明日香の古墳を訪ねています。
今回訪ねたのは、高松塚古墳のような有名な古墳ではなく、マイナーな古墳ばかりです。
牽牛子塚古墳から歩くこと30分でマルコ山古墳が見えて来ました。
なんとなく高松塚古墳に似ていますが、同じ頃に造られた古墳のようです。
案内板です。六角形の形をした古墳だそうで、皇族クラスの人物が葬られているそうです。(天武天皇の皇子説が有力のようです)
墳丘からの眺めです。
発掘調査の時には、高松塚古墳のような壁画が出てくるのではと話題になったようです。(壁画は描かれていなかったようです)
いったん近鉄吉野線の線路まで下りて、再び次の古墳をめざして歩いています。先ほどまでいたマルコ山古墳が見えます。
めざしているのは束明神古墳(つかみょうじんこふん)です。その古墳のある佐田の集落が見えてきました。
道中にはコスモス畑もありました。
集落の中の細い道を歩いていくと、案内標識がありました。
石段の先に春日神社がありました。その境内に束明神古墳はあります。
束明神古墳の案内板です。最後に書いてあるように、この古墳は草壁皇子の真の古墳と考えられています。
円墳のように見えますが八角形だそうです。八角形ということは‥。
草壁皇子は天武天皇と持統天皇の皇子で、天皇に即位する前に亡くなってしまった皇子です。
異母兄弟に悲劇の大津皇子がいるのですが、その話をすると時間が足りなくなってしまいます。
現在、草壁皇子の墓とされる古墳も少し離れた所にあります。「岡宮天皇陵」として、宮内庁によって厳重に管理されています。
帰り道、もう一度マルコ山古墳を眺めながら飛鳥駅にむかいました。やはり古墳巡りはロマンがあって面白いです。
ちょうど近鉄電車がやって来ました。今度は「撮り鉄」に来るのも面白そうです。
この日は天気も良くて明日香を散策するにはちょうど良かったです。
汗をかきながら1万5千歩ほど歩きました。
※訪問日 2021.11.5
今回訪ねたのは、高松塚古墳のような有名な古墳ではなく、マイナーな古墳ばかりです。
牽牛子塚古墳から歩くこと30分でマルコ山古墳が見えて来ました。
なんとなく高松塚古墳に似ていますが、同じ頃に造られた古墳のようです。
案内板です。六角形の形をした古墳だそうで、皇族クラスの人物が葬られているそうです。(天武天皇の皇子説が有力のようです)
墳丘からの眺めです。
発掘調査の時には、高松塚古墳のような壁画が出てくるのではと話題になったようです。(壁画は描かれていなかったようです)
いったん近鉄吉野線の線路まで下りて、再び次の古墳をめざして歩いています。先ほどまでいたマルコ山古墳が見えます。
めざしているのは束明神古墳(つかみょうじんこふん)です。その古墳のある佐田の集落が見えてきました。
道中にはコスモス畑もありました。
集落の中の細い道を歩いていくと、案内標識がありました。
石段の先に春日神社がありました。その境内に束明神古墳はあります。
束明神古墳の案内板です。最後に書いてあるように、この古墳は草壁皇子の真の古墳と考えられています。
円墳のように見えますが八角形だそうです。八角形ということは‥。
草壁皇子は天武天皇と持統天皇の皇子で、天皇に即位する前に亡くなってしまった皇子です。
異母兄弟に悲劇の大津皇子がいるのですが、その話をすると時間が足りなくなってしまいます。
現在、草壁皇子の墓とされる古墳も少し離れた所にあります。「岡宮天皇陵」として、宮内庁によって厳重に管理されています。
帰り道、もう一度マルコ山古墳を眺めながら飛鳥駅にむかいました。やはり古墳巡りはロマンがあって面白いです。
ちょうど近鉄電車がやって来ました。今度は「撮り鉄」に来るのも面白そうです。
この日は天気も良くて明日香を散策するにはちょうど良かったです。
汗をかきながら1万5千歩ほど歩きました。
※訪問日 2021.11.5
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