はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

はがき随筆8月度

2016-09-26 05:18:05 | 受賞作品
はがき随筆の8月度月間賞は次の皆さんでした。

【優秀作】24日「残務整理」宮路量温=出水市中央町
【佳作】3日「出産のとき」中馬和美=姶良市加治木町
▽4日「お田植え祭」古井みきえ=出水市下知識町


 「残務整理」は、私たちにとって、死後何を残すか残さないかというのは大問題です。さらりと書かれた文章ですが、考えさせられます。普通は、動産や不動産へと意識が向きますが、それが後々迷惑をかけないようにと、大木になってしまったネムの木を切り切り倒すことにしたというのは、ご夫婦の愛着と思いこもった樹木だけに、文字通り身を切られる思いだったことでしょう。
「出産のとき」は、娘さんの出産に伴う感激が素直に描かれた文章です。難産だったことの心配、遠くから駆けつけて出産に立ち会うムコドノの優しさ、妻の出産時には夫として大した役目も果たさなかった自分への反省など、一つの生命の誕生は、多くの感慨をもたらしたようです。
 「お田植え祭」は、近くの神社のお田植え祭に、早乙女姿で子供たちと参加したときの印象が鮮やかに描かれています。水田に裸足を漬けた瞬間の子供たちとの感覚の違い、不ぞろいな苗の行列、終了後のおにぎりのおいしさなど、ある世代には、確実によみがえってくる時間と空間が呼びもどしてくれる感受です。
 この他に3編を紹介します。
 堀之内泉さんの「石文」は、洗濯のとき子供のポケットを探ると、大人には無意味でもいろいろの宝物が出てくる。ひところ小石が出てくることがあった。今にして思えば、あの小石は子供からのメッセージだったかもしれない。捨ててしまって残念ではあった。
 森孝子さんの「消し炭」は、子供のとき、いとこと木炭を食べたときの思い出です。
確か車谷長吉の小説に都会へ働きに出る子に、炭俵を一俵持たせていく話がありましたが、それを読んだときも驚きましたが、今度も驚きました。「食の先端を行っていた」という結びがいいですね。
 山岡淳子さんの「アサガオ」は、朝顔の美しさが目に見えるように描かれている文章です。雨よりも日光が似合う花、朝一番にオハヨウと元気づけてくれる花、それにしても、アサガオとは誰が名づけてくれたのでしょうか。
  鹿児島大学名誉教授 石田忠彦

はがき随筆4月度

2016-05-19 20:32:53 | 受賞作品
 
 はがき随筆の4月度月間賞は次の皆さんです。
 優秀作23日「薄情な息子」道田道範=出水市緑町
佳作5日「母への感謝状」天野芳子=みなみ薩摩市金峰町
▽10日「小さき者」堀之内泉=鹿児島市大竜町


「薄情な息子」。熊本大地震は出水でも揺れた。もし出水で大地震が起きた場合の逃げ方を、高齢の母親と話し合った。母親は、自分は94歳だから老い先が短い、1人で逃げて命拾いしなさいと言って涙を流した。母子で軽く話していても、いつ現実になるか分からない不安を抱いて、私たちが生きていることは否定できません。熊本のニュースを見るたびに、やりきれなくなります。
 「母への感謝状」は、自分の永年勤続の表彰式に、渋る母親を連れて出席した。考えてみれば、自分への感謝状は、共働きの自分たちを助けてくれた父とその死後の母へのものだと気付いたという内容です。子供は自分ひとりで大きくなったと勘違いしているとよく言われますが、両親の愛情に気付くのには時間が必要のようです。
 「小さき者」は、子供さんの卒園式で涙を流している我が子を見て、次のステップに踏み出そうとしている不安が感じられたという内容です。有島武郎が母親を亡くした子供たちに呼びかけたように、力強く踏み出せとよびかけたいような、庇護しつづけたいような、複雑な気持ちが現れています。この他に3編を紹介します。
 津田康子さんの「諷刺」は、一党支配の政治、平和憲法、IS、中国の覇権主義、原発再稼働、福島、火山爆発と、昨今の世情への不安と不満を羅列し、老人にはどうする力もないと、開き直っておいでです。力のない庶民の武器は、やはり「日本死ね」などの諷刺だと思います。
 山岡淳子さんの「かわいい春」は、お孫さんが保育園から帰って、1本のつくしをお土産に持ってきてくれた。母と自分と孫とで、一時かわいい春を楽しんだという内容です。ニュースを見るのが嫌になる日々ですが、こういう情景には人間を信じたくもなります。
 下内幸一さんの「山笑う」は、西米良村の登山で見かけた花々が紹介されています。ミツマタ、散る山桜、春一番のマンサク、それらのなかでの一時の安らぎ、美しい文章です。題名もいいですね。
鹿児島大学名誉教授 石田忠彦

はがき随筆3月度

2016-04-27 20:41:46 | 受賞作品

 はがき随筆の3月度月間賞は次の皆さんです。(敬称略)
 【優秀作】18日「脳梗塞の友」小村忍=出水市大野原町
 【佳作】8日「『仮免許証』まで」萩原裕子=鹿児島市中央町
▽12日「町工場の手業」高橋誠=鹿児島市魚見町

 「脳梗塞の友」は、仲の良い友人が、2人までも脳梗塞で後遺症が残ってしまった。お一人は、自分の脚を見ながら、これを使うことはもうないと呟かれた。もう一人は、山歩きなどとが好きだったのに、もう二度と行けないと嘆かれた。どうしてやることもできない自分も、同様に悲しかったという内容です。寂寥の感があります。老、病、当人も傍らにいる者も悲しいですね。
 「『仮免許証』まで」は、娘さんとの2人暮らしのなかで、娘さんが大学の研修で外国へ。やがて1人暮らしになる予感を感じ、1人暮らしの予行演習をなさっている様子が書かれています。その不安が十分感じられる文章ですが、それを「1人暮らし仮免許証」の取得に励んでいると、ユーモラスに描かれたところに好感をもちました。
 「町工場の手業」は、テレビドラマで、下町の中小企業で働く女性工員の手仕事を見て、自分の学生時代のアルバイトを懐かしく思い出したという内容です。そこでは、竹ベラを使って銅線のコイル巻きをしていたが、今ではその会社は先進ロボット会社として注目を浴びている。まさしく今昔の感です。
 この他に3編を紹介します。
堀之内泉さんの「園内便」は、幼稚園の年長さんの間で園内便がはやっているというほほ笑ましい内容です。暴れん坊の子が、妙に感傷的な手紙を書いているのも、むしろ驚きであって、幼児たちの世界を見たようだという内容です。
 年神貞子さんの「はがき随筆」は、80歳の誕生日を記念に、今までの「はがき随筆」を文集にしようと思い立ち、贈る相手のことを考えて太目の活字にしようなどと計画されている、楽しそうなご様子が目に浮かぶ文章です。
 古井みきえさんの「二つ釜の夫婦」は、一般には、一つ釜の飯を食ったとは仲の良い関係をいうのですが、夫婦で、食事も会計も部屋も別々なのに、子供にも孫にも恵まれて、友好的に暮らしておいでのカップルの紹介です。人それぞれといったところでしょうか。
  鹿児島大学名誉教授 石田忠彦

はがき随筆2月度

2016-03-28 22:24:04 | 受賞作品
 はがき随筆の2月度月間賞は次の皆さんです。(敬称略)
 【優秀作】5日「竜宮城」塩田幸弘さん=出水市下知識中
 【佳作】6日「母」中鶴裕子さん=鹿屋市王子町
▽16日「知らなかった~」竹之内政子さん=垂水市田神


 「竜宮城」は、52年ぶりの中学校のクラス会の模様です。「昭和の格調高い緞帳が上がったような感じ」という表現はいいですね。しかし、その昭和の舞台は、集団就職など必ずしも平穏なものとは限らなかったことでしょう。「生きててよかった」という感嘆詞は、ときには空虚にひびきますが、ここでは重いリアリティーを持っています。
 「母」は、介護施設に入所している母親を見舞いに行き、判れて帰るつらさが描かれています。同趣旨の内容は時々採り上げられますが、やはり無視できない悲しい現実です。好物のお土産をもらう度に「食べたことがない」とくり返される母親のご様子が、失礼ながら精神が壊れていく予感を現わしていて哀れです。
 「知らなかった~」は、初詣は縁のない神社にお参りすることにしている。今年も知らない神社で185段をのぼりつめたら、たき火をしていた人たちがいて、車道があるのになぜ歩いたのかと、いぶかしがられたという内容です。しかし歩いて登ったご利益に、熱々の焼き芋をもらったという、ほほ笑ましい内容です。
 この他に3編を紹介します。
 津田康子さんの「戦後70年」は、水木しげると野坂昭如への追悼文です。戦後70年がたち、戦争体験や被災体験が風化していくなかで、両氏は独特の立場で我が国の現況を鋭く見つめ、平和を願ってきた方々でした。
 小向井一成さんの「麦踏み」は、麦も人も強く踏みつけられるほど強く育つという、母親の言葉を信じていたが現実は違ったようである。仏壇の母親に問い掛けると、人生とはそういうものだという答えが返ってきたという、瓢逸な味のある文章です。
 秋峯いくよさんの「ゆらぐ」は、一回り上の元気で1人暮らしをしていた方を目標にしていたが、とうとう娘さんの所に移られた。別の友人はお元気だと思っていたのだが、ご夫婦で老人施設にはいられた。夫と暮らした自宅で最期までと考えていたが、自信がなくなってきたという内容です。
   鹿児島大学名誉教授 石田忠彦


月間賞作品

竜宮城

 地元の幹事君の肝入りで、昭和の格調高い緞帳が上がったような感じがした。全国から新幹線や飛行機でクラスメートが集まった。52年ぶりの再開である。みんな満面の笑みだった。まるで昨日、出水市立米ノ津小学校を卒業したかのように、瞬時に中学時代の話題になった。浦島太郎が仲間たちを連れて竜宮城に戻って来たみたいに歌や踊り、談笑で楽しい時間が流れた。「生きててよかったあ」と、集団就職列車に乗った彼がポツリ。その声を聴いた幹事君の目には涙がキラリ。「会えてよかったなあ」とアッチコッチから歓喜の声があがった。
  

はがき随筆12月度

2016-01-20 22:01:33 | 受賞作品
 はがき随筆12月度月間賞は次の皆さんです。

 【優秀作】2日「逃げ道」新川宣史さん=いちき串木野市大里
 【佳作】4日「解禁の日に」中馬和美さん=姶良市加治木町
 △30日「傘寿を迎えて3」一木法明さん=志布志市志布志


 「逃げ道」は、静かなアイロニーの籠った文章です。川内原発に事故が起きたときの、避難経路の冊子が配られてきたので、それに従って南へと向かってみた。すると、暖かい冬日の中の美しい開聞岳にたどりついた。この薩摩富士に別れを告げて南海へ飛び立った若者たちがいたことを思い出した。さて現在、ここが安全な場所となるかどうか。
 「解禁の日に」は、自分の日記の記事を、1日分ずつ読み返すことにしたという、自分だけの楽しみが書かれています。高齢になると持ち時間に、将来よりも過去が占める割合が増えてきますが、このように過去を確認しながら先へ進むことは素晴らしいことだと思います。
 「傘寿を迎えて3」。老いは、視力や聴力それに体力や気力の衰えとして実感される。そこで自分に望まれるのは、西田幾太郎の短歌にあるように、命の重さに気づき、残りの命を燃やし尽くすことができればということだと、なにかに充実した余生を任せたい気持ちがよく表れています。
 この他に3編を紹介します。
 秋峯いくよさんの「転校生」は、宮沢賢治の「風の又三郎」を思いださせる文章です。小学校5年のとき、ドッジボールの強い転校生がいた。すぐにまた転校していなくなったが、その生徒のそれからの人生が気になるときがあるという、私たちにもある思いが書かれています。
 田中由利子さんの「年賀状」は、3年前に同級生から、次の干支までは?と、添え書きされた年賀状をもらった。軽く読み流していたが、その後その人のがん手術のことを知り、添え書きの意味の重さを知ったという文章です。
 高橋誠さんの「タブレット」は、現在タブレットPCを便利に使っている。子どもの頃を思い出してみると、家の周りの板塀に実にたくさんの張り紙がしてあった。あの張り紙の情報の豊かさから考えると、あの頃の板塀はタブレットであったにちがいない。板塀をアナログタブレットと見たところが生きた文章にしています。
 鹿児島大学 名誉教授 石田忠彦 2016/1/20 毎日新聞鹿児島版掲載

はがき随筆11月度

2015-12-25 07:21:11 | 受賞作品
はがき随筆11月度月間賞は次の皆さんです。(敬称略)

【優秀賞】10日「トゲ」伊尻清子=出水市武本
【佳作】1日「悩み事」古井みきえ=札幌市東区
    3日「民具」下内幸一=鹿児島市紫原

 「トゲ」は、トゲの使い方が効果的です。亡くなった夫君は、たくましく荒仕事をこなす頼もしい働き手。それなのに、小さなとげが刺さっただけで、痛がって気弱な表情になる。それを針で取りだしてあげたりしたが、その夫婦の交情が未練として残り、今は心のトゲになっているという内容です。心温まると同時に、読んでいる方の心にもとげが刺さります。夫婦の情愛は不思議なものですね。
 「悩み事」は、1羽で飛来した鶴への感想です。鶴は家族で行動すると聞いていたのに、なぜ1羽できたのか。連れが事故にあったのか、家族をシベリアに残してきたのか、心配でならない。早く家族が後続することを祈るばかりという、優しさのあふれた文章です。偵察に来たのではないでしょうか。
 「民具」は、食生活から消えていく民具についての講演を聴いて驚いた。かつて使っていた道具が、ほとんど民具といわれたからだ。とくに亡き父の編んでいたようなムシロが、民具といわれたのには感無量であった。たしかに民具といわれると。歴史性を感じてしまいます。
 この他に3編を紹介します。
 若宮庸成さんの「昭和史に添えて」は、世代的には戦災のただ中に育ったのだが、幸か不幸か空襲の惨状は経験していない。その後の不戦の歴史が今やキナ臭くなってきた。平成史が昭和史同様にならないことを切望するという、共感できる内容です。
 竹之内美知子さんの「思いやりの心を」は、スーパーで高齢を見かねて、優しく荷物を運んでくれた女性がいた一方では、カートをぶつけても知らない顔の男性もいた。それぞれとはいえ、やはり思いやりの心はほしい。ほんのちょっとしたことですが……。
 馬渡浩子さんの「内省」は、新しくアイロンを買ったのに古いのばかり使っている。この癖、子どものときからで、父にケチと言われた事があった。金子みすゞの詩句「みんなちがって みんないい」を思い出し、自ら慰めているという内容です。
  鹿児島大学名誉教授 石田忠彦

はがき随筆10月度

2015-11-20 17:30:55 | 受賞作品
 はがき随筆の10月度月間賞は次の皆さんです。

【優秀作】25日「蝸牛」堀之内泉=鹿児島市大竜町
【佳作】1日「置きみやげ」竹之内政子=垂水市田神
▽6日「防止帽子」門倉キヨ子=鹿屋市串良町


 「蝸牛」は、カタツムリの観察が実に細やかです。文章は観察であると言ったのは島崎藤村でしたが、鋭い歯や殻の入り口の薄い膜など、普通は気づきません。その観察を支えているのは、「露払い」とか「晴耕雨読」などの比喩の巧みさです。結びに昆虫(自然)と人間との共生の難しさに触れているところは考えさせられます。
 「置きみやげ」は、地域とのつながりを大事にした高校の校長が、彼岸花を校庭に植えることを提案した。十数年がたった今、彼岸花は確実にお彼岸ごろに咲き、見ていると肉親を思い出す。それを植えた先生に報告したいという内容です。先月も触れましたが、確かに彼岸花は懐かしい花ですね。
 「防止帽子」は、以前転倒したことがあったが、それを心配した知人が手のひらに5個も載るくらいに小さな手編みの帽子を贈ってくれた。どうも転倒防止(帽子)のシャレらしい。あちこちに付けてマスコットにしている。読んでいて温かい気分になる文章です。この他に3編を紹介します。
 高橋誠さんの「ミイバア」は、近くの雌猫が食事どきになると食事をしに来る。食べ終わると「あいさつもせず(?)」に自宅へ帰っていく。人間でいえば後期高齢者にもあたろうか、顔を見ると愛嬌があるので、「ミイバア」と読んで夫婦で可愛がっている。傍若無人は言い過ぎかもしれませんが、猫の態度が目に見えるようです。
 年神貞子さんの「いとおしき虫たち」は、年々、小鳥や虫が少なくなる。季節には菜園で見かけたアオイトトンボもハグロトンボもトカゲも見なくなった。理由はどこにあるのだろうか。風呂場の窓のヤモリだけがいとおしいという、現代版の「虫愛づる姫君」です。
 武田静瞭さんの「花の名で脳トレ」は、美しい花を楽しんでいても、その名前がなかなか思い出せない。パソコンで調べて思い出したが、1時間もたつとまた忘れた。夫婦で花の名を当てっこして脳トレに励んでいるという、微笑ましい内容です。
  鹿児島大学名誉教授 石田忠彦 2015/11/19 毎日新聞鹿児島版掲載

はがき随筆9月度

2015-10-27 16:34:41 | 受賞作品
 はがき随筆の9月度月間賞は次の皆さんです。

 【優秀賞】4日「風雪」伊尻清子=出水市武本
 【佳作】17日「象形文字」堀之内泉=鹿児島市大竜町
 ▽23日「彼岸花」古井みきえ=札幌市東区


 「風雪」は、義父が植えた榊の木を見ながら、30歳で硫黄島で戦死した義父や、その後の家族の苦節の70年を思いやった文章です。昨今まるではやり言葉のように戦後70年といいますが、その中にはいろいろの悲しみが多く籠もっていることを考えさせられます。
 「象形文字」は、息子の書いた「見」の字が昆虫みたいに見えるという、面白い発見です。成長して、まともな(?)字を書くようになるだろうが、象形文字さながらの字を書く感性は持ち続けていてほしいという、親心あふれる文章です。
 「彼岸花」は、子どもの頃は、矢筈岳から不知火海へ流れる米ノ津川の近くで育った。とくに彼岸花には思い出がある。死者は還って来ないという親鸞上人の教えもあるが、彼岸花にはなぜか両親の笑顔が見えるという内容です。彼岸花は何かを感じさせる不思議な花ですね。
 この他に3編を紹介します。
 的場豊子さんの「えべっさあ」は、いつも笑顔で怒った顔を見たことがない恵比寿さまのような方が、94歳で亡くなられた。最期は周囲の人に感謝の言葉を残されたと聞く。このような最期に憧れる一方、別の最期を望んだり、迷いの多い人生ではあるという内容です。
 竹之内美知子さんの「雲」は、秋空を見上げていると、浮かんだ雲が北海道の島々の形に見えた。と、見ているうちに形が変わっていき、サクランボがのった氷菓子に見えた雲で、冷蔵庫の白熊を思い出したという楽しい文章です。
 小向井一成さんの「ウカゼと停電」は、久しぶりの台風襲来で、停電程度で右往左往している。今は便利な生活に慣れきっているが、かつての台風には緊迫感があった。こういう機会に、便利になって失ったものと得たものとを、本格的に考え直してみたいという文章です。確かに、テレビで洗濯物の干し方まで教える喜劇的な状況は、改めてもう一度考え直してみる必要がありそうです。
 (鹿児島大学名誉教授 石田忠彦)2015/10/23 毎日新聞鹿児島版掲載

はがき随筆8月度

2015-09-21 14:26:38 | 受賞作品
 はがき随筆8月度月間賞は次の皆さんです。

【優秀作】30日「それぞれの証言」中馬和美=姶良市加治木町
【佳作】1日「強行採決」津田康子=鹿児島市宇宿
△14日「平和だからこそ」種子田真理=鹿児島市薬師

 
「それぞれの証言」
テレビ番組の、従軍看護婦の戦争体験を見たことに触発されて、自分の父親は、兵役当時どういう思いを抱いていただろうかと、父の苦しみを思いやる内容です。8月は戦後70年ということもあり、反戦への思いを書き記したものが目立ちました。8月15日だからということではなく、戦争へのそれぞれの証言が常時報道され続けることを願っています。
 「強行採決」 昭和の我が国の戦争の歴史をたどっていると、憲法9条の拡大解釈にまで至ってしまった。こういう事態に至ったのは、選挙民にも責任がある。戦争を知らない世代も、投票には慎重を期してもらいたい。というのは、いわゆる「年寄りのたわ言」かと嘆かれていますが、単なるたわ言にならないことは、言うまでもありません。
 「平和だからこそ」日本人の海外旅行が比較的スムーズにいくのは、そのパスポートに信頼性があるからにちがいない。その根底には、戦争をしない国という戦後70年間の平和があるからではないか。このような信頼が損なわれないような国であり続けたいという願いが込められた文章です。
 他に3編を紹介します。
 清水昌子さんの「ごめんね」は、お孫さんが来て宿題をした。弟が間違っているのをからかったら、同時にからかった姉のほうが一転、猛然と間違いを正してやった。喜ぶ弟を見て、やはり姉弟だと、婆アバは脱帽。微笑ましい夏休み風景です。
 奥吉志代子さんの「不謹慎でしたが」は、81歳でいわゆる孤独死をされた方のご遺族に、「子孝行をなさいました」とつい本音を漏らし、はっとしたが、それが受け入れられてホッとしたという内容です。
 中鶴裕子さんの「指輪」は、指輪が窮屈になって外したら、96歳の義母が自分のを譲ってくれた。四十有余年、義母とは何やかやがあったが、この時は心が通い合って嬉しかった。嫁にも受け継いでほしいという、他人からなる家族への願いです。
  鹿児島大学名誉教授 石田忠彦 2015/9/21 毎日新聞鹿児島版掲載

はがき随筆7月度

2015-08-25 21:01:58 | 受賞作品
 はがき随筆の7月度月間賞は次の皆さんです。

 【優秀賞】25日「母の日記帖」一木法明(79)=志布志市志布志町
 【佳作】10日「祝辞」道田道範(65)=出水市緑町
 【佳作】29日「ブロック塀」高橋宏明(71)=日置市伊集院町

「母の日記帖」 「徒然草」のなかに、ひとり反古紙などを整理していると、昔の人の手紙が見つかり、読んでいると、その人とまるで向き合っているような気分になるものだという一節があります。ここでは亡き母の日記帖を読んでみたばかりに、かえって処分できなくなったという、母と子との間の、親密でもあり微妙でもある心理が卓見に描かれています。
 「祝辞」 全編結婚式の祝辞からなっています。それが、人生を誠実に生きようといている青年と、それを見守る医師のあたたかさとを表し、感動的です。親孝行の青年の面影も彷彿としますが、祝辞の形でいっぺんを構成した技法にも感心しました。読んであたたかく優しい気持ちにしてくれる一遍です。
 「ブロック塀」 二十数年前、ブロック塀の工事を頼んだら、小4の女の子と小2の男の子がブロックを運んで、父親の仕事を手伝っていた。その塀は今でも丈夫だという内容です。子どものときから、労働の意味を身につけていく親子の関係に、考えさせられるものがあったようですが、どうしても現在の子どもたちと比べてみたくなります。
 この他3編を紹介します。
 宮路量温さんの「紙風船」は、捜し物をしていたら紙風船が見つかった。子どものとき弟と遊び、最後には両手で破裂させ、母親にもったいないと叱られた。今同じ事をやってみた、しかし母はもういない。追憶がある情緒を醸し出しています。
 門倉キヨ子さんの「うれしい雨」は、梅雨時になると、網戸を外に出し、雨に洗ってもらう。この年中行事が鬱陶しい梅雨時のむしろたのしみである。生活の知恵ですね。
 竹之内美知子さんの「砂に埋もれて」は、元気なつもりで、指宿の砂蒸し温泉に行ったら、砂は重いし熱いし、脱出(?)したが、足はふらつくし鼓動は乱れるし、とんだ年寄りの冷や水でした。
 李恵隣さんの「私は留学生」は、この欄を担当して初めての外国人の投稿です。頑張って下さい。
  (鹿児島大学名誉教授 石田忠彦)


はがき随筆5月度

2015-06-25 12:08:48 | 受賞作品
 はがき随筆の5月度の入賞者は次の皆さんです。
【優秀作】17日「感謝」的場豊子(69)=阿久根市大川
【佳作】16日「見習わなくちゃ」奥吉志代子(66)=いちき串木野市上名
    21日「歴史の時効」高橋誠(64)=鹿児島市魚見町
 
 感謝 ショーウインドーに、母の姿が映っているのを見たと思ったが、実は自分の姿だった。それにしても、似たくない体形がよくここまで似ようとは。しかし健康な身体に産んでくれたことを、せめて生前の母に感謝したかったという内容です。母と娘の間に流れる微妙な心理が、軽妙な筆致で描かれています。
 見習わなくちゃ 帰省中の友人から自宅での夕食のお誘いがあった。終わって後片付けを手伝おうとすると、それは90歳の老母の仕事だと断られた。母親への、こういう形での思いやりを知らされることになりました。私たちの生活で厄介なのは日に数回の食事の準備ですが、そこに家族の姿があるようです。
 歴史の時効 熊本市での街づくり研究会に参加し、家並みの保存状態を問い合わせたところ、「火付け盗賊の薩賊」に焼かれてしまったという返事が返ってきた。鹿児島では、西郷隆盛を「火付け盗賊」と呼ぶことはまずないと思いますが、場所が変わると歴史の評価がまったく異なるという、興味深い経験でした。
 その他3編を紹介します。
 一木法明さんの「息子の結婚」は、40歳を過ぎた一人息子が親としては諦めていたのに、結婚を機に僧職を継いでくれた。その喜びが素直に表れている文章で、読む方も一安心した気持ちにしてくれます。
 萩原裕子さんの「鹿児島脱出」は、夫君の長年の介護などで今まで行けなかったが、東京での大学卒業記念の祝賀会に出席することにした。これを機会に前向きの生き方に変わればと願っているという内容です。
 有村好一さんの「小鳥と共に」は、庭の果実などがヒヨドリの鳥害にあった。最近は、居座って悪さをする渡り鳥が増え、子どものときのように、いろいろの小鳥の鳴き声を楽しむことが少なくなった。一読すると小鳥の思い出のようですが、その奥に、地球環境や生態系の変化を考えさせられる文章です。
 森園愛吉さん「はがき随筆大賞」受賞、高橋誠さん「文学賞」受賞、おめでとうございます。
 (鹿児島大学名誉教授・石田忠彦)

はがき随筆大賞に森園さん

2015-06-13 17:28:59 | 受賞作品


 第14回毎日はがき随筆大賞の表彰式が30日、北九州市小倉北区のホテルクラウンパレス小倉であった。大賞に鹿児島県鹿屋市、森園愛機遅参(94)の「愛妻」(昨年8月9日掲載)が選ばれた。
 はがき随筆は九州山口の毎日新聞地域面に連日掲載されていて、毎年、各地の年間賞13作品から大賞などの各賞を選んでいる。今回は福岡賢中間市在住の芥川賞作家、村田喜代子さんが昨年分を審査した。また「記憶」を題材に別に募集した「文学賞」には179点の応募があり、5作品が選ばれた。
 表彰式には各県の代表ら約130人が集まった。村田さんは森園さんの作品について「大きな心と愛で妻を支える存在になろうという重いが伝わった。本当に参りました」と講評。森園さんは「各県代表のみなさんの作品を読んで『まだまだ勉強が足らん』と思っていたので、大賞はびっくりした」と話した。【祝部幹雄】
 他の受賞者の皆さんと受賞作は次の通り。(敬称略、住所は随筆掲載時)
【日本郵便株式会社支社長賞】「風」福岡市城南区、小森百合子
【RKB毎日放送賞】「高らかに鳴け」山口県岩国市、安西詩代
【北九州市長賞】「深夜の旅人」北九州市八幡西区、出口敬子
【優秀賞】「栗飯を二人で」山口県美祢市、池田実  
     「『沖縄』と言えば」長崎県島原市、荒木洋子 
【文学賞】「扉のない校門」鹿児島市、高橋誠
     「ほっこ焼きと愛称」佐賀市、真崎佐和子
     「匂いの記憶」福岡県香春町、大場ほずみ
     「父の手」北九州市小倉南区、長田あいゆ
     「記憶」山口県岩国市、森重和枝

月間賞に門倉さん

2015-05-27 06:06:08 | 受賞作品
はがき随筆4月度

はがき随筆の4月度の入賞者は次の皆さんです。

【優秀作】4日「ユーモア礼賛」門倉キヨ子(79)=鹿屋市串良町
【佳作】 2日「親の心子知らず」伊地知咲子(78)=鹿屋市打馬
     6日「スマホ春愁」清水昌子(62)=出水市明神町


 「ユーモア礼賛」 自転車に乗ったままで道を尋ねた人に、ユーモラスな格好で、やんわりとその非礼を注意した人の思い出が内容です。私の知人に、車に乗ったまま窓から道を尋ねる人には教えてやらない商店主がいますが、私たちの伝統的な美徳が急速に失われていくことへの郷愁が、明るい文章のなかによく表れています。
 「親の心子知らず」 海外旅行が珍しかった時代、40日の長旅の間、もしものことを危惧して、娘の枕カバーを洗わずにその匂いを残していたという、珍しい母親の愛情が内容になっています。肉親間には、常識では考えられないようなことが起こるものですね。
 「スマホ春愁」 孫がスマホを買ってもらって、電話してきた。まだ小学2年生なのにと、報道される事件などを連想しての心配が率直に書かれています。いわゆるハイテクの使用には、ある世代以上の人には、子どもの教育への懸念が先立つようです。ハイテクをいかに有効活用するか、これから大きな課題になりそうです。
 この他に3編を紹介します。
 高橋宏明さんの「初恋」 は、中学2年の時の、美しい音楽の先生に対する初恋が甘美に描かれています。始業式のニュースを見ると、いまでも楽しい気分になるとは、羨ましいかぎりです。
 中島征士さんの「恋の季節」 は、シジュウカラのために巣箱を仕掛けたら、初めは失敗したが、今年は何組も集まって来る。早いもの勝ちだと、巣箱で恋が実るのを待っているという、楽しくなる文章です。
 西尾フミ子さんの「夢」 は、ご主人が末期がんで亡くなられた、その病状に気付かなかったことを悔いていると、夢に現れたご主人に慰められたという内容です。死にまつわる後悔は取り返しがつきませんが、それでも生きていくよりほかないようです。
 4月分は、なんと13日分が、桜の開花や草花の話題でした。自然の推移を素材にして読む人を動かすのは案外難しいものです。いろいろの工夫をお願いします。
(鹿児島大学名誉教授・石田忠彦)

はがき随筆3月度 月間賞

2015-05-02 21:22:58 | 受賞作品
 はがき随筆の3月度入賞者は次の皆さんです。(敬称略)

 【月間賞】1日「春を待つ」橋口礼子(80)=出水市上鯖淵
 【佳作】23日「浄土への入り口」野幸祐(82)=鹿児島市紫原 ▽25日「昭和19年戦死」秋峯いくよ(74)=霧島市溝辺町崎森


 「春を待つ」 立春所感ともいえる内容です。梅から桜への三寒四温の移ろいの中で、夫君ともども元気に過ごせる日々に感謝されている、穏やかで心地よい文章です。人生を根底で支えているのは優しさだという、老年になっての実感が、桜の開花を待ちながら、紅梅白梅を愛でている雰囲気とよく解け合っています。江戸期の文人画の趣です。
 「浄土への入り口」 腹部大動脈瘤の手術の間、全身麻酔で4時間何も覚えていないし、夢も見なかったという経験です。手術中に亡くなったら、花園くらい見えるかと思ったが、恐らく見えないだろうし、「千の風」も吹いていないだろう。生は意識だといいますが、その意識が4時間もなくなった経験に、生と死について考えさせられる内容です。
 「昭和19年戦死」 戦時中、佐世保まで父親に面会に行った時の記憶です。父親はその時死を覚悟していたらしいが、2ヶ月後負傷し戦死してしまった。私事ながら、父の戦死を聞いた母が泣き崩れていたのを覚えています。このような形ででも、戦争を記憶している世代が激減しました。今の政治状況、このような悲しみが来ないとよいのですが。
 他3編を紹介します。
 岩田昭治さんの「プレゼント」は、妻が「吉野弘詩集」をプレゼントしてくれた。何も言わないが、自分の創作を励ますためだとはすぐ気付いた。妻の願いに応えたい。おのろけにも聞こえます。
 年神貞子さんの 「雲」は、子どもの頃、夕焼けの赤い雲を上から見たらどう見えるか興味があった。それが、航空機の上から実現した。それは言葉もないくらい美しかった。あれは本当に美しいですね。
 奥村美枝さんの「僥倖」は、「はがき随筆」は、目に触れたものなどを素材にすることが多いのですが、珍しく思索的な内容です。私たちの生命は一寸先は闇の状態の中で、幸せと畏れの両端を揺れ動いている。そういう運命の中で命を輝かせるのが、僥倖であり、天からの贈り物であろう。
(鹿児島大学名誉教授 石田忠彦)2015/4/24 毎日新聞鹿児島版掲載

年間賞に森園さん

2015-04-11 10:51:19 | 受賞作品

2014年度 はがき随筆 年間賞に森園さん
妻への限りない愛記す

 2014年度の「はがき随筆」年間賞に、鹿屋市寿、森園愛吉さんの「愛妻」(8月9日掲載)がえらばれた。作品に込められた夫婦愛などを聞いた。北九州市で5月30日に開催される第14回毎日はがき随筆大賞の選考作品として鹿児島版から「愛妻」が水仙される。また、今月12日午後1時から鹿児島市中央町の市勤労者交流センターで、年間賞の表彰式と毎日ペンクラブ鹿児島の総会を開く。【新開良一】

 61歳の時に病に倒れた妻ナミさん(88)への愛情といたわりがあふれる作品。「一命をとりとめて帰ってきてから、手にまひが残る家内に変わって、私が料理、洗濯、入浴介助など家事全般を16年間やりました」。淡々とした口調に自然体の夫婦愛がにじむ。
 はがき随筆への投稿は月1,2回。テーマは多岐にわたるが、妻への思いをつづったものが多い。「感謝、感謝です。だって、2人で苦労して今の家庭を築き上げてきたんです。うちの立役者はやっぱり家内です」
 夫婦二人三脚の生活が長く続いたが、ナミさんは今、高齢者施設で暮らす。施設に任せなければならないことへの申し訳なさ、不憫に思う気持ちを「その果てを知らない」と表現した。読む人に深い余韻を残す一言だ。
 年間賞受賞を「一生の宝」と喜ぶ。「少し耳が遠くなりました」と嘆くが、語り口はかくしゃくとして、歯切れもよい。顔色、表情も現在94歳とは思えない艶と張りがある。
 短歌集や歴史研究など著書も多い。周囲は「好奇心、向学心は人一倍」と評す。「まだいろいろな事を書きたいんです」。はがき随筆への情熱も、衰えることを知らない。

漢語多用し文体に効果

年間賞には、森園愛吉さんの「愛妻」を選びました。
 61歳で倒れた奥さまの、26年間にわたる看病の経過への感慨が内容になっています。16年間自宅での看病、それから10年施設での介護、一口に26年間といいますが、その間の日々の営みに、想像を絶するものがあったことは容易に理解できます。
 しかし、これほどの悲惨な内容を綴った文章ですが、その印象は、誤解を恐れずに言えば、男っぽいもので、さっぱりしています。それは、「心通う潤いもない砂漠に呻吟起居する妻の病状」というように、漢語を多用した文体の効果にあります。これは奥さまへの哀惜の感情が、「限りない不憫の情」と表現されているところにも表れています。そしてなによりも「その果てを知らない」と言い切って、文章を終わらせたところの効果は抜群です。
 それも人生と言ってしまえばそれまでですが、人生について多くのことを考えさせるものをもった内容です。
 ほかに、高橋宏明さんの「母の耳」、年神貞子さんの「ヤモリ」、内山陽子さんの「何を思うや」が、その内容の珍しさと優れた文章で目を引きました。
  (鹿児島大学名誉教授 石田忠彦)