下にある越塚御門古墳(こしつかごもんこふん)でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/01/a6108c5702a5d878aa326098fedd0eea.jpg)
こちらも古墳の説明だけが書かれていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/18/47879c0752162663aa1a712529072c8f.jpg)
立派な墓室です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/a1/69eca69adb13b562742f1f3409c766e7.jpg)
これだけではただの古墳見学ですが、せっかくなので歴史のロマンを語りましょう。まず、この古墳が八角形ということに意味があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/16/8272c01cb1d70d380a1c92991190545e.jpg)
飛鳥時代の天皇陵は八角墳が採用されていました。ということは、この古墳の被葬者は天皇の可能性が高いということです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/fa/69dc9bd31c793f5b6534bae3a538a2e4.jpg)
以前から研究者の間では、ここが斉明天皇(女帝)の真の墓ではないかと考えられてきました。(斉明天皇とは天智天皇の母親と言ったらわかりやすいでしょう。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/c2/faddf24dfed7146fc023bee3186ec78a.jpg)
もう一つは越塚御門古墳の存在です。『日本書紀』に斉明天皇と(娘の)間人皇女を合葬(2つの墓室)した小市岡上陵とその陵前に(孫の)大田皇女を葬ったとあり、記述と一致するのです。
ここまで状況証拠がそろえば、この古墳の被葬者ははっきりしてきます。ここには、斉明天皇と娘と孫の3人の女性が眠っていたのでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/da/a4932d926c5e1c43eb75e41706f494fd.jpg)
下の写真は2018年9月にここを訪れた時の写真です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/e4/e9148757c1d5c9affe7b06b7932604df.jpg)
整備前の墓室です。今回の整備は明日香村が主体となってされたようですが、頑張っている明日香村にエールを送りたいです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/8c/e53afbd0d1553f6a09180f1158dd7a90.jpg)
多くの天皇陵は立ち入り禁止となっていますが、高槻市にある今城塚古墳や今回の牽牛子塚古墳は、古代天皇に会いに行ける古墳ですね。
※訪問日 2022.3.21
古墳といえば山のように大きな前方後円墳を思いおこしますが、飛鳥時代の古墳終末期には大古墳は造られなくなります。
そんな飛鳥時代の古墳のひとつが、牽牛子塚古墳です。
復元された牽牛子塚古墳は、石張りで八角形をした古墳です。これまでの古墳のイメージとはかなり異なります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/d3/eb59c0cb38041be985d1520891925de5.jpg)
牽牛子塚古墳を訪れるのは3回目になります。今回はきれいに整備された道を進んでいきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/54/1bd1e4ac77ee64e1751332535b8b6241.jpg)
復元された牽牛子塚古墳はピラミッドのように見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/9d/0589e07756ea2b7a84b937c7dec75a19.jpg)
案内板にはあっさりと古墳の説明だけが書かれていました。被葬者のことにはあえて触れなかったのでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/89/d9e08caebc6984ed738ed60a6dd02ce3.jpg)
墓室ですが、2室あるのがわかります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/76/18dc23b5ca2be2dfe73e2b5532ba7ddb.jpg)
この日は春分の日で、それなりに人が訪れていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/64/7c3d0ebcaa572ca24f6d36ac2040e8c4.jpg)
古墳のまわりには明日香らしい長閑な景色が広がっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/ce/d0b443fd99a5a401d674edd0aab56ac4.jpg)
今回、一番興味があったのが、牽牛子塚古墳のすぐ下にある越塚御門古墳(こしつかごもんこふん)でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/01/a6108c5702a5d878aa326098fedd0eea.jpg)
こちらも古墳の説明だけが書かれていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/18/47879c0752162663aa1a712529072c8f.jpg)
立派な墓室です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/a1/69eca69adb13b562742f1f3409c766e7.jpg)
これだけではただの古墳見学ですが、せっかくなので歴史のロマンを語りましょう。まず、この古墳が八角形ということに意味があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/16/8272c01cb1d70d380a1c92991190545e.jpg)
飛鳥時代の天皇陵は八角墳が採用されていました。ということは、この古墳の被葬者は天皇の可能性が高いということです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/fa/69dc9bd31c793f5b6534bae3a538a2e4.jpg)
以前から研究者の間では、ここが斉明天皇(女帝)の真の墓ではないかと考えられてきました。(斉明天皇とは天智天皇の母親と言ったらわかりやすいでしょう。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/c2/faddf24dfed7146fc023bee3186ec78a.jpg)
もう一つは越塚御門古墳の存在です。『日本書紀』に斉明天皇と(娘の)間人皇女を合葬(2つの墓室)した小市岡上陵とその陵前に(孫の)大田皇女を葬ったとあり、記述と一致するのです。
ここまで状況証拠がそろえば、この古墳の被葬者ははっきりしてきます。ここには、斉明天皇と娘と孫の3人の女性が眠っていたのでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/da/a4932d926c5e1c43eb75e41706f494fd.jpg)
下の写真は2018年9月にここを訪れた時の写真です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/e4/e9148757c1d5c9affe7b06b7932604df.jpg)
整備前の墓室です。今回の整備は明日香村が主体となってされたようですが、頑張っている明日香村にエールを送りたいです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/8c/e53afbd0d1553f6a09180f1158dd7a90.jpg)
多くの天皇陵は立ち入り禁止となっていますが、高槻市にある今城塚古墳や今回の牽牛子塚古墳は、古代天皇に会いに行ける古墳ですね。
※訪問日 2022.3.21