ゴールデンウイークです。どこに出かけたいとは思いますが、道路は渋滞するし、どこに行っても人だらけで、疲れること必至です。
こんな時は、ゆっくりと、昔の思い出にでもひたるのがいいですね。
ということで、今回は山の思い出ばなしです。
はじめて日本アルプスといわれる山に登ったのが、1968年(昭43)、高校2年生の時でした。(47年前ですね。)それが白馬岳(しろうま)でした。この時のルートは、はっきりと覚えていませんが、一般ルートとは、ちがうルートを辿ったと記憶しています。なにしろ登山部の夏山合宿だったので、重い荷物とロングコースとが定番でした。
大阪発の夜行列車で糸魚川まで行き、そこから大糸線に乗り換え、北小谷駅で降りました。ここが登山のスタート地点です。まず、めざすのが風吹大池です。今、調べてみると、北小谷から風吹大池に向かう登山道はありません。きっと顧問の先生が探検部出身だったので、探検気分で歩いたのかもしれません。
風吹大池からは白馬大池、三国境を経由して白馬岳に登頂し、そのあと、三国境までもどり、次に朝日岳をめざし、イブリ尾根の長い下り坂を北又までおりて、さらに小川温泉まで歩くというコースだったと思います。
たしか2泊したと思うのですが。(3泊したかも)もちろんテント泊です。(布製の三角テントです。)食事も自炊です。ご飯は米から炊きます。カレーもジャガイモを切るところから始めます。調理器具は、ガソリンストーブのホエーブスと灯油ストーブのオプチマスという代物でした。
その他の登山の装備は、ザックはキスリングと言って、布製の横長ザックです。ズボンはニッカボッカ、靴はナイロン製のキャラバンシューズ。雨具はナイロン製の物だったと思います。(ゴアテックスなんて夢のまた夢です。)
なにしろ47年前の話なので、こまかいところは覚えていませんが、荷物が重くても、道が遠くとも、平気でした。やはり若いということですね。
次に白馬岳に登ったのが、1985年(昭60)です。5人の山中間と、猿倉から大雪渓を登って白馬岳(テント泊)翌日は、白馬鑓ヶ岳から鑓温泉、猿倉という一般ルートをたどりました。
初めての夏山から17年経っているので、さすがに装備も、軽量のナイロン製テント・ガスボンベの料理器具・縦型ザックに変わっていました。
そして、3回目が2007年(平19)です。3人の山中間と、一般ルートでの登山です。この頃になると、さすがにテント泊はしんどくて、山小屋に泊まるようになりました。従って、食料を持たなくてもいいので、ザックもずいぶん軽くなりました。しかし、体についた荷物が重くて、年々山登りが辛くなっています。
(登山口から大雪渓を見上げる)
(白馬岳の頂上は信州側が切れ落ちています)
(頂上から白馬鑓ヶ岳方面を見る)
(高山植物の女王コマクサです)
(雷鳥です 鳴き声はグエグエ)
白馬三山の縦走では、温泉に入れる楽しみもあります。白馬鑓温泉という秘湯です。(猿倉から歩いていけば4~5時間かかりますが…。)この温泉は、天然温泉湧き出し量で標高日本1です(標高2100メートル)。ちなみに小屋の高さでは、1位が室堂みくりが池温泉、2位が八ヶ岳、本沢温泉、3位が白馬鑓温泉です。雪崩の多いところなので、組み立て・解体を繰り返しています。(営業は7月中旬から10月のはじめです。)
(白馬鑓温泉小屋の看板)
(いいお湯でした)
はじめて歩いた時のロングコースも、百名山一筆書きの田中陽希さんなら1日で駆け抜けてしまうかもしれません。最近、トレランというのが流行っているようで、それはそれでいいのですが、山はゆっくりと歩きたいものです。急いでいては、コマクサやライチョウを見逃してしまうかもしれません。
時代が変わるとともに、登山スタイルも変わってきましたが、山はいつ行っても同じ表情で待ってくれていますよ。
最後に、大出原(おおでっぱら)のお花畑です。思い出話に花が咲いたでしょ。
こんな時は、ゆっくりと、昔の思い出にでもひたるのがいいですね。
ということで、今回は山の思い出ばなしです。
はじめて日本アルプスといわれる山に登ったのが、1968年(昭43)、高校2年生の時でした。(47年前ですね。)それが白馬岳(しろうま)でした。この時のルートは、はっきりと覚えていませんが、一般ルートとは、ちがうルートを辿ったと記憶しています。なにしろ登山部の夏山合宿だったので、重い荷物とロングコースとが定番でした。
大阪発の夜行列車で糸魚川まで行き、そこから大糸線に乗り換え、北小谷駅で降りました。ここが登山のスタート地点です。まず、めざすのが風吹大池です。今、調べてみると、北小谷から風吹大池に向かう登山道はありません。きっと顧問の先生が探検部出身だったので、探検気分で歩いたのかもしれません。
風吹大池からは白馬大池、三国境を経由して白馬岳に登頂し、そのあと、三国境までもどり、次に朝日岳をめざし、イブリ尾根の長い下り坂を北又までおりて、さらに小川温泉まで歩くというコースだったと思います。
たしか2泊したと思うのですが。(3泊したかも)もちろんテント泊です。(布製の三角テントです。)食事も自炊です。ご飯は米から炊きます。カレーもジャガイモを切るところから始めます。調理器具は、ガソリンストーブのホエーブスと灯油ストーブのオプチマスという代物でした。
その他の登山の装備は、ザックはキスリングと言って、布製の横長ザックです。ズボンはニッカボッカ、靴はナイロン製のキャラバンシューズ。雨具はナイロン製の物だったと思います。(ゴアテックスなんて夢のまた夢です。)
なにしろ47年前の話なので、こまかいところは覚えていませんが、荷物が重くても、道が遠くとも、平気でした。やはり若いということですね。
次に白馬岳に登ったのが、1985年(昭60)です。5人の山中間と、猿倉から大雪渓を登って白馬岳(テント泊)翌日は、白馬鑓ヶ岳から鑓温泉、猿倉という一般ルートをたどりました。
初めての夏山から17年経っているので、さすがに装備も、軽量のナイロン製テント・ガスボンベの料理器具・縦型ザックに変わっていました。
そして、3回目が2007年(平19)です。3人の山中間と、一般ルートでの登山です。この頃になると、さすがにテント泊はしんどくて、山小屋に泊まるようになりました。従って、食料を持たなくてもいいので、ザックもずいぶん軽くなりました。しかし、体についた荷物が重くて、年々山登りが辛くなっています。
(登山口から大雪渓を見上げる)
(白馬岳の頂上は信州側が切れ落ちています)
(頂上から白馬鑓ヶ岳方面を見る)
(高山植物の女王コマクサです)
(雷鳥です 鳴き声はグエグエ)
白馬三山の縦走では、温泉に入れる楽しみもあります。白馬鑓温泉という秘湯です。(猿倉から歩いていけば4~5時間かかりますが…。)この温泉は、天然温泉湧き出し量で標高日本1です(標高2100メートル)。ちなみに小屋の高さでは、1位が室堂みくりが池温泉、2位が八ヶ岳、本沢温泉、3位が白馬鑓温泉です。雪崩の多いところなので、組み立て・解体を繰り返しています。(営業は7月中旬から10月のはじめです。)
(白馬鑓温泉小屋の看板)
(いいお湯でした)
はじめて歩いた時のロングコースも、百名山一筆書きの田中陽希さんなら1日で駆け抜けてしまうかもしれません。最近、トレランというのが流行っているようで、それはそれでいいのですが、山はゆっくりと歩きたいものです。急いでいては、コマクサやライチョウを見逃してしまうかもしれません。
時代が変わるとともに、登山スタイルも変わってきましたが、山はいつ行っても同じ表情で待ってくれていますよ。
最後に、大出原(おおでっぱら)のお花畑です。思い出話に花が咲いたでしょ。