はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

教育に新聞を

2008-02-20 21:46:13 | かごんま便り
 
 「生徒に反省文を書かせたら『すいません』と書いてきた。最近の子供たちは正しい日本語が分からなくなっている」。嘆きの主は、県NIE推進協議会の鷲東重明会長(松陽高校長)だ。
 NIE(教育に新聞を)は授業の教材として新聞を活用する取り組み。1930年代に米国で生まれ、世界に広がった。国内では日本新聞教育文化財団が音頭を取り、鹿児島では前述の推進協議会が選んだ研究委嘱校で授業が展開される。冒頭の発言は、16日に鹿児島市であった1年間の実践報告会でのものだ。
◇ ◇
 昨年9月に毎日新聞が実施した第61回読書世論調査で、新聞を「読む」と答えた人の割合は全体で78%。だが20代では57%、10代後半は48%にとどまる。一方「活字離れが若者の日本語力低下につながっている」と思う人は77%に上っている。
 NIEは新聞に親しむことから始まり、特定のテーマで複数紙を読み比べ、感想を述べ合うことなどで判断力や思考力、情報を「読み解く」能力を高めるのが狙い。併せて活字離れを食い止める役割も期待されている。
 07年度の県内の実践校(小学校4▽中学校5▽高校4)では、国語や社会、総合学習などで新聞を活用した授業を実施した。報告会では「世の中の出来事に興味を示すようになった」「情報をうのみにするのではなく評価・識別する能力(メディア・リテラシー)の芽が養われた」などの成果が聞かれた。
 文部科学省が15日に公表した学習指導要領の改正案では、言語活動の充実が盛り込まれ、具体的には批評・評論・論説などの活用重視や、報道による情報を比較して読むことなどがうたわれている。NIEの有用性を多少なりとも意識してのことだろう。我々も今まで以上に、正しい日本語でより分かりやすい記事を提供していかなければと痛感している。
鹿児島支局長 平山千里 2008/2/18 毎日新聞掲載

大人のピアノ

2008-02-12 23:50:52 | かごんま便り

 小学生の時、ピアノを習った。当初は順調に進歩していたが、そのうち無味乾燥な練習曲に嫌気がさしてサボりがちになり、やがて草野球やサッカーの方が面白くなってやめてしまった。
 息子もピアノを習っていた。ある時、昔ちょっとかじったと先生に明かしたら、ぜひ発表会に出ろと言う。結局、うまくおだてられて息子と連弾することになった。引き受けたはいいがブランクは大きい。悪戦苦闘の末、何とか弾き終えた。その時「定年で暇になったらまた始めようかな」と思ったのを覚えている。
 そんな私の希望を既に実現している〝先輩〟たちの音楽会が先日、鹿児島市の山形屋であった。名付けて「私もピアニスト」。約30人の出演者の大半は60歳以上、ほとんどが習い始めて半年から5年程度。最高齢は川上光子さん(84)でキャリアは5年。何と79歳で始めたというから驚く。
 ショパンの「別れのワルツ」に挑んだ橋本将司さん(66)が習い始めた動機は「指先を使うのでぼけ防止にいいから」。実は高校の時、友人が弾くのを見て以来ずっとあこがれだったそうだ。
 目で譜面を追いつつ左右の手を別々に動かす。物覚えの早い子供ならともかく中高年で挑戦するのは一苦労のはずだ。しかも人前で弾くとなれば上がるのも無理はない。引っかかりながら、時には停止する場面もあって「家ではもう少し上手なのに……」と口をそろえつつも皆さん、例外なくにこやかだった。
 総務省の統計によるとピアノの世帯普及率は約28%(04年度)。子供の独立後、ほこりをかぶったままのピアノも多いに違いない。考えてみれば実にもったいない話だ。
 音楽は生活に潤いをもたらす。聴くのもいいが自ら演奏する喜びはまた格別だろう。この日の出演者のこぼれるような笑顔が何よりの証しだ。
 一念発起、定年を待たずに再挑戦してみるか。
鹿児島支局長 平山千里
2008/2/11 毎日新聞鹿児島版掲載  

球春

2008-01-31 20:24:50 | かごんま便り
 「春はセンバツから」という言葉がある。
 80回の節目を迎える選抜高校野球大会。野球シーズンの幕開けを告げる(近年はプロ野球が先に開幕することもあるが)行事であり、ちょうど桜前線が日本列島を北上する時期にも重なる。「春は~」は通常、そうした意味合いで受け止められているようだ。さらに言えば、出場決定の知らせは、選ばれた学校とその地元にとっては間違いなく、一足早く届けられる春の便りとなる。
 出場36校を決める選考委員会が開かれた25日。「篤姫」で年が明けた鹿児島は、春の予感にはほど遠い厳しい冷え込みとなったが、鹿児島工センバツ初出場のニュースが〝春〟を運んでくれた。
 選考委員会から出場校への連絡は北から順に午後3時ごろから。鹿児島工が決まった場合、吉報は午後4時前後。所用で出水に赴いた私が新幹線で戻ってくる真っ最中である。トンネルの多い新幹線は携帯電話がつながりにくい。昨秋の戦いぶりから出場を確信していたが、なかなか連絡が来ない。ようやく取材中のO記者から「出場決定」のメールが届いたのは、鹿児島中央駅のホームに降り立った直後だった。
 タクシーを飛ばして鹿児島工へ。大勢の報道陣に囲まれて喜びを爆発させている選手たちを横目に、さっそく瀬田豊文校長にあいさつし、お祝いを述べた。瀬田校長は母校の鹿児島玉龍で、選手として、さらに指導者としても甲子園の土を踏んでおられる。それでも校長として迎える最後の春に、加えて創立100周年の記念すべき年にセンバツ初出場。感慨ひとしおであろう。
 鹿児島工は夏の大会初出場となった一昨年、ベスト4に進出して甲子園に旋風を巻き起こした。今回も必ずや南国・鹿児島から全国に、さわやかな春風を届けてくれるに違いない。
 3月22日の開幕が待ち遠しい。

鹿児島支局長 平山千里
2008/1/28 毎日新聞鹿児島版掲載

生きる

2008-01-25 20:32:42 | かごんま便り
 「成人の日」の14日、熊本支局のHデスクから電話があった。「堀実可ちゃんって覚えてる?」
 一瞬、沈黙したが、すぐに思い出した。昭和最後の夏となった88年7月、熊本支局の駆け出し記者だった私は、肝臓移植に希望をつないで旅立つ実可ちゃん親子を熊本空港で見届けたのだった。
 1万人に1人の割合で発症する先天性胆道閉鎖症。3歳まで生きられないと診断された。海外で移植手術を受ければ助かる可能性があるが、ばく大な費用がかかる。報道で窮状を知った全国の人たちから続々と善意の募金が寄せられた。
 渡航の日。空港ロビーで激励の千羽鶴を手渡され、精いっぱいの笑顔で応える母君代さん。腕に抱かれた当時10カ月の実可ちゃんの顔は黄だんのため黄土色。周囲に懸命に手を振る様子が痛々しい。助かってほしいと祈りつつ夢中でシャッターを切った。やがて渡豪、手術は無事成功した。
 大学2年になった彼女は熊本市の新成人の作文コンクールで最優秀賞に輝き、晴れの成人式で作文を朗読したニュースが15日朝刊の社会面を飾った。感謝の気持ちと人生の希望を力強く語った彼女は将来、移植を受ける人、受けた人の心のケアをしたいという。
 近く帰郷する鹿児島市の岩下遙香ちゃん(4)も重い心臓病のため、米国で移植手術を受けた。全国から寄せられた浄財の中には、同じく米国での手術を目指しながら亡くなった群馬県の男の子を「救う会」が集めた募金も含まれている。
 実可ちゃんも遙香ちゃんも、ご両親や医療スタッフ、募金にかかわった人々、臓器提供者……たくさんの人々に支えられ命をつないだ。だが程度の差こそあれ、多くの人々に支えられて生きているのは我々も同じ。大病や大災害・事故に巡り合わないと気づかないだけだ。生きることの重さを改めて彼女らに教えられた気がしている。
鹿児島支局長 平山千里
2008/1/21毎日新聞鹿児島版掲載

篤姫

2008-01-17 11:07:31 | かごんま便り
 NHK大河ドラマ「篤姫」が始まった。画面に桜島や鹿児島のご城下が映し出されるたびに、にわか県民の私も何となくわくわくする。
 ビデオリサーチによると、初回(6日)の視聴率は関東地区20.3%、関西地区19.8%。関東では昨年の「風林火山」に0.7ポイント及ばなかったが、関西では逆に3.6ポイント上回ったという。
 放送開始に合わせて鹿児島市のドルフィンポートに「篤姫館」が開館した。江戸城・大奥の一部を再現、撮影に使われた衣装を展示し、年間約20万人の来場を見込む。1週間で約8600人が訪れたというからまずまずの滑り出しか。九州新幹線の座席に篤姫館の紹介パンフレットが置かれ、幼少期を過ごしたとされる今泉島津家別邸があった指宿市にも「いぶすき篤姫館(ふれあいプラザなのはな館内)」がオープンした。観光かごしま大キャンペーン推進協議会は今年、予算を倍増する張り切りようだ。
 白状すると、私は篤姫がどんな人だったのか知らなかった。言い訳めくが、歴史上の人物として篤姫の一般的な知名度が高いとは思えない。それでも先日、北九州市に帰省した際、少なからぬ人から「鹿児島は篤姫の年ですね」と声をかけられたから、放映の認知度はそこそこあるようだ。
 日銀鹿児島支店が試算した経済効果は約296億円。娯楽の多様化で〝大河の神通力〟が薄れたこともあり、バブル期の90年に放映された「翔ぶが如く」の約621億円には及ばないが、明るい話題が乏しい県内経済界には一つのチャンスだ。
 ブームにあやかって地域浮揚を目指すあいさつが相次いだ年始会や賀詞交換会。ある会合で日銀鹿児島支店長の市川能英さんがこんな話をした。「篤姫のころの鹿児島は今と同様、社会的・経済的に厳しい時代だった。現状から反転、飛躍の年になってほしい」。同感である。
鹿児島支局長 平山千里
2008/1/14 毎日新聞鹿児島版掲載

 毎日新聞の、「J字」化に伴い、誌面では、各面のタイトルが一新されました。「鹿児島評論」もぐっと親しみやすい「かごんま便り」に変わりましたが、いかがでしょうか。
<かごんま>とは、かごしまの方言読みで、<かごっま>とも言いますが、これからどんな便りが掲載されるか、みなさまお楽しみに(*^o^*) 
大河ドラマ「篤姫」も応援してくださいね。 
嬉しいことに「篤姫」第1回の平均視聴率は、県内ではなんと32・1%(ちなみに、テレビをつけている世帯の中での「占有率」は43・%だったそうです。アカショウビン
 

温暖化対策

2007-12-27 16:48:32 | かごんま便り

 前米副大統領のA・ゴア氏がノーベル平和賞を受賞した。地球温暖化の啓発に尽力したというのが受賞の理由。ゴア氏は環境問題をライフワークにしており、活動ぶりがドキュメンタリー映画「不都合な真実」(06年)として紹介されている。
 「不都合な真実」は、上映が政治活動につながるとして裁判ざたになったり、彼の主張に不正確な点があるとの批判が出るなど、いろんな意味で話題を呼んだ。だが70年代からいち早く地球温暖化に関心を寄せた先見性や、精力的に各国で講演を繰り返してきた実績はさすがだ(森博幸・鹿児島市長も市報「かごしま市民のひろば」12月号で絶賛)。それだけに世界最大の二酸化炭素排出国である彼の母国が、今なお国際世論の足並みに同調していない点は何とも皮肉だが……。
 同市環境アドバイザーの末吉竹二郎さんが講演で、温暖化を巡るショッキングな話題を取り上げていた。「北極海の氷が今夏、最小になり、80年当時から面積が半減した。2020年夏には消滅するかもしれない」「コシヒカリが、かつて米作に不適とされていた北海道以外では作れなくなる恐れがある」──など。
 「温暖化対策に『やり過ぎ』はない」と末吉さんは早急かつ強力な取り組みを訴える。それには我々一人一人が「できることをやる」ことなしには始まらないし、実効も上がらないと思う。
 たとえば、近場の移動は徒歩か自転車で▽買い物にはマイバッグ持参▽無駄な電気を使わない▽きちんとゴミを分別し可燃ゴミは最小限に──といった具合だ。こうした小さな意識改革こそがさまざまな施策の下支えになる。
   ◇
 今年最後の鹿児島評論でした。少々早いですが皆さん良いお年を。年明けからはタイトルを一新します。引き続きご愛読ください。

鹿児島支局長 平山千里
2007/12/25 毎日新聞鹿児島版掲載



はがき随筆

2007-12-22 10:59:22 | かごんま便り


 11日朝刊から新しい文字「J字」がお目見えした。従来より面積比で14%大きく読みやすくなった。読者の皆さんの印象はいかがだろうか。
 J字移行と同時に、見た目も一新した。文字が大きくなれば1㌻に収まる文字数が減り、記事=情報量の低下につながりかねない。それを少しでも避けようと試行錯誤を重ね、レイアウトの工夫を凝らしている。
 地域面の人気投稿コーナー「はがき随筆」も体裁は変わったが約250字の枠はそのまま。厳密には1行17字×15行の255文字から14字×18行の252文字になったが長年親しまれた分量を極力変えないようにした。
     ◇
 前任地の小倉以来、はがき随筆を担当して約2年。日々届く投稿に目を通すのは日常業務で最も楽しいひとときだ。
 06年の大賞選者、直木賞作家・佐木隆三さんが「この字数にまとめるのは至難の業」と評されたが同感だ。筆者の体験や感動が、情景が目に浮かぶように、しかも過不足なく書かれていないと読む人の心には響かない。事実を淡々とつづる一般の新聞記事に比べ、はるかに難しいと思う。
 ライフスタイルや人生経験は人それぞれ違う。わずか約250字とはいえ、そうした多様さが投影されるからこそ二つと同じ作品はない。心温まる話題、思わず涙する話、元気をあたえてくれるエピソード……。多彩な表情を持つはがき随筆はまさに地域面の顔だ。
 投稿のタイミングで一言。掲載直後に次作を送ってくる人がいるが、同じ筆者の作品を短期間に続けて採用することは基本的にない。取り置かれた作品は、日の目を見るころにはしばしば賞味期限切れとなる。ころ合いを見計らって送るのがうまいやり方だ。
 最後に、新人の投稿大歓迎です。常連の方々ともども、みなさんのご健筆をお祈りします。
鹿児島支局長 平山千里
2007/12/17 毎日新聞鹿児島版掲載

おれんじ鉄道

2007-11-27 18:22:35 | かごんま便り
 先日、ある会合に呼ばれて阿久根市に出向いた。初めて乗る肥薩おれんじ鉄道。週末の夕方とあって通勤・通学客の姿はなく、車内は閑散としていた。
 静まり返った阿久根駅に降り立った。九州新幹線の部分開業に伴い、JRから経営分離されて3年半。かつて「みどりの窓口」も設置されていた特急停車駅の面影はない。駅前には絵に描いたようなシャッター通り。出迎えてくれたKさんがため息混じりにもらす。「第三セクターになって便数が激減しましたからねえ……」
    ◇  ◇
 肥薩おれんじ鉄道の経営再建問題が新たな段階に入った。県が災害対応などに備える経営安定基金を取り崩して赤字を補てんすることを沿線3市に提案した。取り崩すのは、経営分離の対象外でJR鹿児島線が存続する2市4町(当時)の出資分3億7500万円。だが2011年度には底をつく見通しで、その後は県と沿線3市が自腹を切るしか赤字を埋める方策はない。
 提案にあたり伊藤祐一郎知事は、県の見通しが甘かったことを認めた。経営基本計画による04年度の輸送人員予測は年間約243万人。だが実績は同188万人どまり。計画では何とか黒字経営が見込まれていたのに、開業翌年の05年度には赤字に転落している。
 特急が走らない並行在来線は経営困難というのが、JRからの経営分離=三セク化の背景だ。バラ色の未来は描きようがないはずだが、それでも鉄道を存続させるのは、高齢化が進んだ地方で住民の足を確保する大義名分があるからだ。 
 都市住民の利便性と引き換えに地域の足を切り捨てながら進む整備新幹線事業。並行在来線を巡って長崎ルートでも佐賀県と沿線自治体の綱引きが続くが、それは地方の将来像にかかわる重要な問いかけをはらむ。だから肥薩おれんじ鉄道の成り行きには、出張や帰省で新幹線の恩恵にあずかる身としても無関心ではおれない。
 毎日新聞鹿児島支局長 平山千里
 2007/11/25 毎日新聞鹿児島版掲載


いただきます

2007-11-27 17:06:46 | かごんま便り
 今年の第35回毎日農業記録賞(農水省、各都道府県など後援)で市来農芸高3年の濱田菜摘さん(17)が高校生部門の優秀賞に輝いた(16日朝刊)。全国トップ10に入ったのだからすごい。ちなみに県内からの中央入賞は2年連続の快挙だ。
 受賞作「命と食の有り難さ~貴方(あなた)の命を戴(いただ)きます」を読み返してみた。高校での実習で痛感した食や命の大切さ、その思いを出前授業などで実践する様子が描かれている。
 きっかけは鶏の解体実習だった。動物が好きで農業高校を志した濱田さんには思いもよらない「正直言ってやりたくない」出来事だった。さっきまで餌を食べていた鶏が、人の手で息絶える。頸動脈を切られ、湯につけて毛をむしり取られ、首を切り落とされる。
 「心の中でずっと死んでいる鶏に謝り続けた」濱田さんは食事がのどを通らないほどのショックを受けた。同時に「食べることの意味」「命と食の有り難さ」を身にしみて知ったという。
 肉でも魚でも、店頭では包装された食材としか目に映らない。だが野菜や果物などの植物も含め、私たちはさまざまな命を日々提供してもらっており、それが自身の血肉となる。「いただきます」の言葉には本来、命への感謝が込められているのだ。
 貴重な体験で命と食を見つめ直した濱田さんがすごいのは、自らの思いにとどめずそれを実践に移した点だ。給食センターに出向いての残飯量調査。学校の寮で残飯を飼料に活用していることを知って自宅でも実行。母校の小学校に出向いて命と食の重要性を訴える出前授業。作品は次のように結ばれている。「『給食費を払っているのだから、いただきますを言わせないでほしい』などという寂しい言葉が聞かれない日が来るのを信じ、私は訴え続けます」と。
食の安全・安心への関心が高まっている今こそ「いただきます」の言葉を心からかみしめたいものだ。
毎日新聞鹿児島支局長 平山千里 
2007/11/19 毎日新聞鹿児島版掲載

大連合?

2007-11-07 07:27:14 | かごんま便り
 久しぶりにびっくり仰天した。2日夜、自民・民主のトップ会談で福田康夫首相が打診?した大連立構想だ。
 日々の仕事が一段落し、支局でくつろいでいた記者たちが色めき立った。早速、K県政キャップを中心に関係者の反応を取材する。やがて民主党サイドがこれを断るとの情報が入り再取材。これで一段落かと思いきや、4日夕には小沢一郎・民主党党首辞意表明のニュースが飛び込んできて、二度びっくり。
 両党が連立を組めば国会はほとんど大政翼賛会状態だ。7月の参院選で、自民批判票を取り込んだ民主の大躍進を考えても、受ける訳がないというのが普通の感覚だろう。
 県内の各党の受け止め方はおおむね予想通り。自民党の本坊輝雄・県連幹事長は「今の段階では何も申し上げようがない」。言葉少なだったというから驚きぶりがうかがえた。一方、民主党の泉広明・県連幹事長は「(拒否は)当然」とコメント。「受け入れていれば、参院選の民意を裏切ったと批判を受けたのは間違いない」とも。拒否が決まるまで心中穏やかではなかっただろう。
 ところが小沢党首は党の拒否方針を「不信任」と評した。額面通り受け止めれば、彼は大連立に前向きだったことになるが、ちょっと真意を測りかねる。いずれにしろキナ臭い雰囲気になってきた。大連立頓挫が政界再編(再々編?)のきっかけになるとの見方もあるからだ。
 元々寄り合い所帯の自民党は、改憲論議や外交、社会保障など個別案件では驚くほど見解の違いを抱える。民主党はさらにウイングが広い。足して2で割り、主義主張の近い者同士に再編した方が分かりやすい。もちろんその場合は選挙の洗礼が必要になるが……。
 政局というのは、誰もが真に受けなかったことが、何かの弾みで現実味を帯び、転がり出すと止まらなくなる。05年衆院選が好例だが、今回はどうなるのか。目が離せない。
   毎日新聞鹿児島支局長 平山千里 2007/11/5 毎日新聞鹿児島版掲載


暴力追放

2007-10-25 09:36:27 | かごんま便り

 19日朝、支局からほど近い鹿児島市西千石町の路上で、ゴミ出し中の男性が近づいてきた男にいきなり尻を刺される事件が起きた。被害に遭ったのは暴力団追放の地元住民団体「山下校区安心安全まちづくり推進連絡協議会」の会長を務める妹尾博隆さん(65)。
 男は21日夕現在、捕まっていない。だから暴力団絡みの犯行と決まった訳ではなく、偶発的な通り魔事件の可能性も否定できない。だが暴力団追放運動のリーダーが狙われたと聞けば誰もが活動に対する報復と考えるだろう。県警もそうした見方を強めている。
連絡協議会は、今年3月に近くのビルを暴力団が取得したことから発足した。その後、ビルは組事務所として使われ始めたため、今月9日には決起大会を開き、大勢の市民がビル前で「暴力団事務所はいらない」と訴えたばかりだった。
 近隣に組事務所ができれば平穏な生活が脅かされる。誰だって暴力団は怖い。それでも勇気をふるって立ち上がった。人々の悲痛な願いをあざ笑うかのような今回の凶行、断じて許せない。
 県警組織犯罪対策課によると、県内の暴力団組員数はここ数年横ばい傾向で、06年度末現在では準構成員を含め740人。全国の組員数は8万4700人(警察庁調べ)だから、人口10万人あたりでは鹿児島は約43人と、全国平均の約66人をかなり下回っている。
 だが今回のような事件は住民の不安を増幅するだけでなく都市の印象も大きく損なう。2代続けて市長が銃撃された長崎市は観光都市の名が傷つき、長崎出身の私は会う人ごとに「怖い街なんだね」と言われ二の句が継げなかった。昨年暮れから今年にかけて発砲事件が続いた前任地の北九州市は、過去の事件の記憶も相まって「暴力の街」のイメージを引きずり続けている。
 一刻も早い検挙とともに、この事件で今後の暴力団追放の気運が先細りにならないことを願うばかりだ。
  毎日新聞鹿児島支局長 平山千里
  2007/10/22 毎日新聞鹿児島版掲載

ある演奏会

2007-10-09 22:18:40 | かごんま便り

 霧島市牧園町高千穂の「みやまコンセール」を初めて訪れた。お目当ては、四半世紀ぶりに復活した大型ピアノトリオのコンサートである。
 ピアノの中村紘子さん、バイオリンの海野義雄さん、チェロの堤剛さん。中学生で日本音楽コンクールを制し、ショパンコンクールで日本人初の上位入賞を果たし天才少女とうたわれた中村さんを筆頭に、いずれも若くして華々しくデビュー。その3人がトリオを結成したのが74年。千両役者がそろい当時「三千両トリオ」と称されたが、81年秋を最後にトリオとしての活動を休止していた。
 現在、中村さんは浜松国際ピアノコンクールの審査委員長、海野さんは東京音大学長。堤さんは桐朋学園大学長。かつての若きスターたちは今や楽壇の重鎮となった。人生の年輪を重ねた彼らがどんなステージを繰り広げるのか、わくわくしながら開演を待った。
 演目はアンコールも含めて3曲。情熱的でダイナミックなピアノ、温かな美音のバイオリン、骨太でしかもよく歌うチェロ。素晴らしい演奏だった。
 今回の公演は全国4会場だが、3大都市圏を除く「地方」は鹿児島だけ。都留鏘(たかし)・副館長によると、地理的ハンディから平日開催は集客の点で難しく、日程的に当初は開催が危ぶまれたという。だが結局、堤さんが施設のバックグラウンドである霧島国際音楽祭の音楽監督を務めている縁や、ホールの音響の良さなどが幸いして実現したとのことだ。
 インターネットの登場で中央と地方との情報格差は大幅に縮まったが、音楽や演劇、美術などの「本物」に接する機会は、中央と地方とでは雲泥の差がある。地方で「本物」が見られるためには資金面など運営側の条件はもちろん、興行として成り立つかなどさまざまな制約がある。幸運な聴衆の一人となれたことに感謝しつつ、質の高い文化事業が今後も鹿児島の地で展開されることを望みたい。
 毎日新聞 鹿児島支局長 平山千里
 2007/10/1 毎日新聞鹿児島版掲載

赤字県政

2007-09-24 22:17:41 | かごんま便り
 Aさん方の年収はおよそ114万円。だが222万円の借金があるのに対して、貯金はわずか5万円弱――。
 県財政の状況(05年度決算)を1世帯あたりの数字に置き換えるとあらかたこうなる。現在は借金がスズメの涙ほど減った代わりに、貯金はぐっと減って2万円を切り、状況はさらに悪くなった。
 もちろん、これは数字として表れるお金だけの分析で、もろもろの資産は含まれない。道路や橋、河川整備、公的施設などへの公共投資は、建設時点では相応の費用がかかるが、できてしまえば財産になる。それでも、貯金がほとんど底を尽きかけている時に、年収の倍近い借金があるのは気持ちの良いものではない。ぜいたくと無縁な暮らしの中でも、借金は一定額を返済し続けなければならず、がけっぷちの生活を迫られていると言える。
 今後も多額の財源不足が避けられない危機的状況の周知を図ろうと、県は4日から職員への説明会を開催、このほど一巡した。財政課の説明では、47都道府県で県の人口は全国24位だが、06年度の当初予算額は17位。そのうちの普通建設事業費は9位、借金返済に充当する公債費は13位、前年度末の借金の残金である地方債残高は14位という。県の規模の割に予算額の諸項目が高めなのが分かる。早い話が「身分不相応」ということだ。
 県土が広く山間地や多くの離島を抱え、しかも自然災害の常襲地帯。高齢化率も極めて高い。他県よりコスト高の要因はあるが、県の財布を圧迫している主因は明らかに、威容を誇る県庁舎をはじめ過去に箱物に投じてきた巨費のつけだろう。
 先日ある新聞に「佐賀県『3年後破産』」という扇情的な見出しが踊った。かつて佐賀県政を担当したので、少々いぶかしく思い、よく読むと「今の状況を放っておけば」の条件付き。支局の県政記者に話を向けると「同じ条件なら鹿児島県はとっくに破産してます」と一笑に付された。確かに佐賀県の借金は予算規模の約1.5倍弱で、鹿児島県よりかなりましである。
 赤字財政に苦しむ全国の自治体の中でも、鹿児島県の状況は目立って悪い。県財政課は、今後さらに縮減が求められるのは人件費の他に普通建設事業費と一般政策経費という。ならば県職員向けにとどまらず、一般県民にももっときちんと説明すべきだと思うが……。
  毎日新聞鹿児島支局長 平山千里
  2007/9/17 毎日新聞鹿児島版掲載

注目の人事

2007-08-30 17:32:21 | かごんま便り

 自民党が記録的な大敗をこうむった参院選から間もなく1カ月。文字通り命運をかけた内閣改造がきょう、断行される。
 全国最激戦となった鹿児島選挙区で首の皮一枚つながった自民党県連で先日、選挙結果についての意見交換が行われた。小泉内閣から続く「改革」路線の負の部分が、とりわけ地方に厳しいものと受け止められ、かつてない苦戦を招いたとの指摘が多かったという。
 一連の構造改革路線が「地方切り捨て」との批判は前からある。その意味で県連の分析は理解できる。自民党の1人区での戦績は6勝23敗。従来から保守の牙城だった地方のとりこぼしは今回の大敗を象徴している。だが決して都市部で勝ったわけではない。一部の例外を除き自民党の退潮は全国的な傾向だ。地方だ中央だという問題ではないのである。
 党本部の参院選総括委員会では、相次ぐ閣僚の不祥事や政治とカネの問題などを敗因に挙げる声が多かった。安倍内閣発足以来、これでもかと続いた失態の数々。政府・与党の危機管理能力のなさと安倍晋三首相の指導力の欠如に国民は幻滅している。
 県連のお歴々がそこに気づかなかったとは思えない。あえて踏み込まなかったとすれば、内閣改造や党人事をにらんで腰が引けたのかと勘ぐりたくなる。
 昨秋、安倍内閣の顔ぶれが発表された時、個人的に一番驚いたのが農水相人事だった。
 彼の初当選は90年の第39回総選挙。死去した元衆院議員の後継を標ぼうしたが党公認が得られず無所属で出馬、大方の予想を覆して初陣を飾った。
 「平成の桃太郎」をキャッチフレーズに鬼(悪政)退治を訴えたが、当時から周辺にきな臭い話が多かった。その後、行動派の農水族議員として活躍していたが、なかなか大臣の声がかからなかったのは、周辺の事情も災いしていたのではと思う。
 入閣は阿部首相誕生の論功行賞と言われたが、やがて光熱水費問題が報じられ、集中砲火を浴びた彼は、真相がうやむやのまま自ら命を絶つ。安倍内閣迷走を象徴すると同時に参院選敗北の伏線となる事件だった。
 大きな痛手を受けた後だけに、安倍改造内閣の顔ぶれは、それなりにまっとうなものとなるだろう。万一そうでなかったら……もう延命は図れまい。
   毎日新聞鹿児島支局長 平山千里 
2007/8/20毎日新聞鹿児島版掲載

風の芸術展

2007-08-25 23:38:53 | かごんま便り

 枕崎市文化資料センター南溟館で開催中の「風の芸術展」(9月17日まで)を見た。
 全国から気鋭の作家が多数参加する現代美術のハイレベルな公募展。毎日新聞の美術担当記者を経て埼玉県立近代美術館や熊本市現代美術館の館長を歴任した故・田中幸人さんが審査委員を務めていたことも、何かの縁を感じる。
 第8回の今回は従来のコンクール方式とは趣向を変え、過去の受賞作家の近作を集めた。実に5年ぶりの開催は財政事情に加え、05年秋の放火被害による修復のため南瞑館が一時休館を迫られていたなどの不運が背景だが、どういう形にしろ「『風の芸術展』の火を消すな」という関係者の熱い思いが実を結んだことは喜ばしい。
 出品者は歴代入賞者67人のうち61人。平面作品、立体作品とも大作が多く、決して広くない展示空間の中で、圧倒的な存在感を伴って目に飛び込んでくる。ユニークな構造の木造建築のぬくもりと、大胆なデザインや奇抜な意匠との不思議な調和も楽しい。
 出品にあたり、多くの作家がメッセージを寄せている。個々の作品に込めた彼らの思いとともに、この地に一つのステップを刻んで大きく羽ばたいていった芸術家たちのその後の足どりがうかがえ、大変興味深かった。
 「風の芸術展」は地方から文化の〝風〟を起こそうと、当時の田代清英市長(故人)の肝いりで89年に始まった。「芸術を通じてのまちおこしと共に、田代・元市長には『すばらしい芸術作品にふれることで青少年に豊かな感性をはぐくんでほしい』という願いがあったと思う」と関好明館長は述懐する。当初は隔年開催の「ビエンナーレ」として、その後3年に一度の「トリエンナーレ」として02年の第7回まで続き、その後中断を迫られたことは前述した。
 南瞑館の周囲には過去の受賞作品が並ぶ。JR枕崎駅から伸びる市役所通りにも「青空美術館」と称して数々の作品が展示されている。人口2万5000人足らずの地方都市の駅頭に、これほど刺激的な町並みがあるとは思いも寄らなかった。
 「次への足固め」(関館長)として開かれた第8回展。今後の開催方式は未定というが、中央から遠く離れた小都市のハンディにもかかわらず、本物の文化事業が脈々と息づいていることを、我々はもっと誇っていい。
   毎日新聞鹿児島支局長 平山千里 
   2007/8/20毎日新聞鹿児島版掲載