はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

静寂の石山寺へ

2021-01-25 19:15:15 | 寺社めぐり
琵琶湖畔の第1なぎさ公園で、「菜の花と雪山」の風景を楽しんだあと、石山寺に向かいました。
石山寺は西国三十三所の札所の一つです。
10年ほど昔に三十三所巡礼で巡ったことがあるのですが、それ以来のお参りになりました。


石山寺の東大門です。門前には瀬田川が流れています。




先日お参りした長谷寺もお参りは少なかったですが、石山寺もやはり少なかったです。




手水舎に立派な龍がいました。




シルエットがきれいでした。




珪灰石の上に建つ国宝の多宝塔です。珪灰石は石山の由来となっているそうです。




前回は御朱印をもらうのに並んだ記憶がありますが、並んでいる人の姿もありませんでした。




月見亭です。芭蕉さんもここで月を眺めて一句読んだのでしょうか。すぐ隣に芭蕉庵がありました。




さすがに梅の花も一、二輪でした。




石山寺は紫式部が「源氏物語」を書いたところと伝えられています。




山茶花か椿かわからなかったのですが、カンツバキの名札がありました。




きれいなカンツバキでした。




前回のお参りでは御朱印をいただいたら次の札所をめざすといった慌ただしさで、花を愛でることもありませんでした。




カンザクラも咲いていました。




ネットで調べたら蝋梅も咲いていると出て来たのですが、見つけられませんでした。




立派な木が立っていました。説明があったのですが忘れました(笑)




波紋です。





実は石山寺を訪ねたのには訳がありました。これがお目当ての石山名物のしじみ飯です。




※訪問日 2021.1.18

金剛山へ霧氷ハイキング(後)

2021-01-24 17:50:05 | 山歩き
金剛山の霧氷が見たくて、久しぶりに一人でハイキングに出かけました。


頂上広場付近まで来ると、霧氷も立派になって来ました。




登山道は雪道でしたが、何とかアイゼン無しで歩けました。




太陽の光がさして霧氷がキラキラと輝いていました。




ところで、大阪で一番高い山は金剛山といいたいところですが、金剛山の頂上付近は奈良県にあるので、大阪で一番高い山ではないのです。




大阪で一番高い山は、隣の葛城山ということになります。




それでも大阪の最高地点は金剛山にあります。ロープウェイ駅の展望台が最高地点です。(ロープウェイは現在運休中です。)




金剛山は、毎日登山をする方もいらっしゃる山です。1万回以上登った方もおられるようです。




事務所の裏あたりの霧氷もきれいでした。




頂上広場に到着です。写真には写っていませんが、けっこう登山者がいました。




頂上広場からは大阪平野が一望できます。




近くにはPLの塔が見えます。




こちらは大阪市内のビル群です。




よく慣れたヤマガラが遊びに来てくれました。




霧氷に戻りましょう。




頂上広場の霧氷も素晴らしかったです。




バックに青空が広がるのが嬉しいです。今年は「晴れ男」になれるのか。




同じような写真ばかりですが、頂上広場の霧氷です。




霧氷がこんなに美しいとは知りませんでした。




金剛山にはこれまで何度も登りましたが、こんな風景に出会えたのは初めてでした。




久しぶりのハイキングでしたが、やはり山はいいなと実感できる一日になりました。




※登山日 2021.120

金剛山へ霧氷ハイキング(前)

2021-01-23 18:25:25 | 山歩き
金剛山へ霧氷ハイキングに出かけました。
金剛山は1,100メートルほどの山ですが、冬の寒い日には霧氷を見ることが出来ます。


山頂広場付近の霧氷です。




寒い日が続いていたので、ひょっとしたら霧氷が見られるかと思い、1月20日に登山口のある千早赤阪村をめざしました。
我が家からは車で1時間45分ほどかかります。登山口周辺の駐車場はけっこう満車でした。みなさん霧氷が目的でしょうか。




登山口を10時に出発です。霧氷を見るならもう少し早く出発すべきですが‥。今回も「千早本道」を登ります。




千早本道はよく整備された道で危険箇所もありません。




木の階段を登っていきます。展望もないのでひたすら登るのみです。独りで黙々と歩きます。




高度が上がるに従って少しずつ登山道の雪が増えてきました。




五合目が近くなると雪道になりました。念のために軽アイゼンを持ってきたのですが、結局最後まで使いませんでした。




登山道にあるお地蔵さんが励ましてくれます。




けっこう上ってきたのですが、霧氷が表れません。天気が良すぎて霧氷が溶けたのではと心配になってきました。




八合目だったでしょうか。そこを過ぎたあたりから霧氷があらわれはじめました。




天気が良いので霧氷が溶け出して、小さな塊がポツポツと落ちて来ます。




この日のカメラはソニーのコンデジです。山登り用に購入しました。




立ち止まっては上を向いて写真ばかり撮っていました。




同じような写真ばかりが続きます。




なにしろ金剛山で霧氷を見るのが、これが初めてだったからです。




冬枯れの樹木に氷の花が咲いて美しかったです。




頂上に近づくにつれて、霧氷も立派になって来ました。




この木だけが霧氷で輝いていました。




素晴らしい霧氷です。




山ガールさんもスマホで写真を撮りまくっていました。




気温はマイナス4度ぐらいだと思うのですが、そんなに寒くはなかったです。




山頂広場も近いです。時刻は11時30分でした。




<つづきます>

※登山日 2021.1.20

菜の花と雪山の風景 again

2021-01-22 18:50:55 | カメラ紀行
ここには、10日前(1月8日)にも訪れたのですが、その時はコンデジしか持ってきていませんでした。
やはり、いつものカメラ(FUJIFILM XT-2)で撮りたかったので、出直したという訳です。
果たしてその結果は‥。見た感じはそんなに変わりませんが(笑)やはり一眼レフ、ボケを楽しむことができました。


今回も天気に恵まれました。




菜の花は前回よりも元気でした。




山の雪が前回より更に少なくなりました。




見ごろが続いているようです。ブログ仲間のtakayanさんが13日に行かれて、間もなく見ごろと書いておられました。




今回、訪れたのが18日なので、ちょうど見ごろだったのかもしれません。




広々とした菜の花ばたけです。そんなに寒くもなく気持ちが良かったです。




出直した訳はカメラのせいと書きましたが、もう一つあります。takayanさんの「気ままに撮り歩き」を見たのも大きいです。




takayanさんは上手くボケを使っておられました。私も真似をしましたが‥。




第1なぎさ公園の隣にあるリゾートマンションも入れてみました。




雪山が写らないサイドですが、こちらも趣があります。




縦構図で琵琶湖も入れてみました。この日の琵琶湖は穏やかでした。




いいところにベンチがあって、撮って欲しそうだったので、パチリ。




前回はマイナスの温度の中での撮影で20分で退散しましたが、今回は寒くもなくゆっくりと撮影を楽しむことができました。
いつもは混雑している駐車場も楽に停めることが出来ました。
前回は帰り道で「しぶき氷」を偶然に見ることが出来ましたが、流石に今回は暖かすぎて無理でした。

※撮影日 2021.1.18



<おまけです>
前回の帰り道で出会った「しぶき氷」です。(撮影日は1月8日)

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平城宮跡を走る近鉄電車

2021-01-21 19:18:55 | 古代史の舞台を歩く
まずは歴史の復習から。
710年に平城京が誕生しました。今から1,311年前の話です。
平城宮はその中心となったところです。
794年に平安京に都が遷るまで、わずか84年の短い都でした。
聖武天皇や光明皇后、藤原仲麻呂、孝謙天皇(称徳天皇)、道鏡、長屋王などが活躍した時代です。
平安京への遷都後は田畑となって土の中に眠っていましたが、最近では整備が進んでいます。


朱雀大路から朱雀門を眺めます。まるで1,300年前にタイムスリップしたようです。




朱雀門の向こうには南門が見えます。南門は現在復元工事中です。南門の奥に大極殿の建物があるのですが見えません。




その朱雀門と南門の間を近鉄奈良線が走っています。




平城宮は世界遺産に登録されています。その世界遺産の平城宮跡の中を電車が堂々と走っていきます。




近鉄奈良線が開業した頃(大正3年)は、一面の田畑が広がっていたのでしょう。




朱雀門や大極殿は最近になって復元されたものです。




朱雀門の前を近鉄電車が頻繁に走ります。




西大寺駅の方から電車がやって来ました。カーブをしながら平城宮跡を横切っているのですが、遺跡に配慮された結果だそうです。




さすがに世界遺産の中を通るのは問題なのか、最近になってやっと線路の移設が話し合われたようです。




整備が進む平城宮跡ですが、その中を近鉄電車が走る風景もいずれは見られなくなるのでしょう。




平城宮跡からは遠くに若草山を望むことができます。若草山の山焼きも近いです。




平城京は唐の長安をモデルにしてつくられましたが、遣唐使たちはこんな船で大海に乗り出して行ったのですね。




奈良時代は短い時代でしたが、歴史として一番面白い時代だと思っています。




※訪問日 2021.1.15